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 ダビデさん、推定三十歳くらい。職業は情報屋兼仲介屋兼ブキ修理屋と話を聞く限りでは手広く仕事を熟している職人でありつつ、少々性格には難あり、何事にも軽さが際立つ謎を秘めた年上のボーイである事にはまず間違いはなかった。ヨリさんと待ち合わせた喫茶店で初めてその存在を確認したものの、彼と知人だという事実がなければ、出来るだけ関わり合いたくはないと思ってしまう程に、その身に纏う怪しい雰囲気は半端なものではなく、のらりくらりと本心を避けて話を進めていく様子は寧ろ感服するところでもあった。
 しかし、どうやらヨリさんの態度からして信頼における人物ではある事は確かなようで、かなり不愛想な対応をしてはいるものの、どことなく二人の間で強く繋がっている何かを微かに感じ、何も知らない自分は素直に彼らの言葉に従っておくべきだと野生の勘が働いたので、大人しく案内された個室に置かれた椅子へと両手にナポリタンとサンドイッチの皿を持ちながら腰を下ろした。そして向かいにはヨリさん、右隣には窓辺に足を組んで座るダビデさんがいて、持ってきた料理と飲み物をテーブルに再度並べては温かいうちに食べなさいと促され、妙にちくちくと刺さる視線のせいもあってか、慌ててその全てをものの数分で食べ尽くした(緊張して味などしなかった為、美味しかったのか不味かったのかさえ記憶にない)。そんな中、腕を組み一人思考を巡らせていたヨリさんの口がそっと開いたかと思えば、大きな欠伸を漏らしているダビデさんへと視線を向けて、溜息と共に喉元で留めていた疑問をぽろりと零した。

「……で、だ。普段は裏でコソコソやってるテメーがよ、何でこんな店で真面目に働いてんだよ」
「へ? あぁ、そういえば言ってなかったけ。この店、俺のなんだよねえ。実は」
「はぁ!?」
「普段は雇ってる子に仕事全部任せちゃってるから、俺自身ここへはあんまり来ないんだけど。人手が足りない時は時々こうして店長自らお手伝いしてるってワケ。たまたまお前とは今まで顔を合わせた事はなかったけどな」
「あのな……そもそも店長だったら毎日出ろ! どっかのアホみてえに従業員をアテにすんな!」

 ヨリさんの正論を横で聞いていて、思わずごもっともですと声に出して言いそうになるも、どんな返しが返ってくるのか分かったものではないので詰まらせたその言葉は大人しく腹の底へと沈めておく事にする。一方、けらけらと苦笑を漏らしながら苛立つ彼を宥めるダビデさんは、まるでいつもの事だとでも言うように巧みにもさらりと話題をすり替えて、そっとこちらへと視線を合わせては突然先程の話の続きをしようと促してきた。一呼吸を置きつつも、機嫌がよろしくないままのヨリさんに面と向かってはなけなしの勇気を振り絞り、そっと呟くように口を開いたのだった。

「えと、その……多分、なんとなく察しているかとは思うんですけど…。この間のナワバリバトルでご一緒した時の事で……終了間際の、アレ……アレです、アレ」
「あー……もしかして、だがよ」
「は、はい」
「……見られたか」

 緊張と焦り、そして拭えない不安のせいで拙くなってしまった説明でも、やはりある程度話の内容を予想していたらしい彼とようやく互いの意思が疎通し合ったその瞬間。無意識にも今までがちがちに固まっていた体が嘘のように解けていき、たった一言の問いかけに高速で頷いた自分の様子を眺めては、至極残念そうに肩を落としてしまうのも無理はなかった。なんせ事故だったとはいえ、どちらにとっても見られたくはない人物にある光景をばっちり捉えられてしまったのだから。

「ちょっとちょっとォ、俺にも分かるように説明してよ」
「あー……その、なんだ。大した事じゃあねぇっちゃ、ねぇんだけど…なぁ?」
「え、えぇ……まぁ」

 このメンバーの中でも話題の種類としては特に説明しづらいであろうヨリさんに代わって(自分も得意という訳ではないけれど、恐らく彼の閉ざされた口の方がとても堅い)、話の内容が見えず不思議そうに首を傾げているダビデさんに対し以下の通り一連の出来事を説明する事にした。
 時は今現在から一週間程前の、雲一つない青空の中にお天道様が真上へ昇っていた頃。自分とその相方、そしてヨリさんがたまたま同じナワバリバトルの試合にマッチングした時の事だった。ヨリさんだけは相手チームに組み込まれていた為、然程メンバーを気にしていなかった自分は実際にステージ内で鉢合わせになるまでその存在を知らず、Bバスパーク中央に佇む高台に陣を取り、相棒であるスプラスコープを担いではしっかりと狙いを定めてはインクリングを撃ち抜いていた。残り時間も少なくなってきた頃、相手チームによる自陣への突破を防ぎながら優勢を保ちつつ、このまま勢いをなくさず押し込んでしまえば勝てると確信をもった時。死角から微かなインクの中へ潜り、スコープの狭い視界の中へ映らないよう、壁伝いに高台へと登り切ったヨリさんの存在に気付いたのは、彼が目の前で今にもホクサイ・ヒューを振りかざそうとしていた時だった。今すぐにでも距離を取らなければやられる、そう思い、念の為にと背に隠しておいたスプラッシュボムを足元に転がして離脱を試みようとした直後、それに驚き体勢を崩したヨリさんが今にも地面へと落ちそうになって、同じチームではないにも関わらずつい勢いで腕を伸ばしてしまった。しかし、自分よりも重い体重の彼を引き上げられるはずもなく、結局そのまま二人まとめて高台から落ちていったその中で想像もしていなかったある事故が起きてしまっていた。

「……ちょこっとだけ、掠れる程度……だったかなぁ」
「まぁ……でもあれは触ったな、完全に。ぷにっと」
「あぁ〜ははぁ、なるほど。そういう事」
「知ってるのが俺達だけだったら良かったんですけど、声を聞きつけて、その……アイツもすぐ側まで来てたみたいで……」
「心配して駆けつけてみれば、君たち二人がぶちゅっといってたってワケ」
「は、はい……」

 ぶちゅっと。つまり、不可抗力とはいえ、恋人が見ているその目の前で自分はヨリさんと口付けを交わしてしまった、という事である。思い出せば思い出す度に気恥ずかしくもあり、何より多方面に対しての罪悪感が強すぎて解決策を練れば練る程それに比例して頭の痛みと重さも増していっているような気がした。

「……で、その見ちゃった彼だけど。やっぱり怒ってる?」
「い、いや……それがその、寧ろ、何も触れてこないんです」
「何も……って、見なかった振り、してるって事?」
「まだ怒ってくれた方が言い訳も出来るんですけど、それどころか、変に気を遣ってるのか話題にも出さないし、怖いくらい普段通りで」
「おま、それ……絶対内心で怒ってんぞ、それ…」
「というよりは、そうだな……彼も事故だっていうのを理解した上でその怒りの矛先が無いせいか、どうすればいいのか自分でも分からなくなっている、っていう方が正確な現状かも知れないね。お互いに」

 大きく溜息を吐きながらそう推測するダビデさんの意見はどこか筋が通っていて、ここ数日の相方の行動や様子と照らし合わせてみてもどことなくしっくりと来るような気がした。彼の部屋で二人、夕飯を食べている時のどこかよそよそしい雰囲気、テレビを見ては自然と重なり合った手がいつの間にやら距離が出来ていたり、いつもならば欲求をぶつけてくるタイミングで大人しく寝床に入ってしまったり、今思えば一人無言のまま落ち込んでいた事が多かったように見えた気がしないでもない。そこでふと、ヨリさんの相方は一体どうしているのだろうという疑問がそっと頭の中に浮かんだ。

(きっと、傷付いただろうな……)

 マゴさん(本名は知らない)、三十五歳。ハイカラシティから少し離れた場所にある、祖父から受け継いだという古い銭湯を経営している店主で、人当たりが良く誰にでも優しく接してくれるおっとりした雰囲気を持った年上の彼はヨリさんの幼馴染兼恋人でもある。その銭湯には自分の相方であるサファリハットの彼もよく通っていて、最近では二人で一緒に店へとお邪魔させて頂くのが習慣化していた。そんな彼もヨリさんと自分が事故とはいえ口付けを交わしてしまったと聞けば、やはり何か思う節はあっただろうと項垂れるも、そういえば今現在の時点でヨリさんの口からマゴさんに関しての話は一度も出ていない。気にはなるものの、聞いていいものかどうか分からずにそわそわと視線を濁らせていれば、同じ事を考えていたらしいダビデさんが首を傾げながらぽろりと零すようにヨリさんへと問い掛けていた。

「あのさ、ちなみになんだけど。お前はマゴさんにどう説明したワケ?」
「は? なんでそこでアイツが出てくんだよ」
「何で、って…そりゃ、恋人が知らないオトコと接吻してんだから、そんな話聞いたら普通は怒るでしょうよ。それとも、そっちはもう解決してんの?」
「いや、何も」
「と、言いますと……」
「だって話してねえもん。何もあるワケねえだろ」
「うわ、最低」
「最低ですね……」

 思わずダビデさんに続いて同じ台詞を呟いてしまう程、何度考え直そうにもさすがにそれはまずいだろうというのがこの場にいる全員の結論である(当の本人は変わらず平気そうな顔をしている)。ダビデさんと顔を見合わせ、さすがにこのままでは事態が悪化するばかりなのではと互いに察しては、言わずに隠しておくよりも、ヨリさんの口から直接伝えた方がまだ傷は浅い(文字通り、生傷が出来る可能性はある)のではないかと今からでも伝えるよう説得を試みようとしたその時。

「……あっ!」

 今から数十分前の出来事を思い出しては勢いでその場に立ち上がり、その衝撃で倒れた椅子にも構わずわなわなと震え始めた手に自身でも動揺を隠す事は出来ない。まさか例の件がマゴさんに全く伝わっていないとは、今の今まで思ってもみなかったのだから仕方のない事とはいえ、しかしこのままでは少々まずい展開を迎えてしまうのではないかと不安ばかりが募ってゆく。

「ど、どうしたんだよ……いきなり。寿命縮むだろうが」
「あっ、い、いや……すみません。でも、ちょっと嫌な予感が」
「嫌な予感?」
「えと、実は……その。俺の、相方、なんですけど」

 実は今、マゴさんの銭湯に行ってて。視線を泳がせながらそう呟いた数十秒後。長い沈黙の時を経て、事の重要さに気付いたヨリさんは同じくしてその場に立ち上がっては音を立ててテーブルに両手を叩き付けた。その隣りで、壊さないでねと呑気に呟くダビデさんを無視して、一気に顔面蒼白へとなっていく彼の表情はいつにもなく青い。

「たぶん、アイツもマゴさんがもう事情を知ってるって思ってる、と思うんです。だから……」
「……やべぇな」
「あーあ、俺知らない」
「酷い! ここまでプライベートな話聞いといて見捨てるヤツがあるか!」
「ンな事言ったって……ねぇ?」
「まあ、自業自得というか、何というか……」

 普段からマゴさんを第一に考えて行動していると思われている彼にも、性格上こういった抜けが発生する事はしばしば存在し、その度に(まるで母親の叱咤のように)怒られているところを何度か見ているものだから居た堪れない。しかし今回の件ばかりは、隠していたと彼に知られた時の事を考えるだけで多大なる不安と恐怖が胸の奥で立ち込めてしまうのも無理はない。なんせ、マゴさんは普段にこにこと優しい笑顔を掲げているが故にそのギャップのせいもあるのか、怒るとなると結構な怖さを含ませた低い怒声で溜まりに溜まった怒りをぶつけてくるものだから手に負えない。とは言え、客であり友人でもある自分達に対しては滅多に憤怒する事はなく、決まって標的になっているのは勿論ヨリさんのみである。まだ自分が銭湯に足を運んでいなかった頃、店の奥からその怒声が聞こえ始めた途端、あの相方でさえマゴさんに声を掛ける事なくそっと店を出て帰路を辿っては小さく溜息を吐いていた、という話を零していたのを聞いた事があった為、余程のものなのだと勝手にも一人認識していた。

「……まぁ、とにかく。念の為、最悪の事態に陥るまでを想定して、最後の切り札をお前に託してやる」
「さ、最後の……」
「切り札ぁ?」

 本来ならばヨリさんだけでも今すぐ銭湯へと帰るべきなのかも知れない、しかし今互いを巻き込んで起きてしまっている問題の解決策を相談をさせてもらうつもりで待ち合わせをしたというのに、このまま解散になられても何も変わらないうちに終わってしまう訳で個人的には非常に困る次第である。そんな焦りが生まれ始めた時、窓辺に腰を下ろしていたダビデさんがやれやれと小さく溜息を吐いては、エプロンのポケットの中から何か小さなものを取り出してヨリさんへと手渡していた。

「何ですか? それ」
「アメ……だよな、明らかに」

 手のひらに転がされたそれは、小さくて丸い何かがアルミ箔に包まれリボンのように模られており、摘まんで様々な角度から見てみてもやはりお菓子のアメにしか見えない。二人して不思議そうに眉を顰めながらその物体を凝視していると、ふふんと意味深に微笑んだダビデさんがいつもの軽い調子でとんでもない言葉を口にしたのだった。

「アメはアメ、だけどその中にはなんと……惚れ薬が入ってま〜す!」
「うし、帰るぞ。荷物纏めろ」
「はい」
「あ、ちょっと待って! 話は最後まで聞けって!」

 惚れ薬、というどうやら耳に障る単語を聞いて何の迷いもなく持っていたそれを投げ捨てたヨリさんは、いそいそと壁に立て掛けていたホクサイ・ヒュー(生身)を肩に担ぎ、その背を追うように慌てて席を立ち追い掛けると、その後ろから必死に引き留めようとダビデさんが彼の腕を掴んではヨリさんの怒号が店内の廊下に響いていた。

「大丈夫だよ、お前の心配してるような事は何一つねぇって」
「何が大丈夫だ、このバカ野郎! テメーだって散々その類で酷い目遭ってるクセに今更引っ張り出してくんな!」
「だからぁ、これは媚薬じゃないの。あくまで惚れ薬、と思い込ませて食べさせるただのアメなんだって」
「ただの、アメ…って。ダビデさん、それ、どういう事ですか?」

 再びポケットの中から取り出しては押し付けてきたアメを手に取り、顎に手を当てながら得意げにそれを最後の切り札と称した理由をべらべらと説明し始めた彼の話の内容は、さすがにそれは無理だろうとすぐさま二人が肩を落とす程に少々強引な作戦である事に違いはなかった。
 さしずめ、このアメに入っているのは見た目では分からない程に高い度数のアルコールが含まれているという事。そしてそのアメが惚れ薬なのだと相手に思わせつつ、そのまま酔った勢いで許しを得るというあまりに勢い任せの作戦だったという事もあり、まさしく後がなくなったという時の為の苦肉の策とも言えた。それでも意気揚々と説明を続ける彼に対しヨリさんと共に溜息を漏らしつつ、しかし具体的な解決策は未だ見出せないままでもあったのは確かで、渋々ながらも手のひらに転がるそのアメをそっと握り締めた。

「……まぁ、なんだ。さっきも言ったが、これは最後の切り札。収拾がつかなくなっちまったレベルで、向こうさんの機嫌を損ねちまった場合の時だけ使うようにすればいいさ。使わずに済むのであればそれで構わないし」
「そうは言うけどよぉ……はあ、先が思いやられるな」
「何言ってんだよ。寧ろ感謝して欲しいくらいなんだけどなぁ、名案を思い付いてやった俺に対して」
「ンな行き当たりばったりの考えのクセに自慢げに言うな!」

 乱暴な言葉が飛び交いつつもどこか仲良さげに話をしている二人を他所に、自分はというと貰ったアメを見下ろしながらこれから先どのような態度で彼に臨むべきか、腕を組みながら頭の中で必死に計画を練ってみる事にした。
 ポイントは二つ、基本的には相方に振り回されてばかりの不器用な自分が何らかの方法で彼にアメを食べさせた後、酒に弱いとはいえど本当に言葉巧みに上手く騙し通す事が出来るかどうかという事。そして、彼の目の前で起きてしまったあの事故の事を実際はどう思っているのか、それに対して怒りを感じているのであれば許しを請う事は出来るのか、という点である。そもそも話という話さえまともに出来ていないままにぐだぐだと日々を過ごしてしまったせいで、未だ気持ちを確認する事さえしていない状態から動けないでいる今、ダビデさんの提案した作戦が上手く事を運んでくれるのかどうかも疑問に思ってしまう次第ではあるものの、このまま平行線を辿ったところで二人の間に出来た溝が埋まる事はない。

(長引かせれば長引かせる程、気まずくなっちゃうよな……ここは一発、勇気を出してはっきりさせておかないと!)

 あの日からずっと自分と同じく胸の内をもやつかせているであろう、相方の姿を思い浮かべては手のひらで両頬を軽くぱしんと叩き、もうすぐ銭湯からの帰路を辿り始めるであろう彼の帰りをアパートで待つべく、銭湯へともう一度戻るらしいヨリさんと共に店の外へと飛び出したのだった。




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