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 幼馴染の様子がおかしい、と思い始めたのは今から一週間程前の事だった。いつものように昼前頃、すっかり自分の物にしてしまったブキ職人である祖父が遺したホクサイ・ヒューを肩に担ぎながら、行ってくると一言だけ告げて店を出ていった彼は、どことなく普段と違った雰囲気を纏っており小さくなりゆく背を見送ったはいいものの、どこか心の中に染みた違和感を拭えないままに時間を過ごし気付けば昼が過ぎていた。
 じりじりと暑さを感じ始めた初夏、今年から日が昇る時間に水風呂を提供しようとこの店の看板娘に提案され、天気の良い日のみ昼から店を開ける事が多くなったおかげか、もしくは物珍しさなのかちらほらと明るい時間の時も客が顔を見せるようになり、激しいナワバリバトルで掻いた汗を流そうとシャワーだけを借りに訪れる者も増えていた。そんな中、常連のサファリハットを被った少々ガタイのいいボーイががらがらと玄関の引き戸を開けては中へと踏み入れ、そっと頭を下げながらジップアップカモのポケットに入っているジャリ銭を取り出し手渡した。いらっしゃい、と一声を掛けながらロッカーの鍵と下足札を渡し、番台の脇を通っては暖簾を潜ってその先の更衣室へと静かに入っていく彼に小さく苦笑しながらそっと手を振った。
 そんな彼を親し気にマサキくんと呼び始めたのは、祖父より店を引き継いだ頃からよく通ってくれていた事もあり、当たり障りのない話をしているうちにいつしか友人のように接するようになった為で、年下の少々寡黙で物静かな大人びた雰囲気は数年前のあの頃から今でもあまり変わっていない。そんな彼も近年はガチホワイトを着たヒナタくんという相方と共に店へと顔を出してくれる時もある。同い年らしいマサキくんよりも年相応な顔つきで、優しく物腰が柔らかい好青年なボーイであり、世話好きな性格もあってか子供にも人気があるようで、看板娘や彼らの知人であるチビッ子と遊んであげているところをちょくちょく見かけていた。

「……いつもの、貰えるか」
「ああ、はいはい。アレね。持っていくから、休憩室のソファーで休んで待ってて」
「分かった」

 番台で看板娘が出してくれた熱々のお茶を啜りながら今朝の新聞を読んでいると、ものの数十分で風呂から上がってきたマサキくんが例のモノを要求してきたので、広げた新聞紙を畳んではカウンターへ置き、跳ね上げ式の扉から番台を降りるとその真横に置かれたショーケースから一本、キンキンに冷えた小瓶を取り出した。そして玄関から左手奥に伸びる細い廊下を渡り、そのまま真っ直ぐ進んだ先の休憩所で部屋の真ん中に置かれたソファーにどっしりと座り込んでは、マガジンラックの雑誌を流し読みしている彼の隣りへとそっと腰を下ろした。

「はい、まいど」

 ぺたり、と冷えたそれを彼の頬にくっ付けてやると、表情は依然硬いままではあったものの、急激な温度の低下により、びくりと一瞬震えた筋肉質の体を見て思わず小さく笑った。

「驚かせるな、心臓に悪い」
「ははは、ごめんごめん。でも、君にしては珍しいね。そんなに人前でぼうっとしちゃってるなんて」

 小さく溜息を吐きながら汗を掻き始めた小瓶を受け取り、指先で薄い紙の蓋を慣れた手つきで抜き捨て、中に並々と入れられた薄桃色のジュースをごくごくと喉を鳴らしながら一気に飲んでいく彼につられ、手元にもう一つ拵えていた薄茶色のジュースを追い掛けるように飲み干した。ぷはあ、と体全体に流し込まれた潤いに気分も晴れ、ここは一人にしてあげようと再び番台へと戻るべく立ち上がった直後。

「う、わわ」

 後ろから腕を掴まれて、気付けばそのまま元の位置へと戻されるように再びソファーへと沈んでしまっていた。どうしたのだろうと様子を窺いながら、腕を掴んでいる手を離して欲しいと目で訴えるも、サファリハットの鍔に隠れた表情は確認する事が出来ず、しかし何かあったに違いないと大人しく彼の口から説明をしてもらうまで静かに待つ事にした。

「……マサキ、くん?」

 二人の他には人っ子一人いない閑静な休憩室の空間で、ゆっくりと時間が流れていたはずの場所はいつしか重い緊張感のような張りつめた空気へと変わり、ごくりと息を呑んでは瞬きさえ躊躇われる中、次第に力が緩んでは離れていく手にそっと胸を撫で下ろすも、そのすぐ後に彼から発せられた問い掛けに思わず拍子抜けしてしまった。

「アンタは」
「へ?」
「許したのか、アイツを」

 彼が言うアイツという言葉で指し示す存在は自分の頭の中では数人存在する。自分の幼馴染である彼、店の看板娘である小さなガール、彼の相方であるガチホワイトを着たボーイ、そして彼らを取り巻く友人達。一体誰の事を言っているのだろう、しかし、そもそも許す許さない以前に誰かに対して彼が怒っていた記憶もなく心当たりもない。あまりにもヒントが少なすぎる状況の中、残念ながらその謎の存在の正体を今の自分に理解する事は出来なかった。

「……いや、俺だって別に怒ってるワケじゃない。だが、どうも腑に落ちない部分もあるのは確かで、いや、でも」
「ま、まあまあ。ちょっと一回落ち着いて。君らしくない」
「……すまん」
「ほら、とりあえず深呼吸して……それから、俺にも分かるように一から話してごらん」

 どことなくそわそわしているマサキくんの肩を掴み、大きく息を吸っては吐くように指示をする。すると、ようやく落ち着きを取り戻したらしい彼は一言礼を零すと、サファリハットの鍔をそっと掴んでしっかりと被り直しては、腕を組みながら悩みのタネになっているらしい一週間程前に起きた事件を一つ一つ話し始めたと同時に、その詳細をここで初めて耳にする事になる。なんせ、その内容は意外にも他人事には出来ない話であり、まさか彼の口からつい先程背中を見送ったばかりの幼馴染の名前を聞く事になるとは思いもしなかった上、そのあまりの衝撃に途中から彼の声は頭の中へ入らない程に混濁していった。

「あ、の、えと、それ、本当に」
「……まさか、今初めて知ったのか?」
「う、うん。はい」

 どうやら幼馴染からその件に関して話を聞いているものだとばかり思っていたらしい彼は、また眉間に皺を深く刻みながら何かを考え込むように押し黙ってしまった。一方、自分も幼馴染の身にそんな事が起きていようとは想像もしておらず、しかしここ最近において時より落ち着きがなかったり(落ち着きがないのは今に始まった事ではないが)、視線が中空を漂っていたり、心ここに在らずと言ったような雰囲気を漂わせていた事は否めずにいた為、彼の話を聞いてそれが違和感の原因になっているのだろうと今この瞬間に確信したのだった。

(……なんか腹立つな)

 二人が故意にそのような展開を望んでいた訳ではない、という事はすぐに理解はできる。彼の相方であるヒナタくんとて幼馴染を所謂そういう目で見ていた可能性が全くないという事くらいは普段の二人を見てきた自分にも分かっているつもりであるし、幼馴染も同様にヒナタくんに対してそういった気持ちはないと断言できるくらいには彼を信じている。しかし、何が腑に落ちないかと言えば、たとえ事故とはいえ恋人以外の、しかも身近な知人と接吻を交わしてしまったという事実を何故正直に話してくれなかったのか、という一点のみであって。

「あのアホ……怒られたくなかったからとかほざいたら一発ぶん殴ってやろう」
「ふっ、アンタらしいな」
「いいのいいの。ああいうヤツは口より手で教えてやった方が理解出来るんだから。言葉でなんとかしようって思う時点でムダ! マサキくんもくよくよしてないでさっさとキめちゃった方がいいよ。……きっと、あの子も君と同じように悩んでる」

 まだ出会って間もない彼の相方であるヒナタくんは、遠巻きから見ていても優しいが故に自分の気持ちに遠慮しがちなところがあった。いつでも回りの気持ちを優先して自分がどうすれば相手に許してもらえるだろうかとばかり考え、自身が悪いわけでもないのに委縮し頭を下げてしまう。そんな優しすぎる彼を引っ張り上げるのは決まってマサキくんの役割だったのだが、今回は互いに距離を置くばかりで平行線を辿り続けた末に、二人の間に出来てしまった溝が埋まらないままになってしまっているようだった。
 話を聞いているだけで頭が痛くなる問題に小さく息を吐きながら、しかし彼らだけの問題ではない上に年上という立場上、どうにか力になれないかと瞼を下ろし腕を組みながら顎に手を当てる。そこでふと、自然と口から零れた疑問が先の見えない闇の世界にすっと光を射し込んでいった。

「……ちょっと、聞きたいんだけど」
「何だ」
「君自身は、ヒナタくんの事どう思ってるの?」
「……どう、って」
「目の前でそういう光景を見てしまったから、もう好きじゃなくなっちゃった?」
「それ、はっ……絶対に、ない」
「そう。だったら、これから先、どうすればいいかなんて一つしかないじゃないか」

 自身の中でも未だ動揺はしていたものの、過ぎてしまった事をくよくよと悩んでいても時間の無駄でもあり、ましてや問い詰めるべき本人がいない今、一人考えたところで埒が明かないのは(文字通り)目に見えている。大きく息を吸い、膨らませた胸をゆっくりと沈ませては、それでも未だ瞳に暗い影を宿している彼にそっと口角を上げ目を細めながらほくそ笑んだ。

「今日のいちご牛乳、俺の奢りでいいよ」
「珍しいな、アンタがそんな事言うなんて」
「その代わり、次にここへ来るときはちゃんと仲直りして二人でお風呂入りにおいで。こっちはこっちで、しっかりやる事やっておくからさ」

 再び立ち上がり、そっと溜息を吐きながら落ち込んでいる様子を見て、思わずサファリハット越しにぽんぽんと無意識に頭を撫でてやるとぽかんと口を開きながらそっと見上げてきたので、彼の太めの腕を掴み取り、よいしょという掛け声と共に少々重い体をそのまま引き上げて背中をぽんと押してやった。

「な、に」
「今思ってる事の全てをぶつけてやればいい、君が彼の事を心から信じてるならね」
「……アンタは」
「アイツが帰ってきたら、俺も真正面から立ち向かってみるさ。大丈夫、どうにかなるもんだよ。お互いにね」

 体勢を崩しながらもなんとか足を踏ん張って廊下で振り返ったマサキくんの表情は、先程よりもどこか明るく見えたような気もして、やれやれと肩を落としながらサファリハットを目深に被っては背を向けそっと手を振り店を後にした。少々強がりながら言葉を送ったものの、その言葉とは裏腹に自身の中へ宿る不安と苛立ちは消えないままもやもやと疼き続いていた。しかしマサキくんのように一度悩み始めれば思考の渦に閉じ込められるだけだと無理矢理その思考を飲み込み、店に訪れる客も疎らになったところで、やり残していた家事を終わらせてから気分転換がてらひと眠りしてしまおうと、居間に放り投げてあったエプロンを身に付けては背中に回した腰紐をぎゅっと強く結んだ。


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 自分の住んでいるアパートに帰ると、午前中から外出していた相方が既に帰宅し珍しく昼飯の準備をしていた。玄関から真っ直ぐに伸びる細い廊下にも流れ込んでいた香ばしい匂いが足を早め、居間を通り過ぎてその奥にある台所へと様子を見に行けば、エプロンを身に付けた相方が汗水を垂らしながらフライパンを振り、その中で踊る炒飯を木べらで必死に掻き混ぜていた。

「あ、おかえり。早かったな」
「あぁ」

 彼にしては珍しく、午前中のうちに買い出しを済ませてくると一人部屋を出ていった(慌てていたので予定していた時刻より遅くなってしまったようだったが)その理由はつまりそういう事かと思わず苦笑した。余程、炒飯が食べたくなってしまったのであろうと一人勝手に心の中で不思議に思っていた疑問を晴らし、どうやら二人分作ってくれているようだったのでソファーベッドに腰を下ろしては大人しく出来上がるのを待っている事にする。

「飲み物、何飲む?」
「水でいい」
「了ー解」

 いつも使っているガラスのコップに氷を数個、その中へと水道水を入れてからからと中で弾く気持ちの良い音が目を閉じた暗闇の中で輝いている。すると、お待ちどおさまと零れた一言と共に目の前のテーブルへと置かれた、きちんと器で型取られている丸い山から白く湯気立つ炒飯が視界の中へと入った。そして急かすように銀色の安っぽいスプーンを手渡され、エプロンを付けたまま隣りに腰を下ろした相方が顔の前に手のひらを合わせては、いただきますと呟いたと同時に勢いよく出来立てのそれを口の中へ掻き込み始めていた。

「んんっ〜んまい!」
「慌てて食うな。また喉に詰まらせるぞ」
「うるひゃいなぁ、コドモじゃないんだからそんなヘマしないっへにょ……ぷはぁ」
「……いただきます」

 目を細めてまだ炒飯が口の中に入ったまま返事をする彼の横っ腹に肘打ちを入れつつ(うっ、と呻き声が漏れた)、せっかくの彼特製(冷凍)炒飯、そして出来立てのほかほかでもあったそれをちょうど腹を空かせていた事もあってか、一口含めば皿の上に乗っていたはずの山はあっという間に自身の身体の中へと吸い込まれていった。隣りの相方もどうやら同じ状態だったのか、そっと横目に様子を見てみれば既に炒飯の姿はなく、満足気にコップの水を飲み干してはソファーベッドの背もたれにずっしりと寄りかかっていた。

「ごちそうさま」
「おっ、結構量あったのに食べ切ったのか?」
「普段だって食べてないワケじゃないし、単にオマエが普段食い過ぎてるだけだ」
「えっ! い、いや、断じてそんな事はないぞ! ……多分」

 尻すぼみに消えていく焦燥した声にこっそり口元を歪めつつ、昼飯を作ってもらった礼に食器を洗ってしまおうと二枚の皿を重ね、台所の流し場まで運ぼうと腰を上げた時。何やらそわそわと落ち着かず、視線をちらつかせていた相方が咄嗟に自分の名前を呼んでは足を引き留めた。

「あ……ちょ、ちょっと待って!」
「何だ、もう炒飯は残ってな……」
「そうじゃなくて! えと、その……どうしても、今! 今、話したい事、あるんだけど……」

 数秒間、頭の中でどうするべきか悩んで仕方なく持っていた食器をテーブルに降ろし、どこか真剣な顔つきで何かを訴えている彼の意思を感じてはそっと静かに腰を下ろした。この時すでに、自身の体にある変化が生まれていた事に気付かないまま、頭の中でうるさく響き始めた鼓動の音を振り払うように首を振る。ごくりと飲み込んだ息が熱を帯び始めた自身と、あと一歩を踏み出せずに歯を食いしばる彼のにらめっこはゆっくりと互いの喉元を締め上げているようにも感じた。

「……ヒ、」
「サ、サキ!」
「あぁ?」
「っ、ご、ごめん……先、どうぞ」
「話があるのはオマエだろ、そっちが先に言えよ」
「ぐっ……は、はい。じゃあ、そうします……」

 微かに視界がぼやけ始めた中、ソファーベッドの上できっちりと正座へと座り直してすうっと大きく息を吸っては吐きを繰り返し、先程のやり取りで少し肩の力が抜けたのか、ようやく詰まりに詰まっていた言葉が彼の口からゆっくりと零れ始めたのだった。

「あ、の……えと、この間の、ナワバリバトルの時の話、なんだけど」
「この間っていつだ」
「い、一週間、くらい前。ほら、ヨリさんも一緒だった、あの時の」
「……あぁ」

 腕を組み、余裕のあるような素振りを見せながらたどたどしく言葉を紡ぐ彼の話を聞くも、実際は胸に潜む心臓はばくばくと大きく鼓動しては嫌という程に脳内で響き、汗ばむ手を拭うようにジップアップカモの袖口へと無意識に擦りつけていた。しかし、向こうも同じく緊張しているのか気付く様子もなく、まさか自らあの話題を切り出してくるとは思ってもいなかった為、こちらも心の準備というものを全くしておらず、ただただ耳を傾けては頷くという動作しか出来ない自分に思わず重苦しい溜息を吐き出した。

「その時に、さ……オマエも、見たと、思うんだけど……その」
「……」
「あ、うっ……ご、ごめん。早く、謝らなきゃって、ずっと思ってた。けど、なかなか言い出せなくて、その……ほんとに、ごめっ……ん!?」

 たとえこの時点でどこかの誰かに今更気付いたのかと指を突かれても反論する術などなかった。珍しく自ら台所へと彼が立っていた時点で何かを察知するべきだったというのに、何の疑問も浮かぶ事無く素直に目の前へ出された炒飯を口にして、普段通りにくだらない話をして互いに蟠りを抱えたままにまた一日が過ぎる、しかしそれは互いに望んでいない事だと分かっていたというのに、たとえ無意識だとしても彼が目を真っ赤にさせながら頭を下げるまでに追い詰めてしまっていたのかと思うと、そんな自分自身が心の底から許せなかった。

(自分なんぞよりずっとヒナタの方が傷付いて苦しんでいたのに。俺はずっと、それを見て見ぬ振りをしていたんだな)

 この一週間、自分がどれだけ愚かで情けない羞恥を晒していたかに気付いてずっしりと頭が重くなったように感じた。そんな胸に募る罪悪感と沸々と底から相変わらず湧き出ている熱に浮かされながら、目を細め、肩を落とし静かに目線を落とす相方を気付けばその腕を引き胸の中へと閉じ込め、背中に両腕を回しては力強くその体を抱き締めていた。

「さ、き」
「……すまなかった」
「な、何が……」
「あれは事故だった、そう分かってたはずなのに。どこかに受け入れられない自分が確かにいて、うじうじと引き摺ってた馬鹿な俺に謝る必要なんてオマエにはない」
「あっ、う……それ、って、もしかして……」

 嫉妬、してた?恐る恐る耳元で小さく零した彼の言葉にじんわりと頬が赤く塗れていく感覚が嫌でも分かり、それを見られまいと自分の肩口に彼の顔を押し付けるように頭を支えてはぐりぐりと頬ずりをする。こそばゆいのか、くすぐったいと文句が飛び交うもそれさえ無視すると、手の力が弱まったその隙を狙いこちらを見上げた彼の顔がまるでスローモーションのようにゆっくりと目と鼻の先へと寄っては、抵抗など出来る暇もないまま、その柔らかなあたたかい唇を無理矢理押し付けるように自身へと重ね合わせていた。

「っ……おい」
「ははっ、こんな簡単な事だったのにな……俺達、ほんと不器用すぎ」
「ヒナ……」
「……でも、これでおあいこ。それでもいい、かな……」

 照れ臭そうに眉尻を下げながら、へにゃりとほほ笑んだ彼につられるように口角をゆっくりと上げる。この一週間、人生において一、二を争う程に頭を抱えさせられた悩みは一体なんだったのだろうかと思う程に一瞬でぽろりと吹き飛んでいた。嬉しいような悲しいような、言葉に出来ないもやもやとした感情を生み出しつつも、きらきらと腕の中で光る相方の笑顔に免じて、そんな自分自身もたまには許してやるか、そう心の中でひとり呟いては、お返しだとでも言うように貪るように口付けたのだった。

「んっ、う……ふ、あぁっ…! も、ばか! 苦しいだろ、そろそろ離せって!」

 子供でも知っている、たった一言のごめんなさいが言えなかっただけで、こんなにも長い時間触れられずにいた恋人のあたたかさが身に染みて、手放す事が惜しまれるせいなのか、なかなか体が言う事を聞かずに腕を離せずにいる。しかし、その気持ちに応えるかのようにゆっくりと背中に回された彼の腕がしっかりとジップアップカモを握り締めていて、そっと見下ろした先の真っ赤に染まった顔に思わず苦笑を漏らした。

「……勝てないな、オマエにだけは」
「い、今何か言った?」
「いいや、なんでもない」




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