「…で、どうしてうちに来たんです?」
「だって、ここならバレないと思ったんだもん」

 雲一つなく気持ちの良い青空が広がったお洗濯日和でもある昼下がり。ハイカラシティから数駅分離れた閑静な場所に建つ、何棟にも連なり多くのインクリングやクラゲ達が暮らしているヒラメが丘団地のある一室、店の常連客でもあり友人でもあるパッチンくんの部屋のベッドの上で一人布団に包まっては頭から被さっているこの状態に至るまでを説明するには今から昨日の夜中まで時を遡らなければならない。
 ずぶずぶと陰気臭く頭をめり込ませながら昨夜の記憶を掘り返しみれば、気付けばいつの間にか事が起きてから約半日が経過しようとしていた。昨日は珍しく幼馴染が外の店で飲んでくるとの連絡があり、彼もいい年のボーイだ、時たまに一人で飲み明かしたい夜もあるだろうと軽い気持ちで了承し、それならば電気だけ付けておいて先に寝ていようと早めに床に就いたその数時間後の事だった。

「っ、あ…やだ、も、やめてっ…ヨリ、お願い、だからぁ…ぁん! や、ぁ…ひ、あぁあっ!」

 とばかりに帰宅早々、息を荒げて何やら様子のおかしい幼馴染がぐっすりと眠っていた自分を力任せに抑え込み、有無を言わさず彼が幾度か達し力尽きるまでとことん付き合わされ、結局口付けの一つもないまま身包みを剥がされた後、最終的には中から大量の白濁が溢れ出るくらいに注ぎ込まれたものだから何とも居た堪れない。しかもその直後、完全にエネルギーが切れてしまったのかそのまま布団の上に倒れ込むと、さぞ気持ち良さそうにそのまま夢の世界へと旅立ってしまい、こちらも既に体力の限界へ達していた為に凄惨な状況のまま朝を迎えてしまったのだった。
 まだ日が昇ったばかりの早朝に沈んでいた意識がゆっくりと浮かび上がり、昨夜の出来事を思い出した瞬間に一度は鎮火した怒りが一気に燃え上がってはまだ深い眠りについていた幼馴染の頭をぺしんと手で叩いた後、貴重品を入れたショルダーバッグとエゾッコメッシュをしっかりと頭に被せては勢いに任せて店を後にして現在に至る。

「俺、これから焼きイカちゃん達とナワバリバトルする約束があるんですけど…」
「そんなのいつだって出来るでしょ。今日くらい一日俺に付き合ってよ」
「は、はぁ…」

 そんな身勝手な痴情の縺れに無関係のパッチンくんを巻き込んでしまう事は大変心苦しい部分もあったが、幼馴染から距離を取る為には自身の居場所を察せられないように彼との親交が出来るだけ浅い人物に匿ってもらうか人気のない所へ避難しなければならない。しかしそうは言えど、外泊資金など到底持ち合わせはなく泊めてもらえそうな知人は大抵幼馴染も顔を知っている為、どうしたものかと考えに考え抜いた先で思い立ったのがパッチンくんの住むヒラメが丘団地の一室であった。
 彼も店の常連客といえど幼馴染との交流は意外にもあまりない。二年前のあるバトル中に起きた事件以来、会話をしている場面をほとんど見た事もなく、かと言ってわざわざ約束を取り付けてまで顔を合わせるような間柄でもなかった為、自然と関係が深まらなかっただけなのかも知れないが、今回に限ってはその状況が自身にとって功を奏した訳で。

「…はい。焼きイカちゃんに今日は用事が出来たって連絡しました。で、俺はマゴさんの為に一体何をしてあげればいいんです?」
「よーし、よくやった! そうだなぁ、まぁ…とりあえず…」
「とりあえず?」
「……ご飯、食べたい」

 そういえば朝飯も食べずに店を出てきてしまったなぁ、とそんな呑気な事を考えながら零した台詞に、あからさまに呆れた表情を落としては仕方がないと言わんばかりにとぼとぼと台所へと向かっていったパッチンくんの背をそっと手を振りながら見送ったのだった。


***


 今まさに人生最大の危機的状況を迎えていると朝目を覚ました瞬間すぐさま理解した。昨日は酒を飲んでいた事もあり二日酔いによる頭痛はあれど、そんな事を気にしている場合ではない程の緊急事態が発生しているのである。
 普段よりも長い睡眠を取ったおかげか想像以上に体は軽く、しかし隣りに寝ているはずの存在がすっかり消えていて、既に家事を熟しているのだろうかと店の中を探すもその姿はない。そこでようやく、自身の体の状態とふと今の今まですっかり抜け落ちていた、昨晩寝ていた幼馴染を叩き起こしては半ば無理矢理に抱き潰してしまった記憶が蘇り思わず頭を抱えた。

(これは絶対、完ッ全に怒らせちゃってる)

 過去に色々とあっただけあり、何も言わずに一人出掛けた事は今までお互いになく、ふと番台のカウンターの上へと視線を向けた直後あまりの衝撃に絶句した。そこに残されていた一枚のメモに字の綺麗な彼にしては珍しく殴り書いたのであろう短い文章には一言、こう書かれていたのだった。

「……さ、探さないで、ください…トキワ、より……」

 今まさに疑念が確信へと変わった瞬間である。しかし、その証拠ともいえるメモに頭が真っ白になりつつも体は無意識にもすぐさま動き出していた。玄関でひっくり返っていたブラックビーンズに足を履き入れ、戸締りだけは忘れずに外へと飛び出しては一先ず彼が身を寄せているであろう心当たりのある場所へと電話を掛けてみる。

『またどうせマゴにい怒らせたんでしょ。あたし、もうしーらない』
『マゴのおっちゃん? 今日は会ってねど? それよりさぁ聞いてよ。バトルの約束してたのにさっきパッチンくんにドタキャ』
『いや、俺んとこには来てねえなぁ。あ…もしかして何、マゴさんに家出でもされたの? あっはっは、超ウケる。ま、どうせお前の方が浮気でもし』

 一通り事情を知っていそうな面子に電話を掛けてみるも有力な情報はゼロ(寧ろ貶されて機嫌を損ねたから利益的にはマイナスである)。どうしたものかと頭を悩ませていたところ、そういえばもう一つだけ可能性がある人と場所に心当たりを思い出したのだが出来ればそこだけは回避しておきたいという気持ちもあり。

(…と言えど、これは緊急事態だ。四の五の言ってる場合じゃねぇ!)

 連絡先は知らないものの、彼らが住んでいる場所は把握していた為(一度幼女が遊びに行ってその迎えに行った事がある)、少々距離もあったが数日前に乗り捨ててあったバイクを店の裏に置いておいたことを思い出し、なんとかまだ動きそうだと確認するとすぐさま跨りエンジンをかけ、出せる限りのスピードを出しては目的地へと真っ直ぐに向かった。

「ごめんくださーい!!」

 耳を塞ぎたくなる程の甲高いブレーキ音を吐き出しながら、まだ真新しい二階建ての住宅前に悲鳴を上げ始めたバイクを停め、慌てていたせいもあってかインターホンがあるにも関わらず玄関の扉を何度かノックしつつ少々息を切らした力のない声で中にいるであろう住人に声を掛ける。
 その声にすぐさま気付いたのは家主と共に暮らしているチビッ子ガールで。扉を挟んだ向こう側からお風呂屋さんのおじさんだ、と何故だか嬉しそうに漏らしては鍵を開けてくれた。

「おはよー、おじさん!」
「へいへい、おはよ。朝から悪ィけどよ、オメェんちのでかいの、いるか」
「ニーチャンの事? ちょっと待ってて、今呼んでくる!」
「…あぁもういいや! めんどくせぇ、勝手に上がんぞ!」

 小奇麗な玄関に履いていたブラックビーンズを脱ぎ捨て、どたどたと目の前の廊下を駆けるチビッ子ガールの後を追うと、すぐ左側にある扉の向こうには普段皆で過ごしているのであろう居間が広がっていた。そこにはソファーで寛ぎながらゲームをしているボーイと、朝食を食べたばかりなのか台所で洗い物をしている店の常連である少々憎たらしいボーイの二人が騒動に気付いたのか、不思議そうにチビッ子ガールと自分へと視線を向けていた。

「あ…れ? おはよう、ございます?」
「おう、おはよ」
「…アンタから顔出すなんて珍しいな。何かあったか」

 濡れた手をエプロンの裾でぐいぐいと拭きながら声を掛けてきた少々老け顔の彼は気遣ってか人数分の茶を淹れ始め(相変わらず見た目とは裏腹にきちっとした性格をしている)、部屋着なのか普段はよく薄着のTシャツやタンクトップの姿の彼も今日はスクールジャージーを着ていて、ソファーの端へと詰めるとこちらへどうぞと座るように促してくれたので、そこは大人しく甘えて腰を下ろさせて頂いた。
 すると彼との間へ割り込むように座り込んだ二人のチビッ子がきゃいきゃいと暴れ回る中(顔を合わせる度にじゃれてくるものだから体力が持たないのでさっさと追い払うに限る)、その間にお盆を抱えて戻ってきた老け顔ボーイが揃ったところでただ一言、確認したい事項を単刀直入に問いかけてみた。

「…マゴ、来てねぇよな。ここ」
「今日ですか? 来てませんね」
「来てないな」
「おっしゃ、分かった! 突然邪魔したな、帰る!」
「いやいやいや、ちょっと待って! もう少し事情を!」

 やはり予想していた通り、どうやら幼馴染を見かけていないと分かった瞬間に未だ頭の上に乗っかっていたチビッ子を振り落としながらその場に立ち上がり、すぐさま後にしようと背を向けるも咄嗟に腕を掴んできたスクールジャージーのボーイに引き留められる。さすがに強行が過ぎたかと素直に再度ソファーへ座り込み、大きく溜息を吐いていると心配そうな表情でこちらを窺っている彼がそっと声を掛けてきたのだった。

「あ、あの…何があったか知りませんけど、力になれるかも知れないし。言える範囲でいいので話してくれませんか」
「…オメェもほんと、相変わらずお人好しよなぁ…」
「ほ、ほら! オマエも!」
「…どうせ怒らせて出て行っちまったとかそういう事だろ。顔にしっかり書いてある」

 やれやれと肩を落としながらそう零した老け顔ボーイの胸を突いてくる言葉にびくりと肩が震え、すっかり見透かされてしまった嘘のつけない自分に思わず溜息が漏れた。

「う、うるせぇな…こっちだって怒らせたくて怒らせてるワケじゃねぇんだよ! この無神経! あほ!」
「ヨリさん泣かないで! 今おいしい抹茶アイス持ってきますから!」

 あまりに情けなさ過ぎて悔しさが募り感情が高ぶるも、ひんやりと冷えたカチカチの抹茶アイスをご提供頂きなんとか事なきを得る。そしてようやく落ち着きを取り戻したところで、色々と巻き込んでしまった事を心の中で詫びつつも話を整理しながら現状までの説明を始めたのだった。
 遡る事、昨日の夕方。銭湯での売上だけで生活をするには少々厳しい時期となってしまった当月。それを賄う為に半日以上ガチバトルへと潜りなんとか黒字をもぎ取れそうな程の金額を手にする事が出来たものの、年齢的に体力が限界を迎えそうだった上、一向に上がる気配のないウデマエに悲しきかな肩を落としつつ、少しばかり手元に残ったおカネで一杯飲んでから店へ帰ろうと何度か足を運んだ事のある居酒屋へと立ち寄った。
 若夫婦が営むその居酒屋は地元のインクリングから元々人気があるらしく、今日もどうにか空いていたカウンターの一番端の席へ腰を下ろし、早速声を掛けてくれた店長にいつも飲んでいる酒を一杯注文する。元気良く承った彼がその酒と共に併せて持ってきてくれるお通しのもつ煮が実に美味いものだから、他にも居酒屋はあれど迷ったらすぐこの店へと出向いてしまうのだった。
 時たまに店長と談笑をしながら酒に嗜み、ほろ酔いで気分が良くなったところで遅くならないうちに幼馴染の元へと帰る。それが毎度お馴染みの過ごし方だったのだが、今回ばかりは今までにない事が起きていて。

「なんか…変なヤツに絡まれたんだよなぁ、確か」

 ふといつの間にか空いていた隣りの席に見知らぬ客が腰を下ろし、肩と肩が触れそうになるくらいの近い距離まで詰め寄られた末、耳元で何かを呟かれた後に突然具合が悪くなって便所を借りた記憶はあった。どうやら彼は店長の知り合いだったらしく、戻ってきた頃にはカウンター越しに二人で親し気に話していたものだから、今のうちにと残っていた酒を一気に飲み干してそそくさと代金を支払いこれ以上絡まれるのはごめんだと思いつつ店を後にする事にした。しかし、すれ違いざま、その客に再び何かを囁かれるも断固拒否で力いっぱいに首を横に振り、残念そうな表情をした彼から一刻も早く離れようと早足で暗い夜道の帰路を辿ったのだった。

「どんな会話もしたか覚えてねぇけど…その後、急いで店に帰って、そんで…まぁ、その…アイツを怒らせるような事しちまって」
「…で。気が付いたら朝だった上に店はアンタ以外もぬけの殻だったと」
「まぁ、うん…そうです、ハイ…」

 思い出せば思い出す程に情けなさ過ぎる自分の行動にがっくりと項垂れる。ましてや酔った勢いで、しかも幼馴染の意思を無視した性行為に走るなど以ての外であり、守るべき存在を傷付けた自身の罪はあまりにも重い。思い出せば思い出そうとする程、嫌だやめてと訴えていた彼の辛そうな表情が浮かんでどうしてその声に耳を傾けて自分を止める事ができなかったのだろうかと後悔の念に苛まれると同時に、幼馴染がこうして店から黙っていなくなってしまう程の怒りを募らせるのも無理はないと改めて感じた。

「…連絡、取れたんですか」
「いや、携帯も電源切ってるみてぇでよ。知ってそうなヤツらに声も掛けたんだが誰も見てねぇって」
「そう、ですか…」
「……何か、変に巻き込んじまって悪いな。自業自得のこった、一人でなんとかする」
「で、でも!」
「心配すんなって。アイツが店に帰って来ねぇと、客のヤツらにも怒られっちまうからな。そんじゃま、ちっと他んとこ探してくるわ」

 これ以上用事もないのにこの場へ留まる訳にもいかず、一刻も早く幼馴染の姿をこの目で確かめたい自身としては今すぐにでも手あたり次第に街を一周する勢いで探し回るつもりでいる。
 焦燥した気持ちを抱えたまま立ち上がり、すっかりぬるくなってしまった茶を一気に流し込んでは部屋を出ようと一歩足を踏み出した直後、咄嗟に目の前へ立ち塞がった老け顔ボーイが着ていたホタプラントパーカーのポケットに入れておいた携帯電話を勝手に取り上げられ、文句を言う前に覚束ない操作をされた末にようやく返されたそれには見覚えのない連絡先が一件、許可もなく登録が済まされていた。

「あんだよ、これ」
「俺の番号。何か分かったら連絡する」
「何か、って何でテメェが…じゃなかった! まぁいいや、世話んなったな。たまにはまた風呂入りに来いよ、じゃあな!」
「おじさん、ばいばーい」
「ばいばい」

 ふと生まれた疑問を問いかける余裕もなく、どたどたと居間を抜け廊下の先の玄関で適当にクツを履き入れては、特に宛がある訳ではなけれど動かずにいる事は到底出来ず、そのまま外へと飛び出しては追い掛けてきた四人にそっと手を振って跨いだバイクを再び唸らせたのだった。
 その後、小さく溜息を吐きながら彼ら二人がこんな会話をしていたとは知らずに。

「…アイツが言ってた怪しいボーイ、心当たりがあるな」
「俺ももしかして、って思ったけど…本当にもしかして?」




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