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「後はこっちでやっておく。体力ゼロのおっさん達はさっさと店に帰って寝てろ」
「は、はぁ…お手数お掛けします」

 焼きイカちゃん連合が倉庫内へと突入した後、騒動が収拾するのはまさしく言葉通りにあっという間の事だった。多数のパトカーを連れて三人より少し後にやって来たのは、彼女の友人であるちょっぴりクールなガール(実は…っと、危ない。それ以上はノーコメントで)のハットさんで、ある場所で数日前から行われていた違法な投薬実験の被害に幼馴染が遭っていると突き止めた彼女が、警察と打合せをしていつの間にかこのような奇襲作戦を練っていたらしい。話を聞いたところ、今回お縄についた三人のボーイは以前から警戒心が強く、警察の臭いを察知するとすぐさま場所を転々と変えては至る所で実験を繰り返していたらしく、動きを悟られないよう慎重に動かなければ現行犯逮捕は難しいと踏んでの秘密の作戦だったようで、若いのになんて行動力がある子達なのだろうとまるで他人事のように感心していた。

「俺も残るわ。色々と取り返しておきてえモンもあるし」

 親指と人差し指の先をくっつけて作ったおカネのサインを掲げながら、懲りもせず現場のおこぼれを拾おうとしている幼馴染の知人に苦笑しながらも、冗談交じりに一言、そのまたおこぼれありましたら恵んでください、とだけ残して傷だらけになってしまったスクーターにいそいそと乗り込んだ。
 度重なる疲労と緊張感で体力を使い果たしたのか、すやすやと深く眠る看板娘を胸に抱き、後ろには背中合わせに幼馴染を乗せ、明らかに重量オーバーでのろのろと走るスクーターは数メートル進むたびに悲鳴を上げるも、へとへとの三人を乗せながらもなんとか耐えては力尽きる事なく無事に店まで運んでくれた。
 その間も幼馴染は始終無言のままで、どんな表情をしているのかさえこちらからは伺えず、つい先程まではあんなにも普通に言葉を交わせていたはずなのに、今更になって何故だか緊張感が生まれて何も口にする事が出来なかった。
 エンジンを切り、看板娘を起こさないように優しく抱き留めながらそっと地面へ降りると、幼馴染はこちらに背を向けたまま腕を組み、立っていたその場から動こうとしない。声を掛けようにもどうも一歩踏み出せず、そっと背中の真ん中辺りを摘んでは少しだけ力を入れて引っ張ってみる。うお、と小さく零しては一歩二歩と後ろへ下がり、ゆっくりと振り向いたその先には気まずそうに視線を落としたままの表情を掲げていて、それを見て思わず小さく苦笑しながらもそっと優しく言葉を掛けてやった。

「今夜は、泊まっていって」
「…あぁ」

 気まずそうにしながらもさすがに疲労が拭えないのか、勝手口へと向かう自分の背を追うようにとぼとぼと素直に付いてくる彼にひとりこっそりと安心していた最中、そういえば店を出てから開けっ放しのままにしてしまった玄関の鍵をついでに締めようと思い、やはり前から入ろうと二人、店の前まで回ってはがらがらと引き戸を開けた。

「なぁ、マゴ」
「ごめん、ちょっと待ってて」
「は? え、あ、うん…」
「…はい、入ってきていいよ」
「お、おう」

 まるで締め出すように一度足を踏み入れた店を追い出され、不思議そうな表情のままの彼を遮断した直後、どうぞ、と笑いそうになるのとなんとか堪えながらもちょっとした羞恥心を含んだ声で引き戸越しの幼馴染へと声を掛けた。そして、恐る恐る再び開かれた引き戸の先で眉をひそめていた彼に頬を熱くしながらも、そっと、ここ数日掛けてあげたかった言葉を呟いたのだった。

「おかえり、ヨリ」

 ずっと、この瞬間を待っていたのだと思う。
 気付けば数ヶ月間も続いていた三人でのここでの暮らしの温かさが、生きる気力さえなかった自身に彼らと共に前へ進みたいという希望を生んで、理由がなくともただただ流れていく日々を過ごす事が苦痛なものばかりではないと知った大切な時間が当たり前になっていくのだろうと思っていた。それがたった数日間、突然とはいえ失われただけでこんなにも弱ってしまう自分に落胆してしまうも、看板娘の存在と前へと引っ張っていく強い確かな力によって、再びいつもの日常へと戻ろうとしている。

「ヨリち…、おかえり…ふみゅ」
「はは、寝ぼけてるや」
「あの、何ですかね…これは」
「何ですかね、じゃなくて。ほら、ヨリも早く」
「ぐっ…え、っと…その、ただ、いま」
「…ふ、へへへ。あははっ、なんか変なの」
「なんだよ、それ! お前が言えっつったんだろ、ったく…」

 あまりにちぐはぐな会話にせっかく耐えていたものが一気に爆発してしまい、玄関先だというのに二人でげらげらと笑い合っては腹を抱えてしまった。
 今夜はもう目を覚ましそうにない彼女を奥の居間に敷いた布団へ寝かせて、妙に目が覚めてしまった自分と幼馴染は軽くシャワーで汚れた体を綺麗に流し、コタツ机に置いたままだった深緑色の湯呑みを片付けながら再び温かいお茶を淹れ直した。どうやら今夜はここで泊まっていく事を覚悟したらしく、コタツに入っては携帯電話を弄りながらも大人しく胡座を掻いて待っていてくれた。

「はい、どうぞ」
「…おう」

 ふんわりと居間の中に浮いた湯気が冷えていた空間を和らげて、香ばしい香りに包まれながらコタツ机を挟んだ向かい側に腰を下ろすと、ようやく一息をつけたような気がしてどっしりと重みを増した体が沈んだ。
 下手をしたらこのままコタツの中で寝てしまいかねない、そう苦笑しそうになったその時、両手で湯呑みを握り締めていた幼馴染が目の前で小さくぼそりと呟いた。

「…悪かった」
「え? 何が」
「お前を巻き込んで、ましてや、幼女にまで怖い思いさせちまった。本当に、すまないと思ってる。だから、その…明日にでもここを出る。今度こそ、お前らにはもう、関わらな…いっでぇ!」

 衝動だった。いつまでも意味の分からない言葉をつらつらと並べ始める彼に思わず、無意識のままにコタツ机の真ん中に置かれたみかんを顔面に投げつける。もろに当たった額を摩りながら涙目になっている彼を他所に、腹の底から沸々と沸き上がる怒りを押さえ付けながらも目を細め真っ直ぐに彼の薄茶色の瞳を覗いた。

「…いい加減にしろよ、ヨリ…!」
「いきなり何すん、」
「お前、前に言ったよな。大切な人の為にも馬鹿な真似はするんじゃないって。それを、言った本人が守らないでどうすんだ! ふざけんな!」
「だ、だから、俺は!」
「一人で抱え込んで結果的に心配かけて、言ってる事とやってる事が伴ってないんだよ! 今に始まった事じゃない、俺がどれだけ、お前を気に掛けてたと思、って…!」
「っ…、そ、んな…」

 膝の上で震える拳に力強く目を瞑りながら、瞼に篭る熱が頭をぼんやりと滲ませた。
 自分勝手でワガママで、人の話を聞かない石頭で、一度決めたら絶対に引こうとしない面倒な性格をしているくせ、自分の事はそっちのけでいつも周りの存在ばかりに気にかけては自身を顧みない、つんとした彼の見掛けによらないその優しさが愛しく、時に憎らしくも感じた。

「もう、自分に嘘はつかない」

 心臓が、唸る。それでも、もう迷いなんて一つもなかった。

「自分自身を信じられない中で、ようやく気付けたんだ。知らない振りをしていた、本当の気持ちに」
「お前、何を言って…」
「きっと、困らせてしまうと思う。でも、どうしてもお前に伝えたい」

 ごくり、と音を立てて息を飲む。ゆっくりと手の平を幼馴染の胸に当てると、互いにどくどくと自身を震わせる程に高鳴る鼓動に頭の中は支配され、彼の頬に伝う冷たい汗が一滴、ぽたりと膝の上へと弾けて消えたその直後、長年底の底で沈み埋もれていたものが嘘のように浮かび上がり、必死な思いで呟いた声はぽろぽろと外へと流れていった。

「…好きなんだ。きっと、ずっと前から」
「っ…マ、」
「お前を、愛してる。ヨリ」

 するすると下ろした手のひらで、身を乗り出しながら呆然としたまま動かない幼馴染の腕を掴んでは、今ようやく覚悟を決めた気持ちをごちゃごちゃになった頭で必死に振り絞りながら確かな言葉で伝えた。すると、ようやく意識が覚醒し揺れていた瞳が強く光ったかと思えば、突然腕を掴み返されてはそのまま力尽くに無理矢理上半身を押し倒され、沈んだ背中の痛みを気にする余裕などないまま視界は暗転していた。目の前まで接近した彼の表情は明らかに怒りが含まれていて、しかし、その中で見え隠れしていた酷く悲しそうなその目に胸の奥が締まるように痛んだ。

「何、す」
「…分かるよな、すっとぼけてるお前でも。なんで俺がお前にこんな事してんのかっ…!」
「あ、っく」

 気付かない間に両腕を頭上の畳に縫い付けられ、やんわりとぬくもりを帯びた右手がハラシロラグランの裾からするりと中へ侵入し、その慣れない感覚に一瞬ぶるりと体が震える。何かを我慢するように眉間に皺を寄せ、歯を食いしばりながら自分を見下ろす彼のあまりに辛そうなその様子に抵抗をする気も起きず、苦しそうに吐き出す声をただただ聞き入れる事しか出来なかった。

「気持ち悪いよな。幼馴染で、ましてや男同士で…乳繰り合うようなバカみてえな事して。最低だって、分かってる。…さっきの言葉、お前がどういう意味で言ったのかは知らねぇ。だけど…俺はずっと、ずっと昔から、お前だけを…!」
「…ヨリ」

 拘束する右手が小刻みに震えていて、瞳を閉じたまま動かない彼が愛おしくて堪らなかった。彼の中にずっと潜んでいた気持ちが腕を通してじわじわと伝わってきているような気もした。彼が自分と同じ意味で、互いに通じ合っている事さえも。ただただ、長い年月を経て擦れ違い合っていただけだった。本当は、初めて会ったあの頃からきっと、何かを感じていたと理解できる程に。

「今夜、限りだ。もう二度とこの店には来ない。だからお前も、俺の事はもう忘れろ。いい、な…」

 苦虫を噛み潰したような顔を掲げながら拘束していた腕を解放し、その場からそっと離れようと彼が一歩後ろへ下がろうとした直後。自然と抱えていた、どうしても聞きたかったあの夜の情景が確かに今、ゆっくりと頭の中で浮かび始めていた。

「だったら…どうしてあの日、キス、したんだ」

 無意識にぼそりとそう零した言葉が彼の目を丸くしたまま体を硬直させた。運命が変わったとも言える、大雨だった別れの日の夜があって今の自分がある。きっと、気付かれていないと今の今まで思っていたのだろう、しかし、未だにあの温かな感覚は忘れられずにいる。熱くなった顔をぶんぶんと振って冷静になりながら、すぐさま上体を上げ目線を外した彼の頬にそっと、触れる程度に乾いた唇を寄せた。

「な、んで」
「全部お前のせい、なんだからな。ばかっ…」
「っ…そん、な…」

 もう一秒たりとも彼の傍を離れたくなんてなかった。永遠なんて言葉を信じるつもりはない、しかし、出来る事ならずっと隣りにいて欲しかった。身勝手なワガママだと分かっていてもその思いを伝えずにはいられない。もう、自分も彼も後戻りできないところまで来てしまった。今更、諦めるなんて出来やしない事など互いが一番分かっているはずなのに。

「頼むから、もう、いなくならないで」
「本気で、言ってんのか…!」
「冗談なんかで、こんな事言ってる訳じゃない。俺にはお前が必要なんだ。これだけ言っても信じられないのかよ、このバカヨリ!」
「い、いってえ! 殴るな、殴るな! …ったくもう、ほんとヤンチャなんだから…って、うおい!」

 口付けた頬をぼうっと摩っている幼馴染の腹をぽかぽかと殴りながら、そのまま勢い余って押し倒す勢いでその引き締まった腰へと抱きついた。油断していたのか、まるでスローモーションのようにゆっくりと反転していく視界と共に体勢が崩れ、そのまま伸し掛かるように後ろへ倒れると、コタツ机の足に頭をぶつけた幼馴染が思いもよらぬ変な声で唸りを上げて、どこか知らないツボに入ってしまったのか思わず声を上げて笑ってしまった。

「ふへへっ。全く、ばかだなぁ…ぐっ、ふふ」
「このっ…誰のせいだと思ってんだ、アホ!」
「あはははっ! も、だめ、苦し……んむっ」

 ごろりと隣りに体を転がして、二人川の字のように並んでは腹を抑えてげらげらと笑っていると、直後黒い影が自身を覆ったかと思えば、唇に温かなぬくもりがそっと触れるように重なった。直後、獲物を屠る狼のように強く噛み付くように貪るその口付けの激しさに呼吸を乱され、溢れ出す幼馴染への思いが心臓を高鳴らせていく。

(ヨリ…ヨリが、好きだ。すき、すごく、好きだっ…!)

 とろとろと溶けていく思考と併せてぼんやりとぼやけていく視界の中で、熱を帯びた幼馴染の胸元もどくどくと震えているのを感じて全てが融和されていく。溢れる気持ちが背中へと両腕を回し、フクがぐちゃぐちゃの皺だらけになってしまう程に勢い良く流れる熱の波に乗ってはその体を掻き抱いた。途轍もなく長く感じた交わりがそっと離れ、彼の顔が耳元へと寄ると、熱い吐息と共に自分だけに聞こえる程のとても小さな声でぼそりと呟いたのだった。

「…後からやだなんて言っても、もう聞かねぇからな。覚悟しろよ、アホマゴ…!」
「っ…う、ん!」


***


 人生の分岐点ともいえる程の一夜を過ごした次の日。
 幼馴染から恋人へと昇格した彼はいつもと変わらず昼までだらだらと布団に横になりながら居間で過ごし、日が落ち始めてからになってようやく店の準備を始めていた。昨日の騒動で誰しもが疲れ果てていたにも関わらず、通常通りに店を開ける心意気は普段のだらしなさはあれど感心せざるを得ない。
 子供の頃から自覚していた恋心が、この年になってから成就する事になるなんて思いもしなかったけれど、長年もやついていた心が気付けば恐ろしい程に晴れていて、大きな欠伸をしながら遅い昼飯を台所で作っている彼の元へと歩み寄れば、それに気付いたのか後ろを振り向いてにっこりと微笑み、その傍で手伝いをしている看板娘のいつものやんちゃな姿が視界に入ると堪らずつられて小さく笑みを零してしまった。
 店を開けた夕方、すぐに顔を見せたのは昨日お世話になったばかりのこんがり肌のガールとその友人達で、ぎすぎすしていた雰囲気が消えたのを察知したのか、いつもの調子でどたばたと更衣室へ飛び込むと、奥の方からちゃんとコーヒー牛乳冷やしておいてけろ、という要望が飛び出してきたので、渋々と頷きながらも人数分のビンを冷蔵庫にそっと入れておいてあげた。
 そしてその夜、風呂から上がった後、店を閉めていつものように居間で家計簿と戦っている彼に、昨日からずっと疑問に思っていた事を正直にぶちまけてみた。

「なぁ、マゴ」
「なんだい?」
「…何であの夜、起きてたのに黙ってたんだよ」
「へ?」
「俺が、ここを出て行った日の事」
「あぁ、その事か。…別に、初めから起きてた訳じゃないよ」
「は? だったらお前、なんであの事…」
「だから、その…された瞬間に、起きちゃったの」

 たまたまね、と目線を落としながら恥ずかしげに告げる彼を見てふと思い浮かんだのは、まるで眠り姫みたいだな、なんて男に対して想像するようなものではない気持ちの悪いフレーズで、こればかりは言ってしまったら怒られるだろうなと即座にひとり理解し、心の奥底でそっと呟くだけで済ませた。
 すると、これまた風呂上がりの看板娘がコーヒー牛乳を両手で抱えながら、幼馴染の隣りにぴったりとくっつくように座り、ごきゅごきゅと美味そうにそれを飲みながら言わんとしていたその言葉を容易く告げてしまうのだった。

「眠り姫みたいだね! マゴにい!」
「は…はぁー!? や、やだよ、そんなの。ガールちゃんでもないのに」
「えぇ? でも、かわいいと思うけどなー。ねぇ、ヨリちん!」
「頼むから俺に振るな」

 顔を真っ赤にさせながら慌てて首を振る幼馴染と、それを面白そうにけらけらと笑いながら見上げてはコーヒー牛乳を飲んでいる看板娘、そしてそんな様子を眺めながら溜息を吐いた自分は、我関せずとコタツ机に置かれた夕刊を広げては視界を遮ったのであった。

「ねぇねぇ、ヨリちん」
「だから何だよ。もうその話は終わり…」
「マゴにいとお幸せにね!」
「ぶふおぉっ!」
「うわ、お茶吹いてる! きったねぇ…。リン、悪いけど布巾持ってきてくれるか?」
「はーい」

 特に考えず飲んでいた深緑色の湯呑みに注がれたお茶を勢い良く吹き出しながら、何でこいつが知っている、と幼馴染へ咄嗟に泳ぐ視線で訴えてみるも、当の本人は床を叩いて笑うばかりで答えになる言葉は一つも返してはくれなかった。

「あぁもう、チクショー! 幼女、お前いい加減にしろよー!」
「あは、あはははっ! あぁもう、ほんっとおもしろい。ぶふふっ」

 台所から帰ってきた幼女に濡れた布巾を叩きつけるように渡すものだから、捕まえて懲らしめてやろうと腕を伸ばすも容易く逃げられた上、幼馴染の胸の中に収まっては同じく笑っている彼女に腹立たしさを覚えるも、そんな光景さえも幸せに感じられる今が嬉しくて堪らなく、それでも悔しいものは悔しいので手にした布巾を幼馴染の顔に向かって力いっぱいに投げつけると、コタツ机の上に置かれた小さな花瓶の中で真っすぐに伸びる一輪の向日葵がふわりと揺れた。


(2016.09.22)


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