「おっ、もしかしてアレか!」
「えーっと…あ、うん。そうみたい」

 まともに整備をされていない山道をがたがたと車体を揺らしながら走る観光バスの中で、窓を全開に開け放っては進んでいる先の先に佇む情緒ある古めかしい建物の存在を確認しては年甲斐もなく、そしてその見た目と反して以外にも楽しそうに隣りではしゃいでいる幼馴染を横目に小さく息を吐く。
 自身が経営する銭湯から随分と遠く離れた場所に建てられたその建物の玄関には、立派な木の板に彫られた目的地である旅館の名前が掲げられており、座りっぱなしで痛めていた腰を摩りながらも荷物の入ったバッグを肩に掛けては、バスガイドである若いガールに連れられてその中へと二人足を踏み入れる。
 元より貧しい生活をしていた自分たちが何故、見るからに高級そうな温泉旅館へと遊びに来てしまっているかというと、話はまさかのつい先日へと遡る事となる。
 いつもと変わらず祖父から引き継いだ古い銭湯でだらだらと過ごしていた日々。そんな中で、昔と比べて随分と客層が増えた事は理解しているものの、まさか夕飯を食べる暇もない程に客が押し寄せる日が来るなど、数年前の自分は果たして想像した事があっただろうか。
 年末から年明けに掛けて一日休みを取ってしまおうと思っていた矢先、これから初日の出を見に行くという親子連れ、カップル、その他常連客が同時に押し寄せたのはまさしく今から年越しそばでも作ろうとしていた夜も更けた年末の遅い時刻で、おかずにと同時進行で揚げていたの鶏のから揚げを一口頬張ろうと口の中へと運ぼうとした直後にその波は訪れた。
 既に夕飯を済ませ、今年はお母さんと一緒に大晦日を過ごしたいと言っていた頼みの綱である看板娘は、とっくの昔に店を出て今頃二人で静かに過ごしている為頼る訳にもいかず、ガスコンロの火を止め慌てて番台へと走って向かえば、玄関には今まで見た事のない程の長蛇の列が並んでいた。

「マゴのあんちゃん、早くしてくれ! 後ろ詰まってんだ」
「あぁー、ごめんごめん。今準備するから、そこにお代出しといて!」

 年明け早々働かせようとしなくてもいいじゃないか、と一人心の中で呟き、小さく溜息を吐きながらすでにコタツ布団を被り夢の中へと旅立っていた幼馴染を叩き起こしては、その重たそうな体を引き摺りながら番台へと投げ入れた。
 事情を察したのかしぶしぶ客への対応をしてもらっている間に念の為にと綺麗に洗って乾かしておいたタオルと、自身がこれから入ろうとしていた湯船にしっかりと溢れそうになるまで湯が張られている事を確認し、急いで再び番台へと戻っては親指と人差し指の先をくっ付けてすぐさまオッケーサインを翳した。
 それからなんだかんだで客足が落ち着いたのは既に空が明るくなり始めた頃で、数時間どたばたと店の中を走り回っていたせいか体力的に限界を迎えていた頃。それを察していた常連客である自身よりも年上のボーイに、苦笑を交えた表情であるものを手渡され、何も考える暇もないまま慌ててそれを受け取ると、彼はお疲れ様とだけ一言残して店の外へと出て行ってしまった。

「なんだぁ、それ」
「なんだろ。スーパーの割引券とか?」

 その小さな封筒を蛍光灯の光へ翳してみれば、なにやらチケットらしきものの影が二枚、その中に入っているようで、おそるおそるその中身を確認した直後。想像以外のものを目の前にして慌てて玄関に転がっていたホワイトアローズを履き入れ、薄暗い外へと向かって彼の名を呼ぶもその姿はもう闇の中へと消えていた。

「ど、どどどどうしよう! こんなお返しできないもの頂けないよ…!」
「どれどれ…おっ、すっげ。これこないだテレビで特集してたとこじゃん。骨休めにでも行くか」
「行くかって…もしかしたら、何かの間違いかも知れないし」
「ばかやろ、こんなの貰っちまったモン勝ちだろが。それに、この封筒の後ろ、よく見てみろ」

 背後からぱっと奪われてしまったそれを慌てて取り返し、言われた通りにその封筒の裏を見てみると、下の方にスタンプ印で押されたらしい黒く滲んだ文字がチケットの出所をしっかりと表していた。

「ハイカラ商店街、町内会主催福引抽選会…?」
「ま、つまりそういうこった。カネはかかってねぇみたいだし、ご厚意に甘えて明日にでも出発すっぞ」
「は…はぁー!? あ、あ、明日って、そんないきなり」
「だってほら、これ。日付明日から一泊だし。しかも二人分。こりゃあ、あのオッサンの好意を無駄にしない為にも行ってやらねぇとなぁ」

 にやにやと綻ばせては笑みを零す幼馴染のあくどい表情に思わずため息を吐きながら、どうやら常連客に気遣わせてしまったらしい手元に残るお見舞い品をそっと握り締め、明日は顔を見せると言っていた看板娘へ急きょ連絡を取るべく携帯電話を取り出したのだった。


***


 そんなこんなで店の常連客から頂いたさり気ない贈り物を受け取った自分と幼馴染は、前日の夜にすぐさま旅行の荷物を一つのバッグに纏め、翌朝慌てて近くの駅前まで迎えに来ていた大型バスに乗り込んでは(案の定、寝坊をした)、他のツアー客と共に数時間の旅を味わった後(同乗者がなにやら年配の方が多く、暇そうに欠伸をしていた幼馴染が前の席に座っていたおばあさまにマイクを押し付けられ、仕方がなしに演歌を歌っていた)、ようやく到着した先に堂々と構えられた大きな木造の門をくぐり、その奥でさらに存在感のあるご立派な建物へとだだっ広い小川の流れる中庭の飛び石を辿っては足を踏み入れた。
 受付をロビーで済ませた後、女将さんと思われる着物を着たガールさんに案内されながら部屋の並ぶ長い廊下を渡りつつ、随分と建物の奥へと連れていかれるものだから、一体どこまでいくのだろうと隣りを歩く幼馴染に無言で訴えるも、さぁ、と首を傾げられ、結局最終的に彼女が立ち止まったのはどう考えても他とはグレードが数段階高い離れの部屋だった。

「う、うっそお…」

 恐る恐るこれまた高級そうな黒塗りになっている引き戸を開けてその中へと足を踏み入れると、きらきらと光り輝くような装飾があちらこちらに散りばめられ、自分の店の畳の枚数と比べる事の出来ない程の広い部屋の中にふかふかの布団が二枚敷かれており、居間を抜けた先のバルコニーには備え付きの貸し切り露天風呂まで用意されている。
 あまりにも想像以上に敷居の高い内装に二人開いた口が塞がらず、その側でにこにこと相変わらずの笑顔を掲げた女将さんはごゆっくりとだけ一言残すと静かに部屋から出て行ってしまった。

「さすがに勿体なさすぎないか、この部屋」
「…別のお客さんと間違われてるとか」
「可能性はあっけど…でもさっき確かに俺らの名前言ってたぞ、あの女将さん」
「そ、そっかぁ…」

 こんなにも広々とした部屋であるにも関わらず、何も言わぬまま性分なのか互いに隅の方へと持ってきた荷物を纏めて置いては、とりあえず先に着替えを済ませてしまおうと押し入れの中に綺麗に畳んで仕舞われていた浴衣を取り出した。それぞれの体に合ったサイズを選び、汗ばんでいたフクを脱ぎ捨て何も着ていない状態であるところで浴衣の袖に腕を通そうとすれば、隣りで着替えていた幼馴染に頼むからスパッツだけでも履いてくれと迫られ、渋々畳の上に放り投げたそれを拾っては再び足を通した。
 バスの中で座りっぱなしだった挙句、夕飯の時間までしばらく間があるようだったので、恐らく空いているであろう夕方である今のうちに風呂に入ってしまおうと提案したところ、どうやら同じ事を考えていたらしく既にタオルと着替えの下着を用意し始めていて、準備万端である彼に苦笑を漏らしながらもすぐさま自分も用意されていたふわふわの柔らかいタオルを手に取った。

「とりあえず部屋のお風呂は後にして、大浴場の方に行ってみようか」
「そうだな。露天もあるっつってたし、たまにゃあゆっくりしようぜ」
「いつも店でゆっくりしてる癖によく言うよ」

 大きな欠伸を漏らしながら頭を掻いている幼馴染に思わず小さく苦笑し、ふと立ち姿をしゃがんでいた場所から眺めるように見上げると、渋めの深緑に染まった浴衣が意外にも似合っている彼のその姿に一瞬目を奪われて、すぐさまぶんぶんと首を振っては参ったなぁと心の中で一言零した。
 部屋を出て大浴場へと向かう最中、再び長い長い廊下を渡り突き当りのエレベーターに乗っては上の階へと昇ってゆく。日が暮れる前の夕刻時はどうやら狙っていた通りに人気はあまりなく、これならば気を遣う事なくゆっくりできそうだと内心で喜んでは脱衣所の棚に置かれた籠の中に脱いだ浴衣とスパッツを投げ入れる。重めのガラス戸を開き、そっと洗い場の方を眺めれば数人の宿泊客がいる中でふと、どこか見覚えのある背中から目を離せなくなっていた。

「あれ…? いや、でも…まさかなぁ」
「おいマゴ、どうし…げっ!」

 大きな欠伸を漏らしながら後から入ってきた幼馴染がある一点、同じ二つの背中を視界に入れた途端に叫びをあげてはげんなりと肩を落としながら大きく息を吐いた。
 それもそのはず、本来ならばこの場所では会うはずのない、自身の店の常連客であるボーイ二人が仲良さげに隣同士並び合い、さぞ楽しそうに会話を交わしながら気持ち良さそうに身体を洗っている。
 どうせなら声を掛けてみようと思い、すぐ隣りの洗い場まで足を忍ばせようとすれば咄嗟に腕を掴まれ振り向いた先でふるふると必死に首を振る幼馴染に小さく溜息を吐く。存在に気付いているのにいつもお世話になっている常連客を無視するなんて、銭湯の店主としてそんな無礼な態度を取る訳にはいかない。むっと眉間を皺立てながらその手を振り払い、ずんずんと足を踏み出しては未だ気付いていないらしい彼らの名前を呼んではそっと肩を叩いた。

「…マサキ、くんっ!」
「っ! おい、いきなり何…」
「あはは、貴重なびっくり顔ゲット〜」
「あれ…えっと、もしかしてマゴさんですか?」

 目を細めながらなんとかピントを合わせて返事をしてくれたのは、常連客であるマサキくんの友人兼恋人のヒナタくんで、最近になって自分の店にもよく顔を出してくれる優しくて温和な若いボーイで、そしてその隣で小さく溜息を吐いては呆れ顔でこちらを見上げた、普段はサファリハットを被っているマサキくんはそっとその場に立ち上がると、お返しとでも言うようにさっと後ろへ回り込んだ手が彼と比べて肉の薄い自分の臀部をむにゅりと揉んでいた。

「ふぎゃあっ! し、仕返しとは生意気な!」
「先に仕掛けたのはそっちだろ。…そんな事より、もしかしてまた痩せたのか? そろそろコイツくらい飯を食う習慣をつけろ」
「こ、コイツくらいって何だよ。俺だって別にそんな毎回ドカ食いしてる訳じゃ…」

 驚きすぎて危うく足を滑らせるところだったが、なんとかその場に踏ん張って留まる事が出来た。しかし少し悪戯をしたくらいでこの仕打ちはないだろう、そう文句を零そうとした直後に後ろから怒声が飛んできたものだから収拾がつかない。公共の場で騒ぎ立てるのは普段から店主という立場上、その迷惑さも理解しているので野放しにしておく訳にはいかず。

「テメ、このッ…! 勝手にマゴのケツ触るたぁいい度胸…!」
「あーはいはい。一旦落ち着こうか、ヨリくん」
「………てや」
「えっ、ちょ…ひあぁ! ヨリさ、何して」
「へぇ、結構柔らか…ぶほぉっ!」

 余程やり返してやりたい気持ちでいっぱいだったのか、自分の制止とぎろりと上からの視線で威圧されて手が出ないと悟った幼馴染の魔の手が何故だかヒナタくんの臀部へと伸び、さり気なく背後に回ったその手は確かに彼の柔らかな肉を揉み上げていた。その瞬間、颯爽と行動を始めたマサキくんは幼馴染の腕を両手で掴み上げ、あっという間に宙へと浮いては逆さまに持ち上げられた体は、派手な水飛沫を上げて湯船の中へと頭から突っ込んでいったのだった。

「おぉ、イカした背負い投げだね」
「こんな事もあろうかと練習しておいた」
「さすがマサキくんだなぁ。俺も今度教えてもらおう」
「よ、ヨリさん大丈夫ですか! …って、あぁもう! ちょっとくらい二人も手伝って!」

 背負う方も上手ければ背負われる方も型に嵌っていて上手いものである。当たり所が悪かったのか、一向に湯の中から浮かんでこない幼馴染を他所に世間話を始めた最中、必死な形相で彼の腕を引っ張り上げようと苦戦しているヒナタくんに怒られてしまったので渋々力を貸す事にする(ちなみにマサキくんはというと、当然だが何もしない)。

「うぐぐっ、お、重い…」
「…ヒナタくん。世話を掛けてるところ悪いけれど、こういった変質者には日頃から気を付けるんだよ。いつどこで何をされるか分からないからね」
「えっ、あ、はぁ…そう、ですね…?」

 眉尻を下げ明らかに戸惑っている疲労の混じる声で仕方なしにと言葉を返したヒナタくんに思わず苦笑しながら、ようやく息を吹き返した幼馴染の頬をぐにぐにと指先で摘まんだ。




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