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 付き合う前から彼が身売りをして生活をしている事は既に知っていた。本人に直接問い質した事もあり、カネの事なら心配するなと説得を試みたものの、今まで一人で生きてきた事もあってか誰かに頼って生活をするというスタイルが気に食わないらしく(年下に養われる、という事実が恐らくプライドを傷つける最大の原因であると思われる)、どうやら恋人という存在が出来たはずの今でもその商売から足を洗えずにいるようだった。
 カネを稼ぐだけなら他にいくらでも仕事はあると言った事もあったものの、面倒な事柄は極力避けているのか手っ取り早く懐を温めるには今の仕事が一番だ、という考えが頑なに頭から離れずにいるのだろう。それを知っていて黙っていられる程、自分も大人ではない。というよりは、決して大人だから我慢できるという事案ではない上に、恋人が知らないところで自分以外の誰かに抱かれているという事実があるだけで苛立ちが込み上げるのは至極当然の感情と言える。
 その一方で、当の本人は生きる為なのだから仕方がないと変に吹っ切れているものだから質が悪かった。なんとか阻止しようとも元々ひとりでふらふらと街中を彷徨っている性分のようで、主に落ち合えるのは彼の幼馴染が経営している銭湯、もしくは直接電話で連絡を取る事は出来るものの結構な気まぐれである為、そのまますぐに会ってくれるかどうかという保証はない。

(悪い気はしたが、こればかりは仕方ない)

 彼の仕事を阻止する為、なお且つ確実に会ってゆっくり話を出来る方法を考えていたところでたまたまコンタクトを取る事の出来たのが、彼の知人であるダビデというボーダービーニーを被った年上のボーイだった。

「君、もしかしてマサキくん?」

 少々どころか全体的に怪しい雰囲気を纏う彼の言葉を素直に真に受けて良いものだろうか、と一瞬悩んだものの、そういえばヨリの幼馴染から、知り合いに腕の利く情報屋がいる、という話を聞いた事があった。長年の付き合いで信頼の出来る彼がそう言い切れる存在ならばと、藁にも縋る思いだった自分は思い切って話を持ち掛けてみると、既に事情を理解しているのか、行き当たりばったりでぶつけた提案はあっさりと受理されたのだった。

「アイツの足取り掴むなら俺に任せとけよ、上手く二人で落ち合えるように仕組んでおくさ」

 ただし、そういったオプションは依頼料とは別に取るもの取りますがね、と商売上手な彼は小さく苦笑しながらも手付金をふんだくるとその日はまた後日連絡するとだけ言い残してその場を去っていった。もしやそのまま失踪されてしまうのでは、と不安な部分もあったものの、律儀にも次の日にはメモに書いて渡しておいた自分の携帯電話へ準備は整ったとの連絡を早速入れてくれたらしく、いい加減そうな見た目とは裏腹に律儀に仕事を熟す彼に心の中で小さく謝っておいた。
 そして、待ちに待った約束の日。ダビデが言っていた通り、指定された時刻に店へと訪れてみれば、眉を潜ませどこか困ったような表情を浮かべてソファーに腰を下ろしていた恋人が確かにそこにいた。今夜の相手が自分だという事も知らずに。

「っ、おい! どこ、行く気…」
「今夜の相手は俺だろう。行先など、決まっている」
「お前、それ、本気で…」

 腕を掴み戸惑う彼を他所に引きずりながら、底から生まれた怒りの感情のままに店の外へとずんずんと進んでは、既に部屋を取っておいたホテルへと足を踏み入れる。無人のフロントの前を通り抜け、ジップアップカモのポケットに突っ込んでおいたルームキーを取り出してはその部屋の扉のドアノブへと挿し込んだ。

「いっで!」

 そのままキングサイズの真っ白なベッドへと突き飛ばし、暴れて抵抗を見せる彼を無視しながら、着ていたジップアップカモの袖で頭上に纏め上げた両腕を縛り上げる。痛みを感じる程に締めてしまったせいか表情が幾分か歪んでおり、それにも構わずうつ伏せになるよう体を転がし、枕へ突っ伏するよう臀部を突き出した状態で後頭部を掴んでは押し付けた。

「あ、っぐ…何、す」
「…普段通りにしていればいい。どこぞの誰とも分からない輩へどんな風に媚びているのか、今すぐここで俺に見せてみろ」
「そんなの、分かんね…っ、う、あぁあっ!」

 膝をつき腰を上げ引き剥がすように脱ぎ取ったスパッツが膝まで落ちて、目の前に露となったまだ開ききっていない彼の後孔へ、サイドテーブルの引き出しに入っていた手首程の太さのある陰茎に似せられた生々しい玩具をずぶずぶと突き刺し、手元のボタンを親指で押し込めば先端がその奥でぶるぶると小刻みに震え始めていた。

「は、あ、っく…やだ、こんなの、くる、しっ」
「どうした、客を悦ばせるのが得意なんじゃないのか。客に対してそんな態度を取っていたらクレームもんだろ」
「ひっ、ぐ、うぅっ! ふ、う、い、だいっ…んな、乱暴に、動か…ふ、あぁ!」

 厭らしい水音を立てながら出し入れを繰り返し、強弱に波のある振動が高まる度に部屋に響く悲痛な声によってより高鳴ってゆく心臓にごくりと息を呑んだ。
 後孔へと玩具を深く挿し込まれたその上から無理矢理スパッツを履き直させ、その突起で薄く伸ばされ中でうねうねと動いている黒に苦笑を漏らし、恐怖と同時に体全体へと舞い降りてくる快感に小さく震えている、自分よりも一回り程小さな体に背中から覆い被さり腰を這うように回し、もう片方で自身の体重を支えるようにベッドへ手をつきながら、ゆっくりと下半身へと下ろした右手で既に膨らみかけていた彼の陰茎をぎゅっと握り締めた。

「う、くうぅっ! なん、で…押さえんじゃ、ねっ…ん、あっ、あんっ!」
「…そう簡単にイかせてもらえるなんて思ってるのなら、それは大間違いだ」

 彼の髪を一つに纏め上げている黄色のゴムを乱暴に抜き取り、はらりと顔の脇へと流れ落ちていった深緑を他所に、そのゴムで今右手で握り締めている陰茎の根元を縛り付けるように巻く。苦し気に嘆く声に聞く耳を持たず、ロッケンベルグTブラックに皺が出来る程乱暴に腕を掴んでは縛った両腕を頭上に掲げさせたまま仰向けに転がしその表情を見下ろせば、真っ赤に頬を染め息を荒げては彼のとろりと溶けていく表情が目の前に浮かんでいた。

「…上手いもんだな。そうやっていつも相手の客を煽ってカネ欲しさに媚びているのか」
「ち、が」
「適当にあんあん啼いて足を開けば儲かる楽な仕事だな。羨ましいくらいだ。…心底、気には食わないが」
「っ…、くそっ…! お前、さっきから、なんなんだよっ…ぐ、うぅっ! …はぁ、はぁ…ンなに、俺が嫌いだってんならっ…ほっときゃ、い…あ、んうっ! ふ、あぁ!」

 両膝が胸元にくっつくまで下半身を持ち上げ、目の前で未だぶるぶると震え続けている玩具をスパッツの上から押し入れる。繰り返す度にあっ、あっと溢れる普段は絶対に聞く事の出来ない、本当ならば自分以外に知られたくもなかった彼のあられもない声と乱れた姿に思わず唇を噛み締めた。

(嫌いじゃないから、放っておけないんだ)

 ずっと想い人であった彼の事が気にならない訳がなかった。好きだからこそ、他の誰かに自分の知らないところで彼が抱かれているという事実が酷く悔しく妬ましい。
 本当ならば、これ以上自身を傷付けてまでカネを稼ぐ事などやめてほしいと説得するだけのつもりでいた。しかし、恋人がいるにも関わらず、平気な顔で今まで通り仕事を受けようとする彼を目の当たりにして保っていた冷静さは一瞬で消し飛び、心の中に残ったのは自分自身を大切にしない彼への怒りとまるで裏切られたかのような自己中すぎる悲しみだけだった。

「…う、ぐっ…! い、て…くっそ、なんとか、言えっ…ばかやろっ」
「……ヨリ」
「っ! んっ…う、ふぁ、あ」

必死に自分へと訴えるその声がどこか揺れているようにも聞こえ、乾いた涙の跡が伝った頬をそっと指先で撫で、サファリハットの鍔の陰で歪んだ表情を覆うように沈ませてはそっと乾いた唇へと自身を重ねた。

「……っ」
「あ、んぅ…う、ふぁあっ…!」

 口の中で絡み合う赤と緑がじわじわと混じっていく感覚、ふわふわと浮かされていく熱に思わず柔らかな枕に沈んだ彼の頭の後ろへと手を入れては、力任せに持ち上げ交わりを深めていく。僅かに空いた隙間から漏れる小さな甘い声、声にならない声で自分の名を呼ぶ彼に愛しさを感じずにはいられない。何十分、何時間のようにも感じた、たった数秒間の短い口付けの後に垣間見えたのは、苦し気に呼吸をするもどこかあっけらかんとした普段の彼を彷彿とさせる困ったようにほくそ笑んだ表情だった。

「はぁ、はぁ…怒って、なら…最後まで、怒りゃいいだろ…。舐められんぞ…この、あほ…」
「…別に、怒ってる訳じゃない」
「嘘つけ。だったら、何で…」

 胸の奥にある全てが、透明なセピア色の視線に見透かされているような気がしてじわじわと目頭が熱くなっているのに対し、反して体からすっぽりと抜けていく力に自然と舌打ちを鳴らし、サファリハットの唾を掴んではその陰の中で零すように小さく呟いた。

「…悔しかった。ただ、それだけだ」
「な、にが」
「だから、今からお前は俺の恋人だという事をそのとぼけた頭にしっかり理解させてやる。…覚悟しとけよ」
「は…? 何、言って…あっ、あぁ! ひ、ぐっ、ん…は、あぁっ」

熱の浮いた頭でこれ以上掛けられた言葉を理解出来ずにいる彼のスパッツを背中のウェスト部分へ指先を引っ掛け、剥がすように脱ぎ取り、ぐりぐりと奥を穿るように突き刺さる玩具をゆっくりと引き抜いてはスイッチを切りベッドの脇へと放り投げる。

「ま、まさか…お前、それ…」
「…今更、何を怯えてる」
「べ、つに、怯えてなんか」
「だったら、自分で挿れてみろ」
「は!?」
「早くしろ。もう、待てない」

 自身の下半身はもう既に反応を示しており、履いているスパッツをぐいぐいと押し上げる程に太さを増していたそれを、目の前で眺めていた彼の喉元からごくりと唾を飲み込む音がはっきりと聞こえた。頭上に縛り上げていた腕の手首を引っ張り上げて上体を起こすと、その勢いで仰向けにベッドへと沈む自分の体とその上を跨ぐように足を広げ縛られた腕を掲げながら膝立ちをし、その羞恥心で更に赤く染まりゆく彼の表情に体がびりびりと疼いてゆく。

「押さえておいてやる。そのまま腰を下ろせ」
「んな事、言ったって…! そんな、デケーの、いきなり…あ、ひっ、ぐうぅ! ん、あぁっ!」

 膝下まで履いていたスパッツを力任せに脱ぎ取り、ようやく解放されたと言わんばかりに反り勃つ陰茎ににやりと口元を歪ませ、呆然と目を見開いていた彼の腰を両手で掴んでは、有無を言わさぬ間にずりずりと引き寄せてゆっくりと緩く広げられた後孔の入り口からゆっくりと中へ挿し込んでいった。

「は、あっ、うぅ…ばか、やろっ…! おっ、き…ん、ぐうぅっ!」
「…っ、自分から腰振ってる癖に、その言い草か…!」
「うっせ! この、っ…い、ふ、あぁっ! も、む、りっ! いい、加減、これ外せ! は、あぁっ、ん」

 上下に突き上げる動きに合わせて腰を振る彼の慣れているかのような動きが妙に癪に障り、根元を縛り上げている黄色のゴムを取って欲しいという悲痛な訴えに耳は貸さず、突かれる度にぶるぶると奮い立つ勃起した彼の陰茎と顔の両脇にだらりと垂れる深緑色の短めの髪の陰が、下半身からびりびりと流れ込んでいるであろう快感から耐えるように俯くその苦しそうな表情を隠していた。
 出したくても出せない状態があまりに辛いのか、その陰の中からそっと小さな滴が自身の腹の上へと落ち、弾けてはそのままベッドへと流れ落ちていく透き通った涙を見た瞬間、冷静さを取り戻せずにいた胸の奥の靄つきがゆっくりと晴れていく。

「あっ、は、あぁ…い、やだっ…! もう、しない、からっ! 早く、取れって…う、わわっ」

 どうやら観念したらしい、息苦しささえ感じる濁声で必死に懇願をしながらふるふると首を振る彼の姿に小さく息を吐き、上半身を起き上げ体勢を逆転させるように再び彼の体を背中から柔らかいベッドへと沈ませた。そのまま頭上で彼の両腕を縛り上げていた、皺だらけのジップアップカモを外し床へと放り投げ、突然の解放に呆然としたまま動けずにいる彼の頭の後ろへと腕を回しては押し付けるように唇を重ねた。

「んっ、ふ、あぁつ…は、あっ、どういう、つもり…」
「…今の言葉、信じて、いいんだな」
「あっ…ひ、うぅっ! やめ、そこ弄んなっ! ん、あぁっ」

 小麦色の肌の中にぷっくりと浮かぶように膨らみ赤らんだ胸の突起をそっと歯で噛んでは舌先で転がし、じゅるじゅると音を立てながら吸い込むように貪った。同時にもう片方は指先で撫でるように捏ね繰り回し、もう片方の空いた右手で足を持ち上げては挿入したままだった陰茎をもっと深く、奥へと突き刺すようにその中へと何度も腰を打ち付けた。

「ふ、あっ、あぁん! ひ、うっ! ざ、けんなっ、しん、じゃっ…あっ、ふあぁっ!」
「素直になったらどうだ。俺以外じゃもう、満足できないように、させてやるっ…!」
「ふ、かっ…! あ、んうぅっ! やっ、あ、んっ…お、ねがい、だからっ、もっ…イかせろっ、この、ばかぁ!」

 無意識に腕が自身の首の後ろへと回り、首元に顔を埋めては冷たい滴を肌に滲ませながら泣き叫ぶ彼の体を力いっぱいに抱き締め、休むことなく抜き挿しされている陰茎と乗じて前後に揺れる腰の動きを止めないままに、そっと片手を下半身へと運んでは体の中から熱が放出されていった直後に彼の陰茎の根元で強く張っていた黄色のゴムを勢い良く抜き取った。

「あっ…ん、さ、きっ…ふ、あぁあっ!」

 直後、溜まっていた熱がようやく訪れた解放を喜んでいるかのように、勢い良く彼の温かな白濁が下腹部へと溢れる程に飛び出し、同時に絶頂を迎えた快感と共に中へと吐き出された自身の欲が、抜いた瞬間に後孔からだらりと臀部を伝っては真っ白なシーツの上へじわじわと溶けては消えていった。

「はぁ、ぁっ…く、っそ…も、無理…っ」

 互いに胸が上下する程に荒く息を吐き、全てを出し切った後にそのまま彼の体の横へと倒れ込んでは柔らかいふかふかの布団へと身を沈め、零れた涙の乾いた跡を擦り取るように頬を撫でると、ようやく暴れていた心臓が落ち着き始めたのか、大きく溜息を吐きながら力なく額を引っ叩いてきたその衝撃に思わず変な声を漏らした。

「つ…何だ」
「はぁ、はぁ…何だってなんだよ。ちょっと、乱暴すぎやしねぇか。ったく…腕、いってぇし」
「…自分の恋人が、知らない男に身体を売ってるなんて話を聞いたら。誰だって、こうする」
「な、ンだよ…それ」

 力なくずっしりと白に沈んでは体を転がし枕へとうつ伏せになって苦しそうに呟いているのを他所に、眉を顰め未だに信じられないといった声色で小さく答える彼に思わずため息をついた。

「どうやら冗談にしか取られていなかったようだが、これで分かったろ。…あの時、俺がどんな気持ちであの言葉をお前に伝えたのか」

 真っ白な天井を見上げては瞼を下げ、ぶつかる事のない視線を薄い暗闇に落としながら自然と零れたその呟きは、ゆっくりと宙に浮かんでは空へと消えていく。

「…本気だ。少なくとも、俺は。信じられないなら、何度でも言ったっていい」
「お、まえ…」
「他の何者よりも、アンタの事が好きだ。誰にも取られたくないし、渡すつもりもない」

 もしかしたら、という考えは実は頭の隅の方に小さく存在していた。冗談半分で自分の気持ちを伝える程軽い男ではないと自負しているものの、目の前の男はどうやら想像以上に人の話を真面目に聞いていなかったらしく、自分という恋人が存在しているにも関わらず身体を売って商売をしていたという事実がそれを証明している(そもそも、恋人がいるという状況がどういう事なのか、彼自身が理解しているかどうかもあやしい)。
 ゆっくりと沈めていた上半身を持ち上げ、同時に隣りの小麦色がこちらに見上げるように体を転がし、頭は枕へと預けたまま見遣る彼の表情はほのかに赤らめていた。動揺を隠せないでいる薄茶色の瞳を真っ直ぐに見詰めると、どこか悔しげに小さく舌打ちをしたかと思えば勢い良く体を起き上げ、胡坐を掻きながら膝の上にぱしんと音を立てて手を乗せる。どうした、と問い掛けようとしたその直後、一瞬視線を外したその間に視界が暗く沈んだその中で、柔らかいなにかがそっとかさついた唇に重なっていた。

「っ…!」

 それが一体なんだったのか、理解出来た頃には既にそのぬくもりは遠のき、苦虫を潰したような表情で顔を真っ赤にさせながら俯き、呟いた彼の言葉があまりにも突拍子すぎて思わず自分の耳を疑ってしまう程だった。

「…っと、その。なんつーか、えっと…悪、かった。別に、お前の事、なんとも思ってないワケじゃ、ねぇ、けど」
「けど…なんだ」
「い…今まで、誰か一人からそんな風に思われた事なんてねぇし、どうする事が正しいかなんて知らなかった、から。…だから、つまり…あーもう、めんどくせぇな! とにかく! 俺も、その…ちゃんと、テメーの事、す、好き、だって、の! 心配すんな、アホ!」

 たどたどしく慣れない言葉を繋げては必死に伝えようとしている彼にふつふつと腹の底から熱が籠り、危うく無意識のままに一回り小さなその体を引き寄せそうになるも、恥ずかしさが限界を突破してしまったのか、足元に丸められていた布団を引き上げ、頭からその白の中へと潜り込んでしまった。

「おい」
「…もう、しねぇから」
「ヨ、」
「たぶん」

 薄暗い部屋で小さく零れた力ない声は、安心したのか次第に静かな寝息へと変わってゆき、仕方がないとひとつ溜息を吐いてはようやく生まれてきた眠気に意識を揺らされながら同じ布団の中へ潜り込み、その中に埋もれた小麦色の額へとそっと口付けた。


***


「…そういう訳で、しばらく世話にゃなんねぇぞ」
「げー。マジか…長年の付き合いなのにほんと連れないんだから、もう」

 終わり良ければ全て良し、とは言い切れない、色々な面で今までの考え方を覆されてしまったあの夜から数日後。内心では少々不満ながらも主な収入源としていた仕事を封印する事を約束してしまった手前、長らく世話になっていた仲介屋兼情報屋(そして実はブキ修理屋でもある)の知人にこれからしばらくは仕事を請けないと話をしたところ、目をまん丸に見開いてはしばらく間が空き、その後半開きのままだった口から一番に飛び出してきたのは、どこか頭でも打ったのか、というあまりに失礼すぎる一言だった。
 とはいえ、彼はこう見えても仕事に対するプロ意識は高く、それなりにプライドというものも存在しているせいか、面倒くさがりでいい加減な性格をしてはいるが、的確に仕事を熟すところを見ると依頼人との信頼は厚いように思える。
 それに怪しい仕事ばかりではなく、誰でも請けられるような飲食店やフク屋のアルバイターの雇用、ハイカラシティで若いボーイやガール達が嗜んでいるナワバリバトルのチーム募集の仲介等も紹介している辺り、仕事の種類の手広さは申し分ない為、どうしても手持ちがなくなったその時はごく普通の仕事内容である事を条件として仲介を頼めばいい、という結論には既に達していた。

「でも、これからどうすんだよ。何やって食ってくつもりだ?」
「その件については、一応アテがある…不本意だけどな」
「えっ。もしや…水商売か! オネエでもすんの?」
「ンなもんするか、アホ! 違ぇよ、そんなんじゃなくて…おっ、ちっとタンマ」

 一人で勝手に言い出したくせにげんなりとした表情で肩を落とす彼に罵倒を漏らしつつ、手に持っていた携帯電話がぶるりと震え、慌ててその着信を受け取り耳に当てるとその先から聞こえてきたのは、今まさに話の話題になり始めるところだった存在の苛立ちが募る声だった。

「おっすおっす。連絡ご苦労」
『ご苦労、って…お前なぁ…! それが人にやりたくもない事を無理矢理やらせて、しかもタダで! タダでだ! こっちは仕方なくやってやってるのにその態度は何だ! 頼まれてたブツ、今すぐここでへし折ってやろうか! あぁ!?』
「だぁー! もう、落ち着け、落ち着けって! 分かった、俺が悪かった。謝るからそれだけはやめろ!」

 いつにもなく頗る機嫌の悪い(厳密に言うと、悪くさせているのは自分だが)幼馴染のマシンガントークに思わず受話口からそっと耳を離した。このままでは話の一つもまともに出来ないのでどうにか冷静さを取り戻してもらおうと、遠回しに宥める言葉を送っていると次第に勢いも衰え始め、数分後にようやく本題である話へと移る事が出来た(隣で暇そうに煙草を吸っている知人への説明は面倒である為、そのまま放っておく事にする)。

「…そんで、出来たのか?」
『まぁ、一応ね。じいさんが残しておいてくれたものを綺麗に残してあったから、ちょっと修理すれば使えるようになったよ』
「そうか、色々ありがとな」
『どういたしまして。…でも、驚いたよ。まさか、あれだけナワバリバトルには興味がないって突っぱねてたヨリが、今になって始めるって言い出すんだもの。どういう心境の変化だい?』

 電話の先で首を傾げているのであろう、不思議そうにそう零した幼馴染の言葉に自身でさえ理解出来ない部分はあった。若い頃から薄暗い街の中で必死に生き長らえ、それでもバトルをやろうと一度も思わなかった青春時代。勿論、今でも積極的にしたいとは思わないものの、唯一自分が稼ぐ事のできる仕事を封じられてしまった今、すぐにでも短期間で多くの稼ぎを手にする方法など悩んだところで一つしか思い浮かばなかったのだ。

「…ま、追々話すさ。また後で店に寄る。その時に例のブツ、見せてくれよ」
『うん…分かった。都合が合うなら夕飯時においで。お祝い、じゃないけど。今日ぐらいは奢ってあげる』
「あぁ、ありがとな。その、えっと…アイツも、呼んでいいか」
『…あぁ! 勿論いいよ。ちゃんと五人分、用意しておくね。それじゃ』

 ぷつり、と小さな音と共に途切れた声。不機嫌な様子から一変して次第に柔らかくなっていった彼にほっと胸を撫で下ろしながら耳に当てていた携帯電話をポケットへ突っ込んだ。終わったか、とちょうど煙草を吸い終えていた知人がその場にぽとりと吸殻を落とし、ぐりぐりと爪先で押し潰しながらにやつくその笑顔に小さく溜息を吐く。

「なんだなんだ〜もしかして、マゴさんから? ほんっと、あの人と話してる時のお前、心安らかよなぁ」
「うるせぇ、バカ。ンな事より、さっきの件だが…明日から、ナワバリバトルで食う事にした。以上」
「……は!? おま、ちょ…本気でそんな」
「もう決めた事なんだ。メンドクセーけど、約束は約束だし。ブキ壊れちまった時は世話になっかもな。まぁそういう事で、それじゃ」
「お、おい! ヨリ!」

 今から真っ直ぐ幼馴染の家へと向かえばタイミング良く夕飯時には間に合う事を確認し、背後で苦笑を漏らしながら手を振る彼にそっと振り返しながらその場を後にする。
 早足で細い路地裏の道を辿り、ところどころに落ちているゴミ袋やダンボールを避けながら再び携帯電話を取り出し、電話帳に登録してある番号を引き出してすぐさま発信ボタンを押した。

「…あ、もしもし。俺、だけど」
『どうした』
「えと、その…良かったら今晩のメシ、一緒に食わねえか」

 受話口の奥から静かに聞こえてきた了承の声に自然と口角が上がり、この後幼馴染の家の前で待ち合わせをしようと約束を取り付けた(そういえば、自分から電話を掛けたのは初めてだったかも知れない)。どこかほっこりとぬくもりを感じ始めた胸の奥を不思議に思いながらも、以前まで感じていた背中の重みが消え去ると共に足取りが軽くなっていく自身の単純さに思わず苦笑して、目の前に落ちていた空き缶をその勢いのまま空へと蹴り上げた。


(2017.01.26)


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