小話 - なんとはなしに

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「えーっと、私はよく知らないんだけど、ここの神様って前の審神者のせいで大変だったんでしょ? やっと自由になれたんだから、人生──じゃなかった、神生? 満喫しないともったいないんじゃない? もっと好きなことして楽しく過ごして欲しい。これが私の『望み』かな。あ、押し付けるつもりはないよ」
 ある秋の日、包丁の手入れを終えた審神者が帰り際に神々へ言った言葉。それを聞いた瞬間、一振りの脇差は胸を震わせた。
 自由。満喫。好きなこと。楽しく過ごす。一つ一つの単語が鉄の壁を破るが如く衝撃を与え、彼の心の奥底に眠っていたものを呼び起こす。彼自身の夢と希望を。
 私の好きなこと。自由になった私がやりたいこと──。
 自問自答し思い浮かんだのは、歌って踊れる刀剣男士になるための「れっすん」だった。
 秘宝の里の報酬としてこの本丸に授与され、先の審神者によって顕現されし篭手切江。受肉した彼が初めて目にした人間は、強く禍々しいオーラを纏う無表情な男だった。己の主らしき男は脇差が挨拶をする前にさっさと去ってしまい、据えた匂いのする埃だらけの部屋に残された篭手切江は暫し呆然とする。新入りの気配を感じた小烏丸が迎えに来るまで、脇差は異様な雰囲気の漂うそこから動けなかった。
「新しき刀が来たか。どれ、この父が案内しよう」と笑った刀剣の祖は、頬や肩に大きな切り傷を作っていた。肉は抉れ、皮膚は裂け……篭手切江は鮮血の滴る生傷に驚く。目を瞠って心配する彼へ、小烏丸は本丸の惨状や審神者の冷酷非道ぶりについてを教えてやった。それが、この本丸における篭手切江の始まりだった。
 出陣と遠征とを繰り返す日々。自らの手で本体を振るい、がむしゃらに戦った。傷付いても審神者は治してくれない。薬研藤四郎の応急処置があるのみで、誰が血を流そうが、男に付喪神の創傷を気にする様子はなかった。
 手入れを受けられない環境。ここで生き抜くためには強くなる必要があった。また、審神者に楯突かずに大人しくしているということも重要だった。
 幸い、審神者の命に具体性がない時は自分たちで戦場を選んだり、部隊を組めたりしたので、まず新入りは難易度の低い地で実戦経験を積む。ひたすらに鍛えて強くなるのだ。審神者の気分次第で下される無茶な出陣命令があるまで。
 毎日が殺伐としていた。とてもじゃないが、れっすんどころではなかった。強い敵の潜む戦場へは比較的動けるものが赴いていた。皆、折れる直前まで戦い、戦闘不能に陥った刀剣は意味を成さない手入れ部屋に運ばれる。
 一振り欠ければ、その分誰かが出ないといけない。練度を上げた篭手切江は、激戦で虫の息となった歌仙兼定と入れ替わり、阿弥陀ヶ峰に挑んだ。そして敵の激しい鉄拳を前胸部に受け、喉が潰された。もちろん審神者は手入れをしなかった。「今はれっすんできなくても、いつかは」と、密かに抱き続けていた脇差の夢が絶たれた日であった。
 かろうじて呼吸はできても声は出ない。到底、歌など歌えるはずがなかった。絶望に暮れた篭手切江は淡々と戦いに身を投じ、意識が途切れるその時まで絶望に暮れていた。
 歳月は流れ、新たな審神者が神々を一斉手入れする。温かな力に包まれて目を覚ました篭手切江の喉は元通りになっていた。手足だって痛みなく動かせた。満足な体を取り戻し、彼は歌ったり踊ったりが出来るようになったのだ。けれど、離れに住み着いている人間を警戒するあまり、れっすんをする精神的な余裕はなかった。れっすんをしたいという気持ちも失せたままで、忘れたに等しかった。
 ──だが、その日。女が言った「望み」を耳にし、脇差は夢を思い出す。
 自由。満喫。好きなこと。楽しく過ごす。私の好きなこと。自由になった私がやりたいこと。
 頭の中をぐるぐると回る言葉。胸に湧き上がる興奮。周囲の刀剣男士らは戸惑ったり、訝しんだりしていたが、篭手切江だけは高揚していた。良いのだろうかと躊躇しつつも、どうしようもなくれっすんがしたくなった。歌って踊れる刀剣男士を、再び目指したくなった。
 付喪神の新しい服を用意し、女は帰ってゆく。居ても立っても居られなかった篭手切江は、手早く着替えを済ませて外へ出た。
 日が沈んで暗い庭。脇差は草地の隅へと走り、思い切り飛んで跳ねる。試しにバク転してみるも、上手く着地できず仰向けに転んでしまった。息を切らせて見上げた星空はとても美しく、夜だというのに、世界がとても色鮮やかに見えた。
「私はれっすんがしたい。歌って踊れる付喪神として輝きたい……!」
 仰いだ空へ放った言の葉を、星々は静かに優しく聞いていた。その日を境に、篭手切江のれっすんが始動する。最初は一振りだけだったが、りいだあ豊前江が加わり、桑名江が交ざり、松井江を誘い──今やぐるーぷと呼べるほどまで数が増えた。

 *

「……ふふ」
 遠くに微かな雨音が鳴る本丸の、広い座敷。そこでストレッチをしていた篭手切江は、端正な顔に笑みを浮かべた。不意に思い出したのだ。秋に彼女が言った台詞を。
『もっと好きなことして楽しく過ごして欲しい』
 耳の奥に響く女の声に、脇差は心の中でこう返した。私は今、好きなことをして、楽しく過ごしていますよ。と。
「おっ、どうしたんだ? なんか楽しそうだな」
「いえ、あの──思い出し笑いです」
 正面で屈伸していた打刀に指摘され、脇差は照れ臭そうにはにかむ。豊前江は「そうか」と微笑んだ。初夏の涼風のような、爽やかな笑顔だった。
「ねえ、りいだあ」
 手首や腕のストレッチを続けながら篭手切江が口を開く。
「ん?」
「みんなでれっすんを重ねて、いつかちゃんと形になったら」
 黒縁眼鏡のレンズ越しに若菜色の瞳が煌めいた。少しの間を置いて、篭手切江は肺いっぱいに空気を取り込む。
「あの人に観てもらいたいです。僕たちのすていじを!」
 顔をキラキラさせている脇差。りいだあの打刀は若干驚き、「そうだなあ」と考える素振りを見せた。篭手切江の方へ一歩一歩進む豊前江の口元が、ニンマリと綻ぶ。
「わっ」
 突如伸びてきた手に喫驚する脇差の頭を、豊前江はぐしゃぐしゃと掻き撫ぜた。
「お前がそうしたいならそうするか!」
 りいだあの快活な声を聞き、脇差が目を見開く。ぽかんとしていた面持ちは、やがて満面の笑みになった。
「はい!」
 脇差は嬉しそうに頷いて、勢い良く拳を突き上げる。
「よーし、れっすんあるのみ! 頑張るぞー!」

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