『それじゃあ、始めようか』
その言葉を皮切りに私の選手としての道が再スタートした。
とても辛い思いをした。悔しくて死にそうだと泣いた日も、毎日続くリハビリに苦い思いをしたのも、葛藤を抱えながらもどうしようもなく過ごしていた日々も、何一つ忘れていない。
好きだからこそできないことが辛い。一歩を踏み出せない。
それでも、それは私がバレーを諦める理由にはならなかった。
友人に出会い、師に導かれてもう一度バレーに触れた。純粋に好きでいられる空間が愛おしくて、楽しくて仕方がなかった。
だけど。
『ボールは俺が持って行く。信じて跳べ』
『だって今、信じる《それ》以外の方法わかんねぇもん!!』
どんなに辛くて苦しくても、コートにもう一度立つために。自分が信頼できる場所で思うように飛ぶ為に。
私は、全てを利用する。
『エースは櫻井しかいないって、貴方に言わせてみせます』
そんな強気の発言をした彼女は不敵に笑っていて、私は期待に胸を高鳴らせた。
私が彼女を初めて見たのは今からちょうど三年前の夏だった。
当時は日本代表の監督に就任されたばかりで慣れないことも多かったけれど、私が監督として選手にできることは全部したいと思っていた。
だからこそ、今後の事を考える為にも中学生の大会まで足を伸ばしていた。これから先、数年後にはこの選手たちの中から次世代のエースが生まれるのだと思っていたから。
今も大切だけど、それだけしか見ないわけにはいかない。
そう思っていた矢先のことだった。一際大きく響く応援の声に視線を奪われる。コートを飛び回り、周りに火をつける様に闘争心を煽るバレーをする彼女を見つけた。
ボールを操る技術もさることながら、決して周りを邪魔せずに『自分がエースだ』といつだって攻撃の中心にいる姿。性格が明るいわけでもないのだろう、表情はいつだって真剣そのもので冷静。それでもプレーには熱さが秘められていた。
他の選手と比べて一目で分かるほど、洗練された空気を放つ選手だった。
試合が終わり、礼をしてコートを出る彼女に駆け寄る取材陣。賞賛や激励を浴びても顔色一つ変えず、それらから顔を隠すように頭にタオルをかけておざなりに返答する彼女に私も駆け寄った。
「すいませんね。彼女、次のことしか考えていないもので」
「人を回遊魚みたいに言わないでください」
「事実でしょうが。次の試合のことを考えるのもいいけれど、この人たちは今さっきの試合を褒めてるんだから少しは反応しなさいな」
「、今の試合の改善点を次の試合に生かすことを考えているんです。それに私は、褒められるためにバレーをしてるわけじゃないので」
「まぁたアンタはそういうこと言って………」
やれやれ、と呆れる三年生を歯牙にもかけず突き進んでいく彼女は、本当に鮫のような気迫があった。前だけを見るのではなく、失敗の原因を突き止めて次に生かすことしか考えていないかのように思えた。
「櫻井さんは、将来のことをどう考えているの?」
私の口から滑り落ちた言葉に、彼女──櫻井律は振り向いた。
それが、初めて私が彼女を正面から見た瞬間だった。
あまり変わらない表情を、淡々とした話し方が更に冷静さを際立たせている。落ち着いているとか大人っぽいなんてレベルではなく、冷え切っていた。それにもかかわらず、試合終わりの体から流れる汗や上がる蒸気。そして何より、瞳の奥に爛々と輝く熱が見えて背筋が凍る。
「全く考えていません。
とりあえず今は………目の前の敵を全員潰すことだけです」
そう言い切った彼女は、次こそ何も話すことはないと言ったふうに背中を向けて会場を後にした。残された私や取材陣はその背中を見送るだけで、それでも私はその小さな背中に無限大の可能性が乗っていることを確信した。
目の前の敵を潰すことしか考えていないと言うのならば、どこまでだって進めるのではないかと思ったから。まだ中学二年生で、身体も精神も出来上がっていない。むしろこれからの努力次第でどこまででも伸びるのだろう。
だからこそ、私が育てたいと思ったのだ。
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