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「よっしゃー、俺の勝ち!」
「うぐぐ…また負けた…」
今朝になって突然マゴさんが自分のアパートに乗り込んできて早数時間が経過していた。最早昼飯に近い朝飯を二人で食べた後、何故だか一緒にゲームをしようと誘われ、普段あまり遊ばないものだから最新のものは持っていなかったものの、それが逆に懐かしいと喜ばれ彼がその中で選んだレースゲームで久し振りに遊ぶ事となった。
こういったものにあまり興味がないイメージをマゴさんに対して持っていたのだが、意外にもゲーム類に関しては好きな方であるらしく、対戦してみるとなかなかの好タイムを叩き出す腕前でそれから何度か再戦したものの、今のところ悔しくも一度も勝利を得ることが出来ていない。一方、連勝を続けているマゴさんはそれでも物足りないのか、いつまで経ってもゲームをやめる気のないマゴさんにふと一言、ずっと気になっていた話をそっと振ってみた。
「ところで、そろそろお店に戻らなくていいんですか」
「……いいよ、別に。今日は帰らないって決めてるし」
「帰らないって…まさか泊まっていく気ですか?」
「そのつもりでここに来てるんだけど?」
強気な態度でそう言い放つも、あれだけ上機嫌だった彼の表情が一気に沈み、少々拗ねたその言葉とは裏腹にどこか寂しそうに瞼の下がる様子を見てどこか心の中で引っ掛かっていた。
今朝方この部屋へと小さなショルダーバッグだけを抱えて飛び込んできたマゴさんから受けた説明はただ一言、家出してきた、というものだけだった。力ない声からして彼自身に何か起きていたのだろうと推測は出来ても肝心の詳細は全く分からない。しかし、今あの店に住んでいるのは彼の幼馴染だというヨリというボーイ以外おらず、あのマゴさんが家出をするくらいなのだからその彼と何か問題が起きてしまった事に間違いはなかった。一体何があったのかとそっと問い掛けてみるもだんまりを決め込まれ、それどころか人の布団に潜り込んでは引きこもるという我儘っぷりを披露するものだから打つ手がない。そしてまさか今日ここに泊まるつもりだったとはつゆ知らず、高身長の彼が着られそうな着替えは果たしてこの部屋に存在しただろうか、と我ながらお人好しが過ぎる心配を抱えながら再びコントローラーを握ったのだった。
「…ヨリさんから連絡、来てないんですか」
「携帯、電池切れちゃったから。どうだろう、分かんないな」
「心配してますよ、きっと」
「…今までだってお互い一人だったんだし、大の大人がちょっと外泊したくらいで気にならないだろ」
「俺は、その…そうは思いませんけど。あの人、結構心配性なとこあるし」
「そうかい?」
「なんて言うのかな…ヨリさんって、お店で見かけるといつもマゴさんを見てるんです。別に何かあった訳でもなくて、多分自然と目で追い掛けてるというか。クセ、なのかな」
マゴさんの幼馴染であるヨリさんとは何度も顔を合わせた事はあれど会話自体したことはあまりない。それでもあのいかつそうな見た目とは裏腹に優しい面がある事は知っているし、意外にも小さな子供に人気があるのか、わらわらと囲まれて遊び相手にさせられているところは見た事があった。その度に表情豊かな彼が唯一マゴさんに対するどこかあたたかい視線を向けている時があり、それはきっと他人には分からない何か特別な思いが含まれているのだろうと遠巻きながらに感じていた。
「…充電器、貸してあげます。だから、やっぱり一度連絡取っておきましょう。きっと今頃…」
「いいよ、そんなの。取ったところで、今はアイツと話したくないんだ。顔も、見たくない」
「マゴさん…」
「…情けない話なんだけどね。多分きっと、怖くなって声も出せないかも。だから、いいんだ…っ」
こんなにも悲し気に俯きながら話す弱々しいマゴさんの姿はもしかしたら出会ってから一度も見た事がなかったかも知れない。毎日二人同じ時間を過ごしている分、パートナーがいないところで一人考えたいところも恐らくあるのだろう、そう思い、これ以上無理強いをするのはやめようと喉に詰まった言葉を飲み込んだ直後だった。
「…お客さん?」
「誰だろう…すみません、ちょっと見てきます」
突如部屋の中に響いた軽いインターホンの音。普段は宅配便くらいしか滅多に来客などないのだが、ここ最近何かを注文した記憶は今のところない。もしかして怪しい宗教団体や訪問販売かも知れない、と少々げんなりと肩を落としつつ、恐る恐る玄関の覗き穴からそっと外の様子を窺うとそこには想像していなかった人物が立っていたのだった。
(ヨ、ヨリさんだ…!)
眩しいくらいの落ちゆく橙色の日差しに照らされ、しかし酷く疲れ切っているのか、そのくたびれた表情にやはり今までずっとマゴさんを探し回っていたのだろうと意図も簡単に推測できてしまう。
とにかく二人の為にもこのまま居留守を使う訳にはいかないとごくりと息を呑んだ後、扉越しに彼の名前をそっと呼び掛けたのだった。
「あ、あの…」
「…っ、パッチンボーヤか! 良かった、部屋間違っちまったかと思ったぜ」
「何か用事でも?」
「いや、なんつーか…オメェの友達のフデオロシ、だっけ? たまたまアイツとスクエアの広場で会ってよ、ヒラメが丘団地近くの駅で今朝マゴが電車降りたの見たっつーから、その…もしかしてお前んちにいんじゃねぇかって…ちと、確認」
どうやら友人にしかと目撃されていたらしいマゴさんの尻尾を掴んでいたヨリさんに、思わず悪い事をした訳でもないのにどくりと心臓が唸った。その動揺がばれないよう、居間からこちらの様子を怪訝そうに窺っているマゴさんへとそっと身振り手振りで現状を伝えようとジェスチャーを試みる。
(外、ヨリさん、いる)
(知らんぷりして、帰らせて)
今どれだけ危機的状況に陥っているのかすぐさま理解してくれたマゴさんではあったものの、頑なに彼と顔を合わせたくないのかぶんぶんと首を横に振り、シッシと手で追い払う仕草だけして頭から布団を被るものだから最早手が付けられない。恐らく微かな手がかりのみでここまで何とか辿り着いた彼に対し嘘をつくのはあまりにも強く罪悪感が残ってしまうものの、こちらの意図を悟られないよう一つ一つ言葉を選びながら話を繋いでみる事にする。
「え、と…うちには来てないですよ。というか、俺も朝から用事があって出掛けてたし。今日はマゴさんとは会ってないなぁ」
「……そ、か。まぁそうだよな、こんがりニットも珍しくお前にドタキャンされたって嘆いてたし、家にいなかったんじゃ会わねぇわな…」
「あっ…は、はい…」
やはり焼きイカちゃんからも話を聞いていたらしく、危うく矛盾したアリバイを話してしまう所だったと一瞬緊張が走ったものの、なんとか上手く筋を通す事は出来たようだった。しかし、覗き窓を通して見えたヨリさんはあまりにも疲労も混じった上で胸が苦しくなる程に参っている表情を浮かべていて、話を聞いているうちに段々とこれで本当に良かったのだろうかと疑問ばかりが浮かんできてしまう。
(マゴさんがここまで拒否するくらいなのだから、何かあったのは間違いないけど…本当に、このまま追い返しちゃって、いいのかな…)
そっと後ろを振り向いてもこれ以上関わり合いたくないのか細い背中しか見せない彼からも、自ら接触を避けているのにも関わらずどこか悲し気な雰囲気を醸し出しており、ふと先程目の前で見てしまった、今にも泣きそうになっていた表情が目に浮かんでしまい、外から力ない声で邪魔したなと背を向け姿が遠くなっていくヨリさんに気付けば勢い良く玄関の扉を開け放っていた。
「ヨリさん、待って!」
「う、おおっ! きゅ、急に大声出すなよ! ご近所迷惑だろ!」
「あ、えと…す、すいません」
「…で、どうしたよ。悪ィけど他も当りてぇから手短に…」
「ダメです、大事な事なのでちゃんと聞いて!」
「は、はい! 分かりました、ごめんなさい!」
鬼気迫る勢いで息を切らせながら詰め寄ると、焦燥をしつつも互いに通路の壁へと背を預け、何が何だか分からないといった様子でこちらを見下ろすヨリさんに怒られてしまうのを覚悟で、マゴさんにも悪いと思いつつ喉につっかえていた秘めた言葉を小さく零したのだった。
「…それで、あの。マゴさんの事、なんですけど」
「お、おう」
「実は、朝早くうちに飛び込んできて、その…今も部屋の奥にいます」
その瞬間、ずっと疲労の色を隠せなかったヨリさんにようやく明るさが灯り、てっきり怒られてしまうのではないかとびくびくしていたところ、そっかと稀にない笑顔を零すものだからすっかり拍子抜けてしまったがそのまま今日一日の出来事を続けて話していく。
「早く店に戻らないと、きっと心配してるって俺からも言いました。でも…マゴさん、帰りたくないの一点張りで。さっきも今日は顔を合わせたくないって言うから…すみません、でもやっぱりそれはダメだって、思って…」
話せば話す程、彼らにとって何が正しくて何が間違っているのか分からず、ひたすらに穴ばかり開いた説明をする自分は彼からすれば酷く滑稽に見えていたかも知れない。それでも一人抱いていた気持ちが通じたのか、そっと頭を撫でられ、それだけでなくありがとなと感謝までされてしまい、そっと玄関の前までふらりと足を運んだヨリさんは、既に何かを察しているのか扉を開けることなく、古い鉄の塊を挟んだまま未だ部屋の奥に閉じこもっているであろう彼に対して声を掛けたのだった。
「マゴ」
「…」
「返事はしなくていい。…昨日は酷ェ事しちまって、本当にすまなかった。きっと、怖かったよな。お前が出て行っちまうのも良く分かるし、無理して連れ戻そうなんて事も俺は考えてねぇ。…だけど、その…もう一度だけチャンスをくれねぇか。甘っちょろい考えだって事くらい自分が一番分かってる、でも、今回だけは俺を信じて欲しい。頼む、マゴ…」
息苦しそうに且つ弱々しくもしっかりと話すヨリさんの言葉に胸を詰まらせながら、俯き耳を傾ける事しか出来ない自分が悔しくも感じた。そして何も返事がないまま、最後に明日店で待っているとだけ伝え、すれ違いざまに世話になったともう一度頭を撫でられては軽く手を振りその場を後にしたのだった。
既に暗くなり始めた夜。しばらくの間放心した状態でその場に座り込み、ちょうどお腹が空いてきたのかぐうぐうと情けない音が辺りに響いた頃。恐る恐る部屋の中へと戻ると、居間の中がいつの間にやら食欲のそそる匂いが立ち込め、なんだろうとその匂いの元である台所を覗いてみると、そこには二人分のオムライスを作っていたマゴさんがガスコンロの前に佇んでいたのだった。
「マゴさん、それ…」
「…今日のお礼。たくさん、迷惑掛けちゃったし」
ムラなく橙色に染められたご飯の中に散らばる色とりどりの具材と、それを包み込むふわふわの大きな卵の布団がフライパンからかけられた時。持っていたフライ返しを流しへ置いて、二つの皿に銀色のスプーンを添えながら、マゴさんは小さく溜息を吐いては灰色の視線をゆっくりとこちらへ見下ろしていた。
「…俺、怒ってないよ。寧ろ、こっちが謝らないと」
「で、でも…勝手にヨリさんに話しちゃったのは俺ですし…」
「良かれと思って、でしょ。それに正しい事を言ってるのは君だもの。俺はただ一人で拗ねて年甲斐なく駄々っ子してただけ」
苦笑しつつそう答えるマゴさんに対して上手い事一つ何かを返せるわけでもなく、居間のテーブルへと出来上がった料理を運んだマゴさんに早くおいでと催促されるまでその場から動く事さえ出来ずに、慌てて冷蔵庫から麦茶とコップを二つ抱えては彼の座る向かいへと腰を下ろした。
オムライスには色々と思い入れがある、と店へ遊びに行った際に彼から聞いた事があり、そういえば実際に食べた事はなかったなと思いつつも湯気立つそれにそっとスプーンを刺し入れて一口口の中へと突っ込んだ。すると、卵の甘さとチキンライスの程良い酸っぱさ、その中で弾けるコーンや鶏肉などの細かい具材の素朴な美味さが相まって、自分でも驚くくらいの声の大きさで思わず叫びを上げてしまった。
「お、おいしい!」
「パッチンくん、夜にそんな声出したら近所迷惑でしょ」
「あ、すいません…つい」
「あはは、でも喜んでもらえて良かった。まぁ割と自信はあったけどね」
バトルよりも料理の方が好きだと彼自身も言っていたのは前々から知っていたものの、まさかこんなに美味しいものを提供してもらえるとは思ってもおらず、感極まって無言で食べ続けていると、心情を察せられていたのか自信があるのはそれくらいだよとくすくすと笑われて、堪らず勢いでがっついてしまった自分自身が急に照れ臭くなってしまった。
「まぁ、こればかりは俺よりもアイツの方が上手いんだけど」
「えっ、ヨリさんって料理するんですか」
「オムライスだけに関してはヨリが俺の先生なんだ。子供の頃、ああだこうだ文句言われながら教えてもらったっけな…懐かしいや」
偏見かも知れないけれどあの風貌で料理をすると言われてもあまりイメージは湧かず(しかもオムライス)、あのぶっきら棒で不器用そうなヨリさんがフライパンを握っている姿を想像しては一人こっそりと笑みを零した。
皿の上も空っぽになってあれだけスカスカだった腹が十分に満たされた頃。胡坐を掻いて食休みをしていたマゴさんが急に正座に座り直し、いつになく真面目そうな顔をするものだからそれにつられてこちらも正座に座り直すと、静かに息を吐きながら名前を呼ばれ、謎の緊張感が漂う中、素直に小さく頷く他なかった。
「えと…パッチンくん。今日は本当に、色々と…すまんかった」
「え、あぁ…そうですね。全くですよ。どこかの誰かさんのせいで変な汗掻いたちゃったじゃないですか」
「…そういうところ嫌に正直だよね、君…じゃなくて。その…明日、なんだけど。とりあえず、一度店に戻ってみる事にした」
「マゴさん…」
彼ら二人の間で一体何があったのかは自分は知らない。だからこそ、心の中で迷惑だと思ってはいたものの店へ帰るよう無理強いする事も出来ず、かと言っていつまでも滞在されてもこちとら面倒事が多くて仕方がない。しかし、普段から世話になっている部分もあり妙に気がかりになってしまうものだから放っておく訳にもいかず、ようやく前向きになってくれた彼を見て心のどこかでほっと胸を撫で下ろしたのは確かだった。
「ようやく頭を冷やせた気がするんだ、パッチンくんのおかげで。勿論、まだ少しビビってるところもあるし、どうしたらいいのかも良く分からないけど…多分、大丈夫だと思う」
「そう、ですか」
扉越しに彼へと送ったヨリさんの言葉に偽りがあるなど到底思えなかった。一日中探し回って疲れ果てているのを悟られないようしっかりとした声で紡ぎ、必ず店へと帰って来てくれると信じて団地を後にした彼はきっと今頃明日こそ会えると静かに待っているのだろうと思った。それをマゴさんも勿論理解していて、ただそれでもどこか迷いを見せた表情を浮かべているのも確かで。
「…あなたが信じると決めた相手なら、」
「え…?」
「もう一度、信じてあげていいと思います。俺が、言えた事じゃないかも知れないけど…それでももしダメだったら、またうちまで来てください。温かいご飯、用意しておきますから」
「パッチン、くん…」
「…でも、出来れば来なくて済むようにして欲しいです。洗濯物増えるし」
「あはは、それは言えてる」
例えそんなくだらない冗談でも、ようやくマゴさんが腹を抱えてけらけらと笑っているのを見て、心のどこかでずんと沈んでいたものがようやく浮かび上がってきたように思えた。その後、結局夜分遅くまでゲームに付き合わされ就寝したのは日付が変わってからしばらくした後の事で、有無を言わさずベッドを取られてしまった自分は、床に布団を敷いてはクッションを枕代わりにして横になったのだった。
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