「ちょーっとイイ話があるんだけど、どう?」
「なんですか、また急に」
ぶるりと震える程の寒さも気付けば消え去り暖かな春風が靡き始めた今日この頃。一人番台で戸棚の整理をしているとそっと開いた引き戸の隙間から顔を出したのは、幼馴染の知人である情報屋兼仲介屋のダビデさんだった。そもそも店まで足を運ぶ自体珍しい彼であったが(何故ならいつも幼馴染と鉢合わせになるとすぐに追い出されてしまう事を彼は熟知しているからである)、ちょうど店を開けたばかりの昼下がりの午後である現在。見事に一人目の来客が自分である事に気付いたのか、番台の目の前のカウンターに寄りかかりぐいっと耳元へ口を寄せてはぼそりと呟いた言葉に思わず溜息を吐いたのだった。
「いやあ、そろそろおカネに困ってる頃かなぁって心配してたのよ」
「心配って…何でダビデさんがうちのお財布事情を知ってるんですか」
「そりゃもう、ほら。虫の知らせってやつ」
にやりと口元を歪ませながらさも当然とでも言うように零す彼へ疑いの視線を向けつつ、勿論こちらは静かに首を横に振る。信用していない訳ではないものの、今までの付き合いからして彼の言うイイ話が本当に良いものかどうかと問えば、正直なところかなり怪しく感じてしまうのは事実で。実際、過去に幾度となく持ち込んできた仕事を引き受けてはみたものの、セクハラ、盗撮、女装等など(思い出したくないので詳細は出来れば聞かないで欲しい)と割と酷い目に遭っていた。
「どうせまた訳分かんない仕事なんでしょ。もう俺、ガールちゃんの水着とか着て撮影しないですからね!」
「あー、はいはい。アレはほら、ちょっとした衣装ミスだから。ごめんごめん。今度はごくごく一般的な普通の仕事だよ」
「本当かなぁ…」
くつくつと込み上げる笑みを抑えながら話すダビデさんの言葉に小さく溜息を吐きつつも、一応命の恩人且つ幼馴染の大切な友人という事もあり、そして今では店に訪れる客の一人である為、やれやれと肩を落としながら足元に仕舞ってある下足札を取り出そうと腰を屈ませると、それを止めるように身を乗り出し腕を掴んできた彼が再び話を続けた。
「もう少し付き合ってってば。マゴさんにとっても悪い話じゃないんだし」
「そんな事言ったって…別に今、仕事引き受ける程おカネに困ってな…」
「十万ゲソコイン」
「えっ」
「それも人と話すだけ。これでどうだ」
「じゅ、十万…!?」
耳を疑うような高額な報酬を口にするダビデさんに思わず目を合わせてしまったその瞬間から話が纏まるまでそう時間はかからなかった。口では見栄を張っていたけれど、事実、今月の売上があまりよろしくなかった事は事実でそういう時に限ってクマサン商会はアルバイトを募っておらず、その上二人のバトルのチョーシも下がり気味でいまいち収入が入っていなかったこのタイミングで仕事を紹介されてしまったものだから質が悪い。それでもさすがに何も考えず即承諾するにはあまりにも恐ろしかった為、一言二言は拒否をしたものの、言葉巧みに誘い込む彼の魔の手を押しのけることは到底出来るものではなかった。
「よし、決まり! 詳細は後で連絡するからね」
「あぁあっ…また俺は誤った判断を…」
「まぁまぁ、そんなに怯えないで。今回はマゴさん一人じゃないから」
「えっ、それってどういう…」
「それと今回の話、守秘義務があるからヨリには黙っといてよ。相手側とはそういう約束だから」
周りの人間に話す事も許されないとは一体どんな怪しい仕事なのだろうか、と募り募った不安は一向に拭われず、契約成立祝いにと珍しく一風呂入っていくらしいダビデさんは、放心により今にも自身の手元から落ちそうな下足札を自ら掴み取り、空いた手のひらの上に放り投げられた小銭を慌てて握り締めると高らかな笑い声と共に暖簾の奥へとその姿を消していった。
「俺、どうなっちゃうんだしょ…」
目先の報酬に眩んで二つ返事をしてしまった数分前の自分を呪わずにはいられない。しかし仕事さえ乗り越えてしまえば、思わぬ高額収入が未来で輝きを放ちながら待ってくれているので、それを糧に奮起をするしかない、そう思い、どうにかやる気を見出しつつも先程ダビデさんがぽろりと溢していた、自分の他に仕事を引き受けたというもう一人の存在がなんとなく心に引っかかっていた。
「……怖い人じゃないと良いけど」
ただでさえ慣れない環境の中で性の合わない人物と長時間仕事をするのは人見知りの自身としてはあまり望ましくない。しかしダビデさんの手配ということもあり、その辺は上手くやってくれているだろうと根拠のない自信に縋りつつも溜息ばかりが落ちる一方であった。
***
そして迎えた初日。待ち合わせに指定された店の名前はどう考えてもスタンダードなものではなく、建っている場所も大通りから少し外れた暗い細道の道中で無事に到着したのは良かったものの、正直嫌な予感ばかりが過ぎって今すぐにでも帰りたい気持ちでいっぱいだった。約束の時間は昼過ぎだった為、幼馴染がハイカラスクエアでのガチマッチに出向いた後にバイトに行くという旨の短い手紙だけをこたつ机の上に置いて店を後にした。クマサン商会へは普段からよく足を運んでいるので、アルバイトをするに至っては特に珍しい事ではない。今回も勤め先は違うもののアルバイトには変わりないので嘘は付いていない、と一人そう心に言い聞かせ、それでも少々罪悪感を募らせてはごめんと一言誰もいない玄関先で溢したのだった。
と言えど、生活費の為にも背に腹は替えられない。幼馴染ばかりに苦労を掛ける訳にも行かず、せっかく良い仕事を紹介してくれたダビデさんの為にもしっかり責任を持って働くのが大人というものである。
「…と言っても、なぁ」
心の中ではそう理解をしつつも、明らかに水商売且つ夜職を営んでいる店構えな上、シンプルな玄関扉のすぐ隣りに看板だけが並んでいるが故になかなかの入りにくい雰囲気を醸し出している。それでも遅刻をしたら何を言われるか分からないので、躊躇しつつもごくりと息を呑みながらドアノブをそっと捻ると予想以上に扉が軽かった為にそのまま勢い余って中へと駆け込む羽目になったその先には、意外にもよく知る人物がそこに腰を下ろしていたのだった。
「ひ、ヒナタくん!?」
入った先はホテルのフロントのような受付カウンターとその側に待合室のような場所に大きなソファーが並べられた中、想像もしていなかった、今では店の常連にもなっている彼がいて、目を合わせた瞬間、知っている人物をようやく目にして安心したのか咄嗟に胸の中へと飛び込んできたので慌てて腕を広げその身を受け止めた。
「ま、マゴさぁんっ」
「なんでまたこんなところに」
「それはこっちのセリフでもあるんですけど…あぁ、でも良かった。不安すぎて本当に死ぬかと思ったし」
少しばかり目元に涙を浮かべながらそう嘆くヒナタくんの頭を優しく撫でながら再びソファーに二人腰掛けては、彼から今までの経緯を話してもらったところ、どうやら自分と同じくダビデさんに仕事を紹介されてこの店へと訪れたようだった。しかし、足を踏み入れた直後明らかに表舞台から遠ざかっていそうな屈強なボーイ達に囲まれ、恐怖でちぐはぐながらもバイトを紹介されたと伝えるとここで待っていて欲しいと言われ現在に至る、という事らしい。先日ダビデさんが言っていたもう一人の労働者というのはつまり彼の事を指していたようで、勿論一人よりは二人の方が心強さはあるものの、それでもこれから始まるであろう労働に不安は奥底に残ったままだった。
「おぉ、いたいた。お待たせー」
「…あ、ダビデさん」
お互い頭上に絶えず疑問符を浮かべていると、約束の時間から十分程経過した頃にその元凶は姿を現した。今にもずれ落ちそうなゆるゆるのボーダビーニーを深々と被り、見慣れたレイヤードホワイトを着こなした様子で向かいのソファーへと腰を下ろしたダビデさんは、それでは早速と持っていたあるものをこちらへ手渡した。
「何ですか、これ」
「今回の仕事着ね。奥の部屋に更衣室があるから、そこで二人で着替えてくれる? 終わったら呼んでくれれば迎えに行くから」
「あ、あの。これってどういう…」
「文句はなしで頼むよ。この店じゃあそれが正装だからね」
それなりに大きなバッグではあったものの、恐らく衣服なのかそう重さのあるものではない。しかし、僅かに開いていたチャックの隙間から一瞬だけ見えた明らかに細やかなレース素材が目に入った瞬間、これはもしかしなくても悪夢の再来なのではないだろうかと悟り、その後更衣室へと案内された後、二人で同時に開け放ったバッグの中身を確認しては、思わず顔を見合わせがっくりと肩を落としたのだった。
「…と、とりあえず着てみます?」
「えっ! えー…あのさ、マジで本当に嫌なんだけど」
「そ、それは俺も一緒ですけど…でも引き受けちゃったのはこっちだし」
「…あぁ、もう! ダビデさん、今回はこういうのじゃないって言ったのに! 嘘つき! ばか!」
二つのバッグから出てきたのは黒と白、対称的な色を基調とした柔らかなレースたっぷりのベビードールで勿論これがガール用の衣装である事に間違いはない。手にした黒は明らかに中が透けて見えるような薄い生地で作られたキャミソール、そして腰で紐を留めて履くタイプの非常に布面積が少ない小さなパンツ、終いにはガーターベルトとセットのオーバーニーストッキングまでご丁寧に同梱されていた。呆然としたままのヒナタくんが胸に抱えている白も恐らく同デザインのものと思われ、いくら引き受けた仕事とはいえ当然ながら着たいという気力は全くと言っていい程に沸かない。
「俺の方…これ、なんていったっけ…チョーカー? これも付けなきゃダメかなぁ…」
「だろうねぇ…って、うわ! こっちはガーターベルトじゃ飽き足らずリングまである! しくしく…太もも、入るかなぁ…」
しかし、ガール用故にサイズはどうなのだろうかという心配は無用だったようで、何故かそれぞれの体に馴染む衣装に恐ろしさを抱きつつ、気乗りはしなかったが仕方なく用意された全てのアイテムを身に着けては互いにその姿を見遣ると、悲しいかなヒナタくんは少々幼さの残る顔つきのおかげもあってかそれなりによく似合っていた。
「ヒナタくん…かわいいね」
「冗談はやめてください、本気で」
「いやでも、事実だし」
「そういうマゴさんだって、元々細身だしぴったりじゃないですか。ヨリさん喜ぶかも」
「そっちこそそういう恐ろしい冗談やめて!」
ダビデさんなりの配慮かはたまた偶然か、ヒナタくんの左脇に浮かぶ痛々しい痣はワンピースのように丈の長い真っ白なキャミソールの裏へ綺麗に収まっており、首元には細かい刺繍が施されたレースのチョーカー、中には羽のようなふわふわの生地で作られたショートパンツから垣間見える絶対領域に思わず彼の相方が見たらどんな顔をするだろうと少々にやけた表情を浮かべてしまい、それを指摘してきたヒナタくんになんでもないよと一言溢しては、危うく吐き出しそうだった本音をごくりと飲み込んだ。
すると良いタイミングで更衣室へと入ってきたダビデさん、そしてその隣りには恐らく店のオーナーである背の高いボーイが立っていて、上から二人の全身を舐め回すように眺めると、にやりと口角を上げては小さく頷いた。
「オーケーオーケー、完璧。さすが仲介屋さん、いい仕事してるよねぇ」
「でっしょ? 絶対似合うと思ったんだよ。それにほら、聞き上手だから」
「あらそう。じゃあちょうどお客さん来てるから、早速お仕事してもらおうかしら」
「ちょちょちょ、ちょっと待って! ちゃんとその仕事とやらの説明してくれないとっ」
「大丈夫大丈夫。前に言ったじゃない、お客さんの話をウンウン言いながら聞いてるだけ。心配しなくていいよ、やらしい事する場所ではないから。ね、テンチョー」
「そうそう、心配はご無用です。んっふふ」
どう考えても怪しい。目を細めながらヒナタくんと見合わせたその瞬間にとる行動はすぐに決まった。いくらおカネが欲しいと言えど、こんなにも嫌な予感しかしない仕事を受ける訳には行かず、慌てて着ていたベビードールを脱ぎ捨て店をトンズラしてしまおう、そう思った直後だった。部屋の外から突然入ってきた体格の良い二人のボーイにがっしりと腕を掴まれ、引き摺られるように廊下に出ると、ご案内しますと一言だけ答えてはそのままヒナタくんと共に店の奥へと連れて行かれてしまったのだった。そして、一切の抵抗も許されず、無力な二人は背後から聞こえたダビデさんの行ってらっしゃいという全く気持ちの籠もっていない声援をただただ恨む事しか出来なかった。
「だ、ダビデさんのひとでなしー!」
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