「……これ以上はもう前に出るな。後は俺がやる」
「えっ……あ、ちょっと待……」
最早日常でもあるナワバリバトル中に交わした、相方とのありふれたそんな会話が頭から離れなくなってからもう数日が経過していた。零した言葉に変わり映えはないものの、どうしてもその時の彼の声が腑に落ちずにいて、しかしその理由もいまいち自分でも理解できない故に考えたところで答えは出ず、今日もひたすらに、ヒラメが丘団地の一室でただ一人頭を抱えながら温め直した炒飯を一口貪った。
時は今から遡り数日前の昼。まるで感情の起伏を隠すかのように深めに被っているサファリハット、ほとんど肌を見せる事のない少々大き目のジップアップカモを着込んではがっしりと肉付いた足を嵌るトレッキングライトへ履き入れ、ジェットスイーパーを小脇に抱えながらいつもの通り待ち合わせ場所であるイカスツリーの前で自分を待っていた相方は、こちらの存在を確認すると小さく頷きながら背を向けロビーの中へと足を踏み入れた。どことなくお互いの距離に違和感が生じていると思い始めたのは、今から数日前に彼とナワバリバトルへと参加した時の事である。その日は真ん中の高台や陰からの狙撃、基本的に高低差が激しいBバスパークがバトルの舞台となっており、スプラスコープを愛用している自分にとっては得意とするステージのひとつでもあった。いつもの通りにリスポーン地点から山のように歪曲した自陣をある程度塗りつぶしながら右からの通路の奥、インクに塗れた内側の壁を泳いでいそいそと上り詰め、そっと薄い壁の裏から僅かに見える中央高台前の敵陣をスコープ越しに、相手チームから所在をばれないよう覗き込みながら辺りの様子を見てみる。
共に参加しているのは相方である彼と、そしてなにやら見覚えのある、額のオクタグラスをきらりと輝かせ、着慣れたロッケンベルグTブラック、そして地を滑る傷だらけのブラックビーンズを履いては高台の頂上で怪しい笑みを浮かべながらホクサイ・ヒューを振り回している年上のボーイで、そっと影から撃ち抜こうとした直後、ほくそ笑むように口角を上げている相方がまるで玉入れ競技のように高台の下から投げ入れたスプラッシュシールドでその褐色肌の体を弾け飛ばしてはリスポーン地へと戻っていく様子に思わず手を合わせた。
そしてバトルも終盤に差し掛かった頃、ステージの半分以上が自分のチームのインク色である緑色に染まりつつあり、バトルを優勢に進めながら高台を陣取り、ナワバリを取り返そうと必死になって前に出てくるインクリングを一人一人撃ち倒していた最中の事だった。
「あれ、今……」
進路と退路の確保、なるべく死角から狙いをつける為に、隙を見て大量のインクを巻き散らすダイナモローラー、スーパーショットで威嚇しこちらの自陣まで押し込もうとラストスパートを掛けるスプラシューターコラボ、そしてスプラスコープよりも射程が短くも機敏な動きで回避行動に努めつつ正確に狙いを付けるスクイックリンα、そして知り合いでもあるホクサイ・ヒューを担いでいるボーイの姿を確認しようと辺りを見回したその時。微かに塗れていた足元の紫色のインクが一瞬、ぽちゃりと揺れ動いた事に気付いたものの、それが一体何であるのかすぐに理解する事が出来ずゆっくりと視線を向けたその頃には既に、今まさに探していた不機嫌そうに眉間に皺を寄せた表情と、そして両手で振り上げていたホクサイ・ヒューが今まさに自分を叩き付けようとしていた。
「油断大敵、火がボーボー……ってか!」
「い、いつの間に!」
「店の客だからって容赦しねぇ。俺らの生活費の為にいっちょリスポーン、頼む、ぜ…って、うおぉっ!?」
このままではやられる。そう咄嗟に判断してすぐさま足元へとスプラッシュボムを転がせば、慌てて高台から飛び降りようとした彼の足が明らかに縺れてしまっているのを見て、自分が言う立場ではないと理解しつつも思わず危ない、と声を上げたその直後だった。
「ば、ばか! 腕掴む、な……」
「へ? あっ、ちょ…う、わぁあっ!」
体を支えようと伸ばした腕が仇となったのか、そのまま自分の方へと倒れ込んできた褐色肌に巻き込まれる形でヒト状態のまま高台からもみくしゃになって落ちていく瞬間は、まるでスローモーションのように時間の流れが遅いように感じた。
(あっ…今、何か…触れ、)
落ちてゆく最中に不思議な違和感を覚えつつ、少しでも衝撃を和らげようと互いの色で体が塗れたままイカの姿へと変え、上手い具合にインクの海へとその身を落としては事なきを得ると、すかさずブキを構えた瞬間にバトル終了の合図である笛の音がBバスパーク内に響き渡っていた。目の前には少々悔しそうに溜息を吐いている彼と、そして背後にはどことなく表情を硬くさせた相方の姿が確かにそこにあったのだった。
***
「ちょっくら出掛けてくるわ」
「ああ、うん。気を付けて」
ハイカラシティより少し離れた場所にある寂れた街にぽつんと真っすぐ空へと伸びた煙突が聳え立つ小さな銭湯は、幼馴染の祖父代から続く立派ではないけれどそれなりに常連の客が訪れ賑わいのある店だった。
ある出来事がきっかけで十数年ぶりにこの場で再会した幼馴染とは、短い間ながらも様々な苦悩を経て同性という壁さえも越え、今では正式にお付き合いをしている関係であり、四苦八苦しながらもなんとか二人でやり繰りをしながら店を経営する日々を過ごしている。数ヶ月前までは身寄りのなかった小さな看板娘のガールも共に暮らしていて、帰るべき場所をようやく見つける事の出来た今でも時々店の手伝いをしつつ、遊びに来る度にじゃれ合ったり一緒にご飯を食べたりしている。
そして、そんな日々にも慣れつつある今日。まだ店が開く前、日がまだ昇りきっていない午前。普段ならば自慢のホクサイ・ヒューを肩に担ぎイカスツリーへと徒歩で出向いては、ガチマッチをメインに半日ほど参加し十分な報酬を得て帰るべき場所へと帰るのが日常となっていたが、今日ばかりはハイカラシティへと向かうその前にある知り合いのボーイと指定された喫茶店にて落ち合う予定になっており、大した用事でもないだろうと軽い気持ちで判断しては幼馴染に何かを伝えるでもなく、履き慣れたブラックビーンズへ乱雑に足を突っ込んでは早足で店を出た。
待ち合わせている喫茶店までそう距離はなく、過去にも食事をしに行った事が何度かあったので別段道に迷わずに、見覚えのあるその門構えにすぐさま辿り着いては古いドアノブをそっと捻った。足を踏み入れた店内はちらほらと他の客がそれぞれにゆっくりと流れる時間の中で食事やら休憩やらに嗜んでいるのを見るも、どうやら約束をしていた相手はまだ到着していないようだった。店員に案内されたのは入り口近く、先程通ってきた歩道が見える全面ガラス張りになっている日当たりのよい二人席で、そのまま何も考えずにぼうっとして待っていると自然に瞼が下がりそうだった為、これから現れるであろうボーイが自分をこんな場所へと呼び出した理由を頼んだホットコーヒーに口を付けながらふと考えてみる事にした。
しかしながら、小さく息を吐きたくなる程に、実は今日という日までずっともやもやしたものを胸の中で抱え込みながら過ごしていたのは事実で。その発端となる事件は数日前にひょんな事からナワバリバトルへ参加した日に起きていた。ステージは高低差の激しいBバスパークで相手チームにはたまたま出くわした店の常連客でもある二人のボーイの姿をが見え、ここぞとばかりに一人闘争心を燃やしてはぐんぐんと敵陣へと猪突猛進していく。しかし、時が経つにつれて戦況が劣勢であるのは明白で、ステージの真ん中にある高台の頂上でスプラスコープを構えているボーイを抑え込むのが突破の第一歩だと咄嗟の判断を下し、一か八かを狙って相手チームの猛攻をすり抜けては微かに残っていた壁のインクの中を泳いで静かに高台の頂上へと昇っていく。するとそこには、腰を落としてスコープを覗き込んでいた彼がお間抜けにも自分の存在に気付かずにブキを構えていて、その様子に思わずそっと一人ほくそ笑んでは、隙を狙って一発逆転を試みようとしたその直後に思いも寄らぬアクシデントが起きてしまった。
(確信はねぇが……多分、それの事だろうなぁ)
決してお互いにその意思があった訳でもなく、本当に偶然が重なり合って起きた事案である事から余計に胸のうちがすっきりせず、しかも一瞬の出来事だったせいか現実味も薄く、一晩ぐっすりと睡眠を取りさえすれば次の日にはもうあの奇妙な感覚は自分の気のせいだったのでは、と自身の記憶を疑ってしまうのも無理はなかった。
そもそも、普段からほとんど会話という会話も交わした事がないそのボーイとはどのような関係であるかというと、一言で言ってしまえば「幼馴染が経営している銭湯に通う常連客の友人」という極めて近いようで遠い存在であり、そして何故だか彼はどうやら自分の事をあまり好いていない(というよりは、あまり関係を持ちたいと思っていないように見える)様子だった為、しかしそれでも二人きりで話をしたいと持ち掛けてくる程なのだから余程の用事がある、つまり、今頭の中で悶々と漂っている先日のアクシデントの件以外に心当たりなどあるはずがなかった。
「はぁ、はぁ……ヨ、ヨリさん! 遅くなってすみませんっ」
既に半分ほど無くなりつつあるホットコーヒーを喉に流しながらどうしたものかと頭を悩ませていた頃、高らかにドアベルを店内に響かせて駆け込むように中へと足を踏み入れたのは、この場で自分と待ち合わせたいと依頼してきた張本人だった。デザインのシンプルなガチホワイト、青い瞳の中にきらりと光る透き通ったダテコンタクトを両目に付け、随分と履き古されているらしいところどころに傷の目立つアケビコンフォートで地を滑り、荒い息のままこちらの存在を確認すると、へとへとになりながらも小さく頭を下げては向かいの椅子へと腰を掛けた。そして、それに気付いて注文を取りに来た店員の若いガールにアイスコーヒーを一つ、朝飯を抜いてきたのかついでにとサンドイッチ、それで終わりかと思いきや何故だかナポリタンまで注文し(どれだけ食べる気だ)、ようやく呼吸が落ち着いた頃、申し訳なさそうに眉尻を下げた表情はそのままにもう一度小さく謝罪の言葉を漏らした。
「おいおい、別に怒ってねぇよ。さっさと頭上げろ」
「あ、ははは。自分から声かけたくせに、申し訳ない……」
「そういう面倒くせぇのも無し。単刀直入に聞くぞ。俺に話ってなんだ」
元々面倒事に首を突っ込むのは好きではないという事もあり、あまり話を長引かせるとこの後に臨む予定だったバトルをする時間が短くなる為、その遅延が今日の稼ぎ代に響くとなると出来るだけ簡単に終わらせて欲しいのは事実で(幼馴染により設定されている目標金額に到達しなかった日にはもう頭が上がらないどころか、不機嫌さに拍車を掛けて時より夕飯さえ出てこなくなってしまう為、日々のバトルは命に関わる大事な仕事でもある)。さっさと済ませてもらおうと話を促したその直後、とても気まずそうに目線を逸らしてはぶつぶつと一人何かを呟き始めた彼に段々と苛立ちを覚え始め、遠慮をしているのかそれともやはり言いづらい話題であるのか、なかなかはっきりと言葉にしない様子に痺れを切らし、気付けば片方の握った拳を大きな音を立てながらテーブルへと叩き付けていた。あちらこちらで飛び交っていた話し声は一瞬にしてどこかへ消え去り、目の前にはびくりと体を揺らしては硬直している彼が呆然と大きな海色を見開いていた。
「……ああもう、まどろっこしいな! ボーイならボーイらしくはっきり物を言え!」
「は、はいぃっ! ご、ごごごごめんなさい!」
余程話しづらい内容であるのかは分からないが、人を呼び出しておいて遅刻はする、なかなか話題を切り出さない、どう考えても量の多すぎる飯を注文する(自分でも分からないが何故だか腹が立った)、などというあまりに遠回りすぎる段取りで進められては、いつまで経っても埒が明かない上にとにかく時間の無駄である。今にも胸倉を掴みそうになる程に苛立ちが募り始めたその時、徐々に距離が狭まる二人の間を引き裂くように現れた店員が熱々の白い湯気が昇るナポリタンと焼きたてのサンドイッチ、そしてからからとグラスの中で氷が弾けるアイスコーヒーをテーブルの上へどかりと置き、そのあまりの勢いにうおっと声を上げながら思わずたじろいでしまった。
「……はい。ご注文のお品、お持ち致しましたよっと」
「あ、どうも…って、あれ?」
「ったく、せっかく来てもらって悪いがお前らの声量だと他の客の迷惑になる。…奥、個室が一個空いてんだ。もしお二人さんが良ければ移動しねえかい」
先程の若いガールの店員ではなく、何やらこの店の店長らしき年を重ねたボーイが注意喚起の為か、鞘腫オ不機嫌そうな表情を掲げながら厨房からやってきたかと思えば、見上げた先に立っていたのは以前からよく知っている人物に間違いはなく。普段はボーダービーニーの中に隠しているピンク色の髪をまるで幼馴染のように首の後ろで一つに纏め、胸元にその束を垂らしてはレイヤードホワイトの上に膝が隠れるくらいのロングエプロンを身に付けては、いつものおちゃらけている態度とは少々違う落ち着いた様子で、しかしどこか憎めないにやにやとした怪しい笑みを浮かべていた。
「ンな事より、なんでお前がここにいんだよ」
「まあまあ、詳しい話は後で。そっちのにーちゃんも一緒に付いてきな」
「え、あの、どちら様で……」
「心配しなくてもだいじょーぶ。コイツのチョットした知り合いね。ほら、そうと決まれば早よ早よ」
ほぼ強制的に腕を引っ張られては向かいのボーイとふと顔を合わせ言葉を交わす事もなく互いに頷き、今まさに運んでもらったばかりの料理を手に持ちながら、知人である店主に連れられた先にあるらしい、店の奥の部屋へと恐る恐る戸惑いながらも踏み入れたのだった。
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