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「…あっ、ここかな」
ハイカラシティ郊外にある住宅街の中にぽつりと佇む小さな洋菓子店。幼馴染にそこで売られているケーキが美味しいという話を聞いて、スーパーへと買い出しへ行く時ついでに寄ってみようと思って数ヶ月が経過していた。次第にその話をしていたのを忘れてしまっていて、ふとテレビを見ていると世間はバレンタインデーで騒ぎ立てる季節、そういえば彼女が話していた店にもチョコが売られていると言っていたな、と今更ながらに思い出し、ちょうど冷蔵庫の中身も空っぽになりつつある状態だったので、散歩がてら顔を出してみようと家を出て数十分。
目印だと言っていた屋根の上の風見鶏、入り口のドアにはオープンと描かれた木のプレートが掛けられ、閑散とした人気のない街の中にその店はあった。恐る恐るドアノブを握っては木の軋む音と共に扉を開き、想像していたよりも狭い空間の店内にそっと足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ」
「ど、どうも」
よくよく考えてみたら男一人で洋菓子店に行くのも勇気のある行動だったのでは、と思いつつもそんな照れ臭さよりも店への好奇心の方が上回り、入って目の前にある手作りらしい菓子がたくさん陳列されている棚にすぐ目がいった。透明な袋に小さなクッキーやキャンディ、カラフルなマカロンに箱詰めされたトリュフ、まるでインクのようなド派手な虹色に彩られたマーブルチョコレート、そして奥のショーケースの中には色々な種類のケーキ達がきれいに並べられていた。
「うわぁ…すごい。みんな美味そう」
「あら、珍しいお客さん。甘いもの、お好きですか?」
「えぇ、まぁ。好きな方だと思います」
「うふふ、そうですか。ごめんなさいね、普段はガールのお客様ばかりなもので」
「あ、はは。まぁ、そうですよね」
甘いものが好きであればボーイの方でも勿論大歓迎ですよ、と一言付け加えた店長らしき年配のガールがショーケースの向こうでくすくすと笑みを零している。ゆっくりと眺めていた間にどうやら紅茶を淹れてくれていたらしく、独特な甘い香りを漂わせていたティーカップを差し出され、そっと頭を下げながら有難く受け取ってはそのまま口をつけた。
「あっ…おいしい」
「紅茶って、苦手な方もいるでしょう? だからね、うちではあまりクセの出ないようにブレンドした茶葉で挽いてるの」
「なんだか…すごく優しい香りがします。それと、味も」
「甘くないからお菓子のお供にぴったりよね…なんて。別に催促している訳じゃないのだけど」
「あはは、心配しなくても大丈夫ですよ。もう欲しいもの、決まってますから」
美味しくてつい一気に飲んでしまった紅茶のティーカップを返却して、ショーケースの中に二つ並んでいたチョコレートケーキへとガラス越しに指をさした。一人分にカットされていたそのケーキにはそれぞれ薄く輪切りにされたオレンジが数枚乗せられ、その上からラインを引くように飾られたベリーソースが高級感を醸し出している。
「最後の二つ、良かったわね」
「残り物には福がある…って言ったら、失礼ですね」
「いいえ、そんな事ないわ。実はコレ、わたしの一番のオススメなの」
この店に来る前に幼馴染から美味しいと薦められたのは定番のイチゴショートケーキだった。どうやら時間帯が悪かったのか、今現在は売り切れてしまっているようで実際のものはなく商品名が綴られた値札だけがトレーの前に置かれている。しかし、その隣りの隣り、もっと隣りのはじっこに佇んでいたオレンジチョコケーキから何故だか目を離せなくなり、不思議なもので散々迷っていた今までの気持ちはその一瞬でしっかりと固まっていた。
「…もしかして、何か通ずるものがあったのかも知れないわね」
「えっと…紅茶の好みとか?」
「違う違う、わたしとじゃなくて。このケーキをあなたが一緒に食べようと思ってる人と、って事」
「えっ! あ、ううんと、その…! あは、あははは…は、恥ずかしい…」
どうやら人生の先輩には全てお見通し、だったらしい。よく思い返してみればいかに単純な話だったか、それに気付かぬまま話を進めてしまった自分が少々恥ずかしい。しかし、一目惚れをしたという事実は嘘ではなく、その瞬間に恋人である相方を想像していたとは口が裂けても話せそうにはない。下手くそな作り笑いも早々に諦めて、話し相手になってもらったからとお代をサービスしてくれたケーキの入った小さな箱、そしてチビッ子二人が好きそうなカラフルなマカロンを数個購入しては、また来ますとだけ笑顔で告げながら店を後にした。
***
「風呂沸いてる。入るなら入れ」
「あ、うん…ちょっと、その前に…」
実をいうと本来ならばケーキを買う予定ではなかった為、帰りにスーパーも寄って買い出しに行こうとしていたものの、どうにも性格上ひっくり返してしまいそうだと不安になった為、結局そのまま何処へも寄らずに小さな箱と紙袋を抱きかかえたまま相方のアパートへと帰ってきてしまった。すかすかの冷蔵庫へと慎重に運び入れ、ようやく謎のプレッシャーから解き放たれたのでこれからまたスーパーへと出向いても良かったのだが、日も落ち空も暗くなり始めていたせいか今夜は簡単に済ませようと引き留められてしまったので、罪悪感はあれど仕方なく諦める事にした。
彼が席を外している間にケーキを皿へと盛り付け、食べるにしては少々大き目のフォーク(普段ここではデザートなど食べないものだから普通にパスタを食べる時に使うようなサイズのものしかない)を添えて、二つ乗せたお盆を慎重にテーブルの上へと運ぶ。
「…ケーキ?」
「えっと…前にケイが美味しい洋菓子屋さんがあるって言ってて、それで今日試しに行ってみたんだよ」
「珍しいな、一人でそんなところに行くなんて」
「えっ。いや、その…まぁ、なんていうか。アレ、アレだよ…ちょうど今日、甘いもの、食べるような日だったろ」
「……あぁ、そういう事か」
本日、二月十四日。互いにこういったイベント事には疎いというよりは興味がないというのか、ボーイ同士で然程気にしてもいなかった為、元よりチョコレートを贈るなどという考えは頭になかった。今回もたまたま今日という日にあの店の話を聞かされていたのを思い出し、なんとなく行ってみようと思い立って、実際に行ってみたら美味しそうだったから試しに買ってみた、というつもりでいる(本当は、こっそりそういう意味での気持ちがない訳ではないけれど)。
「その、なんだ…とにかく食ってみろよ。これくださいって言ったら、店長オススメのケーキ、しかも最後の二個だ! 食べてみる価値はあるぞ」
「……いただきます」
「あ、俺も食べよ。いただきますっ」
既に夕飯は済ませていたものの、いつもより軽めの量でセーブしておいたのでケーキ一つくらいなら余裕で入りそうだったので、買い出しに行けなかったのは意外とファインプレーだったのかも知れない。
一口分、大きなフォークで先端から縦に刺し入れては柔らかなスポンジと中で層になっているチョコクリーム、そして上に飾られていた薄切りのオレンジを乗せてそのまま口の中へと放り込む。
「んっ…んうぅぅう〜っ」
瞬間、控えめなチョコレートの甘さとさっぱりとした柑橘のすっぱい香り、それらがバランスよく相まって口の中に広がっていく美味しさに思わず目を瞑り唸りを上げながらごくりと名残惜しくもごくりと全てを飲み込んだ。
「う…まいっ! これ、うまい!」
「少しばかり、お酒が入っているな。それがアクセントになってていい」
「あっ…ほんとだ。香りが強いのはそれのせいかな」
「多分。オススメなだけはある。美味い」
ほんのちょっとだけ含まれているらしいアルコールにほんのりと熱を帯びた頬、珍しく食べ物を絶賛する相方に思わずつられて笑顔を零していると、ふと目と鼻の先までずりずりと近寄ってきていた彼に驚きながらも、フォークで口元に運ばれたケーキを反射的に噛り付いた。やはり何度食べても美味しいものは美味しい、とふにゃりと微笑めばすぐさま貪るように唇を重ね合わせていた。
「あっ、んぅ…ふ、あぁ」
「…こっちも、甘いな」
「ぐっ…俺のケーキ取るな!」
「無くなったらまた買いに行けばいい。…今度は二人でな」
ぺろりと真っ赤な舌で口の周りに付いたチョコクリームを舐め取られ、そのままソファーベッドへと押し倒されてはふわふわと浮かんだ視界が暗転する。
まだ食べ終わってない、と文句を零したところで止める事など、ましてや止めて欲しいとも思わず、自業自得にも流されそうになっている自分に心の中で苦笑しては、その微睡に溶けていくようにそっと瞳を閉じた。
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