雪解け - なんとはなしに

61*


 打刀を厳しく叱責し、口を酸っぱくして「紳士的に」と説いた管狐。長々とした説教を済ませた彼は松の木を離れ、ふらふらと住処に帰っていった。精神力を浪費したせいか黒い瞳には生気がない。
「全く、あの打刀は」
 誰に言うでもなく愚痴を零す管狐だったが、土間に入り、屋内に染み付いた主人の匂いをひと嗅ぎすると嫌な気分も少しは和らいだ。活力が目に戻る。刻まれっぱなしだった眉間の皺もようやく取れた。
 狐は布で足を拭いて畳に上がり、「らっぷ」の掛けられた盆の前に座る。しんとした部屋。盆の縁を肉球で擽るようにして透明なフィルムを剥がし、好物のツナサンドをぱくり。ツナとマヨネーズの酸味とスライスされた玉葱の甘味が絶妙であり、咀嚼しているうちに彼の心は癒やされていった。美味な食事、膨れた腹。これを幸せと言わずして何と言えよう。
「さてと」
 食後に三十分だけ休息を取って、管狐が動き出す。水回りや火の元等、離れの中をくまなくチェックし異常のないことを確認。次いで天気の良い外へ行き、畑と花壇をパトロール。道すがら出会った千代金丸と北谷菜切と海や琉球の話をしたり、御殿の掃除をサボっている南泉一文字を目撃したり、彼を探す山鳥毛に「縁側の端に寝転んでいましたよ」と告げ口したり──午後の巡回もまずまず有意義だったようだ。
 あっちをこっちを歩き独楽鼠のように働いていると、あっという間に日が暮れる。夕飯は作り置きの唐揚げと炒飯、ミニトマト。それらを平らげ、管狐は風呂代わりである毛繕いを入念に行った。湯の準備も片付けも手間が掛かり、狐だけでは大仕事になってしまう。なので、外泊で主人が居ない日の入浴は省略されていた。
 虫の声も木の葉の擦れ合う音もしない、森閑とした夜。火を扱えぬ狐が家に明かりを灯すことなど到底できず、離れは夜の闇に包まれる。主人不在で話し相手もいない、「とらんぷ」での札遊びもできない、「いんたあねっと」の「にゅうす」も見られない。二十時にして暇ではあったが、御殿に赴く気も起こらなかった。
 このような時は寝てしまうに限る。と、狐は自身の寝床である犬用ベッドに丸まった。普段よりも二時間早い就寝。孤独と哀愁を感じながら目を閉じ、眠気の訪れを待つ。卓上時計がチッ、チッと、壁掛け時計がカチ、カチと規則的に秒針を進めていく。無機質な音にうとうとしてきた頃、沈みかけていた管狐の意識を風の唸りが浮上させた。
 黒い瞳がぱっちりと開く。狐は黄色と白の耳と太い髭を立て、五感を研ぎ澄ました。巨獣の咆哮のような風の音が外で鳴り響いており、音に呼応するが如く家屋がガタガタと揺れる。突風か暴風か、いずれにせよ強い風だ。湿った鼻をひくつかせてみるも、今朝と異なり雨の匂いはしない。風だけが猛り狂っている。
 今に至るまで無風と言ってよいほど凪いでいたというのに、烈風は前触れもなく吹き荒れた。その吹きっぷりは屋根が飛んでいってしまいそうなほどで、柱が、襖が悲鳴をあげる。
 ゴウゴウ、ビュウビュウ、ガタガタ。暫時、離れを殴りつける風の音を聞きながら花と作物の心配をする狐だったが、暴雨でないだけマシだと思い、閉眼する。突発的な強風を経験するのはこれが初めてではない。主人が本丸に居ない日にはこんな風がよく吹いた。また、空模様もころころ変わる。雨が降って、止んで、晴れて、曇って……一日の中で何度も。
「本丸の置かれている空間は政府が創り、維持と安定には審神者の力が必要だ」と、生まれて間もないうちに管狐は政府関係者から聞いていた。だが、「審神者が本丸を離れれば天気が不安定になる」という説明をされた覚えはない。秋の一斉手入れで主人が三日昏睡した折、長雨が続いた。けれどあれは彼女が霊力を失い過ぎたせいだろう。己を含む「管狐」らの教育係が言っていた。「審神者が危機に瀕した時、空間は安定性を欠く」と。
 ……他の本丸もこうなのでしょうか。
 審神者は一年のほとんどを本丸で過ごしているのだろうか。外出泊の制限を受けているのだろうか。不在時には気象がおかしくなるのだろうか。
 眠りに落ちるまでそんなことを考え、管狐は激しい風の夜を明かす。目覚めた朝は静かだった。

 *

 いつ消えたのやら、暴れん坊の風は本丸のどこにもいない。審神者が旅行に出て二日目の朝は雲一つない好天だった。また突然風や雨が遊びに来るかもしれないが。
「こんのすけー! 伽羅見なかったか?」
 昨日同様花壇の見回りをしていた管狐へ、御殿の玄関から出てきた太鼓鐘貞宗が尋ねてくる。彼と狐との間には距離があるので大声だ。ブーツの爪先をトントンと敷石に打ち付け、短刀は管狐へと駆け寄った。
「大倶利伽羅ですか? 私は見ていませんが……」
 側まで走ってきた太鼓鐘貞宗に答えを返し、管狐は花壇の煉瓦をぴょんと降りる。
「あー、そうか。みっちゃんが外に行ったって言ってたんだけどなあ」
 落胆の声を漏らしてきょろきょろする短刀。大倶利伽羅を探しているのだろう。けれど、当の刀は見当たらない。
「私もここへは先程来たばかりでして。お役に立てず申し訳ない」
「いや、いいんだよ。ありがとな」
 ニッと笑い、太鼓鐘貞宗は大きく息を吸った。
「伽羅ー! おーい、伽羅ー!」
 髪に飾ってある羽がふわふわ揺れる。あちらへこちらへ顔を向ける動きは小鳥のようだった。
 刀探しをしている太鼓鐘貞宗の手助けをしようと、管狐は鋭い嗅覚を使う。「外に行った」というのが事実であれば、匂いを辿れるかもしれない。くんくん、ふんふん。大気や地面を徹底的に嗅ぐ狐の鼻は、数多くの匂いを検出した。太鼓鐘貞宗の匂い、草の香り、土の匂い、煉瓦の匂い、そして──大倶利伽羅の匂い。
 捕らえた。
 管狐はより集中して彼の匂いを追う。御殿を出て……池ではない。裏の空き地か。
「太鼓鐘貞宗。大倶利伽羅の匂いを掴みました。裏の方ですね」
「おっ、本当か!?」
「はい。私の自慢の鼻がそう言っております故」
 誇らしげに胸を張る管狐。ふさふさの白い胸毛が存在感を放っている。
「おっし、行ってみる!」
「私も参りましょう。匂いで追跡致します」
「いいのか? 花の世話があるんじゃ……」
「ええ、時間はたっぷりありますから」
「へへっ、助かるぜ」
 願ってもない支援に短刀は爽やかに破顔し、踵を返して走り出した。青いマントがひらりと翻る。空とマント、色合いの違う二つの青を仰ぎ見て、管狐も彼に続いた。
「そのように走って、急ぎの用なのですか」
「うんにゃ、そうでもない。いつものことなんだけど、気付いたら居なくなっててさ。どこで何やってんのかなーって」
「ああ、大倶利伽羅は馴れ合いを嫌う一匹狼ですからねえ」
 話しながら並走する狐と短刀。玄関を左に曲がると、広い空き地の端にシルエットが見えた。黒い頭、黒い服、腰に垂れる茜色の布──背の高さと出で立ちからして大倶利伽羅だろう。
「お、いた! 伽羅ー!」
 息も切らさず打刀の名を呼び、太鼓鐘貞宗は加速する。管狐も負けじと足を前へやった。四輪駆動、エンジンは十時のおやつに食べた油揚げ煎餅である。
 草地と森の境界。大倶利伽羅はそこに佇んでいた。全速力で迫りくる短刀と管狐を一瞥した彼は、煩わしげに息を一つ吐いて、腕に抱えていた物を持ち直す。
 貞だけなら良かったが、こんのすけが来ると面倒だ。と、打刀は舌打ちしそうになった。溜め息の原因は管狐にあるらしい。
「おい伽羅、こんなところで──」
 探し刀の隣に並んだ太鼓鐘貞宗の声が詰まる。大倶利伽羅の腕には何本かの枝が積まれてあった。
「木の枝?」
 山吹色のくりっとした目を瞬かせ、訝しげな表情になる短刀。打刀は何も言わないまま、森の入り口になる藪へ枝を投げ捨てた。
「あ、おい……」
 うんともすんとも喋らぬ大倶利伽羅へ再度声を掛けるが、彼は答えず歩き始める。置き去りにされた太鼓鐘貞宗と管狐は「なんだなんだ」と目配せをし、打刀の後ろ姿を不思議そうに眺めた。大倶利伽羅の歩調は特段速くもなく、一匹と一振りから逃げようとしているわけではなさそうだった。
 狐らの観察する大倶利伽羅は下を見ながら歩いており、時折立ち止まっては枝を拾う。歩いて拾ってを繰り返した後は、近くの藪に行って枝を捨てていた。そうしてまた、草地に戻り枝を拾うのである。
「木の枝を拾って、捨ててんのか?」
「そのようですね」
 拾って捨てて、何が目的なのだろう。一連の流れを把握した狐と短刀はどちらからともなく駆け出し、大倶利伽羅を追った。彼らが追いつくと、通算二十六本目となる枝を拾っていた打刀は、「また来たのか」というような視線を管狐へ向ける。
「なんか、枝が派手に散らばってるなあ」
 周囲を見回し、太鼓鐘貞宗が呟く。空き地には枯れ葉や枝が乱雑に散らかっていた。
「ふむ。もしや、昨夜の風で森の木々が折れ、飛ばされたのやも。すごい風でしたから」
 この区域は森と隣合わせになっているため、木の葉や小枝が落ちていることは度々あった。風や鳥の悪戯だ。だが、これほどまでに多くはない。思い当たるのは夜の強風。建物が震えるくらいに吹き荒れたあの風が、森でも暴れ回ったのだろう。
「おー、確かに。昨日の風、やばかったよな。さすがに誰も夜歩きしてなかったぜ」
「賢明です。散歩するには些か難がありましたね」
「だなあ」
 管狐に相槌を打ちつつ、太鼓鐘貞宗は大倶利伽羅をじっと見つめる。黙然と作業している打刀。ただし、全ての枝を拾ってはいない。彼はどうも、拾う枝を選んでいるようだ。太いものや長いものだけが、打刀の腕に収められていっている。
「邪魔になりそうなのを拾ってんのか?」
 ははあ、なるほど。目立つ枝を拾って捨てて、掃除をしているのか。
 太鼓鐘貞宗はそう考え、大倶利伽羅に問う。ここで初めて、大倶利伽羅が声を出した。
「転ぶ奴がいそうだからな」
 低い音でボソッと言い、打刀は腕に溜まった枝を藪へ捨てに行った。彼の回答を聞いた短刀は「よく分からない」といった顔で、遠ざかる背中を凝視する。
「こんな所、通る奴なんかそうそういないだろ」
 空き地の中央であれば江派の刀が「れっすん」で使用したり、同田貫正国や山伏国広らが鍛錬したりしている。散策をする刀もちらほら居た。しかし、ここは森側だ。こんな外れにわざわざ誰が来るのだろう。それが太鼓鐘貞宗の率直な感想だった。
「なあ、こんのすけ」
 短刀は同意を求めて足元に目線を落とす。彼の瞳の中、管狐は目を糸にしてにっこりと笑っていた。
「ど、どうしたんだよ。何が面白かったんだ?」
「いえいえ、何も。ただ嬉しくて」
 ゆらゆら揺れる黄色と白の尻尾。大倶利伽羅の言葉を耳にし、管狐はすぐに勘付いたのだ。だって、ここは──。
「ここは、主様の散歩道なのですよ」
 顔いっぱいに喜びを表した管狐が、短刀へこそっと教える。そう、ここは主人お気に入りの散歩道。大倶利伽羅の言う「転ぶ奴」とはおそらく主人のことであり、つまり彼は、審神者が躓かないよう枝を拾ってよそへやっているのである。きっと今回が初めてではない。主人不在時の強風は一回きりではなく前にもあった。にもかかわらず、枝の散らばりは酷くなかった。今のように大倶利伽羅が密かに処理してくれていたのかもしれない。なんとも憎い刀ではないか。
「へえ! あー……じゃあ、そういうことか」
「ええ」
 合点がいった太鼓鐘貞宗にニンマリ頷き、管狐は大倶利伽羅のもとへ走った。
「大倶利伽羅、ありがとうございます。主様はよそ見しながら歩いたりもしますので、太い枝があると『転ぶ奴』になりかねません」
 藪に捨て終え、次の枝を拾いに移動しようとしていた打刀が顔つきを険しくする。管狐は気味が悪いくらい締まりのない笑顔をしており、小さな体で大倶利伽羅の行く手を塞いでいた。通せん坊だ。
「これまでも、あなたが枝を拾ってくれていたのでしょう?」
 嬉しくて仕方ない狐はお見通しだというように打刀を見上げ、尻尾を振る。この狐は敏い。大倶利伽羅はそれを知っていた。
「……さあな」
 そうとも違うとも言わず、大倶利伽羅は狐を避けて前に進んでいく。「だからお前が来ると嫌だったんだ」と、胸の内で悪態をつきながら。

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