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目覚めたら僕がいないって言って

「イルミちゃん、イルミちゃん。私あなたのお嫁さんになるの」
頭の悪い幼稚な子供の断言的な夢見がちのことばに、イルミは「へぇ」とだけ返してやった。それだけでカフカはうっとりとさせて幸いを噛みしめる顔をする。真珠のような白い粒がくちびるからこぼれ、にっと笑った顔は、人を殺したことのない無垢なおんなに見える。これが、頭からかぶったのがベールだったとするのなら、人にあまり知られぬ精神病棟の一室でなかったのだとするのなら、ただの子供の思いだと断じることができただろう。
だが、イルミはそれを否定することも、肯定することもしなかった。下手に「うん」や「ないよ」なんてことばを告げることもなかった。カフカは素足をぺたりとリノリウムの床に張り付け、ふらふらとした足取りで部屋の隅から隅を歩く。「こう……こうして……」つぶやきながらあるき、何かしら、少女の頭の中で、幼稚な儀式は完成した。
「このくらい、大きなお部屋でね、おかえりなさいと、いってらっしゃいを言うの」
「そうなんだ」
「それで、フライパンのうえのおやさいを、きらきらのお皿に盛りつけて、ごはんですよっていうのよ」
「ふぅん」
ここにフライパンはない。そして皿もない。あるのは、少女を生かすためだけの、栄養パックといったところか。右腕に刺した針から通る半透明の液体が栄養だけを詰め込んだものだ。家庭的なものは一切存在しない。あるのはカフカが眠るためのベッドとリノリウムの床、青い壁に、点滴を引くために床にはなにも置かれていない。すべからく不安定なカフカのために用意された一室は、どうして夢見がちなことを考えることができるのだろう、と不安になるほど何もなかった。
「イルミちゃん、私あなたのお嫁さんになってね、それからね」
カフカは、勿忘草の色をした目を、ゆっくりと細めた。少女らしい体つきが一切ない、あまりにも細すぎる体がイルミに近づき、ぺたりと頬をなぜる。
「毎日、あなたに、すきよっていうの」

202101/23

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