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 もう既に事が全てばれてしまっている、という前提で最悪の事態を覚悟しながら重い足取りで帰路を辿った結果、こんな時ばかり予感は見事的中し、居間で洗濯物を畳みながらこちらに背を向けている幼馴染はおかえりの一言もなく、どうやら今まさに不機嫌真っ盛りという最悪なタイミングで店へと帰ってきてしまったようだった。
 恐る恐る距離を置いたところから彼の綽名を呼ぶも反応はなし。全ての洗濯物を畳み終わったのか、綺麗に重ねた衣類の山を両手で抱えてはすたすたと奥にあるもう一つの居間へと姿を消してしまった。襖一枚挟んだ向こう側で、箪笥の中へと整頓を始めた幼馴染との距離を縮める事が出来ないまま、いつも座っている定位置へと腰を下ろしてコタツ布団の中に足を入れる。しかし互いにその存在を知っているにも関わらず、会話が一切交わされない非常に気まずい状況に思わず頭を抱えた。

(一体何から始めればいいのか全く見当がつかない)

 背中に嫌な汗を掻きながら目線だけを彼のいる方向へと向け、襖の陰から自分よりも少々長めの一つに纏められた群青色の髪がほんの少しだけ見えて、全て片付いたのか、その場に立ち上がってはやはり何も返す事無く、自分のすぐ側を素通りしては台所へと向かおうとする幼馴染の腕を思わず咄嗟に掴んだ。

「マ、マゴっ」
「……何。俺、今見ての通り忙しいんだけど」
「何、っつーか、その……」
「用がないなら声かけないで。お風呂の準備だってこれから……」
「い、いや! ある! 緊急! とにかくここに座れ!」

 素っ気ない態度で今にも右手の中の腕がするすると抜けていきそうになった瞬間、慌てて体ごと引き寄せては隣りへと腰を下ろすように説得する。ぶつくさ文句を言いながらも仕方なしにと同じくコタツ布団の中へ足を入れれば、自分の余裕のない表情から真面目な話をするのだと察した彼は、ふうと一息ゆっくりと重い溜息を吐きながら逸らし続けていた目線をようやくこちらへと向けた。

「……で、ご用件は?」
「えと、その……恐らく、お心当たりがあるかと、思うんですけど」
「ちゃんと言葉で言ってくれないと分からないんですが?」
「はい! ごめんなさい、今すぐ説明させて頂きます!」

 やばい。何が、と聞かれたところで正しい返答は思い浮かばず、それは直感から全身へと通じる体の震えから自然と出た感情で、その言葉自体は強い言い回しではないにも関わらず、今までにないような怒りの波をふつふつと感じてはぶるりと震わせた。腹の底にはもっと熱く滾るものが沈んでいると確信し、これから先を生きていく為にはそれが浮上してしまう前にどうにかその炎上寸前の火を鎮火させる他ない(正直なところ、涙ちょちょ切れである)。一触即発、例えそのつもりはなくてもこれ以上彼のご機嫌を損なうような言葉を発したその瞬間にこちら側の敗北は決定する。つまり、たった一度の失敗も許されないという事実に思わず声を震わせるも、無言の時間が長くなればなるほど戦況は悪くなってしまうのは確実だった。

「こ、この間……いつもの通りにハイカラでカネ稼いで来ようと思って適当に参加したらよ、たまたまいつも店に来てるアイツらがいて……その、ふ、普通にナワバリバトルしてただけ、なん、だけど……えと」

 しかし、じっと彼の真っ直ぐに向けられた視線が全身にぶすぶすと刺さる中、自分はというと思わず正座に座り直しては膝の上に置かれた、手汗に塗れている握り拳を見下ろしながら聞こえるか聞こえていないか微妙な声量でぼそぼそと呟く事しか出来ない自身にげんなりと肩を落とした。幼馴染の事になるとこうも弱気で自信が消失してしまう臆病さに嫌気が差して、それでも負けじとこの一週間、言えずに喉元で詰まっていた全てを吐き出したのだった。

「Bバスの高台で、いつもスコープ持ってるアイツと対峙した時……その、勢い余って二人して落ちちまって……それで、たまたま、えっと……あっー、だから、その」
「……ぴとって、いっちゃったんでしょ?」
「あぁ、そうそう……って、やっぱりお前、知って……!」
「ついさっき、だけどね。マサキくんも驚いてたよ、まさか俺がそれを今の今まで知らなかった事」
「あ、うっ……悪い。ずっと、黙ってて」

 急激に変化した態度を目の当たりにして、もしかしてとは思ってはいたものの、自分が悪いとはいえ故意に隠していた秘密が第三者を通じて知られてしまったという事実はやはり心臓にはよろしくない。しかし、恐る恐る俯かせていた顔をそっと上げた先にあった表情は意外にも柔らかで、やれやれと眉尻を下げながら苦笑する様子に緊張して固まっていた体はゆっくりと解れていった。

「……別に、俺怒ってないよ」
「へ?」
「全てを話してしまったら俺がヨリの事を嫌いになると思われてて、だから何も言ってくれなかったのかなって考えたら、少しショックだっただけ。俺の事、そんなに信じられなかったのかなって」
「そ、そんなワケねぇだろ! ただ、その……まぁ、結局悩みに悩んで、ここまで来ちまったから。多分、何言っても言い訳になっちまうだろうけど……」
「……ううん、俺の方こそごめんね。なんとなく、ヨリの様子がおかしいなって思ってはいたのだけど、なかなか声、掛けられなくて。……あはは、もしかして、信じ切れてなかったのは俺の方だったのかな。お前になら何を言われても受け止められるって、思って、たのに……っ」

 そこから先は記憶にも残らない程、本能のままに行動をしていたと思う。段々とゆらりと揺れる幼馴染の声に胸の奥が鼓動で奮え、ごしごしとハラシロラグランの袖で目元を拭っては慌ててその場に立ち上がり、一言ごめんと零しては店の準備をしてくると背を向けた彼を追うように足を踏み出しては、自分でも気付かない間に彼の腰に腕を回してその細い体を引き寄せていた。

「わっ! ちょ、ちょっと……っ」
「っ……、ほんとに、すまなかった。こんな風にお前を困らせるつもりなんてなかったんだ。ただ、その……単純に傷付けたくなくて、でも、それってもしかして俺が自惚れてるだけなんじゃねぇかって思ったら、何も言えなくなって」
「ヨリ……」
「う、ぐっ……でも、それでお前が傷付いてりゃあ本末転倒、だな…。許してくれとは言わねぇけど、これからその分挽回すっから、だから……ん、うぅっ!?」

 隙間なくぴったりと密着したお互いの体、自然と上昇する体温と紅潮する頬、溢れた涙が頬を伝ってぽろりと古い木の床へと落ちていく輝きに見惚れて幼馴染の思わぬ咄嗟の行動に反応する事が出来なかった。しっかりと腕を回していた体がするりと抜けて、反転して視界に映る彼の甘い表情とそのままゆっくりと重ねられた柔らかな、しかし少しだけかさついた唇に頭の中が真っ白になっていった。

「……こ、これで、仲直りじゃ、だめ……かな」
「えっ……あ、お、おう……。てか、マゴ、お前……」
「じゅ、準備……そうだ、お風呂の準備するんだった! ヨ、ヨリは疲れてるだろうから、居間で休んでていいからね! てか休んでろ! お腹空いたら適当になんかアイスでも食べててー!」

 手に持っていた乾いたばかりののエゾッコメッシュを顔が見えない程に深々と被り、まるで台風一過の如く、あっという間に廊下の先へとその姿を消した幼馴染の背を、ただただ見送る事しか出来ずに呆然とその場に佇んでいた。

「……マゴが、デレた……」

 微かに残る唇の感覚に思わず手を添えて、今にも緩んだ顔が零れそうになるのはなんとか抑え込んでは、あまりの嬉しさにその陰で小さく苦笑を零したのだった。


***


「おっと……いらっしゃーい」

 雲一つない青空が広がった昼下がり、本業の方の仕事がさっぱり落ち着いてしまった今日この頃。仕方なしに自身が経営している喫茶店の窓ガラスを掃除していると、意外にも最近見かけたばかりの相性があまり良くなさそうなあの二人が、どうやら再び約束を交わして顔を見せに来たのはあれから二日後の事だった。一応二人に悩みを相談された身ではあったものの、変なところで律儀な彼らは現状報告という名目で食事を兼ねて訪ねてきてくれたらしい(親睦を深めるとはよく言ったものだ)。前回同様、ガチホワイトを着た彼はナポリタンとマカロニグラタン、ホットカツサンドにコーンスープという、見た目からでは想像する事の出来ない量の料理を注文し(俺達の事は気にしなくていいよと言ったら、頭を下げながら、恐らく足りなくなってしまうと思うのでお二人の分も別で注文しておきますね、と苦笑を零しながら告げ、最初は何を言っているのか分からなかったが、途中ようやくその言葉の意味を理解した瞬間、ヨリと共に彼が呼び出しベルを押す手を必死に止めた)、ようやく腹も落ち着いたところで向かいに座っていたヨリがポケットから何かを取り出してこちらへと手渡してきた。

「おら、これ。返しとく」
「あれ……使わなかったんだ。意外〜」

 手のひらの上に転がったそれは、もちろん見覚えのある包み紙に入れられた、もしもの事があったらと先日手渡しておいたアルコール入りの小さなアメで、今回ばかりは彼の恋人であるマゴさんの怒りを存分に食らうだろうと察知し、必ず使わざるを得ないとばかり思い込んでいたのだが、意外にも使わずに元の鞘へと事態を収める事が出来たようだった。

「コイツが言ってた通り、上手い事、情報流れちまってたんだ。だから、観念してちゃんと素直に謝った。勿論怒ってはいたが、ちゃんと許してくれたよ」
「そっか……ふへへ、ヨリさん良かったですね」
「まぁ……てか、そっちは結局どうだったんだよ。こっちよりよっぽど話が抉れてただろうが」
「あ、そうそう。俺もヒナタくんの方がすっげー気になる」

 どうやら最大の危機を乗り越え、九死に一生を得る事が出来たその傍らで静かにホットカツサンドを貪っていたヒナタくんは、急に自分へと視線が集中した事に驚いたのか、口に含んでいたものを喉に詰まらせ、慌ててコップの水を飲み干してはたらりと汗を掻きながら目を細めていた。

「おーよしよし、慌てない慌てない。おにいさんが背中を摩ってやるからまず落ち着いて、それから話してね」
「うっ……す、すみません……げほっ」
「何がおにいさんだよ、テメーも十分おっさんじゃボケ」

 口を押さえて苦しそうな表情のまま俯く彼の背中をゆっくりと撫でるように摩ってやり、ずるずるとフォークに巻き付けたナポリタンを啜りながら文句をつけてくるヨリを他所に、少々時間を掛けて落ち着きを取り戻したヒナタくんは、恐らくごく最近の出来事であろう記憶を辿りながらそっと口を開いてはどこか気まずそうな表情のままに話を始めた。

「あ、えと……こっちも大丈夫でした。その、色々とご心配お掛けしてすみません。それと、頂いたアメなんですけど……」
「もしかして、そっちでも出番なかったかー! まぁ不要だったら戻していいよ、どうせ使い道なんて……」
「い、いや……あの。使ったんです。切り札どころか、えと……すぐ使っちゃいました、あはは」
「え、うっそ! おま、どうやってあの堅物にアレ食わせたんだよ……」

 すんなりと事が済みそうだった方で意外にも例のアメが使用されていたと聞いた途端、正直なところ胸を躍らせている自分がいて一人心の中で苦笑した。
 ヒナタくんの話によるとあのアメを受け取り、彼の相方であるマサキくんのアパートへ帰った後、昼飯にと作った炒飯と一緒に並べた水の入ったコップの中に、少々罪悪感を募らせながらも粉々に砕いたそのアメを溶かして混ぜ入れた、との事だった(勿論、本人には既にネタ晴らしをしているらしいが、その夜は酔っていた勢いもあってか、しこたま好き放題させられたようです)。しかし、どうやら酔った事により彼自身も今まで抑えつけていたものを素直に吐き出せたと寧ろ感謝しているようで、話を聞いている間、もしやアメを提供したこちら側にも火の粉が飛んでくるのでは、と一瞬心臓が止まりそうになるも、やり方はどうであれ彼の相方が怒ってはいないとの報告を受けてそっと胸を撫で下ろした。

「お前、見た目とは裏腹に意外とえげつない事するのな……」
「し、仕方ないじゃないですか……それ以外にいい方法見つからなかったんですっ」
「まぁ別に危ないモン入れてるワケじゃないしなぁ、結果オーライっつー事でいいんじゃない」
「……ま、それもそうか。で、そういえばアイツはどうしたよ。今日はメシ食いに一緒に来るんじゃなかったのか?」
「いや、あの……本当はその予定だったんですけど、実は……今ちょっと寝込んでまして……」

 寝込んでいる、という言葉を聞いて二人が同時に疑問符を頭の上に浮かべた瞬間、ヒナタくんがそういえばと今思い出したかのように自分の方へ視線を向けると、どこか虚空を見上げながら零した彼の言葉に思わず目を丸くしたのだった。

「あのアメ……結構、アルコール入ってたみたいで……。後でその、たっぷりお礼はさせてもらう、との事、でした。ええと、ご報告は以上です。あ、そうそう! この後ちょっと約束あるので、お先に失礼させて頂きます! それじゃ!」
「あっ! ちょ、待ってよヒナタくん!  それってどういう、意……」
「ボコされるっていう意味の他になんかあんのか?」
「ああもう、そういう脅すような事を言うな!」

 いつの間にやら注文したすべての料理を平らげていたヒナタくんは、颯爽と壁に掛けてある布袋に入った相棒を肩に担ぎ、真面目にもレジカウンターで支払いを済ませては一人店の外へと飛び出していった。その背中を追う余裕などあるはずもなく、呆然と店の中で立ち尽くす自分と背後でげらげらと笑い声を上げているヨリに苛立ちを募らせながらも、今の自分にはがっくりと頭を抱える事しか出来ないのであった。


(2017.07.17)



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