「シノブ…?」

 優しい森の香りが周りにふわりと流れ込んできたような気がした。 視界に映る全てのものがとてもゆっくりと動いているように見える。 あんなにも動きが速く捉えるのが難しかった怪物さえも、まるでスローモーションのようにコマ送りで流れ、 後ろを取られたと思い咄嗟に振り向いて攻撃を防ごうとしたその時だった。 見覚えのある栗色の柔らかい髪の毛と、黒の装束に特徴的なバンダナ。 押し倒すように飛びだしてきた彼は怪物の攻撃から自分を庇うように覆い被さり、 共に砂埃の舞う地面へ転がり落ちていった。

(そ、そんな…馬鹿な!)

 急な坂道に岩という岩にぶつかって体が砂まみれどころか傷だらけになった頃、ようやくその勢いは無くなった。 必死に繋ぎとめた手と小さな体を力強く抱きしめたまま、あっという間に崖下の森の中へ落ちてしまったらしい。

「シ、シノブ…しっかりしてください、シノブ!」

 森の中は先程までの騒ぎが嘘のように静かで暖かい。 木々の隙間から漏れ出る日差しがまるで宇宙の中に散らばる星のように小道をきらきらと照らしていた。 機械の体ではないシノブの体は擦り傷だらけでところどころ血も滲んでいた。 怪物から受けた攻撃も直撃ではなかった事が幸いして、寧ろ崖を転がり落ちたダメージの方が大きいのかもしれない。 腕や足を触った限りでは骨は折れていないらしく、ただ意識は朦朧としているのか目は覚めない。 何度も名前を呼んで頬を優しく叩く。反応は見せるも答えは依然返ってはこなかった。

「とにかく、どこか休める場所を探さないと」

 シノブを背負って広い森の中を小走りで駆け抜ける。 獣道であるにも関わらず整った草道を抜けると、微かなせせらぎがどこからか確かに聞こえた。

「……川だ」

 耳を澄ませて、音が流れてくる方へ恐る恐る足を踏み入れると、さほど深みの無い小川が見えない先まで延々と流れていた。 柔らかい草の生えた地面にそっとシノブを下ろし、持っていた布巾を取り出してゆらゆらと揺れる水面に浸す。 力いっぱいに絞ったそれでシノブの顔と腕、体から足にかけて血や汚れを拭き取ってやった。

「ん、んん…」
「シノブ? 私が分かりますか、シノブ!」
「テ、テッちゃん…?」
「あぁ、よかった…」

 小さく反応を見せ、ようやく目が覚めたシノブに大きく息を吐いて安堵した。 苦しそうに起こしている上半身を支え、やっとの思いで立ち上がるとシノブはごめんと一言、俯きながら呟いていた。

「どうして、シノブが謝るのですか」
「だって、迷惑かけちゃったし…。また、すごく心配かけちゃったから…」
「シノブ…」
「悔しいんだ。テッちゃんのそんな不安そうな顔、見たくないから強くなりたいのに。ほんと、ダメダメで…って、うおおっ!」

 この時、自分でも自分が何をしているのか理解できなかった。 震える声で心の底から引き揚げた自分の気持ちを一生懸命に伝えるシノブを見下ろしていて、 気付かないうちに体が勝手に動いていた。怪我をしている腕を優しく掴み、そっとシノブの小さな体を抱き寄せて心ゆくまでに包み込む。

「あ、あの…」

 何故、こんな事をしているのだろう。 自分でもそう思いつつも、今この瞬間にも何かが満たされていくように感じて、とても心地が良かった。

「すみません。もう少しだけ、このままでいさせてもらえますか」
「う、うん」
「…シノブは、」
「うん?」
「シノブは、ダメダメなんかでは、ありません」

 そっと体を離して、未だ縮こまったままのシノブの頭を触れるように撫で、思ったままの言葉を続けた。

「怪物と戦ってる時以外も、強くなろうと毎日修行したり勉強をして努力をしているのを私は知っています。 皆の役に立ったり、辛い思いをしている人達を助けて、むてん丸やアンカー4のような立派なヒーローになりたいと一番強く思っている事も知っています。 そんなシノブがダメダメな訳がないんです」
「テッちゃん…でも、」
「現に、ついさっき、あなたは私を助けてくれました。私にとってシノブは、誰がなんと言おうとヒーローです。ですから、その…」

 私のヒーローを、ダメダメなんて、言わないでください。そう、嘘偽りのない自分の気持ちの全てを伝えたつもりだった。悩むことなどない。今ならはっきりと、何度だって言える。

「そんなシノブが、私は好きです。この感情をなんと表現すればいいのか、今の私にはまだ分かりませんが、 それでも絶対に失いたくない、大切な仲間である事に間違いはない。 ですから…できれば、先程のような助け方は、なるべく控えてもらえますか?」
「うん…分かった。拙者もテツジンの事、大好きだから…同じ事されたらきっと、怒ると思う。 だから、テツジンと少しでも早く肩を並べて戦えるように、もっと強くなるから」
「…ありがとう、シノブ。ただ、もう少しゆっくり話をしたいところだったのですが、どうやら時間切れのようですね」
「え!?」

 シ、と人差し指を当てて、互いに口を閉ざす。 さらさらと葉を揺らす細い風だけが辺りを包み込み、耳を澄ませると遠くから森の中を掻き分ける音が次第に近付いて来ているのが分かった。

「ど、どうしよう」
「…シノブはここにいなさい。その怪我では、戦わせる訳にはいきません」
「で、でも! テッちゃんだって傷だらけじゃないか!」
「私は平気です。武器も壊れていない。必ず、生きて帰ってくると約束します。ですから…」
「あー! 行方不明の二人発見ー!」

 背中にとてつもなく、崖から落ちた時よりも半端ではない強さの衝撃が襲い掛かり、そのまま地面をごろごろと転がり先の木の幹にぶつかっては強制的に止まった。 うつ伏せになったままの体の上には、何か重いものがずっしりと乗っていて身動きが取れない。 一体何事かとなんとか首を曲げて見上げてみれば、そこにいたのは紛れもなく。

「シャ、シャムですか…」
「シャムですかってなんだよ、シャムですかって。せっかく助けてに来てやったのによお」
「もしかして、むてん丸達も?」
「おうよ! さっきの怪物も近くで暴れ回ってたからみんなでしっかりぶっつぶしてやったぜ!」

 大口を開け、両手を腰に当てながら大笑いするシャムに大きく溜息を吐いた。 しかし、どうやらシャム達の活躍により街を破壊し回っていた怪物は無事倒す事が出来たらしい。 絶体絶命だった状況で仲間が助けに来てくれた事には感謝しなければならないと思い、その旨をを伝えると、 ようやくシャムが背中からひょいとジャンプして地面に降りてくれた。 軋む体に鞭を打ち、やっとも思いで体を起こすとその視線の先にはむてん丸やくらら、海美達に囲まれて笑っているシノブが見えた。

「どう致しまして。しっかし、シノブもひでーけどお前もなかなかのもんだな! よし、おぶってやる!」
「いえ、結構です。一人で歩けます。それより、シノブの方が心配ですから…」
「じゃあ、シノブはお前に頼んだ!」
「は?」

 珍しく、真面目な表情のシャムについたじろいだ。 そんな自分を他所に、彼女は猫のような細い目つきで両腕を組みながら確かに、しっかりとした声で恨めしそうに告げた。

「お前の強烈な熱視線を背中からビシバシ受けるのは、もう真っ平ごめんだからな」
「…気付いて、たんですか。意外です」
「意外は余計だ、バーカ」

 まさか、気付かれていたなんて。 シャムに限っては有り得ないと思ってはいたけれど、 よくよく考えてみれば人の事をとやかく言える立場は今の自分には無い。

(なんせ、ついさっき、気付いたばかりなのですから)

本当の、自分の気持ちというものに。


***


 傾きを始めたオレンジ色の夕日が宿泊部屋を明るく照らしている。二人部屋を何個か借りて、無理を言ってシノブと同じ部屋にしてもらうようにむてん丸に頼んだところ、 特に何も言われることなく皆快く承諾してくれた。 今は酷い怪我を負っている上、疲労で困憊しているシノブがベッドで寝ている横で、 丸椅子に座りながらその様子をじっと見つめている。

「シノブ…」

 ぼそりと零したその呼びかけに返答はない。 呼吸は安定していて医師に命に別条はないと言われたといえど、体中が包帯だらけのシノブを見ているのはやはり心苦しかった。

(目が覚めたら、なんて言おう)

 今更ながら、皆が助けに来る前の出来事を思い出して急に顔が熱くなってきていた。ついに、言ってしまった。 言うつもりなど一つもなかったはずなのに、シノブを失ってしまうかも知れないという焦りと不安と、 行き場がなくなった強い想いが自然と言葉として口から出てしまっていた。 しかし、だからと言って告白した事を後悔をしている訳ではなかった。 ただ、自分にとっての好きとシノブにとっての好きが果たして同じ意味だったのかどうか、 正直なところ自信はなく、とはいえ改めて聞くのも何故か照れ臭い気もした。

(…照れ臭い? 何故、今そう思ったのだろう)

 生まれる感情に併せて疑問もまた生まれる。 昔と比べて多少は理解が出来てきたとは言え、急に変化を起こす自分の心にはまだついて行けそうにはない。

「……ちゃん、テッちゃん!」
「あ、お、おはようございます。シノブ」
「もう、何回も呼んだのに全然気付かないんだから。どうかした?」
「いや、その…大した事じゃ…」
「ふーん…。そっか……ふあぁ…」

 大きく口を開けて欠伸をこぼすシノブを見ていると、今日の出来事が嘘のように感じる程の穏やかな空気を感じた。 上体を起こそうとして小さく呻きを上げたシノブの背中と肩を支え、枕を腰に当てて体制を整える。

「ありがとう」
「いえ」
「…もしかして、照れてる?」
「て、照れてません!」
「照れてるなー、あはは。テッちゃんが照れてる!」
「あぁもう…からかうのはやめてください。せっかく落ち着いたと思ったのに…」

 くすくすと笑みを零したシノブの顔を真面に見る事ができなかった。 視線を外したままでいると突然、膝の上に乗せていた片手が温かい何かに包まれていた。

「シノブ…?」
「…あのさ。さっきの話の、続きなんだけど」
「!」

 上から重ねられた小さな手が、ぴくりと震えた。

「テッちゃんが思ってる程…軽い気持ちで言った訳じゃ、ないから…」
「何を、言って…」
「ほら、ここ…触ってみて」

 優しく引っ張られた手の平がシノブの胸元を触れる。 その奥で高鳴る鼓動がどくどくと神経を伝って体全体に広がっていくようだった。

「こんなに…どうして」
「……緊張、してるから」
「え?」
「好きな人と一緒にいる時って、こうなっちゃうのが普通なんじゃないのかな」

 ごくりと息を呑む。 突然の告白の始まりに頭の中は真っ白に塗り潰されていた。 普段は前髪に隠れている大きな瞳が、決して冗談を言っている訳ではないと強く訴えているように見えた。

「…それは一体、どういう意味ですか」
「だって、初めてじゃないんだ。こんなに、胸がドキドキするの」
「だから、それは…」
「…ばれちゃったら、きっと、気持ち悪がられちゃうって思った。だから、必死に隠してた。 テッちゃんに嫌われるのだけは、絶対に嫌だったから」
「そんな、私がシノブを嫌う訳がない」
「だって! 男が、男を好きになるなんて…普通、有り得ないでしょ? 何度も言い聞かせてきたんだ、気のせいだ、勘違いなんだって。でも、やっぱり自分の気持ちに、嘘なんてつけなかった」

 部屋の壁に掛けられた時計の、単調なリズムを刻む針の音が妙に頭の中でかちかちと響いている。 機械の体であるにも関わらず、シノブと同じくらいに高鳴る鼓動が奥から感じたような気がして、知らぬ間に自分の胸元を強く握り締めていた。

「でも、どうして…。私はシノブとは違う、人ではなくてただのロボットなのですよ。こんな、私を、あなたは」
「関係ないよ…。ロボットだからとか、そんなの。だって、テッちゃんだって皆と同じ優しい心を持ってるじゃないかっ…!」
「シノブ…」

 シノブの瞳からぽろぽろと溢れる大粒の涙が、自分の中の熱い何かを芽生えさせているのが分かった。 他人から見れば奇妙で非常識な関係なのかも知れない。 しかし、誰に何と言われようが、どう思われようが、想い合う気持ちは決して偽物などではなかった。

「…シノブの気持ちは、よく、分かりました。しかし、私はまだ皆の言う真心を全て理解できている訳ではありません。 ただ、私達の気持ちに相違はないのだと、それだけは自信を持って言う事が出来る。シノブの言葉を聞いて、そう強く思いました」
「テッちゃん…」
「ですから、シノブに聞いて欲しいお願いがひとつだけあります」
「何…?」
「…こんなポンコツな私を、これからもずっと見守っていてくれませんか」
「え、あ…えぇ!?」
「この旅が終わっても、私はシノブの隣りにいたい。シノブが一緒ならば、何処へだってついていきます。 ですから、今はそれで、我慢してもらえませんか?」
「あ、ちょ、あぁもう…それ、自分で何言ってるのか分かってる!?」

 正直なところ、自分がしたい事をはっきりと明言しただけだったので、 シノブが何故顔を真っ赤にして目を逸らしながらこんなにも慌てているのかはよく分からなかった。

(……ふむ、やはりまだ修行が足りないのか…)

 自分一人では解決できそうにもない問題である事は明白だと思い、今度時間がある時にでも女性陣に当たり障りなく相談をしてみよう。 そう、早々と決断をするとシノブは畏まった形でベッドに正座をして膝に両手を乗せ頭を下げると、慎まやかに自分に向けて告げたのだった。

「どうでしょう。お返事、頂けますか?」
「…はぁ、仕方ないなぁ。そのお願い、聞いてあげてもいいよ。だから、その…ええと。これからも、何卒よろしくお願いします」
「あぁ、はい。そうですね。こちらこそ、よろしくお願いします」

 シノブを真似て膝に両手を揃えて乗せ、しっかりと頭を下げるとあまりに畏まりすぎたのか、 不思議とお互いがおかしくなってしばらく二人で腹を抱えたのだった。

「いた、いたたた、あははは! 膝におでこつくまで頭下げなくてもいいじゃない、うははは!  あー痛い痛い、痛いけどおもしろー!」
「シ、シノブ! 全くもう、傷が開いたらどうするんですか! 笑うのはやめなさい!」
「そ、そんなの無理っ…ぷふふ、あっはっはっ…んんっ!?」

 うるさい口は塞ぐに限る。彼と同じものが存在しない自分にとっては、人の真似事でしかないのかも知れない。 しかし、これでシノブの笑顔を見る事が出来るというのなら。

「…こんな、感じで、合っていますか?」
「な、何が…」
「キス、です」

 今の自分なら、シノブの為に何だってこなしてしまいそうな気がして、我ながら少しばかり恐ろしいなと心の底から思った。


(2015.07.22)


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