「来ちゃった」
「……………ぶっ飛ばすぞ手前」

 体育祭の翌日。中也は自宅にて普段から継続しているトレーニングをしていた。
 しっかり身体を休めるようにと言われたものの、中也は体育祭では特に動かず殆ど観戦していた。其れもあり、体育祭にて見た『個性』を相手にした戦闘などを考えつつ他と比較して若干小柄な体躯を扱く。
 家に呼び鈴が鳴り響いたもののシカトして続けていたが、其れから数分後中也の自室をノックしたのは麗日お茶子だった。テヘッと軽いノリでそう言い、我が物顔で中也の部屋に入室したお茶子はキョロキョロと視線を動かしつつ雑談をはじめる。

「どうせ中也、自室に籠もってるだろうって」
「五月蝿ぇな」

 余計なお世話だ、と思いつつ換気のために窓を開ける。
 居間リビングでは互いの両親が話し込んでいるらしく、体育祭の出来事を語り尽くした2人は何となく其処へ向かう気にはなれなかった。
 最も、お茶子は中也に話があるから此処へ来たのだが。

「おばさんたち、いつ来たんだ?」
「昨日。買い物から帰ってきたら居たから、昼?
 体育祭のお疲れ会しとったんよ」
「フーン」
「中也は?何か話した?」
「………否、俺は第1種目しか出てねぇからな」

 辻村深月の事を両親に話せるわけもない。中也が異能力者に戻ったら、現在居間リビングに居る両親と呼べる二人は消えるのだから。
 記憶の中の奴等と再開することを考えないことはなかった。然し、力の解放と共にこの世界で生きていた形跡が消えるとなれば、少なからず思うところはある。

 お茶子は考えこむ中也を真っ直ぐに見つめていた。
 中也は時折、目の前のものではない何処か遠くを見つめている時がある。昔から何処か大人びていて、卓越した戦闘技術を持つからきっと「何か」があるんだろうとも察しが付いていた。
 だけど、聞かない。お茶子は、中也が話してくれる時を昔から待ち続けるだけだ。

「で?どうしたんだよ」
「爆豪君との試合………観て、解説してほしい」
「あん?」

 突然何なんだと顔を上げると、お茶子と視線が合う。
 お茶子と中也は思春期に突入するにつれて微妙な関係が構築されていたが、体育祭の一件から徐々に軟化しつつある。昔に戻ることはきっと無いだろうが。

「次は、爆豪君に勝つから。その為にどうすれば良いか、一緒に考えて」

 完全に実力の差を見せつけて打ちのめされようと、まだ先を考えて成長しようとする。そんなお茶子の姿勢に、体育祭の時流していた涙を思い出した中也の返答は決まっていた。

「………しょうがねぇな」
「やった!」

 解説するとなれば映像が必要で、中也の部屋にテレビは無いからと居間リビングに向かう。ダイニングテーブルにて対面し、会話に花を咲かせていた互いの両親の目が向くと笑顔を向けられた。

「中也君久しぶり〜!身長伸びた??」
「否、変わんねぇっす」
「体育祭観てたよ〜〜〜」
「………あざっす」

 テレビの前のソファに腰掛けると、中也の母親がお茶菓子をトレーに乗せて持ってきた。

「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして。
 二人はどうしたの?中也が部屋から出てくるなんて珍しい」
「別に。お茶子が爆豪対策教えてくれって言うから、付き合うだけだ」
「あはは………中也は体育祭出てへんかったけど、実力はトップクラスだって皆知ってるので」
「ふうん?中也から学校の話、あんまり聞かないからな〜」

 珍しさか我が子の成長を感じてか、母親はにんまりと笑顔を向ける。
 少し癖のある丹色の髪は長さは違えど中也と同じで、顔の作りも何処か似ている。そんな母親に眉を寄せたが、中也はリモコンを操作して体育祭の録画を流す。
 画面で見るのは初めてだったが、こうして体育祭が大々的に取り上げられている所を見ると、此の映像は誰が観ていても可笑しくは無いと言える。つまり、太宰をはじめ辻村深月の話に出た人物。首領、教授眼鏡。探偵社の社長や種田山頭火も観ているのかもしれない。
 
 嘗てのポートマフィアと武装探偵社に関係していた一部の異能力者が『equator』という集団として異能力者を探している。
 異能特務課に体育祭の途中で横槍を入れたのは、中也を生き餌にしているんだろう。休み明け、雄英高校の周囲で何かしらの動きがあるかもしれない。
 そんな事を頭の片隅に置き、障害物競走が流れる液晶画面を無意識に睨み付けていると、お茶子の母親が世間話を振る様に話しかけてきた。

「二人は学校での様子はどう?授業とか、楽しい?」
「座学は中学までとそんな変わらんよね」
「嗚呼。ヒーロー基礎学で戦闘訓練がある程度か」
「戦闘…………」

 中也の一言に、互いの両親は眉をひそめる。
 当たり前だが、不安らしい。一人娘に一人暮らしを許したものの、何時だって顔を見る事は出来ないのだ。戦闘という不穏な言葉に反応するのも頷ける。
 個性の使用による事件や事故が多く、それは悪質なものも多い。テレビで報道されるヒーローの仕事は一件輝かしいが、血が流れる事も多々あるのだ。

「凄い人ばっかりやから、負けてられん!」
「友達はできた?」
「うん!女の子は比較的少ないしね。男の子も、数人は」
「御前、緑谷と飯田と仲良いよな」
「中也は轟君と上鳴君だよね」
「4人とも決勝トーナメントに出てた子?」
「そうそう!」

 中也は学校生活や自身の事をあまり話さないから、お茶子が積極的に話してくれたお陰で両親も心なしか安堵の表情を浮かべている。
 何だかんだと雑談を挟んでいると試合は進み、決勝トーナメントになった。画面では、現地で見たお茶子と爆豪の試合が繰り広げられている。

「どうすれば爆豪君に勝てると思う?」
「………武器が無い中爆破っつう攻撃的な個性所持者に対しては、間合いに入らなきゃ始まらねぇ。爆豪も其処を分かってっからお前が近づく度爆破を起こしてたんだろ」
「うん」
「低姿勢で攻め続けるってのは良かったと思うぜ。唯、爆破の度体制を整えてっと爆豪にも迎撃の準備をさせちまう。
 お前はモノを浮かせるっつう個性の上限を上げる事も重要だが、接近戦も覚えた方が良い」
「接近戦……」
「体術だ。
 幾ら個性が強力でも敵は獲物を持っていない事は無いだろ。個性の条件が触れることである以上、必須事項だ。
 自分がどう動けば相手がどう動くのかを知ること。基本、一対一は如何に自分の優位に持っていくかになるからな。自分に出来ることを理解して、必勝パターンを作るんだよ。人体には必ず急所があるから、押さえ込もうと思えばどんな相手でも無力化できる」
「なるほど…………」

 幾ら異形の個性持ちといえど内臓など器官まで違うことは先ず無いだろう。人体には骨格があり、一つ一つの骨は関節で繋がれ、それを筋肉が覆っている。それにより人体が形成されているから、体の部分によって曲がる方向、曲がらない場所、回る方向、広がる角度が其々決まっている。

「中也はそういうの、何処で覚えたん?」
「………動画とか、書籍だな」
「へぇ〜」

 お茶子は中也が抱えている『何か』を話してくれるのを待っている。しかし、中也はそんなお茶子の言動から違和感に気付いた上で知らないフリをしているんだろうと思っていた。
 真実を知ることは必ずしも良いことではないから、お茶子の対応は中也にとってありがたいものだ。

「俺は殆ど独学だがな。そういうのはプロに教えて貰った方が良い」

 イレイザーとか、な。と身近な教師を例に挙げて再度視線を画面に移した。
 爆豪とお茶子の戦い以外にも時折解説を挟みながら録画を見終えると、陽が傾き始めている時間帯だった。お茶子の両親が新幹線で帰る前に揃って外食に行き、駅で見送る。遅い時間だからと一人暮らしをしているお茶子を送り届け、帰路についた。

「中也、おやすみ」
「応、明日な」
「うん。また明日」



「オハヨー中原!お前も何か話しかけられた?」
「少しな」

 教室に入ると、体育祭で顔が知れたからか通学中に様々な人から話しかけられたことで賑わっていた。
 中也も道中視線を向けられたり声をかけられたりはしたが、それが悪いものでなくとも見知らぬ人間から注目を浴びるのは良い気分じゃない。
 そんな態度を示すのはこの教室内では中也と爆豪だけらしく、生徒はプロヒーローの卵として有名になる事へ手応えを感じている。
 予鈴が鳴っても教室内が静まることはなかったが、担任が入ってきた瞬間にそれぞれ着席した。

「相澤先生、包帯取れたのね。良かったわ」
「婆さんの処置が大げさなんだよ。
 んなもんより、今日のヒーロー基礎学はちょっと特別だぞ」

 今日の一限はヒーロー基礎学だったと思い当たり、『特別』という言葉に反応する。戦闘訓練なら、と思ったところでイレイザーが口にしたのは「コードネーム、ヒーロー名の考案」だった。普段の内容との違いに教室内は大いに盛り上がりを見せたが、説明の途中だと途端に静かになる。
 コードネーム。詰まりは、街に出て活動する際に呼び合う名前のことだ。

「というのも、先日話した『プロからのドラフト指名』に関係してくる。
 指名が本格化するのは経験を積み即戦力として判断される2、3年から……
 つまり今回来た指名は将来に対する興味に近い。卒業までにその興味が削がれたら一方的にキャンセルなんてことはよくある」

 今回頂いた指名の数が多くても、其れに頼り過ぎて努力を怠れば2、3年になって興味を失われる事になる。峰田の「大人は勝手だ!」と嘆く声に理不尽は当たり前だろうがと内心で毒付いた。

「頂いた指名がそんまま自身のハードルになるんですね!」
「そ。で、その指名の集計結果がこうだ」

 相澤の言葉と共に、黒板にその結果が張り出される。
 トップは轟で4123件。その下に爆豪、常闇、飯田と体育祭で上位に入った面子が揃っている。一番下には中也の名前もあった。

「例年はもっとバラけるんだが、二人に注目が偏った」
「だーーー!白黒ついた!」
「見る目ないよねプロ」
「順位逆転してんじゃん」

 悔しがる切島と青山に続き、耳郎が数を見て言う。

「表彰台で拘束された奴とかビビるもんな……」
「ビビってんじゃねーよプロが!!」

 芦戸や青山の様に決勝トーナメントに進んだ者でも指名が来なかった生徒は居る。そんな中、途中退場した中也に7件来ているのは意外だった。ただ、プロからの指名と聞けば勿論頭に浮かんだのは『equator』と特務課だから、指名が来ているという事には驚かなかったが。

「これを踏まえ…指名の有無関係なく、いわゆる職場体験ってのに行ってもらう」
「!!」
「お前らは一足先に経験してしまったが、プロの活動を実際に体験してより実りある訓練をしようってこった」
「それでヒーロー名か!」

 相澤が話す『職場体験』とはプロヒーローの活動見学の事らしい。
 USJ敵襲撃事件はあったものの、プロヒーローの活動を実際に体験し訓練に活かす目的があるとの事。そして、体験と言えど人前に出るわけだからコードネームが必要になってくるという訳だ。

「仮ではあるが適当なモンは…「付けたら地獄を見ちゃうよ!!」

 そう言って教室に入ってきたのは、先日の体育祭でも1年生の審判を務めたミッドナイトだった。

「この時の名が!世に認知されそのままプロ名になってる人多いからね!!」
「まァそういうことだ。その辺のセンスをミッドナイトさんに査定してもらう。
 俺はそういうのできん。将来、自分がどうなるのか名を付けることでイメージが固まりそこに近付いていく。それが「名は体を表す」ってことだ。”オールマイト”とかな」

 相澤はミッドナイトに任せると、寝袋を取り出して完全に寝る体勢に入った。

「………」

 配られたボードを眺めながら腕を組んで思案する。コードネーム、ヒーロー名なんて今まで考えたこともなかったが、この先のことを考えると半端な物は付けられない。しかし中也は、自分が真っ当なヒーローになれるとも思っていない。
 ヒーロー名は本名も可能だが、体育祭では『equator』と特務課の策により名と姿が広まる形となっただけのこと。そして何より、ヒーローと名乗るには、自分の名前は血で汚れすぎている。
 それでも良い案が出るわけでもなく、筆が進まないまま時間だけが過ぎていく。そして15分ほど経った頃、ミッドナイトが鞭を振るった。

「じゃ、そろそろ。出来た人から発表してね!」

 わざわざ大きなボードを配布したのは、クラスの前で1人ずつ宣言させるためでもあったらしい。中々に度胸がいるとされる中で真っ先に動いたのは青山だった。

「行くよ。
 輝きヒーロー”I can not stop twinkling “」
「短文!!!」
「そこはIを取ってcan’tにした方が呼びやすい」
「それねマドモアゼル」

 固有名詞や造語ではないそれはミッドナイトに真面目に添削されたが、青山のヒーロー名は決定した。そして次に芦戸が手を挙げる。

「じゃあ次アタシね!エイリアンクイーン!!」
「2!!血が強酸性のアレを目指してるの!?やめときな!!」
「ちぇー」

 ヒーロー名の発表の筈が、大喜利のような空気になってきた。しかし、中也はただ他の生徒の発表を聞きつつキャップがついたままのペンを所在なさげに握るのみ。

「じゃあ次、私いいかしら」
「梅雨ちゃん!!」
「小学生の時から決めてたの。フロッピー」
「カワイイ!!親しみやすくて良いわ!!
 皆から愛されるお手本のようなネーミングね!」

 教室内の空気が変わり、フロッピーコールが起こる。次は誰が発表をするんだという空気の中、生徒達は元々ある程度は考えていたのかスムーズに発表が進み始めた。
 次々と決まっていく様子にまざまざと意識の差を見せつけられる。

「爆殺王」
「そういうのはやめた方がいいわね」

 爆豪のコードネームをミッドナイトが却下した処で手を挙げたのはお茶子だった。考えてありましたと照れながらも発表した名前は『ウラビティ』。麗日、に茶。自身の個性であるゼロ・グラビティとも語感を寄せているのだろう。

「思ったよりずっとスムーズ!
残ってるのは再考の爆豪君と……飯田君、中原君。そして緑谷君ね」

 コードネーム………基、二つ名。
 『重力使い』『双黒』『羊の王』。それから………

「中原君何か決まったー?」
「………厭、全く」

 思考を遮る様に葉隠に話しかけられ、隣の席の障子に「麗日のを参考にしてみるといいんじゃないか」と言われた。
 参考にならないだろうが、嘗ての二つ名を思い出していた中也はその案にも生返事をする。

 『荒覇吐』『試作品・甲258番』

 頭の片隅に追いやっていた自身の名を再び思うと、俺はどうしても真っ当なヒーローになれる気がしないのだ。
この世に生を受けた今、中也は暗闇から産まれた荒覇吐でも、それの制御装置でもない。此の世界に実在している、『中原中也』だ。だけど、けれども。
 名は体を表すとも言う。自分とは、中原中也は何者なのか。それは最も大切で、きっとそれがヒーローたらしめるのだろう。

「中原のコスチュームって黒だよな。あとは赤」
「ブラック……… Black Widowとか!」
「レッドルームの!!それはダメな奴だろ!!!」

 予想する様に、想像する様にヒーロー名を和気藹々と考えている声を聞きながら、漸く中也はマジックの蓋を開けた。

「………ッシ」

 席を立ち教壇に上がると、躊躇いなくボードを教卓に立てた。

『goat』

 読み上げた名前に、全員が首を傾げる。其れを一瞥しながらこれが俺のヒーローネームだと言いきった。

「goat………山羊?」
「スラングだ。Greatest Of All Time.」

 名は体を表すというのなら、きっと中也を表す名前は既に多くある。それでも、それは使わない。

「………前にも言ったが、俺はヒーローになりたいわけじゃない。だが、俺の今の位置を必死に目指してる奴が居るのも知ってる。
 だから今は、少なくとも其奴等に劣るような人間にだけはならねぇ」
「頂点でいる決意、みたいね!アツいわ!」

 ミッドナイトにオーケーを貰った中也は、ボードを持って自分の席に戻る。
 いつかこの名さえ捨てるとしても、真っ当なヒーローにならずとも、いつか必ず訪れるその日まで最強を背負うことを決めた。つまり、現在いるプロヒーローへの宣戦布告でもある。
 全員の考案が終わると、早速職場体験の話に移った。

「職場体験は一週間。肝心の職場だが、指名のあった者は個別にリストを渡すからその中から自分で選択しろ。
 指名のなかった者は予めこちらからオファーした全国の受け入れ可の事務所40件。此の中から選んでもらう」

 事務所は全国各地に広がり、対敵の戦闘主体事務所や事故・災害等の救助活動主体の事務所とあるので、自身の力に見合った事務所を選ぶことができるらしい。

「今週末までに提出しろよ」
「あと二日しかねぇの!?」

 締め切りが近かろうと俺が行く場所は決まっている。意気揚々と相澤に渡された7件の事務所の名前が入ったリストを見た。

「……………は?」

 其の7件の中に、『equator』は入っていなかった。それもそのはず、『equator』は企業ではなく集団の名前。プロヒーローの免許を所有している一般人だった。



「中也も指名来てたね!………って、稀に見ない程呆然としとる……」
「何かあったの?」

 お茶子に名前を呼ばれ、心配そうに話しかけて来た緑谷に平気だと答える。

「………厭、何でもねぇ。お茶子は決めたのか?」
「うん!」

 お茶子は本戦トーナメントに進んだが爆豪と戦って初戦敗退という結果だったが、指名が数件来ていた。

「バトルヒーロー『ガンヘッド』の事務所!?
 ゴリッゴリの武闘派じゃん!!麗日さんがそこに!?」
「うん。指名来てた!」

 驚愕する緑谷に対して、強くなれば可能性が広がり同じ方向を向いてると見聞が狭まると言ったお茶子は随分気合が入ってる様だった。

「どう?」
「いいんじゃねぇの」
「へへへ」

「中原」

 三人で話していると声をかけられた。其処には轟が職場体験の希望用紙を手に立っている。

「……中原は行先決めたのか」
「厭、まだだが」
「そうか……」
「お前はエグいくらい指名来てたろ」
「ああ。でも、もう決めた」

 そう言った轟は少し歯切れが悪そうに視線を彷徨わせた後、再び視線を向けた。

「……親父が、お前にも指名入れたっつってたんだが」

 中也の指名リストに視線をやると、確かに『エンデヴァーヒーロー事務所』と文字がある。

「もし迷ってんなら………一緒に、行かねぇか?」



 神奈川県のとある街、繁華街より少し外れた場所にひっそりと佇むビルがある。
 其処は、日々雨風に晒され手入れも舗装もされておらず、混凝土は所々剥がれ外壁を覆う蔦が更に「覗いてはいけない」とでも言う様な異様な雰囲気を放っている。
 しかし、そんな場所へ黒い外套の裾を靡かせて軽い足取りで入る一人の男がいた。
 男の目的地はビルの二階にある酒場。営業している様で営業していない、其処に居る人間に用がある裏の人間が度々足を向けるだけの店内を瓦斯灯が必要最低限に照らしている。
 男───太宰治は店のドアを躊躇いなく開くと、店内を一瞥してバーカウンターに居る黒霧へ話しかけた。

「死柄木は?」
「奥です。雄英の体育祭の映像を見ている様で」
「そう」

 慣れた手つきでバースツールに座ると、黒霧は其れ以上話さず太宰がよく飲む蒸留酒の入ったグラスを目の前に置いた。
 嵌め殺しの窓は当たり前の様に擦り硝子で外からも中からも互いを覗く事は出来ない。壁の棚に並ぶ酒瓶を客から守る様に一枚の横木バーが渡され、番人テンダーである黒霧が常駐している。其の前には数席のスツールが並び、申し訳程度にテーブルが鎮座している。
 客と呼べる様な人物が来るわけでもないのに『アナグマの巣』より広く、どこか秘密基地めいた此処は太宰にとって非道く居心地が良かった。

「貴方は見ないので?」
「大して興味も無いしねぇ」
「そうですか。襲撃の際に居た丹色の髪の少年も出場していましたよ」

 ……嗚呼、面倒だな。太宰は表情を変えずに酒を煽る。
 襲撃の際、中也が居る事は勿論予測していた。事前に手は打てずとも知らぬ存ぜぬを突き通しているが、黒霧は兎も角死柄木とは昔からの付き合いだから此処に戻って来たときの言及は酷かった。
 昔馴染みの彼のことだから、疑いを持つことはあれど私を如何する事は無いのだろうけれど。

「雄英の生徒なんだし、出場するのは当たり前だろう」

 これみよがしに正論を吐くと黒霧は其れ以上踏み込んでくる事は無いそれは、彼にとって私は如何でもいいということの裏返しだった。

「それで、奴の所在は掴めたのかい?」
「ええ。義蘭を頼っても得られる情報は少なかったので苦労しましたが」

 奴、とはヒーロー殺し『ステイン』の事だ。
 今は破壊衝動しかない死柄木の成長の為に、信念のある者をぶつけようという先生の考えにより一度対話してみることにしたのだと。
 唯、奴はどこに出現するか解らなかった。出現した場所で必ず四人以上のヒーローを殺害する為、保須市でステインによる殺傷事件が起きたことは助かったと言うべきなのか。何にせよ、緊張感が高まっているであろう保須市のヒーローには申し訳ないが。
 太宰が其の気になればステインだって直ぐに見つけられただろうし、ヒーロー飽和社会と呼ばれる現在を崩す策をも容易く編める。しかし、人を救う側に居る為には越えてはならない一線がある。同じ枠に括られていようと、手だけは汚さない。

「………其れは、待ち遠しいね」

 襲撃の際中也と話した言葉は決して多くなかった。それでも、人間としてこの世に生を受けても尚、彼は自身の本質をよく理解しているから未だ答えの無い迷宮を彷徨い続けているのだと解った。そして、其れを退屈だと思うと同時に何処か嬉しく思う自分も………確かに、存在していた。

 変われないのなら、変えてあげよう。
 初めて会った時から彼を好意的に思う事は今後一生無いと思っていたけれど、改めて私は中也の事が嫌いだ。だからこそ私は、人間として中也が苦しむのを見たい。

 楽に終われると思うなよ。




 雄英高校では授業外の時間、例えば早朝や昼休み、放課後等に学校内の施設の使用が認められている。使用する場所と時間、用途。そしてクラスと名前を記入した申請書を担任教師に提出して許可を得る為少し面倒ではあるが、基本的に全校生徒それは可能だ。
 体育祭前には競技に備えてその制度を利用して自主練習に励む生徒も多かったが、ヒーロー科以外の生徒が申請することはよっぽどの事がない限りは無い。

「…………準備できたかよ」
「おう」

 中也は、体操服に身を包んで早朝の雄英高校敷地内にあるアリーナに立っていた。そして、正面には爆豪がいる。2人の様子を見たセメントスは一つ頷いて「はじめようか」と言う。
 体育祭にて1年生の競技を行ったスタジアムに何故三人が居るのか、というのは昨日の事だった。

『おい』
『ア?』

 帰りのホームルームを終えると、教室内は職場体験の話に花を咲かせつつ帰宅の流れになる。そんな中、中也は爆豪に呼び止められた。
 今まで何かと突っかかってくる事があったものの、2人が……何より、爆豪が誰かに、それも中也に自ら話しかけるのは初めてだった。

『これ、書いて出しとけ』

 手渡されたスタジアムの使用申請書には必要事項が記入されており、見るからに個人戦の申し込みだった。周囲の生徒は途端にざわついたが、爆豪はそれだけ言うとスタスタと教室を出ていく。そんな彼に切島が待てよ爆豪!と声をかけて追いかけるが、中也は動かなかった。

『どーすんだよ中原!』
『かっちゃんと中原くんの対決………!すっごい見たい』
『わかる』
『当然、やるんやろ?』

 お茶子に言われた通り中也に断るという選択肢はないが、注目を浴びたい訳ではないのだろう。中也は紙片プリントに必要事項を書き足して職員室へ提出に向かった。
 申請は無事に通ったが、クラス内トップクラスの戦いに懸念のある相澤がセメントスに声をかけたことにより、体育祭では叶わなかった一戦が決まった。

「時間勝手に変えたのは悪いが、そもそも手前が勝手に取り付けたんだ。文句は無ェだろ」

 爆豪は申請書の時間に放課後を指定していたが、中也は提出寸前にそれを早朝に書き換えておいた。その為、スタジアムの客席には相澤がポツンと座っている。あくまで見物であり、何かあった時の保険なんだろう。

「………ルールは体育祭と同じだ。降参、又は場外で負け」
「それ以外にも、度を越した戦闘は私のストップが入るからね」
「了解」
「………ケッ」

 授業と関係なかろうが、互いに自ら降参するような真似は無いと知っている。だからこそ仲裁に教師が介入することにも文句は無い。

 爆豪は、正面に立っている中也を真っ直ぐ見た。
 軽く屈伸をする彼はいつもと変わらない様子。自信があるようで何処か冷めているような独特な空気を放っている。しかし、それでも圧倒的な実力を持って叩きのめすという気迫で肌が粟立つ。

「それじゃ、はじめ!」

 セメントスの声と同時に爆豪は両手の爆破による加速力で中也に向かっていく。そして、その勢いを殺さないままに中也の正面へ爆破を仕掛けた。

「甘ェ!」
「!」

 顔の正面に伸ばされた手のひらを読んでいたのか、その場で対応したのか。中也はバク転で爆破を躱すと同時に爆豪の顎を蹴り飛ばし、着地と同時に体勢を低くして足払いを仕掛ける。が、爆豪も咄嗟に爆発を起こして軽く距離を取る。体勢を立て直しながら此方を睨むように笑う中也を見る。

「クッソが………!
 テメェも舐めプ野郎と同じで半端しやがって!舐めとんのか!?あぁ!?」

 爆豪は中也の個性である重力操作を警戒した動きで、一定の距離を保ちつつ攻撃に動こうとする。しかし、中也はそもそも爆豪との戦いにおいて序盤で個性を用いる事は無いと決めていた。

「舐めてるワケじゃねぇよ」
「だったら拳使えや!!!」
「!」

 スタート時と同様か、それ以上の加速力で爆豪は再度距離を詰めてきた。
 中也の実力の鱗片を知っているからこそ、まともに戦わせず勝利する事を爆豪は考えていた。中也の個性の上限は見たことがなく、使用の幅も多彩なことは知っている。自分が得意な接近戦と持久戦はそのどちらも中也にとってもそうで、長引けば地力の差が出ると分かっていた。

 爆豪の戦闘スタイルは個性が強力であるが故のヒットアンドアウェイ。個性の応用の幅も広く、それを細かな戦闘に対応できる事は本人のセンスがズバ抜けている証拠だ。そして、動けば動くほど汗腺が広がり、汗を掻くので長期戦さえ有利になる。
 普通なら爆豪相手に持久戦は得策ではないが、それでも。

『次は、爆豪君に勝つから。その為にどうすれば良いか、一緒に考えて』

 それでも、勝つ為に戦った彼女の思いを知っているから。

 爆豪は音と光による閃光弾スタングレネードで目眩ましをして、速攻カタをつけようと跳躍した。両手で爆発を連続発生させ、その反動で螺旋を描きながら垂直に急降下する。その勢いを乗せたまま、中也に特大火力の爆発を叩き込む。
 榴弾砲着弾ハウザーインパクト。これが、今現在爆豪が出せる大技だった。

 まさに人間手榴弾。アリーナが爆炎と熱風に包まれ黒い煙が立ちこめる。
 勿論爆豪はこのまま中也に勝てると考えることなど無く、動けば居場所が割れると承知で目視では確認できないその姿を探す。その時、黒い革手袋に腕を掴まれた。

「良い技じゃねぇか!」
「ッ!」

 爆豪の姿を先に捉えていたのは、中也だった。
 ジャージは所々煤けて破れてはいるものの目立った外傷はなく、海のような青い瞳は何処かギラギラとしている。

 真上からの榴弾砲着弾ハウザーインパクトに対して、中也は自重を上げて迎撃態勢に入った。
 爆発による攻撃の被害は主に熱風と爆発により生じる障害物などの瓦礫だ。自分の重さと強さのベクトルを上げて、真っ向から榴弾砲着弾ハウザーインパクトに耐えるという術を取り、それを実現させた。中也はそのまま、爆煙に紛れて爆豪へ奇襲をしかけた。

 能力以前に、中也には数多の戦闘経験がある。異能力者との戦闘で数々の死線を越えてきた中也は、体術は勿論のことそれを補う動体視力や技の幅、戦闘技術が段違いだった。
 爆豪が自分でもあるとは思っていなかった隙を中也は易々と突いてくる。その拳は言うまでもなく重く、鋭い。動きに無駄が無く、どれだけ強く、多く打ち込んでもその全てが受け流され、有効打が決まらない。
 爆豪は中也を倒すために何をすべきなのか思考を続けるが、気掛かりがあった。

「テメェ、手ぇ抜いてやがんな」

 中也の腕を掴み爆発を乗せた拳を入れるが、それを容易く止められる。互いを掴んだ拮抗状態で目の前の相手を睨みつける。

「USJン時、脳無殴った時はこんなもんじゃなかっただろうが」

 それに、中也は重力操作を攻撃に使用していない。その事実が余計腹立たしく、爆豪は自分が押されているとわかっていようと中也の全力を望んでいた。

「爆豪。手前は本気の俺と戦って勝ちたいんだろうが………
 生憎俺は、手前相手に全力なんざ出す必要性を感じねぇ」
「ッ!!」

 爆豪にとって侮辱ともとれるその言葉にいつもなら噛みつくところだが、中也の放つ覇気に思わず言葉を飲み込んだ。
 この感覚は、まるでヴィランと相対した時のようなソレで。

 そう考えていたところで、中也が動いたことに一瞬反応が遅れた。
 中也は爆豪を軽く浮かせると、そのまま地面に叩きつける。

「終わりだ」
「グッ…!」

 人を、自由自在に物のように扱う事がどれだけの事か。差は歴然であっても、あの体育祭初戦がどのような意味を持つのかくらい爆豪はわかっている。

「クッソが………!」

 必死に躯を持ち上げようとしても、じわじわと強まる重力に膝はどんどん折れていく。両手の爆破で逃げられるような相手でもない。それでも、爆豪は中也を睨みつけた。

 USJで、脳無に狙われた爆豪を中也は結果的に守ろうとした。間に太宰が入った為にそれは叶わなかったが、今まで見たこと無い、拳で戦うその姿に脳無を伸すだけのパワーがあることはわかった。
 教室内では他人と積極的に関わるようなガラでもなく、何時も何処か一線を引いて。自分が言えたことではないが、体格と反比例して態度は大きく口も悪い。それでもクラスきっての実力者で、戦闘訓練でもUSJでも体育祭でも、本人が何を考えているのかは知らないが片手間のように勝利を掻っ攫っていく。

『どんだけピンチでも、最後は絶対勝つんだよなあ!!』

 ああ、クソ。
 あの日、脳無の前に立ち塞がったコイツに勝ちたい。全力で拳を振るう強さをもう一度見たい。
 それなのに、俺もあの半分野郎もそれは叶わないんだろうとわかってしまう。

『こっからだ!!俺は…!!こっから………!!いいか!?
 俺はここで一番になってやる!!!』

「グッ………ッ!」

 見下していた緑谷に敗北し、そう決意を固めた。だからこそ、どんなに差があろうと、絶対に自ら負けを認めるなんてことはしない。しかし、中也は爆豪が降参しない限り現状維持で重力を少しずつ上げる。
 幾らかそうしていると遠くで予鈴が聞こえた。

「二人とも、そこまでだ」

 いつの間にかスタンド席にいた相澤がアリーナにいた。彼が個性を使用したのか、途端に中也の重力は解かれる。

「本鈴が鳴る前に教室に向かえ。続きはまた今度にしろ」

 そう言って相澤はセメントスと共にそそくさと出口へ向かう。2人にも授業の準備などがあるのだろう。
 はっはっ………と短く息を切らす爆豪は不完全燃焼で、キッと中也を睨みつけた。

「いいか!俺は降参なんてしてねぇからな!?次だ!次やったら俺が勝つ!!!」
「応。楽しみにしといてやる」

 純粋に、強さを追い求めるこの少年の成長を何処か楽しみにしていた中也だから、生意気にも自分に勝とうとする発言に笑みが溢れる。それを目にした爆豪は、滅多に見ない中也の表情に一瞬言葉を失う。しかしすぐにハッとしたように悪態をついた。

 尚、2人が本鈴までに教室へたどり着いたかどうかはご想像にお任せする。
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