フデオロシもあんな顔する時あるんだ、と一目見てぽっと出た率直な感想はどうやら見間違いによるものではなさそうだった。つい先日まではタッグマッチには興味がないと言い捨てていた彼女が、見た事のないインクリングのボーイと二人でロビーへ入っていくのをたまたま見かけた。一瞬だったけれど、その時垣間見た表情の柔らかさがあまりに衝撃的過ぎたのか脳裏に焼き付いてしばらく離れそうにない。隣りでのんきに缶ジュースを飲んでいたサロン通いのこんがり肌も二人の存在に気付いたようで、不思議そうにその様子をじっと眺めていた。

「ねぇ、ハットちゃん。あのボーイくん、オロシちゃんのお友達かなぁ」
「……あいつのダチ、ねぇ」

 自分達以外にフデオロシとつるむインクリングがいるなんて、まさしく天地がひっくり返る程に有り得ない話だと思っていたけれど、きっとこれは世間的に言えば喜ばしい事実なのだろう。その反面、彼女が少し遠い存在になってしまったような寂しさを感じる部分もあって我ながら心の狭さに苦笑した。

(ま、そのうち向こうから言ってくるだろう)

 何もコンタクトがなければ大した知り合いでも友人でもなかったという事である。それはそれで別に構わないし知った事ではないが、と無意識にも心の中で呟いた素直じゃない自分も嫌いではない。
 すると、少し目を離した隙に隣りの姿がいつの間にか消えていた。また迷子になったのかと思い、適当に広場をちらちらと見渡すとあろうことかロビーへと向かって無邪気にも全力疾走をかまし始めたところで、その背中を慌てて追いかけてはがっしりと腕を掴んだ。

「おい、何してる」
「えぇー? 何って、オロシちゃんにさっきのボーイくん、紹介して貰おうと思って」
「は? いや、それは…まだ知り合いかどうかも分からないし、やめておいた方が」
「へえ〜…フフフン〜。ハットちゃんでも分からない事あるんだ! アタシはすぐに分かったもんね、絶対あの二人めっちゃ仲良しだし! こういう時の勘はよく当たるんだぁ」

 仲が良さそうだというのはこちとらだって分かっている。あのフデオロシがあれだけ楽しそうにしているくらいなのだから、二人を知らない者でもそれくらい見ればすぐ分かりそうなものである。だからこそ、こちらから声をかけるのは所謂野暮というもので、触らぬ神に祟りなし、何か仕出かしてフデオロシの神経を逆撫でする事だけはどうにか避けたい。と、ここまで気を遣っている自分に構わず、今にも一人で飛びだしていきそうな彼女がこの通り、多少空気を読めない事は日常茶飯事であり最早慣れたものだった。

「そんな事より、ちょっと付き合ってくれ」
「へ? 何に」

 大抵彼女と会話をしている時は、話題を違う方向へもしくは全く別物へところりと変えてしまえば、興味の対象がこれまた簡単にころりと何処かへ移ってしまうので(それがまた面白い)対処は難しくはなかった。

「買い物だよ、買い物。そこの店、新しいフク入荷したって聞いたから」
「え、ウッソ! そんなのアタシ聞いてないよ。さっすがハットちゃん、情報通だきゃ」
「寧ろそっちに詳しいお前が何で知らないんだよ。ファッション雑誌、買ってるって言ってなかったか?」
「あー…いや、ほらな…今、ちょーっとキン欠でさぁ」
(……まーた日焼けサロン行ったのか、コイツ)

 何もない方向に視線を逸らして、えへへと苦笑しながら眉尻を下げた彼女に自然と溜息が出た。
 ロビーを向かいにして左手に見えるフク屋は、ハイカラシティでナワバリバトルをしているインクリングにとっては馴染みの店だ。飽きる事のない程に数えきれない種類のフクを取り揃えているが、どうやらここ最近まだどの店にも出回っていない新作がいくつか入荷されたらしい。ファッションに関しては言う程詳しい訳でも興味がある訳でもないが、バトルを嗜む身としては気にならないと言えば嘘になる。

「今日はバトルしないで一緒にぶらつこうなんて言ってたアホはどこのどいつだ」
「ナハハハ…まぁ、確かにそうなんだけどぉ…」
「……あまり高くないものであれば、ひとつ何か買ってやらない事もない」
「えっ! マジ? アッハッハ、さっすがハットちゃんハットアネサン、ハットサマサマ〜!」
「うるさい! 騒ぐな喚くな抱きつくな!」

 調子に乗るとすぐこれである。いつも目をキラキラ輝かせて人を押し倒す勢いで抱き着いてくるものだから、自然と腹筋が、寧ろ根幹から鍛えられ始めているような気もする。あまりにも鬱陶しく胸元で頬ずりをしてくるので、軽い脳味噌がコロコロしているであろう頭をボンボンニットごと、本日も景気良くごつんと一発拳を下ろしてやったのだった。


***


 ピンク色の大きな瞳に自身が映り込む瞬間が好きだった。素っ気ない態度など微塵も気にする様子はなく、会う度会う度引っ付いては笑顔を振り撒いて自身の渾名を何度も呼んだ。そんな彼女が眩しく温かくもありつつ、自分でもよく分からない、何処かに引っかかった息の詰まるような苦しみも確かに存在していて、ハイカラシティに住み着いてからというものの、リッターを担いで一人野良に紛れ込んでは静寂の中で淡々と敵を討ち続け、次第に周りのインクリングからは恐れられ声も掛けられず、ましてや誰かと会話する事さえ無くなっていった。そしてそれが、これからも永遠に続くのだと信じてやまなかったというのに。

「ねーキミー!」

 あまりに唐突だった。ある日、バトルが終了してロビーで少し休憩をしようと思っていた矢先だった。背後から地を蹴る激しい足音が聞こえたかと思えば、体が吹っ飛ばされる程の衝撃が舞い降りるとそのまま擦るように地面を滑った。周りが騒然とする中、ぎりぎり受け身を取る事に成功し安堵していると、仰向けになった体を跨るように腹の上へと乗った元凶は只々にんまりと笑いながら、視線をがっちりと合わせてもう一度大きな声で訴えたのだった。

「ミラクルスーパーめっちゃ強いねー! フレンドなろ! フーレーンードー!」
「ああもう、声がでかい! 分かったから、とにかく黙れ!」

 持っていたリッターを振りかざして頭を数回殴る。しかし、如何にしてもたじろぐ事のない彼女の顔は嫌でも見覚えがあった上記憶にも色濃く残っていた。

(こいつ…さっきのノヴァ野郎か)

 時遡る事、三十分前。つい先程まで参加していたナワバリバトルで、ボンボンニットの妙に肌が黒いガールが同じチームにいたのをふと思い出す。ステージはネギトロ炭鉱、いつもの通り高台から敵チームの攻め込みを潰すようにひたすらリッターで撃ち抜き続けた。細心の注意を払いながら広い炭鉱を見渡していると、ひとり敵陣へ破竹の勢いで突っ込んでいるバカが見える。ボンボンニットのボンボンをぷらぷらと揺らしながら、ぶかぶかのジップアップグリーンを身につけ、構えたノヴァブラスターを四方八方に撃ちまくりながらも堂々と真っ直ぐに敵陣へと攻め込んでいる。かと思えば、トラップを仕掛けている間に後ろからローラーに轢かれてはリスポーン地点へ戻され、再び足を踏み出すも今度はチャージャーに真正面から挑んで感嘆してしまう程容赦なくインクを浴びせられ戻される、等珍行動も何かと多い。しかし仲間を助けたり助けられたり、そのせいか異様にその存在が自分の中で目立ち始めて、視界に入るとつい気になって目線で追ってしまう程だった。

(……変なヤツ)

 他のインクリングの事など興味はなかった。なかったはずなのに、気付けば彼女ばかり目で追っているなんて俄かにも信じ難いが事実には変わりない。矛盾したような、不思議な感情に踊らされている気がして苛々が沸々と募っていった。
 バトルも終盤にさしかかった頃、再び中央の谷間で忙しなくくるくるとインクの中を泳ぎ回っている彼女を見つけた。どうやら敵チームのダイオウイカから必死に逃げているらしい。

(窮地に陥ると力を発揮するタイプか?)

 どう足掻いてもダメージを受ける事のない最強のダイオウイカ、とはいえ、その姿を保っていられる時間は勿論限られている。この様子ならなんとか逃げ切れるだろう。そう思い、標準を他のインクリングに変えようとしたその時、小さな悲鳴が確かに聞こえた。

「ああっ…! も、だめ、だや」

 その一瞬で、自分が今何をしたのか、何が起こっていたのか全く分からなかった。記憶が吹っ飛ぶ程に野性的な思考が体を瞬時に動かした。ダイオウイカから元の姿に戻ったスプラローラーが即座に跳び上がり、腰を抜かした彼女を叩き潰そうとしたその時、右の人差し指がそれに反応を示したかのようにトリガーを引いていた。細いインクがスプラローラーに目掛けて目で追えない程の早いスピードで飛んでいく。

(当たれ!)

 スプラローラーが振り下ろされる直前、そのインクリングは見事に四散五裂し、辺りにはギアと持ち主を失ったブキがごろりと転がっていた。

「よし! …いやいや、よし、って…」

 あまりの見事なリッター捌きに自画自賛だと分かっていながらも声を上げた上にガッツポーズまでしてしまった。そんな自分に苦笑していると、未だ腰を抜かしたまま動けない彼女がじっとこっちを見詰めていた事に気付いて妙に恥ずかしさが募る。

(み、見られた…)

 よりによってこんなアホな所を見られてしまうとはなんとも照れ臭い。思わず視線を外して別の獲物を探す振りをしてリッターのスコープを覗いた。しかし、どれだけ標準をずらしても彼女の姿がこれでもかと言うくらいに乱入してくる為、このままでは狙えるものも到底狙えない。一体何なんだこいつは、と思い、仕方なく彼女に標準を合わせて様子を伺うとどうやら口をぱくぱくさせて何か言っているようだった。

「…………ナイス、か…」

 じっと様子を見ていると、両腕を上げて此方を見上げながら嬉しそうにぶんぶんと手を振っている。その場で何度も何度も跳ねながら贈り続けられたスコープ越しの笑顔に、溜息を吐きながらも仕方なしに返事をしてやると、それがあまりに久しい感覚だった事に今更気付いて我ながら苦笑してしまった。




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