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 最早思い出す事さえ億劫な程に乱れきった夜が明けた次の日の朝。意識が朦朧としていながらもなんとか相方に連れられながら、隣りでヨリさんに抱きかかえられているマゴさんの二人と共に足を引きずり広い浴室へと辿り着くと、重い体にムチを打ちながら無言で体を清めた。遅い時間でもあったせいか、体力を使い果たした四人はなにも着ないまま、なんとか使用不可を免れた一枚の布団に仲良く倒れ込むように意識を沈め、その後一番に意識が戻り行動を始めたのはマゴさんで、瞬時に惨状を理解した彼が三人の寝ている間にせっせと部屋の片付けを済ませており、全員が目を覚ました頃には既にちゃぶ台の上には四人分のご飯と味噌汁が並んでいた。
 すっかり腹を空かせていた為か、あれよあれよと言うままに中央に乗せられたおかずと漬物まで残さず食べ尽くし(今思い返せばなかなかにはしたない)、程よく腹が満たされた頃にはもうすっかり空には太陽が昇っていた。
 結局、マゴさんの言っていた仕返しというものがきちんと実行されていたのかどうか疑問であるところではあったけれど、起きて早々頭ごなしに言いたい放題文句を吐いていたようだったので、そこで一応溜まっていたものは全て吐き出せたのだろうとひとり勝手に自己完結をして終わった。
 お留守番側の気持ちも考えずに好き勝手しようとした罰だ(と言えど、こちらも大分好き勝手していた気がしないでもない)、と風呂場の掃除をマゴさんに押し付けられた相方とヨリさんは渋々デッキブラシを肩に担ぎ、さすがに今回ばかりは抵抗する術が無いのか、二人仲良くせっせと年季の入った水色のタイルの床を磨いている。
 世話になっている事もあり自分も何か手伝った方がいいのでは、と申し出たものの、やんわりと断られた挙句に熱々の茶まで淹れてもらい、ちゃぶ台を挟んだ向かい側に座ったマゴさんはにっこりと微笑みながら一言、自分の話し相手になる事が君の仕事だ、と言われ、申し訳なさが残りつつも手渡された湯呑にそっと口をつけた。

「…えと、その。昨日は、ごめんね」
「へ?」

 舌が火傷しそうな程に熱い茶をなんとか啜り、見上げるように声を掛けてきた向かいへと視線を飛ばせば、余所余所しい態度で目を伏せながらぼそりとそう呟く彼にそっと首を傾げた。

「あの。俺、謝ってもらうような事、マゴさんに何かされましたっけ…」
「いや、なんというか…色々と巻き込んでしまったような気がして…」

 いつにもなく申し訳なさそうに目を細めるマゴさんに心当たりのない謝罪を告げられ、どうどうと頭を下げぬよう宥めるもその顔色はひどく沈んだままだった。

「ちょっと頭に血が上っていたというか…結局、最後までしっかり済ませてしまって、誠に申し訳なく…」
「え、あっ…い、いや! そんな、マゴさんが謝る事じゃ…寧ろ、その…アレだ、アレ。貴重な体験が出来たっていうヤツですよ」
「は、はぁ…」

 どうやら昨日の惨状の原因を作ってしまった責任を感じているらしい、マゴさんの肩を落とす様子に思わず言葉が詰まる。しかし、決して彼だけが悪いと思っているのは誰ひとりいないのが現状で、あの二人が逆らわずに大人しく清掃活動に嗜んでいるという事実がそれを証明していると少なからずは思っている。

(…まぁ、総じて自業自得ってところもあるし)

 結局のところ誰しもが昨夜行われた情事に対し止めようとするでもなく、寧ろ自ら進んで事に及んでいたのを認めざるを得ないもので、正直なところ現実から目を背けたくもなるものの今となっては勿論後の祭りである。今更どうこう気にしても仕方がないと起床したその時から諦めは付いているつもりであったし、普段では見られない、彼の色々な表情を見る事が出来たような気がして少し嬉しかったというのもまた事実だった。

「…ちょっと、羨ましいなって。思ったりも、してて」
「え…?」

 本当は心の奥底にしまっておこうと思っていたものをついうっかり零してしまう程には、彼が肩を落としては溜息を漏らしていたものだから、いっその事、全てを吐き出してしまった方がお互い胸の内が軽くなるのではないかと勝手にも解釈した。ごくりと息を呑みながらも不思議そうに見上げては、目尻の垂れた優しい灰色の瞳へ意を決してがっちりと視線をぶつけながら少々情けなさを感じながらも震えた声でぼそりと言葉を続ける。

「なんて、言えばいいんだろ…えと、昨日、初めて見たんです。ヨリさんの…あんなに優しい顔」
「優しい顔…優しい、かぁ。いっつもとんがってるし、ツンツンして面倒臭くない? あいつ」
「ま、まぁ…そうなんですけど。きっと、あの表情はマゴさんを見ている時だけなんだと思います。それに…声も」

 昨日の夜の事を思い返せば思い返す程、まるで夢だったのではないかと思うくらいに、普段では考えられないくらいの温かみを感じる柔らかな声の記憶が確かに脳裏に刻まれていて、奇しくも意外な一面を垣間見てしまったものだから一瞬どきりと胸が弾んだのをよく覚えている。
 マゴさんだけに向けられた柔らかい視線、比べて明らかに細身である彼を気遣うような手つきと言葉、力いっぱいに真っ直ぐ突き進むイメージだっただけに、両腕で包み込むように優しく抱きしめるその様子に思わず目を疑ってしまった程だった。

「なんか、いいなぁって」
「そうかなぁ」
「そ、そうですっ」
「…俺は、ヒナタくんがちょっと羨ましいよ」

 恋人である相方に同じような抱かれ方をされていたら、と想像をするだけで顔がぐんと熱く火照ってはらしくないと咄嗟に首を振りその熱をすぐに放った。しかし、意外にも羨望の眼差しでこちらを見詰めていたマゴさんは、両腕をちゃぶ台の上へ重ねるように乗せては顔を伏せ、頬を膨らませながら心なしか恥ずかしそうに目線を逸らすと、ぼそぼそと独り言のように声を零した。

「贅沢な事を言っているとは、思うのだけど」
「は、はぁ」
「…マサキくんって、ヒナタくんの事を本当に大切で大好きだから、あんなにも余裕がなくなる程に欲しくて堪らなくなっちゃうんだなって。なんか…すごくいいなぁ」
「えっ、あ…そん、な事…」
「あるある。まぁ、こればかりは普段から分かってた事だけどね」
「う、わあぁっ…」

 今まで一応それらしい雰囲気は隠せていただろうと思っていただけに、思いきりばれていた事実を直接言葉で告げられるとやはり羞恥心がむくむくと膨れ上がって熱が籠っていく。
 先程までずんと沈んでいた彼とは正反対の、ニヤニヤと口角を上げながら頬を染める自分を見遣ると、項垂れていた体勢を立て直してはぬるくなり始めた茶を啜り、苦笑を交えながらも深く一息をついていた。

「…まぁ、隣りの芝生は青く見える、ってやつかな」
「そう、なんでしょうか…」
「うん。だって、俺ね…今、すごく幸せだもの。ヒナタくんも、マサキくんの傍にいてそう思わないかい」

 両手で湯呑を抱えた彼が首を傾げながら、本当に心の底から嬉しそうにそう零すものだから、一瞬その柔らかな表情に見とれたおかげで空いてしまった奇妙な間を埋めるように、慌てて何の言葉も出ないままこくこくとただただ頷いていた。

「…よし! そんじゃ、それなりに頑張ってる二人の為に、ご褒美でも作っておいてあげますか。今日はリンちゃんがいないから人手不足な上に華やかさも不足しておりますので、ぼちぼち手伝ってくれるかい?」
「あっ…も、勿論です!」

 昨日から友人の家へ遊びに行っていると聞いていたこの店の看板娘が帰って来るのは夕方の頃らしく、腕を掴まれ引き摺られるように連れて行かれた先の台所には、ところどころ錆が付き緑の塗装が剥がれてしまっている、古めかしいデザインの大きなかき氷器が佇んでおり、手動で回すのだろう右の側面に付いている大きなハンドルがとても印象的だった。

「うわぁ、すごい…こんなの、初めて見た」
「むふふ、氷はたくさんあるよ。ちょっくら、チャレンジしてみる?」
「は、はいっ」

 目の前の未知なる存在に、気付かない間にも心を躍らせていた自身に驚くも、二人の為と言いつつ鼻歌を歌いながら数種類のシロップを冷蔵庫からしゃがんで取り出している、なんだかんだで一番楽しんでいるマゴさんの背中を見下ろしながら、そっとその陰で小さく苦笑を漏らして手渡されたそれを受け取った。


***


 情事の最中に勝ち負けを審理し、判決する余裕など二人共当の初めからなかった。それどころか、お互いに胸の中に抱く存在に夢中で賭け事の相手など眼中になく、実際どちらが何を秀でていて何を基準に勝利を決めるなど以ての外だったのだ。
 理不尽さを訴えられ、罰として風呂場の掃除を押し付けてくるものだから渋々頷いては立て掛けてあったデッキブラシを肩に担ぎ、同様に上着として着ていたジップアップカモを脱衣所のカゴに投げ入れ、しかし相変わらずトレードマークのサファリハットは被ったままに隣りで立ち尽くすボーイの腕を取っては、粉末状の洗剤を押し付けてさっさと終わらせてしまおうとすぐさま掃除へと取り掛かるよう命じる。

「テメェはそっちの端から始めろ。俺はこっちからやっから」
「分かった」
「雑にやんなよ! 手抜くとすぐバレっからな!」

 店の司令塔である幼馴染は自分で絶対に掃除はしない割に指示は細かい。隅の方がまだ汚れているだとか泡が流しきれてないだとか黒くくすんでいる場所には全てカビ取り剤をかけておけだとか、まるで姑の嫌がらせのように駄目出しを突きつけられるものだから堪ったものではない(と言えど、立場上逆らう事は不可能)。
 そんな過去の散々たる指導を思い出していた頃、洗い場を挟んで聞こえてきた反響する声に目を向けると、突然デッキブラシで弾いた石鹸が目の前へと滑り込み咄嗟に同じく打ち返してやれば、サファリハットの陰でにやつく腹立たしい微笑みに早くも苛立ちが生まれ始めていた。

「遊んでる暇とかねぇから! 早くやれ!」
「なんだ、昨日の勝負、ここではっきりさせようと思ったんだが。それは俺の不戦勝で構わないという事か?」
「あのなぁ、掃除中に石鹸ホッケーとかしてる暇ないの!」
「だったら、抜き合いでもいい。昨日の二人、みたいにな」

 既に合流地点である風呂場の真ん中で、暇そうに椅子に腰を掛けては(てっきりサボり始めたのかと思いきや、こちらは半分も終わっていないというのに、既にしっかりスピーディーに自陣を全てピカピカに磨き上げていた。すごく腹立つ)早速するすると自分のスパッツの裾へと手を挿し込もうとしている彼に、堪らず返されてきた石鹸を掴んでは顔面へと投げ付けてやった。

「誰がテメェとなんかやるか! あほ!」
「なんだ、早漏なのか? 自信がないのなら、無理にとは言わないが」
「誰が早漏租チンでチビ童顔だって?」
「っ…そこまでは、言ってない」

 何処で何に対してツボに入ったのか、珍しく吹き出しながらそう答えた彼の向かいへ深く溜息を吐きながら腰を下ろしては、未だ肩を揺らして小さく笑っている様子に目を細め刺すような睨みを利かせた。

(…こうして見ると、少しは年相応なところもあるよな)

 がっしりとした肉付きの膝の上に両肘を置き、組んだ両手に額を置きながら俯く、二十歳にしてはどうも老けているように見える彼の少々子供っぽい仕草を垣間見て、顔を合わせてまだ数ヶ月にも満たないものだがおそらく初めて気付いたような気がする。そして、昨夜のガチホワイトのボーイとの情事を目の前で見ていた時の、彼の浮かべていた焦燥たる表情に対し、今まででは考えられない程の意外な一面に思わず見開いた。

「お前ってさ…」
「?」
「…やっぱり、まだ若ぇよな。ははっ」
「どういう意味だ」
「さぁ。それくらい、自分で考えろよ」

 何を言っているのか分からないとでも言うように、その場に立ち上がった自分を少々不機嫌そうに見上げ、なんとなく勝ち誇れるような感覚ににっこりと笑顔を掲げてやれば、背後の引戸ががらがらと開き幼馴染の呼ぶ大きな声が飛び込むように聞こえてきて、ぼやきを零しながらやれやれと肩をすくめた。

「ま、勝負はお預けってこった」
「…昨日みたいなのは、二度とごめんだが」
「そいつにゃ同意せざるを得ないねぇ」

 声を落としながらもどこか楽しげにそう話す彼にくつくつと込み上げる感情を堪えつつ、台所から聞こえてきた、何かを削るような音と今朝とは打って変わって機嫌が良さそうな二人の弾んだ声に頬が緩みそうになり、男湯の暖簾を潜った瞬間に見た幼馴染の屈託のない笑顔とくるくると変わりゆくその表情に、そっと目を細めては再びその名を呼んだ。


(2016.11.13)


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