26
そこら中でざわついている刀剣男士。その群れで、今剣は一振り、浮かない顔をしていた。
「どうした、今剣よ」
「……岩融」
正座のまま微動だにしない短刀を気に掛け、薙刀の付喪神が歩み出す。今剣は側まで来た大男を静かに見上げた。
「ぼく……」
何かを言おうとして口ごもった小柄な神。岩融は言葉の続きをじっと待った。周囲の喧騒なぞ、もはや二振りの耳には届いていない。
「よく、わからないんです。じぶんのこころが」
覚束ない声だった。家を尋ねられ、「分からない」と答える迷子のように。
下を向き、弱々しく目を伏せた今剣は胸の前でぎゅっと拳を作る。眉根に寄るのは苦しげな皺。そんな短刀を目にし、岩融はただならぬ思いを汲み取った。
「今剣をを独りにしてはいけない」「今剣の話を聴き、寄り添ってやらねばならない」
そう、彼の心が叫ぶ。
「……星でも見ながら少し話すか。今夜はよく晴れている」
憂鬱で化粧をしたような面持ちの今剣を、岩融が抱き上げた。
片手に薙刀、片手に今剣。鍛え抜かれた腕力にかかれば容易いこと。
岩融は欄間に頭をぶつけぬよう気をつけながら襖を抜け、賑やかな座敷を発った。
*
「もう、あかいくもはないんですね」
「ああ。あの女がどこかにやってしまったらしいぞ」
夜の庭。大きな池の前に、小柄な神を抱きかかえた岩融が佇んでいる。
「いけのみずももどって、くさやきもいきかえりました」
「そうだな。……あの頃の面影すらない、美しい景色だ」
風光明媚な自然について話しをしているというのに、今剣の声は暗い。過去を思い起こしているのか、行く末に漠然とした不安を覚えているのか──。
冴えぬ顔した今剣のの胸中を想い、岩融は夜空を仰ぐ。
「見ろ。庭はこんなにも静かだというのに、空の星はうるさく輝いておるわ」
短刀は薙刀につられて細い首を反らし、満点の星空に目を見張った。
「わあ……」
散りばめられた無数の星に感嘆の吐息を漏らし、赤い瞳を輝かせる彼だったが、すぐさま暗い気分が舞い戻る。その双眸にはもう、星の瞬きは映っていない。
「……ぼくたち、いらないかたななんですね」
ぽつりと溢れた声が、きんと冷え込む夜の大気に混ざる。驚いた岩融が口を開くより先に、短刀は話を続けた。
「だって、はなれのにんげんは──ぼくたちなんてひつようないっていったんでしょう?」
「いいや、俺たちに望む事はないと言っただけさ。何も要らぬ刀というわけではなかろう」
「でも」
言いかけて、喉から出かかった言葉を飲み込む今剣。
「どうした?」
薙刀が腕に抱えた軽い体を優しく揺すれば、赤眼の神はそっと己の胸に手を当てる。
「……ふしぎなんです」
消え入りそうな音が白い息となって唇から流れた。活気なく黙し、考え込んでいる様子の短刀を、岩融はそっと眺める。座敷の騒々しさは遠い。
「もう、ひとにつかわれなくていいとおもっていたのに……のぞまれてないってきいて、ここがおもたくなりました」
小さなてのひらが摩る薄い胸板。痩身のそれに比例せず、彼の内には夥しい数の鉛が詰め込まれていた。おまけに濃霧も立ち籠めている。
「いまもすごく、もわもわして、くるしくて……きもちがわるいです」
不快感に顔を顰めつつ、唇を噛んだ今剣。
「よしつねこうはすきです。でも、あのおとこはきらいです。ひとはこわくて、みたくもない。なのに、いらないかたなになるのはいやなんです」
短刀は薙刀の目をまっすぐに見つめた。
「ぼくはじぶんがわかりません」
悶々とした胸懐を吐露しても、彼の心は晴れない。
和服の合わせに皺が寄る。今剣が胸元をきつく握り締めたからであった。
「……そうだったか」
表に出された葛藤を受け止め、岩融は短刀を抱く腕の力を強める。
「もとはただの刀剣だった俺たちも、人の身を得て、心を得た。心というものは実に不便で、複雑なのだ。だからこそ面白く、時に辛い」
嫌いだったはずなのに、好きになれそうな予感がして。
うんざりしていたはずなのに、距離があると寂しくなって。
警戒していたはずなのに、近寄りたくなってしまう。
「人は矛盾だらけの生き物だ。……俺たちもそうなりつつある」
理不尽で不合理、そしてちぐはぐな──すっきりしない胸の内。岩融もまた、今剣と同じだったのだ。
「解らなくともよいではないか。これから少しずつ考えていけばいい」
大きく口角を上げ、ニーッっと白い歯を見せる薙刀に、短刀はパチクリと目を瞬かせた。そうして、僅かな沈黙を経て大柄な神の名を呼ぶ。
「岩融。……もし、ぼくがあのひとにあいたくなったら──いっしょにきてくれますか?」
苦衷の揺蕩う赤い瞳。迷いを見せた今剣へ、岩融は一笑した。
「ああ。任せておけ」
豪傑ながらも心遣いを利かせる薙刀は、実に頼もしく、包容力に溢れていて。
「……はい」
短刀を苛ませていた懊悩が微かばかり薄れ、小さな安らぎが生まれる。それは暗い夜を照らす星のようだった。
「よろしくたのみましたよ、岩融」
星空の下、今剣は静かに微笑んだ。