初めて会ったのはバンカラマッチに単身参加していた時だった。たまたまその時に同じチームだったことと、同じトライストリンガーというブキを使用していたので余計目についていたのかも知れない。彼自身も非常に気さくな性格で、まだ手持ちに入れたばかりでブキに慣れない自分を気にかけてくれるくらいには優しく、試合が終わった後も時間を取って練習にも付き合ってくれたのでそのままフレンドコードの交換もした。後日、待ち合わせをするほどではないものの、ロビーで会った時はオープンマッチへ一緒に参加をしたり、そのまま打ち上げのような形で他のフレンドも交えてカフェに行ったりしているうちに、いつの間にか自分が彼に惹かれていっていることに気付いた。
しかし、そんな自身の初恋は初っ端から出鼻を挫かれることとなる。ある日、新しいギアでも探してみようとバンカラ街のフク屋を尋ねようとした時、入り口のドアノブを握った直後、店内に見覚えのあるボーイがいることに気付いて慌ててその手を離して階段下からそっと中を覗いてみると、何やら誰かと親し気に買い物をしている最中だった。どうやら、彼の隣りにいるガタイのいいボーイのフクを見繕いに来たようで、あれやこれやと試しに様々なフクを体に合わせているようだがどうやらお目当てのものは見つからなかったらしく、少々がっかりしつつも、どこか楽しそうに店から出てきた二人は明らかに関係性の深いのだと誰が見ても分かった。分かってしまうからこそ、疑いようがない。
(お、終わった……)
普通ならば、ただのボーイ同士仲が良い友達なんだろうと思うのかも知れない。しかし。恋煩いをしている自分にとって彼らの関係はあまりにも理想で、それはもう自分と彼とであのようになりたいと想像していたくらいに二人はあまりにも近しい関係なのだとすぐさま理解してしまった。そして、人通りが少ない道に入った直後、その悪い予感はまさしく的中してしまうのである。
「サキ。あ、あのさ……」
「いちいち聞くな」
「えへへ」
そんなやりとりをしたあと、なんと二人はそのままそっと手を繋ぎ、そして恐らく、同じ住処へと共に帰っていくのであろうその背中を見送る勇気など微塵もない自分は、その虚しさに心を蝕まれながら全くの逆方向にある自身のアパートへの帰路を辿ったのであった。
***
朝から不調の兆しはあった。かといって昨日とて変わったことをしたわけでもなく、いつもの通り作った朝食を食べ、二人でバンカラマッチに参加し、スーパーで買い物をしながらアパートへ帰り、ヒナタがテレビで初放送らしい映画を見たいと言っていたので、ついでに冷蔵庫に残っていたビール缶を片手にさほど面白くはなかったそれをぼうっと眺めた後に大人しく床に就いた。
一瞬、二日酔いを疑ったが、さすがにあの量で気分が悪くなるほど酒は弱くない。それでも、なんとなく調子が戻らないまま昼を過ぎた頃、心配をしていたらしいヒナタが今日は横になっていた方がいいと強く推してくるものだから、渋々ながらも布団に潜り込んだ記憶が最後、次に目を覚ました時には既に日が沈み始めていた。
「すまん、寝すぎた」
「いいや。それより、調子は?」
「問題ない。寧ろ体が痛くなってきた」
「はは、それは言えてる」
仮眠とは言えない程の長い時間を睡眠に費やしたのは久しぶりのような気がする。勿体ないと思いつつも、幾分かは体が軽くなった気がするので無駄ではなかったのだろうと自身を納得させていると、何やらキッチンの方から食欲をそそられるような匂いを感じ、つられるままに部屋を移動するとリビングのテーブルの上には大皿に盛られた肉野菜炒めと炊き立ての白飯が並んでいて、思わず視線をヒナタへ向けると照れくさそうに笑う彼の笑顔にじんわりと胸が温かくなるようだった。
「作ったのか」
「まあ、暇だったし。昼飯食わずに寝ちゃったろ? 腹減ってるかなって」
「オマエにしては上出来だな」
「そんなこと言っちゃって。顔に出てるぞ」
幸せだな、と心の底から思った。そんなものとは無縁だと思っていた昔の自分に教えてやりたいほどに。いつの日か、彼への思いを自覚したばかりの頃にこの気持ちは本当に正しいものだったのだろうかと悩んだこともあった。何せ二人は同性同士で、例え今は通じ合っているとしても、本来であれば在ったはずの輝かしい未来を途絶えさせてしまったことを悔いる日が来るのではないかと。しかし、それ以上に自分が彼を離したくない、他の誰かに渡したくない気持ちが遥かに強く、そして彼もまた同じ気持ちなのだと、あの暑い日に古いバス停で交わした言葉が今でも強く心に残っている。
「……例え、俺が俺ではなくなっても」
「え?」
「オマエは俺の隣りにいてくれるか」
「きゅ、急に何言ってんだよ」
「すまん、独り言だ。冷めないうちに食うか」
「お、おう。世界で一番美味い肉野菜炒めだもんな!」
「ふっ、言ってろ」
自然と出たその言葉に自分でも何を言っているんだろうと不思議になりながら、誤魔化すように箸を握り手を合わせてはからっぽの胃の中へと熱々の肉を掻き込んだ。意図したものではない。だけど、何故だか伝えずにはいられなかった。しかし今は、不安のような疑問のような、いまいちはっきりしない自身のそんな気持ちはさておいて、少しばかりしょっぱめで如何にもご飯が進むような味付けに思わず笑みを浮かべながら、自分よりも何倍も美味そうに食べているヒナタを静かに眺めていた。
***
朝は強い方だった。カーテンの隙間から漏れる僅かな日の光でそっと目を覚まし、そのまま四枚切りの食パンをトースターにぶち込んで、コーヒー用の電気ケトルに水を入れてスイッチを押してから顔を洗うのがルーティーンになっている。ところが、夢を見ているのか目を覚ましてすぐ部屋の中に違和感が生じた。まず天井の色が違う。そして、そもそも自分が住んでいるアパートはワンルームの小さな部屋で寝室というものが存在しないし、今寝ているこの寝具も敷布団から見慣れないベッドに変わっていて、そして何より。
(え……いや、そんな、まさか……)
ここ一ヶ月ほど頭から離れなかった恋しいインクリングが気持ちの良さそうにすぐ側で眠っている。これは間違いなく夢に違いない。それにしたってあまりにも都合が良すぎるのではないか。新しいアパートで二人、自分と彼とが良い関係になったことを前提に新生活を始める夢を見てしまうなんて末期にも程がある。既に恋人がいる彼に対しても大変失礼な気がして、もう一度布団に潜りさっさと現実へと戻らなければ。そう思ったその直後、起こしてしまったのかもぞもぞと動き出した彼が寝ぼけ眼のまま発した言葉に更に混乱を極めることとなってしまうのだった。
「おい、サキぃ……もう少し、寝かせろってえ……」
サキ。サキ、とは。間違いなく、自分の名前ではない。それとも、付き合っているという設定だけれど元彼が忘れられない悲しい夢を見ているのだろうか。せめて夢くらい幸せな環境であってくれよと思いつつ、驚かされたせいか全く眠気が帰って来ず、仕方なくまだ起きそうにもない彼をそのままに、いつものルーティーン通りに行動を移すことにした。自分のアパートとは勝手が違うため、色々と物の置き場に戸惑ったが、なんとかインスタントコーヒーを見つけて水切り籠に置いてあったマグカップを手に取り準備をしておく。そのまま脱衣所を見つけてようやくすっきりとした気分になれそうだと思ったその時、洗面所の鏡を見てさすがに絶句した。
「……は?」
どこかで見たことのある顔。どこかで、どころかつい先日見かけたばかりの顔だった。彼が愛しいあまりに彼にとって一番大切な者の姿に成り代わり、ましてや想像上の部屋の中で共同生活を送る夢をみるなんて、あまりの烏滸がましさに頭が痛くなってくる。ただ、ここが本当に夢の世界であるのは間違いない。何故ならインクリングが誰かに成りすませる力などないし、顔のみならず体つきや声まで似せることなど出来るはずがないのだから。
(でもまあ、少しくらい良い思いしたって罰は当たらないか)
きっといずれ、現実で目が覚めてこの世界が消えてしまうのは分かっている。だから今だけはと思い、ようやく意識がはっきりしたらしいヒナタのかわいらしい寝ぼけた顔を拝みながら、電気ケトルで沸かした湯で作った即席コーヒーを手に取り彼へと差し出した。
「サンキュー」
「その……砂糖は?」
「ん? 俺いっつも入れてないけど、なんで?」
「た、たまにはいるかと思って」
「あはは、変なの。使うなら使っていいよ、俺は朝いつものって決めてるからさ」
困ったように笑う彼もどこか可愛らしくて、普段自分と話す時のような余所余所しさとは違う柔らかな雰囲気に思わずごくりと息を呑んでしまう。この時間がいつまでも続けばいいのにと思いつつも、どこか腹の奥でむずむずと潜む罪悪感に飲んでいた砂糖入りのホットコーヒーは何故だか味気なく感じた。
その後、どうやら今日は二人でバンカラマッチに参加する約束をしていたらしく、各自手持ちのブキを持ってバンカラ街へと歩いて向かう。どうやらヒナタの恋人である彼もトライストリンガーをよく使用している(同じ系統のブキも持ってるんだ、フクも柄違いだし。仲良さそうでいいなあ)ようで、普段は重く感じるブキもこの筋肉量だと軽々しく持つことが出来、なんとなく現実に戻ったら自分も体を鍛えてみようかななどと不思議にも気持ち的に煽られているような感覚に陥る。背丈も高いので視界の広さも勿論違うが、力がある代わりに慣れない体の重さのせいで思うように動きにくい。バトル中にどのような影響があるか、実際に参加してみないと分からないことも多いが、物陰に姿を隠すことが一番難しいのだろうなと率直に思った。
「よーっし、今日は一気に前線飛び込むぞ」
「あんまり、無茶はするなよ」
「はいはい、分かってるって。オマエこそ、寝首掻かれるなよな!」
にかっと笑顔を浮かべながら先に転送装置へ飛び込んだヒナタがどうにも可愛らしくて、これが恋人にしか見せないような表情なのだろうかと想像して慌てて口を抑える。と同時に、バトルの参加者の列を詰まらせていることに気付いて追いかけるように慌てて自身も飛び込んだ。
今回のルールはガチエリア。彼と初めて出会った時も同ルールのバトルだったので、なんとなく感慨深く感じる時もある。オヒョウ海運という会社が所有している巨大な船上がステージとなっていて、中央部分のエリア範囲は非常に狭く、高台の多さから遠距離ブキに狙われると接近しづらい非常に厄介な構成になっている。また、死ぬほど寒い。船の周りには流氷らしき塊が海に浮かんでいて、がちがちに冷えた体は普段のように動かすことが難しく、彼の恋人の体になった今の自分にとっては余計に融通が利かない気がしてバトルに支障が出ないか少々不安が残る。しかし、スポナーの上で震えている間にもスターターピストルは無情にも響き渡り、冷たい風を感じる中船上へと放り出された双方の八人は一斉に中央のエリアへとインクを散らしながら泳ぎ向かっていく。
「イカニン付けたローラーがもうエリアに潜んでる、炙り出せ!」
一瞬の隙を見逃さなかった、仲間であるデュアルスイーパーを小脇に挟んでいるボーイが既にエリア内に潜伏している相手を警戒するよう声を上げたその直後、知らぬ間に自陣で広がっていた相手チームのインク溜まりから突然波しぶきが上がった。エリア手前の広い敷地内に現れたスプラローラーの横振りが、偶然居合わせていた自分とヒナタ以外の二人が巻き込まれ、再びインクの海の中に潜った場所へ矢を放つも時すでに遅し、トライストリンガーによるインクの破裂でもダメージを与えられないまま取り逃がしてしまった。すでにもう、エリアへと向かっているヒナタへ標的を変えたに違いない。
「ヒナタ、一旦下がれ! 来るぞ!」
エリアを塗り返す暇など勿論なく、自陣を取り戻しながら相手チームを牽制することしか出来ず、今まさに襲われようとしている彼の側へと移動することさえままならない。
「クソッ。とにかく、あそこの高台陣取ってるヤツらを潰さないと……」
スプラローラーを支援する形で高台から狙うハイドラント、そして塗り範囲の広いわかばシューターによりどんどん自陣へと追い込まれていく感覚に焦りが生まれていく。このままではまずい。しかし、そう思っていたのは自分だけで、ヒナタ自身はそう簡単にやられるような玉ではなかった。周辺のコンテナや物陰に隠れつつぎゅっと握り締めたドライブワイパーで隙あらば応戦し、やられた仲間も復帰してからは徐々に自陣を取り戻していき、中央高台を陣取っていた相手を仕留めながらようやくエリアを確保することが出来た瞬間は酷く安心したものだ。強敵であったスプラローラーもヒナタが不意打ちで発動したウルトラハンコと行く手を阻むトーピードとの組み合わせで油断していた相手を仕留め、結果的にノックアウト判定による勝利を収めることが出来たのだった。
そんな白熱した一戦の後もスケジュールが変更となるまでみっちりとバトルに参加し、ようやく今の体に慣れ始めた頃に小腹が空いたという彼のリクエストに応え喫茶店に入ることになった。初めて入る店だったので何を頼もうか悩んだ末に選んだのは炭酸ドリンクと大きなフライが挟まったホットサンド、向かいに座る彼はその倍以上の大きさを誇るサンドらしき何かを食していて、とても幸せそうに頬張っているその姿に思わず口角が上がる。
「それにしても、オマエ今日調子悪いな?」
「っ、べ、別に……そんなことはないが」
「またまた。俺に隠し事できると思うなよ。なんか悩んでることでもあんの?」
隠し事。あまりに心当たりのある言葉にどきりと胸が唸る。自分でも、何故彼の恋人であるマサキ、というボーイの体に自分がなってしまっているのか分かっていない事もあり、説明のしようもないのがまた悩ましいところで、ふと逆に元の身体は今頃一体どうなっているのだろうと思った。この世界が本当に夢だったとしても、素直に考えれば今頃この体の持ち主もまた、同じように他人の体に入り込んで戸惑っているはずだ。ましてや、目が覚めたら自分と違って名前も姿も知らないインクリングになっているのだから驚きもひとしおだっただろう。そして、一番不安なのは、幾度思い返してみても夢にしてはどうも感覚がリアルすぎるところがあり、やはりこの奇妙な状態は現実の世界で起きているのではないか、という部分であり、それを考えると、やはりいち早く今の状況を脱する方法を探すべきなのかも知れない。
「……悩んでる、というか。戸惑っていると言った方が正しいかも知れない」
「え?」
「いや、その。どう、説明すればいいか」
「ふうん、あんまり外では言えないような感じ?」
「まあ、そうかな。そうなのかも」
「そか……じゃ、とりあえず、家帰ってからゆっくり話すか。ついでに買い物も済ませたいし」
少し考えこむ様子を見せつつも、すっかり空になった皿を片付けながら今後の予定を決めて颯爽と店の外に出る。そしてアパートへの帰路を辿りながら突然、本当に突然に掛けられた言葉に驚いて、堪らず肩に掛けていたトライストリンガーを地面に落としそうになってしまった。
「……ちょっと、こっち来て」
唐突に腕を取られ、人気のない細い路地に入り込み、そのまま壁を背に肩を押し付けられ距離を詰めてくるヒナタにどくりと鼓動が唸る。まさかと思い、肩を掴まれた瞬間ぶるりと体が震え、目の前で輝く海色の瞳があまりにも綺麗で危うく意識が吸い込まれてしまいそうだった。
「いいか、正直に答えろよ」
「は、」
「……お前、誰なんだ。サキをどこへやった」
瞬間、さっと血の気が引いていく感覚に息を呑む。冗談とか、ふざけた態度ではなかった。至って真剣な表情で、しかしどこか焦りも見えるその表情に何故だか泣きたくなるような胸が締め付けられる苦しさを感じて、最早何を言い訳するでもなくゆっくりと首を振ることしか出来ない。
「……ごめん、分からない。俺だって、訳が分からないんだ。知らない間にこうなってて、でも彼もきっと同じように、今頃……」
「……っ、ヒナタ!」
確信を得てすぐさま胸倉を掴んできたヒナタの背後から、聞き覚えのある声で彼を呼ぶ誰かが逆光の影の中へと駆けてくるのが見える。姿が違えど、中身が違えど、二人には切っても切れないものがあるのだと知って、羨ましく感じることがあれどやはり自分では代わりになれないのだと現実を突き付けられたような気がして、すぐさま手を離し背を向けたヒナタを見送りながら、ずるずるとそのまま崩れ落ちるように座り込むとゆっくりと視界が黒く染まっていった。
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