「おっ」

 かんかん照りの強い日差しが射し込む中で一人、ファーストフード店で幼馴染と看板娘が昼食を取っている間に買い物を済ませてしまおうと、溢れた人混みを掻き分けながら無数に立ち並ぶ店々をちらちらと流し目で眺めながら広い通路を歩いていたその時、その壁に幾つも貼られていた色鮮やかなポスターに思わず目を奪われた。
 ハイカラシティから少し外れた郊外の町の中。長く真っ直ぐに伸びた川沿いの一本道は、普段こそほとんど人通りのない閑静な田舎道であれど、年に一度訪れる、そのポスターに印字された日の夕方だけはがやがやと賑わいを見せる程に人で溢れる。多くのカラフルな屋台がいくつも並び、丁度空き始めていた腹を満たそうとする欲求が黒い鉄板の上から漂う香ばしい匂いにつられ、つい財布の紐が緩くなってしまうのもしばしばで、若い頃は職員のおじさんに連れられ三人でよく浴衣姿で出向いたのをふと思い出した。
 そんな昔の夏祭りの思い出に浸り始めて足を止めてしまっていた場所からすぐ目の前に佇む店は、奇遇な事にどうやらイマドキの様々な柄や種類の浴衣を販売しているようで、特に深く考える事もなく軽い足取りでふらっとその中へと足を踏み入れれば、気付かないうちに二着の浴衣を手に取ってレジへと運んでいた。

(…へへっ。喜んでくれるかな、二人共)

 最新トレンドの柄やデザインに当て嵌まらないのか、でかでかと新作と書かれたボードが飾られたコーナーから外れた場所で、他と比べると少々お財布に優しい値段で売られていた男性用と女性用の浴衣は安くなっていたとはいえ、彼によく似合いそうな紺色と彼女の笑顔にぴったりな花柄が映える黄色は他に見劣りないものである事に変わりはなかった。
 大きめの紙袋に入れられたそれを見下ろしながら、二人に見せる瞬間を想像しては緩みかけそうになる表情筋を必死に引き締めて、買い物で疲れていたはずの心身がいつの間にやら気付かないうちに軽くなっていた事に気付き、なかなか現金な体をしていると一人苦笑しながら二人の待つファーストフード店へと浮ついた心のままに向かった。


***


「マゴにい、早くー!」
「あ、たこ焼き! たこ焼き売ってんぞ」

 日も暮れ、薄く沈んだ空の中に小さく星々が輝き始めた夏祭り当日の夜。渋々ながらも同行を許可してくれた幼馴染はあれだけ嫌々頷いていたにも関わらず、購入した浴衣を颯爽と着こなしてはたくさんの露店が並ぶ河川敷を軽い足取りで突き進み、腰まで伸びた紺色の長い袖をひらひらと棚引かせながら、ぱたぱたとその先を走る看板娘の手を取って歩いている。結局、誰よりも一番楽しんでいるじゃないか、と苦笑しながらも声には出さず、二本の髪を一つに束ねた彼女が振り返っては慌てるように自分を呼ぶものだから、身を包む祖父の着ていたグレーの浴衣に胸を弾ませながら、履いたサンダルをずりずりと地面に擦らせながら早足でその後を追った。
 郊外とはいえ、やはり縁日となると人で溢れる川沿いのこの場所で露店以外にも一時間後には大きな打ち上げ花火が夜空へと放たれる。ハイカラシティで行われるフェスの際に打ち上げられるものとは派手さで負けるものの、シンプルながらも美しい大きな花火は観客を魅了する煌びやかさがある。寧ろ、いつの日か見た懐かしいその花火を久方ぶりに見る事が出来ると思うと、年甲斐ながら楽しみであり想像以上に心が躍っていた。

「あっ! りんごあめ、アメー!」
「わーったからちょっと待て…おら、好きなの選んでいいぞ」
「やったー!」

 宝石のように眩く光る赤がいくつも並んでいる中で、あちらこちらに目移りしながらもようやく選んだ不揃いのりんご飴は、彼女の瞳に映ってきらきらとその輝きを増しているようにも見えた。すると、すぐ傍で幼馴染が背を向けながら腰を下ろし、乗れと一言声を掛けては嬉しそうに駆け寄った彼女を肩に乗せ、一気に視線が高くなった事に驚くも、普段よりも大きく広がっていく世界にしぱしぱと瞬きを繰り返しながら感嘆の言葉を零していた。

「ほわぁー! 高いたかーい!」
「こら! 頭叩くんじゃねぇ、アホ!」

 幼馴染に肩車をしてもらった彼女の機嫌はどうやら最高潮に達しているらしく、頭をぺしぺしと叩きながら飴を頬張る看板娘と、文句を零しながらもどこか楽しそうな幼馴染の背中を見つめては思わず笑みが溢れた。
 ある程度食べ物を調達しながら、あまり人混みで溢れていない河岸の端の方で落ち着いて腰を下ろせる場所を探せば、いつの日かまだ小さかった頃に三人で座った古いコンクリートの小さな階段を見つけた。土手から川沿いへと降りる為に作られたその階段は屋台が並ぶ道から少し離れていて、人気も少なく木や建物などの障害物が少ないので花火を見るにはうってつけの場所だった。たこ焼きやらお好み焼き、多数の食べ物が入れられたビニール袋を提げ、持参していたレジャーシートを階段に敷き、看板娘を真ん中に挟むように三人一列に並んで腰を下ろした。
 花火が上がる予定の時刻まであと数十分。口周りにソースを付けながら貪るようにお好み焼きを食べる二人(どちらが多く食べられるか競争をしている)を余所に、まだ花の咲いていない夜空を眺めながら一人、まだ熱さの逃げていないたこ焼きを頬張っていると、背後から細い腕が伸ばされ、あれよあれよと言うままにつまようじの刺さったたこ焼きが一つ、宙へと浮かんでは消えていった。

「ちょ、ちょっと! ダメだよ、人の勝手に食べちゃ」
「ウンメェー」
「…あら、奇遇ですこと」

 見上げるように後ろを振り向けば、そこに立っていたのはもぐもぐと美味しそうに人のたこ焼きを勝手に食しているフデオロシちゃんと、その横で申し訳なさそうに頭を下げているその友人(まだ、恋人ではないと聞いている)のパッチンくんだった。
 あまりこのような行事に興味は無さそうだと思っていたのだが、意外にも可愛らしい花柄が散りばめられた水色の浴衣を着こなし、しかしそれでもしっかりといつものイロメガネを掛けている所がまた彼女らしさを強く感じる。

「マ、マゴさん、すみません。オロシちゃんが…」
「あぁ、いいのいいの。高いもんじゃないし。他の二人は?」
「まだ合流はしてないんですけど、きっと近くにいると思いますよ…あ、花火始まった」

 二人が一段上の階段に腰を下ろした瞬間、抜けるような高い音が空に響いて、道行くインクリング達が全員動きを止めては弾けるように咲いた大きな花火に思わず感嘆の声が漏れた。
 散々喚きながらお好み焼きを食べていた二人もその絶景に自然と手を止め、次々と夜空に輝いては消えていく花火に魅了されているのかあれだけ騒ぎ立てていた声も消えてゆき、同様に自身も心の奥から込み上がる不思議な感情に何を紡ぐ事も無く、じっと記憶に残る懐かしい思い出に浸っていた。すると、膝の上にそっと座っては胸に背を預けてきた看板娘が、持っていたりんご飴をぺろぺろと舐めながら、焼けるような火花の音が散らばる中でそっと囁くように一言零した。

「やっと、三人で花火見れたね」
「…そうだね」
「えへへ…あたし、ずっとね、あの日に初めて花火見てから思ってた事あって」
「なんだい?」
「おっきくて、丸くて、たくさん花びらがついて…花火って、向日葵みたいだなって」

 そう自分にしか聞えないような声でぼそりと呟いた彼女の瞳がどこか寂しそうな色に落ちていて、思わずその長い前髪に隠れた額をなで上げる様に手のひらで触れた。
 打ち上がる度に照らされる光の中でにっこりと笑顔を零した看板娘は、階段から飛び降りるように傍から離れると、幼馴染の頬を両手で挟んではべちんと音を立て押し潰し(うぐえ、と唸り声が聞こえた)、ぱたぱたと階段を駆け上ってはパッチンくんとフデオロシちゃんの間に捩じ込むように座っては二人の腕をぎゅっと掴むと彼女に向かって元気いっぱいに声を上げたのだった。

「オロシちゃん! あのね、その、えっと…オロシちゃんと遊びに行きたーい!」
「ハァ? …まぁ、別にいいケド」
「やったー!」
「ちょ、おいおい! 突然何言い出すの、リンちゃん!」

 意外すぎる発言に思わず振り向き、制止の言葉を掛けるも譲るつもりは毛頭ないらしく、ぱっと手を離した直後に再び抱き着くようにフデオロシちゃんの腕へと身を寄せれば、彼女はにやりと口角を上げ反射させるように光を照らしたイロメガネの真ん中をくいっと人差し指で上げた。

「ヨッシャァ…おい、ダーリン。今日はコイツ連れて夜回りすンぞォ」
「な、何言ってるのさ、オロシちゃん!」
「箱入りムスメのコイツに、夜のセカイっつーのを教えてヤラネェーとなァ」
「か、勘弁してよ! あのねぇ、この子まだ八歳…」
「…ってのはジョーダンで。マ、今夜は元々ダーリンちに泊まる予定だったシ。テキトーに遊んで明日店に送ってヤルヨ」

 冗談にしても言っている本人がまるで説得力のないものだから心配で堪らなくなるも、そう思う反面、パッチンくんが一緒にいるのであればどうにかなるようになるかと不思議といとも簡単に軽い気持ちへとすり替わり、そうと決まればと立ち上がったフデオロシちゃんに引き連れられた看板娘と、その二つの背を追うように慌てて駆け出したパッチンくんに向かってぶんぶんと手を振った。

「リーン! 何かあったらすぐに連絡しろよー!」
「はーい! マゴにいも、二人きりのデート楽しんでねー!」
「ちょっと何を言ってるのかよく分かりませーん!」

 けらけらと楽しそうにスキップを踏みながら屋台の並ぶ照明の光の中へ消えていく背中を最後まで見届けて、気付けば既に終わっていた花火も終焉を迎えていた為か、周りにいたたくさんのインクリング達も散り散りばらばらに帰路を辿り始めていた。誰ひとり視界の中から消えてゆき、そろそろ自分達もお暇しようかとその場で立ち上がった時、同じタイミングでよっこいしょと背筋を伸ばしながら体を持ち上げた彼の右手が唐突に左手首を掴み、腕の中へと引き寄せられたかと思えば、背中に回された両腕が互いの胸が密着する程に自身の体を包み込んでいた。

「ちょ、ちょっと…! ここ、外!」
「…別にいいだろ、誰もいねぇし」

 まさか店の中以外でこんなにもあからさまなスキンシップを取られると思っておらず、慌てて離れようとした時にはもう既に強く抱き締められていて脱出する事も許されず、いい加減にしろと眉間に皺を寄せながら見上げて文句を零そうとした直後、それを遮るように口を乱暴に塞がれては呼吸を乱していく。

「んっ、うぅ…んっ、う」
「っ…、マゴ…口、開けろ」
「ふ、あっ! ん、うっ…や、あ、んんっ!」

 言われるがままにそっと口を開けば、すぐさま差し込まれた舌がぬるりと中へ侵入し、荒らすように貪るその縋り付くように絡みついたそれが次第に頭の中までも掻き回され、ぼやけ蕩け始めた意識をなんとか留めようと彼の浴衣の袖口をくしゃりと皺が生まれる程に握り締めた。

「…っ、ん、はっ…はぁ、はぁ…! も、くるし、やだっ」
「はは、えっろい顔してる。我慢しろって方が、無理」
「え? あ、ちょ…そ、それだけは本当にダメ! さすがに怒るよ!」
「…ちぇ。しゃあねぇなー、諦めますぅ」

 さり気なく尻を撫でられ危うくその浴衣の中までに手を入れられそうになった為、慌ててその手を押さえながらぎろりと彼を睨み付け、ようやく温かい拘束から解放されたものだからひどく安心した。人気がないとはいえ、さすがに外であられもない姿に陥られるのは堪ったものではない。
 置いたままだったゴミ袋を拾い上げ、少々乱れた浴衣を直し未だどくどくと跳ね上がる鼓動を抑えた手のひらでなんとか落ち着かせては、真っ赤に熱くなった頬を隠すように我先にと階段を上った。

「は、早く帰るぞ! あんまり遅くなると、明日起きるの辛くなっちゃう」
「おい! あんまり急ぐとコケんぞ、ただでさえドン臭ぇんだから」
「大丈夫だよっ、そこまで抜けてなんかな…う、わっ」

 まさか、とも思えるタイミングで足が縺れ(履き慣れていないものを履くものではないと今更に感じながら)、じわじわと地面へと落ちていく視界に訪れるであろう痛みに備え、両手を伸ばそうとした瞬間。

「っ、の、バカ!」

 流れ星のように彼方から落ちてきた声と共に宙で浮くように止まった体は重力に逆らうように引き上げられ、反転する程に視界が昇ったと思えば、自分よりも一回り太く逞しい腕が腰に回りすっぽりと抱き留められていた。

「あ…ご、ごめん」
「慌てて走るからそうなんだよ。少しは落ち着け、アホ」
「う、ん。あり、がと…」

 体勢を整えたところで意外にもすぐに手放した腕のぬくもりが残った下腹部をそっと影で撫で、すぐ横を通り過ぎそのまますたすたと颯爽と歩いてゆくその速度を落とさぬまま、どんどん小さくなっていくその背中の後を必死に追い掛けたのだった。




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