「やったな、シノブ!やればできるじゃねぇか!」

 勢い良く肩を抱かれながらシャムに頭を撫でられ、照れ臭そうに笑うシノブを一歩離れた所から眺めていた瞬間に感じた、 胸のどこかで疼いた痛みの正体を今はまだ知る由もなかった。


***


「テッちゃん、ちょっとタンマ!」

 買い出しに行くと皆に告げて町の商店街へ向け足を踏み出すと、 背後から自分より頭一つ分程背の低い子供がひょいと身を乗り出して腕を掴んだ。

「拙者も一緒に行くよ。荷物、一人じゃ大変でしょ?」
「あぁ、ありがとうございます。シノブ」

 どういたしまして、とにこやかに微笑む今日のシノブは普段よりも一段と機嫌が良い。 それは先程、忌まわしき結晶ディシウムにより怪物と化してしまった人間との戦いの中で、 日々の修行の成果が生んだ動きの良さと技のキレ、そして仲間とのコンビネーションの良さが際立ち、 仲間達に褒められた事が起因していると思われる。 その時のシノブの嬉しそうな表情は、見ているこちらも喜ばしくなるくらいに輝いていた。

「夕飯、何にするの?」
「今日はシノブがとても頑張ったので、シノブの食べたいものを作りましょう」
「やった! それじゃあ、ええと…あぶりチーズサーモンがいい!」
「いつもと同じですね」
「あ、そっか。あははは」

 仄かに頬を染めながら頭を掻くシノブの足取りは軽い。 しかし、それを横で眺めて自然と頬を綻ばせているらしい自分の柔らかい表情には未だ慣れないままだった。 自分がむてん丸達と出会ってから随分と時間が経ち、彼らが持ち合わせていた真心という存在を知らないままに生きてきたこれまでより、 今の方がずっと遥かにその温かさを理解できるようにはなってきていた。しかし、それも割と最近になってからで、 まだまだ胸の奥から感じる様々な自身の気持ちを全て理解するのはとても難しい事であった。

(あの時の痛みの名前も、私はまだ知らない)

 聞こえない程度の小さな溜息を陰で吐き出すと、いつの間にかシノブは遥か道の先へ進んでいて、 どうやら新しく訪れていた街の商店街に目を輝かせながら落ち着きなく辺りを見渡している。

「テッちゃん、早くー!」
「シノブ、待ってくださ…」

 早く追い付こうと足を踏み出したその時、人混みの中に紛れたシノブの姿が埋もれて消えた。 胸の奥がきゅっと締まるのを感じて、慌てて人の波を掻き分ける。抜けた先にもシノブの姿はない。 辺りを見渡してみるもそれらしき影も見当たらない。その時、なんとなく狭い路地裏の通りに目が行った。ふと、足元を見る。

(これは…シノブの苦無)

 砂にまみれたそれは確かにシノブの苦無で、その内の一本だけが寂しそうに地に横たわっていた。心臓が跳ねる。 苦無を手に取り、堪らず足早になって日の光が入らない街の裏側へと徐々に溶け込んでいく。道は一本だった。 先程までの賑わいは嘘だったのだろうかと思うくらい、重い静けさが辺りに広がり、乾いた冷たい空気が細く流れ込んでくる。

「返事をしてください、シノブ!」
「…テッちゃん?」

 探していた姿は意外にもあっけなく見つかった。 十字路に分かれた道にさしかかったところで不意に右の街路からシノブの声が聞こえた。 勢い余って通り過ぎてしまった足を数歩巻き戻すようにバックして、さらに暗みを増した奥へと進む。 恐る恐る足を踏み出すとそこにはやはりシノブがいて、隣りには見知らぬ男の子が地面に座っている。 二人とも、体中泥だらけだった。

「良かった、探したんですよ」
「ごめん、急にいなくなって。この子がここで怪物に襲われてるのを見つけてさ」
「な、なんですって」
「一人じゃ太刀打ち出来なさそうだったから、この子を連れて逃げてたんだ。よかったー、テッちゃんがいれば百人力だよ」

 さあ行こう、と腕を振り上げたその時、シノブの苦しげな声が微かに聞こえた。 無意識にその腕を掴むと、突然のその行動に驚いたのかバランスを崩したシノブの体が倒れ込み、胸の中へと収まる。

「わわわっ!ご、ごめん」

 その時、どくんと胸の奥で唸る鼓動の衝撃を感じた。

(今のは、何だ)

 想定外の体の変化に戸惑うも、大きく息を吐いて平静を装う。 シノブは俯いたまま動けないようで、そっとその温かい体温を手放して苦しさから解放してやった。

「…それより、腕に怪我をしています。早く処置をしないと」
「こ、これくらい平気だから…」
「顔が少し赤いようです。熱があるのかも知れません」
「だから、大丈夫だって! それよりもこの子を…」

 瞬間、シノブの声を遮る程の強い突風が辺り一帯に巻き起こった。砂埃や落ちたゴミを巻き上げ、動く事すらままならない。 彼方上空からけたたましい唸り声が響いた。大通りの方から悲鳴や怒涛が聞こえる。

「……来ます。シノブはその子を連れて逃げてください」
「で、でも…テッちゃんは!」
「私が時間を稼ぎます。この狭い路地では思うように戦えません。とにかく、人のいない広い場所へ奴を誘い込みます」

 暗闇の中、家の壁と壁の狭い間を俊敏に動く赤い光を目で追った。 持っていたシノブの苦無を構え、その不規則な怪物の動きを捉えた瞬間に宙に向かい渾身の力でそれを投げた。

「今です!」

 そう声を上げたと同時に耳触りのするけたたましい絶叫が辺りを包み、 大きな体を暴れさせ破壊された壁の煉瓦がぼろぼろと崩れて落ちた。 盾でそれを防ぎながら地面へ沈んだ怪物の方へ踏み出し、ふと背後を見遣る。

(よし、これでいい)

 シノブと男の子の姿はもう何処にもなかった。なんとか大通りの方へ抜ける事が出来たらしい。 後はこの怪物を、どうにか被害の出ない場所へ引き付けなければならない。 怪物は、赤く光る瞳に刺さるシノブの苦無をものともせずに抜き捨て、 じわりじわりと立ち向かってくるそれに思わずごくりと息を呑んだ。


***


 体中が痛い、なんて甘えている場合ではなかった。 男の子を抱きかかえて走り抜いた先は、少し前まで人で賑わっていた大通りが広がっており、 怪物騒ぎのせいか今辺りには人っ子一人見当たらない。 家の窓も全部閉まっていて、おそらくこの街に住んでいる人は全員家に籠っているのだろう。

(騒ぎを聞きつけて、むてん丸達も来てくれるといいんだけど)

 大きな破裂音が遠くから何度も聞こえている。 時間が経てば経つほどテツジンの様子が気になって、体がそわそわと落ち着く事なく無意識に動いてしまう。 すると、弱弱しくズボンを引っ張られる感覚を帯び、不思議に思って下を見ると男の子が寂しそうに俯いて呟いた。

「…ケガ、大丈夫?」
「え? あ、うん。全然平気さ」
「ごめんね。僕、弱いから…お兄ちゃんに迷惑かけちゃった」

 大粒の涙がひとつ、またひとつと地面を濡らし、居た堪れなさに男の子の頭を優しくそっと撫でてやると、 ふと今までの戦いの日々を思い出してある事に気が付いた。

「…ううん。お兄ちゃんも、テツジンに助けてもらってばっかりだし」
「さっきの、赤いお兄ちゃん?」
「うん、そう。すっごく強くて、すっごくかっこよくて。ピンチになると、今日みたいにすぐ駆け付けてくれて…」
「ヒーローみたいだね」
「みたいじゃなくて、本物のヒーローさ」

 仲間の皆と旅をしている中、気付いてみれば隣りには必ずテツジンがいてくれた。 先走って、自分の力を過信して一人でもなんとか出来るなんて調子に乗ればこのざまで。 こびり付いた乾いた血の跡ごと、反対の手で包み込むように腕をぎゅっと握り締めた。

(結局、迷惑かけちゃったな)

 強くなったと思っていた。皆と肩を並べて戦えると心から嬉しかったはずなのに、 今はそう信じ切っていた自分が悔しい上に恥ずかしい。もやもやと霧がかった頭の中を振り払うように両手の平で頬を叩く。

「よし、テツジンを助けに行ってくる!」

 落ち込んでばかりいられない。そうしている間にもテツジンはあの強い怪物と戦い続けているのだから。 今にも駆け出そうとしたその時、ぐいっと服の裾を引っ張られてその勢いは止まった。

「ちょっと待って、その前にこれあげる」
「へ? あ、えと…これは」
「バンソーコー。貼ってあげるから腕貸して」
「あ、はい」

 せっかく勢いをつけたのに腰を折られたようで苦笑するも、中腰になって傷を負った腕を男の子の前に差し出した。

「痛いの痛いの飛んでけー」
「うおおっ、痛い! た、叩いて貼らないで!」

 べちんと叩きつけるように貼られた絆創膏は、大きく開いた傷口には相応しくない大きさだったかも知れない。 それでも、へたれた性根を叩き直されたようで自分でも驚くほどに見えない底から気力が湧き出てきていた。

「…えっと、色々ありがとう。なんだか元気になった気がする。危ないから、君はちゃんと家の中に隠れてるんだよ」
「うん、わかった。お兄ちゃんも気を付けてね」

 ハイタッチを交わした男の子に別れを告げてから、十分以上経過した頃。無我夢中だったんだと思う。 何も考えてなかったと言えばその通りなのだけど、今回ばかりはゆっくり考える暇など到底無くて。

(テッちゃん!!)

街から遠く離れた広い砂地の中で今にも背後から襲われようとしているテツジンを見つけた時、 思わず飛びだしたその瞬間から視界は黒に染まり、次第に意識は闇の中へ溶けていったのだった。




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