「寝る前にお風呂いこう」

 らしくない事をしているような自覚はあった。 体中が汗まみれ泥まみれ料理まみれ(今日は頭からラーメンを被った)、 何より全力を出し切り過ぎたのか、体は怠いわ力は出ないわ、とにかく何に対してもやる気が出ず、 今日は早く部屋に戻って寝てしまいたい。 そんな日に限ってあの男は僕の目の前に現れて腕を掴んだかと思えば、あっという間に小脇に抱え 抵抗も虚しく強制的に連行されてしまうのであった。

「なんで」
「なんでも」

 元より拒否権はないようだったが、最早反論する気さえ起きない。 有無を言わさず運び込まれた先は選手が共同で利用している大浴場で、 いつも乱闘を終えた人々で賑わっており貴重な交流の場にもなっている。 一人でゆっくりと楽しみたい人はこことは別に貸切の露天風呂が数個存在し、 事前に予約をしておけば誰でも入る事は可能だがちゃっかり有料(といっても この世界にのみ存在するコインの方が必要)の為、タダ風呂があるのに何で わざわざコインの掛かる方に入らなければいけないのかと、なんとなく勿体なくて未だに僕は入った事がない。

「どうして露天風呂じゃないの、って顔してる」
「だって王子なのに」
「残念だけど、僕はこっちのお風呂の方が好きだからね」
「ケチ」

 それにタダだし、と笑顔で続けるマルスは王子の割には考えが庶民的だと思う。 その辺に関して実際に庶民である僕も親近感は沸くけれど、 一国の王子ならば風呂代くらいぽんっと軽く出してくれてもいいのに、と思わなくもない。 これ以上訴えたところで彼の気持ちを変えるのは無理そうだと早々に諦めた僕は脱衣所でぱっぱと衣服を脱ぎ、 籠に帽子やなんやらバットやら全てを突っ込んで、背負ったままだったリュックサックをその上にどかりと投げた。 その時、その隣りで淡々と衣類を脱いでいるマルスの横に立て掛けてあったファルシオンが視界のはじっこに入る。 思わず掴んで持ち上げると小さな拳骨が頭の上に降りかかり、少しばかり腹が立ったので脛を蹴った。

「痛っ」
「それはこっちのセリフ。たんこぶできた」
「そんなに力入れてないよ。それよりファルシオン返してくれ」
「少しだけ! 少しだけでいいから振らせて!」
「いや、何も全裸でやらなくてもさ」
「まぁまぁまぁまぁいいからいいから」

 心配そうに見下ろすマルスを余所に、ご立派な金と赤の装飾が付いた剣の柄を握り締め、脱衣所で振り上げる。重い。 剣が頭上にまで上りその勢いで後ろに倒れそうになった所で背中がぽすりと何かに寄りかかった。

「あっぶねー! おい、フルチンで何やってんだよ」
「あ、いいところに。リンク、勝負しよう」
「脱衣所で!? 嫌だよ、俺武器全部置いてきたし」
「それじゃあ全裸で真剣白羽取りかな」
「脱衣所でしかも全裸で死にたくないので遠慮します」
「そう? 残念だなぁ」

 後からやってきた顔面蒼白のリンクに軽々とファルシオンを取り上げられ、残念ながらマルスの手に戻っていってしまった為 (「子供に危ないもの持たせないで!特にこいつダメ!」「以後気を付けます」)、もう一発拳骨をくらわされながらも仕方なしに 大人しく浴場へ足を踏み入れる事とする。勢いよく引き戸を開けると、もわっと溢れだした湯気が体を包み熱を帯びた。 大浴場の手前には洗い場が列になって並び、隅には風呂桶が山のように積みあがっている。

「マルス! 石鹸だ! そこに石鹸が落ちている!」
「なんて危険なトラップなんだ…」
「ほら、早くジャンプして回避しないと」
「僕は遠慮しとくよ。今度アイクと来た時に大天空で回避してもらおう」
「おぉ、それはいいアイディア」

 なんて馬鹿な会話を交わしながら、洗い場の空いている所に椅子を持っていき、既に座っていたマルスと水道の間に置いてそのまま腰を下ろした。 隣り空いてるでしょ、と椅子ごとスライドされるもすぐに降りて椅子を押し戻す。

「そんなに頭洗って欲しいの?」
「洗ってくれないともう一緒にお風呂入ってあげない」
「ははは、それは嫌だなぁ」
「よし、じゃあ決まりー!」
「頭ついでに体も洗ってあげるよ…とりゃ!」
「ひぎぃ!」

 マルスの股に挟まれるように意気揚揚と座っていると、突然手の平でボディソープを泡立てていたマルスの両手が両脇にずぼりと挿し込まれ、思わずうぎゃあと悲鳴をあげた。

「びっくりしたなあ、もう!」
「まぁまぁ、まぁまぁまぁまぁ」
「何がまぁまぁだ…ふふ、ぶはははっ! ちょ、やめて! やばい! くすぐった…あっはっはっは! も、だめ…ひぃい!」
「人に何かをしてもらう時は、自分の何かを犠牲にしなければならないという事…うぐっ!」
「犠牲にするものを勝手にお前が決めるな!」

 なんて酷い男だろう。ぬめぬめの手でピチピチの若人の大事な両脇を弄るなんて果たして王子のする事だろうか。 無事下半身にヘッドロックを決められたから良いものを、相変わらず信憑性に欠ける行動ばかりとる男だ。 それからというものの、何の悪事を働く事なくもくもくと体を洗い頭を洗い肩まで揉んでくれた。 罪滅ぼしのつもりかも知れないが、風呂上がりにイチゴ牛乳を奢ってもらわない事には残念ながら許す気にはなれない。

「かぶるやつなくて平気?」
「平気ですー。そこまで子供じゃありませーん」
「十分子供だと思うけどなぁ」
「うるさいな、分かってるよそんなの」

 風呂桶に溜めたお湯を自分で頭から被り、がしゃがしゃと泡を流し落としていく。 なんとなく、同じく背後で頭と体をシャワーで流しているマルスを見上げた。 サラサラで真っ直ぐすとんと落ちる髪は相変わらず綺麗で艶やかだ。 鍛えているのだろう、普段ではあまり想像できない筋肉質な胸板は、恥ずかしながらも凝視してしまう程に男の僕でも色っぽいと思う。

「かっこ良すぎて惚れ直しちゃった?」
「元々惚れてません」
「またまたぁ」
「でも、かっこいいのはほんと」
「…そっか、ありがとう」
「ど、どういたしまして」

 小さく綻んだ微笑みに心臓がどくりと震えた。 悲しい事に奇襲作戦は以上の通り失敗に終わった。さらりと受け止められた言葉は反響して自分の鼓動に還って跳ねる。 自爆だった。爽やかな微笑みに顔が熱い。 こんなところで大人の余裕を見せつけられてしまった気がして少しばかり悔しかったけれど、 そっと掻き回すように頭を撫でられたので何も言わず俯いたままでいた。

「体、冷えちゃうし、入ろっか」
「うん」

 湯船の方を見渡すと、子供のように風呂を泳いでいたリンクが気付いて手招きをした。 小走りで向かって勢いを付け飛び上がると、リンクの悲鳴を物ともせず湯の中へ頭から突っ込んだ。 外から名前を呼ぶ淀んだ声が聞こえる。 ぷは、と水面に顔を出せばまたもや拳骨が二つ落ちてきて思わず声を上げて笑った。

「何すんだ、バカ!」
「ネス、大丈夫?」
「うん、僕は平気」
「俺の心配もして!」

 全くもう、とぶつくさ言いながら頭を振るリンクと、抑えきれなくなってついにつられてくすくすと笑いだすマルスと、そして僕。 笑い疲れて湯船にぷかぷかと体を浮きながら寛ぐ。 すると、いそいそと足を入れて側へ寄ってきたマルスが大きく深呼吸をして、両腕を天井に向かいぐっと伸ばすと、 もわもわふんわりと軽いやわらかな湯気が三人を包んだ。

「…少し、寂しさまぎれた?」
「それ、僕に言ってるの?」
「うん、一応」

 ちゃぽん、と足をばたつかせると小さくお湯が跳ねる。

「今回も二人で参加できると思ったのにね」
「仕方ないよ、決まりだもの」
「ネスは大人だなぁ」
「マルスよりよっぽど大人だよ」

 マルスが誰の事を指して言っているのかはすぐに分かった。 寂しくないと言ったら嘘になる。限られた時間の中で、また一緒に戦ったり遊んだりご飯を食べたり夜更かしして怒られたりしたかった。 そう、思えば思うほど彼の存在が自分の中でどれだけ大きなものかを知って、一番親しかった友達が遠い学校に転校してしまうような時もきっと、 今のように心に穴がぽっかり空いたような感覚に陥るのかなと思った。

「元気出せよ、俺がいるじゃん」
「リンクとリュカじゃ格が違うから…」
「おい格って何だ、格って」

 全ての乱闘が終わり、夜が更けるにつれてその寂しさは深く沈み冷えていく。 ベッドの中で彼を思い出しては涙した夜もあった。 あまりに落ち込み過ぎてトゥーンリンクやカービィ達に心配を掛けた事もあった。 もう大丈夫だと思ってもぶり返してしまうのは少しばかりホームシックと似ている気もして、 せめて電話だけでも出来れば違うかも知れないのにとしょげた時もある。 しかし、これらとはまた違う感情が確かに僕の中にはあった。

(今頃、何やってるんだろうなぁ)

 湯の中に顔を沈めてぷくぷくと泡が昇る。 体はこんなにも温かいのにどこかひんやりとしたものが重みを増して離れない。 ぼうっと天井を見上げていたその時、ばしゃりとお湯が立つ音がして視界にマルスの顔が映った。 手を伸ばされて、反射的に右手で握り引っ張られて立ち上がる。

「上がんの?」
「うん。行くよ、ネス」
「え? 何、僕も?」
「そ、上がるの」
「まだゆっくりしてたいんだけど」
「イチゴ牛乳奢ってあげようと思ったのになぁ」
「はい! 上がります上がります! 今すぐ上がります!」

 先程までのブルーな気分はどこへやら、湯船を出て先を行くマルスを駆け足で追うと後ろからじゃあなという声が聞こえて、少しだけ振り向いて手を振った。

「あ、」

 その瞬間の、足の裏にぬめりを帯びた固体を踏んづけた感覚に嫌な予感が頭の中を過ぎる。 前を向けばそのまま一回転するように体が傾き、そのままマルスの腰に後ろから飛びついた。

「っぶねー!」
「それはこっちのセリフ!」

 引き戸にしがみ付き事無きを得るも、またまた強烈な拳骨を一発頭に頂戴してさすがにそろそろヒーリングをかけておきたいくらいひりひりする。 一方、恨みがましい真っ白な石鹸は宙へ舞い、湯気の中へと吸い込まれて消えた。




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