「オロシちゃんの様子がおかしい?」
窓ガラスからきらきらと射し込んだ太陽の光にうとうとし始めていた昼時。カフェのテーブルを挟んで向き合うように座っていたハットちゃんから告げられた言葉に一瞬疑問を持つも、すぐさま納得出来てしまうのが何と言えども面白いところが彼女の良いところであるとは思う。そんな事を口にすればお前も人の事言えないぞ、とすぐ頬を摘ままれてしまうので、なるべく心の中だけで思うようにはしているのだけれど。
「例えばどこが?」
「…まず、何か知らんがすごくおどおどしてる」
「ほう…」
「それでもって、妙にガールらしい」
「あー、それは変ですわ」
「やっぱり変だろ?」
「それは何か事件起きてるよ、絶対に」
そっと浮いた疑問も一連の会話ですぐさま一転する。少し話を聞いただけでどうやら何かしらの異変が起きている事は間違いないと確信した。元々変わっている友人ではあったものの、あまりの馴染みのない変わり方だと、もしかしたら彼女自身の身に何かあったのかも知れないと心配にはなる。
あっという間に平らげたイチゴパフェのグラスに付着した生クリームをこれでもかという程に掬い取り、半分残っていたキャラメルフラペチーノを一気に飲み干し、小さく溜め息を吐いたハットちゃんの腕を引っ張り広場へと出た。この時間なら大抵広場かイカスツリーの中のロビーを彷徨いていれば何処かで顔を合わせる事が出来るはずだ。周りをきょろきょろと見渡しながら慎重にその人影を探していると、意外にもその人物は建物の陰に設置されたベンチにこれまた大人しそうに鎮座していた。いつもと違い纏っている重い空気のせいで、なんとも話し掛けづらいその雰囲気に戸惑いを隠せずにいると、掴まれていた手をそっと外したハットちゃんがゆっくりと彼女の元へと近付き、その隣へと腰を下ろした。
「おい、フデオロシ」
「う、お、アアッ! な、何…でショウ」
「……な?」
「ふむ」
もじもじと膝のスパッツを握り締める両手、普段の活発さは何処へやらはっきりとしない態度と言動、見詰めるだけで照れ臭そうに頬を赤く染める、そんな様子に既視感を覚えた自分と彼女は恐らく今、信じられないと思いつつ同じ一つの考えに到達している事に恐らく相違はない。
「こんな事って、普通、ないと思うんだけど…」
「でも、それしか考えられないんだよ。やっぱり」
「ううん…」
「お、オメーら、ナニ言ってんダァ…ハハハ」
イロメガネを通じてブレる薄らとした視線と擦れ違いざまにぶつかった気がして、ごくりと喉を鳴らしながら息と共に止めていた言っていいのか悪いのか分からないその問いを、無言で頷き合ったその後に、なけなしの勇気を振り絞りながら彼女にぶつけたのだった。
「……もしかしてキミ、パッチンくん?」
***
朝起きたら完璧に知らない部屋のベッドで横になっていたものだからさすがに驚いて一瞬で目が覚めた。見慣れない天井をじっと見上げながら、昨日の夜の事を思い出そうとしても別段いつも変わりはなかったはずだった。じっとしていても仕方がないので、生活必需品以外ほとんど物が置かれていないシンプルな部屋を見渡していると枕元にあったイカクッションの陰に携帯電話が置かれている事に気付いて、自分のものではないと分かってはいたものの、状況が状況であった為、心の中で一言ごめんと謝ってはその画面に指でタップをした。
(…チッ。ロック掛かってる)
目の前を阻んだのは四桁の数字を入力するパスワード画面。さすがにこればかりは何のヒントも心当たりもないので諦める他ない。しかし、その前に、と一度だけ適当に入力するだけしてみようとつい往生際の悪さを発揮して、なんとなく自分の誕生日を打ち込んではOKボタンをタップしてみる。
「あ? 何だよ、開いちまった」
軽い気持ちで入力したパスワードがたまたま合致してしまったらしく、嬉しいような恐ろしいような、もしかしてこの部屋の主は自分と同じ誕生日なのかも知れない、と勝手に親近感を沸かせては緑色の電話帳のアプリをタッチして中を開いた。
適当にスライドして流すように画面を眺めていると、ふと見慣れた名前がずらりと並んでいるフォルダを見つけた。
「……ハットに焼きイカ、それに…フデ、オロシ…」
その羅列を見つけた瞬間、携帯電話をベッドに投げ捨て、慌てて洗面所を探してはどたばたと部屋の中を駆け回る。どうか悪い予感が外れていますように、と心で願うも、それはようやく見つけた真四角の鏡の中に映っていた今の自分の姿を見た瞬間見事に粉々に打ち砕かれたのだった。
「ダ…ダーリンになってるぅーーー!!」
まじまじと鏡を睨みつければつける程、ピンク色の瞳、鮮やかなターコイズの髪、そして今まで何故気付かなかったのか、明らかにパッチンらしい優しく柔らかいボーイの声が喋る度に反響し、耳にこびり付いては一向に離れない。
(と、という事は…ここはダーリンの部屋で、そんでもって恐らく…今頃…)
パッチンになっている自分がここにいるという事はつまり、自分になったパッチンがどこかに存在しているという事になる。さぞ驚いたことだろう、昨日までガールだった体がボーイに、ボーイだった体がガールになっているのだから。とにかく一度会って現在の状況をこの目で確かめる必要がある。
締め切られたカーテンを一気に開くと外は見覚えのある団地のようだった。この場所からハイカラシティまでの道のりならば駅までなんとか辿り着けさえすればハイカラシティまではすぐだ。しかし、その前に重大な問題が一つある。
「……パンツ、どこだ」
寝巻きのままで外を出歩く訳にも行かない、という事は。一度いつものギアに着替えなければいけない。それは、つまり。
(ダ、ダーリンのハ・ダ・カ〜…イエー…!)
さり気なくスパッツのウエスト部分を引っ張り、所謂ガールにはないアレがある部分をそっと覗く。おお、と我ながら感嘆の言葉を述べると不思議と満ち足りた気分に陥り、それからというものの、何故だかすっきりとした頭で冷静にハンガーに掛けられたアーバンベストナイトへと手を伸ばしたのだった。
***
「アッ…わ、分かる? 俺のコト、分かル!?」
「…どひゃあ、本当になんとなくパッチンくんだ…」
「中身だけ、な」
フデオロシ(中身はパッチン)を間に挟むようにベンチに座ってまじまじと両脇からいつもとあまりに雰囲気が違う彼女の姿を見た。左隣にどっかりと座り込んだ焼きイカは興味津々といったように指でつついたりそのびくびくとした反応を面白がってはくすくすと笑っている(笑っている場合ではないのだけれど)。
パッチンに話を聞いてみたところ、どうやら今朝方目を覚ました時には既にフデオロシの姿になっていたらしく、見知らぬ部屋で起床した事に頭を悩ませ、その上気付いたら体がガールになっていたものだから驚くのも無理もない。
「そうなっちまった心当たりはあるのか」
「ウウン…昨日はいつも通りフツーにバトルして、帰りはオロシちゃんとハンバーガー食べて、その後もまたアシタって別れて家に帰ったハズ…なんだケドォ…」
はぁ、と大きな溜息を吐きながら普段とは全く違うくぐもった声で話すパッチンの落ち込みようが目に痛い。
中身だけが入れ替わる事態などマンガやゲームの世界でしか有り得ないものだと思っていたので、どう対処してどう励ませばいいのかさっぱり分からず、ただただその可哀想な状態を眺める事しか出来なかったが、ここでぼうっと話を聞いていた焼きイカがパッチンの目の前に飛び出し、一つ脈絡もなく手を上げては、今思いつきましたとでも言うような発言をぶつけた。
「ちゅーのひとつやふたつ、やっときゃ治るんじゃね?」
「あっ!? な、に、何言っ、な、ナニ、あっ…オオオォッ」
「いらん事を言うなアホ」
ただでさえ混乱しているであろう頭の中を掻き回すように荒らしていく焼きイカの頭を軽く小突き、ただただおろおろと体を震わせている彼を見下ろしながら顎を摩った。
「…とにかく。原因が分からないんじゃどうしようもない。まずはフデオロシを探すぞ。アイツからも話を聞いてみないと」
「ケータイ繋がらんの?」
「一応繋がるんだケド、出ないんだ。オロシちゃん」
「フム…それじゃあ、テンデンバラバラに探すんか?」
「まぁ…固まって探すよりはその方がまだ効率は良いだろ。パッチンはどうする? 一人が嫌ならどっちかと一緒に…」
「あっ…いや、ううん、ダイジョウブ。なんとか、探してミル」
たどたどしい声でそう強がるパッチンに若干不安を覚えるも、頑なにそれだけは譲ろうとしなかった為、仕方なしに三人別々の行動を取る事にする。さっさと見つけてしまおうと広場を背にしようとしたその時、思い出したかのようにただ一つ、彼に注意点を告げて。
「…パッチン」
「な、何?」
「……イカスツリーの裏の古いビルが立ち並んだ先にある路地。そこにだけは行くなよ。いいな」
「えっ…?」
日が落ちオレンジ色の夕日が空を染めている今。三十分もすれば次第に藍色の夜空が街を包み込んでいるだろう。そうなるとフデオロシの姿であるパッチンを一人にしておくにはあまりにも危険すぎる。
(…いつもこれくらいの時間から、だったよな。確か)
ナワバリバトルでも、ガチバトルでもない。ただ家に帰るでもなく、カフェやアルバイトに行く訳でもなく、ふらりとその日の気分で暗がりの中へと消えていくその先で、彼女の生き甲斐とも言えるあの行為の相手が今か今かと待っているのだろう。
今現在フデオロシの中身がパッチンと入れ替わっている事などこの場にいた焼きイカと自分、そして街のどこかにいるフデオロシしか知っている者はいない。だからこそ、知らずにフデオロシを誘うボーイが今日もまた目の前に現れてしまう事が一番の問題であり、最大の不安要素だった。
(…大丈夫だとは思うが…そうなる前に、早くアイツを見つけないと)
彼女の所在に心当たりがない訳ではない。しかし確証はないので結局はしらみ潰しに探していくしかない。
二人に一旦別れを告げ、後々また広場に集まろうと口約束だけ交わし、一人そそくさと駅のホームへと向かう。パッチンとフデオロシが入れ替わってからおそらく半日は経過しているであろう今、目的としている場所にまだ存在しているかどうかは半信半疑ではあるが、もしもの可能性を信じてただただ早足に前へと進んでいくしかなかった。
***
正直なところ、これ以上一人でいるのは不安で仕方が無かった。彼女の夜の噂はハットさんから少し話を聞いていた事もあり、先程忠告された言葉もおそらく、それに関連したものであるというのはそこはかとなく察した。一人で行動させてもらいたかったのは彼女の裏の事情を知りたかったという意味も含まれている。あまり人の深入りするのは良くないと知りつつも、心の中ではその連鎖を断ち切りたい気持ちでいっぱいだった。
(…分かってはいた、けど、やっぱり…辛いよな)
好きな人が自分の知らないところで知らないボーイと所謂、そういう行為をしている。今まで気にしないでいるつもりだったけれど、その状況を想像するだけで気持ちが悪くなってしまう程に滅入ってしまう。ただでさえ、行為そのものにあまり良くないイメージしか持たない自分にとって、何故そんなにも離れ難くなる程に快感を得られるのか全く分からなかった。
気分がじわじわと落ち込み始めたところでぶんぶんと頭を振り、とにかく今は自分の本来の姿になっているであろう、彼女の所在を掴むのが先だと気持ちを切り替える。しかし、広場の一本裏手に入った小路地で屯しているボーイやガールに話を聞いてみるもなかなか目撃した人に会う事が出来ない。そもそも、元々目立つ事を避けていた自分を見たところで記憶に残るかどうかも疑問ではあるが。
(唯一手がかりがあるとしたら…。でも、今はボーイの姿な訳だし…まさか、いないとは思うけど…)
それでも心当たりのある場所はしらみ潰しに探してみるしかない。ハットさんには止められたものの、少し様子を見に行くだけならなんとかなるだろう。そう信じてイカスツリーの裏側へと恐る恐る足を運ぶ事にする。時間も時間のせいかどんよりとした重い空気を狭い視界の中で、時々すれ違うインクリングのざわめきが心臓に突き刺さり胸に痛みが生じてくる。ただでさえ掛けているイロメガネのせいで周囲を見渡すのが難しいのに、どんな人がどんな目で今は自分である彼女を見ているのか、考えるだけで酷く怖く感じた。
十数分後、目的地である電灯一つさえない暗い路地の中へと静かに足を踏み入れた。
「…うぅ。やっぱり、怖いナァ…」
いつ後ろから肩を叩かれるのか分からない。少しでも人の気配を感じたら一目散に全速力でここから逃げ出そう。この場所へ来る前からそう、心に決めていたはずなのに。
「遅かったじゃん。結構、待ってたんだけど」
「………っ!」
時既に遅し。決め込んだ覚悟も役に立たず。ゆっくりと暗闇の中から姿を現した、意外にも紳士的な佇まいのボーイに声を掛けられ咄嗟に振り向くと、意外にもその距離の近さに思わずたじろいだ。
「アッ…の、えと、ドチラサマ…」
「へ? もしかして忘れちゃってんの、約束。そりゃないよ。楽しみにしてたのに」
「た、タノシミ…?」
「おカネは勿論ちゃんと払うよ。ほら行こ、ちゃんとホテル、とってあるからさ」
ホテル。その三文字だけでこれから行われようとしている彼の思惑がすぐさま理解できた。普段より細い手首をがっしりと掴まれ、ルンルンと楽しそうな見知らぬボーイに引きずられるように煌びやかな建物が並ぶ裏の街へと足を進めていく。
このままでは明らかにマズイ。自分の身体ならまだしも今は彼女の身体の訳で(そもそも自分の身体だったらこんな事態には陥らないのだけど)このままでは彼の思うがままになってしまう。ここは意を決して、どうにかしてこの場から逃げ出さなければ。そう思い、一瞬手の力が緩んだ隙に反転して駆け出そうとしたその時。
「こーら」
「う、オォッ! ちょ」
咄嗟に足を掛けられ体勢を崩し両手のひらが地面にべったりとついた直後、背中が知らない温もりに包まれた事に気付いた。耳元に落ちる軽い声がざわざわと脳内にノイズを響かせ、拘束するように手首を押さえ付けられどくりと心臓が鼓動する。
「あんまり乱暴な事はしたくないんだけど。気分じゃないからって、約束破っちゃう気かい?」
「あ、いや、その、そんなツモリじゃ、ない、ンだケドォ…」
「ちゃあんと理由教えてくれないと…ここで、襲っちゃうから」
(ひぃい!)
意外にもさらさらと滑りの良い手の平が頬を撫で、だらりと垂れた髪を掬い上げるように擦り上げた。その奇妙な擦れる感覚にぶるりと体が震え、しかし何故だか微かな快感さえ覚え始めていて、頭の中では延々と危険信号が鳴り響いているにも関わらず心の底では欲求がむくむくと生まれ始めていた。
(何、これ…こわい!)
自分の身体では味わったの事のない、電流が走ったかのような痺れが瞬時に伝わり、自然と熱い吐息と乱れた声がぽろぽろと落ちてくる。その間にもフク越しに脇腹からお腹、胸の方までに手は伸び、力の入らなくなってしまった腕ががくんと落ちて気付けば地面へと完璧にうつ伏せになってしまっていた。
「んッ…ヤッ、めて…! ヤダッ…!」
「おっ。なんか今日はいつもと反応が…」
馬乗りになってフクの裾からゆっくりと侵入してきた手がついに直接肌へと触れて、ついには豊満とは言えない胸(後々失礼な事を思ってしまったなと反省したが、間違ってはいない)へと辿り着こうとしていたその時。
「…何してるの」
「あぁ?」
何処かで聞き覚えのある声だと思った。それでも何故だか違和感が拭えないのはやはり口調の違いからだったのかも知れない。息を乱しながら振り向けば、鏡越しでしか見た事がない、正真正銘の自分自身が目の前に無表情で見下ろしながら仁王立ちしていた。その様はあまりにも彼女の存在を堂々とアピールしていて、明らかに自分であるのに絶対に自分ではないもう一人の僕が確かにそこにいた。
「悪いけど、その子。今夜は俺と約束してるんだ。離れてくれる?」
「いやいや、何言ってるの。フデオロシちゃんとは俺と…」
威勢のいい彼の声が途端に萎んでいった事に疑問を抱き、捻るように見上げた先に映る恐ろしいくらい冷たく凍った表情に一瞬、自分に似た全く別の人物なのではないかと疑った程だった。
「…分からねぇのか? 空気読めや。今すぐ俺の視界から消えろって言ってんだよ。さっさとその子から離れろ、クソッタレ」
「っ…まさか、君にオトコが出来てたなんてなぁ。ま、今回ばかりは仕方ないか…また今度、良かったら遊んでね。それじゃ、フデオロシちゃん」
チュ、と飛んできた軽い投げキッスがころりと頬にぶつかり、これ以上被害に遭いたくないとでもいうように、彼はさっさと早足で細い路地の中へと消えてしまった。
本人でさえこんなにも威圧感のある形相になった事がないのではないか、と思うくらいに影を帯びていた彼女の顔は、次第に柔らかくなり本来の明るみをゆっくりと取り戻していった。差し出された手に無意識に伸ばすも、自分自身にエスコートをしてもらっているようでなんだかこそばゆい。
「…ったく、アイツに言われなかったか。ここには近付くなって」
「そう、なん、です、ケド…その、オロシちゃん…もしかしたラ、ココにいるかと思ッテ」
「いるワケねぇだろ、今ダーリンの身体なのに」
「ご、ゴメンネ。あ、その…助けてくれてアリガト」
「…ま、探させちまったコッチも悪いんだし。別にいい。んな事よりさっさと帰ってシコシコしますかァ」
「オネガイだから、ソレだけはヤメテ!」
目の前でスパッツのウエスト部分を引っ張り、手を突っ込もうとする彼女の腕を必死に引っ張り、さっさとこんな場所からはとんずらしてしまおうと何故かがっかりしている彼女の背中を押しながら煌びやかな表の世界へと駆け足で戻る事にした。
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