四月、春。
桜が舞う校門までの道を、私は着慣れない制服に身を包んで一人歩いていた。
中学卒業後、烏養さんに勧められて烏野に入学を決めた私は、ピアスを開け髪を染め、それはもう痛いくらい昔の自分を捨てようとしていた。
バレーが好きだからこそ、プレーができない悔しさを抱えて選手だった頃を思い出す。強くなる為に“楽しい”なんて感情は要らないとまっ先に手放していたのは私で、信頼を築こうともしなかったのも私。
自己嫌悪に浸った後に今を見ようとして、まだ続くリハビリの予定を思い浮かべてまた顔を顰めた。
若干早足になりつつ烏野高校に到着すると、玄関前の大きな掲示板にクラス割が貼り出されてあった。それを見てクラスを確認していると、ドンッと後ろから人が押し寄せてくる。
「わっ!ご、ゴメンなさい……!」
「いえ、別に」
茶髪で背の低い女の子に素っ気なく返事をして教室に向かう。
北川第一の生徒の半数は近くの青葉城西高校へ進学するから、烏野に同じ中学出身の人は居ない。だから、辟易していた噂も知っている人はいない。それでも外見から目を引くのか、周囲から視線を向けられていた。
昔は視線なんて気にしないでいられたのに、なんて試合中を思い出した。何度同じことを考えていれば気が済むんだろう。
教室に到着すると、指定された席に座り持参していた本を開く。何度も読み直している本だからか目が滑る。読み気分ではないけれど、一人で何をするでもなく座ってるのもなと思って文字の羅列に視線を向けた。
烏野高校に入学したのも、明確な理由があったからじゃない。ただなんとなく、烏養さんに言われて。
私はこうして三年間過ごすのかな、なんて考え出すと全部が嫌になって机の上に突っ伏した。
及川、今頃どうしてるかな。
彼のことだから、どんな場所だって人当たりの良さから必ず円の中心にいるのだろうけれど。
「ねぇ、」
机をコンコンッと軽くノックされながらかけられた声に思考を切り取られた。そっと顔を上げると、髪を二つに結い眼鏡をかけた女の子がいた。
「体育館。もう向かうみたいだよ」
その言葉に周囲を見回すと、生徒は廊下に列を作り出していた。先生が来たことにも、入学式の説明も何も気づかなかった。
「……ん、ありがと」
「どういたしまして」
声をかけてくれた女の子、清水潔子さんは私の真後ろの席で物静かな子だった。クールな子かと思えば口下手なだけで、どこか自分と波長が合う事からそんな彼女と仲良くなるのは早かった。物事の価値観が似ているのか、サッパリした性格と言動。私は絵に描いたような外見不真面目な生徒だけど、彼女は欠点なんて見つからないような子で。その姿に昔の自分が重なった。
何か一つのことに一生懸命で、真面目だった頃。それでも、それを見ないフリをして過ごす日常に少しだけ安心していた。
「律は部活、入らないの?」
「寧ろ聞くけど、入ると思う?」
「思わないけど。数学の授業終わった後、先生にバスケ部勧誘されてたよね」
そう言われて、授業終わり名指しで呼ばれたかと思うと廊下で部活に勧誘されたことを思い出した。烏野の女子バスケ部は県内では強豪校らしく、入りたい部活が無いなら是非とのこと。
「高身長が勿体無いってさ。小さいプレイヤーに謝れって話」
「でも、ほんと高いよね。身体測定の時も思ってたけど。
何かしてた?」
「んー……まぁ、バレーをね」
小学校の頃から続けていたと続ければ、潔子は陸上やってたとだけいった。
「部活は何処にも入る予定無いよ。やりたい事も………もう、無いし」
「?」
「そう言う潔子は?」
「私も………今のところは何も」
運動部は入ったところで無駄。スポーツができる体ならば、烏野には来てない。文化部はそういう才がある訳でもないし、完全に未知の領域だった。
「部活は強制じゃないみたいだし、委員会は入るかな。この後のホームルームで決めるんでしょ?」
「ああ、うん。てか、委員会とかするタイプなの?」
「全然。でも、何かしておかないと目つけられたら面倒だし」
「そういう理由」
学校側が入学の時点で部活の参加を勧めるのは、就職にしろ進学にしろ、卒業する際に履歴書をなるべく埋める為だ。それなら委員会に参加していればそれなりになるだろう。本を読むのは好きだし、図書委員会狙いでいいか。そう考えたりして腐っている自分に辟易した。
それから数日後、部活動に一年生も参加し始めた頃だった。
「あの、櫻井さん!」
潔子とお昼を食べようとお弁当を広げていると、女の子が一人話しかけてきた。確か、同じクラスの……
「私、道宮結っていいます!
お、お昼一緒に食べていいかな……!?」
ショートカットの彼女、道宮さんの申し出に潔子を見ると、ぽかんとした後頷いた。
「いいよ。私の机、くっつけようか」
「だね」
いつもは二人だけで前後の席だから、私が振り向いて潔子の席で食べていたけれど、三人ならと机を動かす。道宮さんはお弁当箱を机に置いて「ごめんね、ありがとう」と言いながら、その辺から引っ張ってきた椅子に座った。
「突然ごめんね。入れてもらっちゃって」
「全然。気にしないで」
「寧ろ二人で食べてたから嬉しいよ」
「ホント!?なんか二人って高嶺の花っていうか、近寄り難い雰囲気出てるからさ!」
「それは潔子が」
「いや律だね」
「どっちもだよ〜!」
道宮さん──結はとても活発な女の子で、打ち解けてからは話題が尽きる事はなかった。私も潔子もそれを笑いながら聞いていて、いつもより時間をかけてご飯を食べ終わった。
机を戻しながら次の授業なんだっけ、なんて考えていると、「そういえば、」と結が話を切り出してきた。
「二人は……その、部活とかどうするの?
私、バレー部入ったんだけど」
その言葉に、急激に冷めていくのが分かった。その後に続く言葉が簡単に想像できて。
ああ、もう本当に。どうしようもなく暗くて、惨めで、腐ってる。
「誰かに、私を連れて来いとでも言われた?」
自分でもわかるくらい冷め切った声が出て、自然と教室の視線が集まるのを感じた。
「そ、そういうわけでは……!」
「そう……ごめんね、突然。私は部活に入る気は無いよ」
「そう、なんだ………」
私と結の異様な空気に潔子は疑問符を浮かべていたけれど、それでも直ぐにジュース買い行こ。と手を引いた。
私についた【女帝】と言うあだ名は誰が呼び始めたのかわからないほどバレーをしている人の間で広まっているから、戦力を上げる為にと勧誘されてもおかしくはなかった。見当違いだったら良いんだけど。
* * *
「ダメだ〜〜〜!!絶対無理!!」
放課後、部室で着替えながら私は今日のお昼のことを思い出していた。言わずもがな、律のことだ。
お弁当を食べながら話している時は、何処にでもいる女の子だと思った。外見から怖そうで少しだけ近寄り難かったけれど、そうでもないななんて。でも、バレーの話をした瞬間変わった、氷のような冷たい視線。
昨日から本格的に始まった部活中、同じ学年の佐々木千鶴が言ったのだ「同じ学校に櫻井律が居る」と。その存在は私も知っていた。同じクラスで、一際視線を集めていたから。
モデルみたいな高身長でスラッとした手足。左耳に一つだけ空いたピアス。肩に届くかどうかの長さで揺れる、青のインナーカラーが入った艶のあるストレートの黒髪。外見は変われど、中学の時チラッと見たことがある【北川第一の女帝】櫻井律だとハッキリとわかった。
そこで、先輩になんとしてでも連れてこいと、唯一同じクラスである私に言いつけたのだ。
無茶だ。というか、無理だ。
強豪校のエーススパイカーなんて、勿論戦力として欲しいに決まっているけれど、彼女はバレーに入る気なんて無いみたいだし。
「結、櫻井さんと話したの?」
「どうだった!?女帝!」
「めっちゃ良い子だったけど、怖い……」
「何その対極な答え」
話せばわかるよ……。そう思いながら彼女の入部を心待ちにしている先輩に苦笑いをする。
そんなに言うなら自分らで行って欲しい。私は無理やり律を引き摺り込みたいわけではなく、自分から入って欲しいし普通に仲良くなりたい。
でも、そんな気持ちと裏腹に先輩からの圧力には逆らえないわけで。
明日からも、話すかなぁと思いながら体育館へ向かいつつため息をついた。
「どうした道宮、ため息なんてついて」
「さ、わむら!?」
「お、おう……!?」
突然かけられた声に過剰に反応してしまったけれど、中学が同じで、密かに想いを寄せている相手が隣にいればそりゃ驚く。
でも、彼は頼りになるしなんだかんだ話すうちに全部ペロってしまった。
「……なんか、凄いなぁ女子。俺も負けてられん」
「でもね、律。バレー部に入る気は無いみたいで。
中学と比べて雰囲気とか変わったの、何かあったのかな」
「道宮は、その律さん?に入って欲しいんだろ?」
「うん。でも……やっぱり私は律の意思で入って欲しいし無理強いはしたくない」
「ふうん。なら、もうする事は話すことしかないだろ」
「……それが難しいんですよ」
何かあったのか、なんて一目瞭然だと思う。それでも、彼女の雰囲気が何もかもを物語っている気がした。
「ところで道宮、お前のクラスにまだ部活入ってない人とか居ない?」
「?」
* * *
「……律って中学時代どんな感じだったの」
昨日と同じように三人でお昼を囲んでいると、そんな潔子の声に箸を止める。今まで彼女自ら深く聞くことなんてなかったのに、何を感じたんだろうか。
「どんなって?」
「ただ単純に。学校生活とか……部活とか」
北川第一だって話してたよね、どんなところ?そう聞いてくる潔子の声を聞きながらチラッと結を見ると、見るからに挙動不審になっていた。表情がそこまで変わらない私と潔子に比べ、結はわかりやすいくらいだ。
「別に、普通」
「普通、ねぇ」
こんな空気を作り出しているのは私だと知っている。
中学二年の時、中野先輩との一件も部内でこんな感じの空気だったから。だから、なんとかしなくちゃいけない。それでも、私は動けない。
───動けない?動きたくないだけでしょう。
頭に浮かんだそんな答えに歯軋りする。
苛つく。こんな自分が、嫌いだ。
「……学校生活はそこまで変わらないよ、本当に」
することやって、本を読んで。そんな毎日の繰り返しだった。幼馴染の華とはクラスが違ったし交友関係はそれなりに保ちつつも特別仲の良い友人はいない。そんな感じ。
ただ、そう周りに見せたかっただけだ。及川と岩泉とバレーをする時間が何よりも愛おしくて、崩したくなかったから。
「委員会とかも入ってなかった。…そんな暇も、無かったし」
「、律………」
結が何かを言いたそうにした時私は一口お茶を飲んで、音を立てずに水筒を机の上に置いた。
「説明とか、苦手なの。聞きたいことがあるなら直球で聞いて。
二人が話したいのは、部活についてでしょ?」
潔子と結は目配せして私を見た。
あの日から、まだ半年だ。消化し切れるはずもない。苦しい。
「結が、バレー部って聞いてわかった。
昨日ははぐらかしてたけど、私が北一でバレーやってたから勧誘してこいって先輩にでも言われたんじゃない?」
「!」
動き出したくて仕方がないのに、できないことが歯痒い。
それなのに、飛べと言うの?
「ハッキリ断るけど……私に、バレーを求めないで。
私、中学最後の大会の後身体壊して。もう選手として復帰できないんだ」
「っ、え……?」
「右肩と両膝壊して、手術して入院した。
今でもリハビリには通ってるけど、完治したとしても………もう私は、バレーをするつもりは無い」
信じていた絶対が揺らぐことを、信頼も感情もなくただ壊される日常を。私は恐れているのだから。
* * *
「結、律が居たところってそんなに強いところだったの?」
律が委員会の招集に行った昼休み。日課になったお昼を二人で食べて、私はそう聞いた。
律がバレーしていたというのは聞いていたけれど、私は全然律のことを知らなかったから。先日詳しく話を聞こうとしたのも、律と仲良くなりたいという思いからだった。
私はバレーについて全くわからないし、体育の授業くらいでしかしたこともない。
「うん。北一は男子も女子もバレー強くて、女子はここ数年は全国にも出てるよ。
律、そこのエースで有名だったから……【北一の女帝】って。
隣のクラスの子が先輩に律が烏野に居るって言っちゃって」
私は中学の頃に陸上をしていたけれど、結果は出なかった。そのまま選手として続ける気にも、何かを新しく始める気にもなれなくて、今をのうのうと過ごしている。
でも、律は結果を出した人間だったのか。
律に何があったかなんて知らない。それでも、あの子があんなに堪えるように眉間に皺を寄せて、誰も寄せ付けないような冷たい感情を見せるとは思わなかった。
律はどこか私と似ていて、だからここまで仲良くなれたと思ってる。
それでも、普段あんなに冷めた態度でいる彼女がそこまで感情を表に出したのは初めてだったから、やっぱり別人なのだと実感した。
「バレー、か」
「興味ある?」
「そういうわけじゃないんだけどね」
律が、そんな苦しそうな表情になるくらい好きだったものがほんの少し気になるだけだ。
いつだって冷めた瞳で周囲と壁を作って、時々何処か別の何かを見るような遠い目をする。彼女は何を見ているのか、誰を思い浮かべているのか。仲良くなるにつれて考えるようになった。
練習して、練習して。練習して積んで来たものは想像以上に呆気なく終わる。その事実を私は、自分が思っていた以上に恐れていたのかもしれない。
「清水さんてもう部活決まった?
よかったらバレー部のマネージャーやらない?」
そんなある日、隣のクラスの男の子──澤村から男子バレー部のマネージャーに勧誘された。聞けば、結と同じ中学だった彼は彼女からまだ部活に入っていない生徒を教えてもらって勧誘しているらしい。そのリストに律の名前が入っていないのは、せめてもの結の気遣いだと思う。結は、先輩達にちゃんと話したのだと。怪我で選手として復帰できないことを伝えると、落胆していたもののはっきり諦めたらしい。
「………いいけど」
強豪のエースで、凄い選手だった。でも、故障してできなくなった律がどんな気持ちかなんて知らない。でも、辛い思いをしているのだろうと何となく察して、そこから遠ざけたいという結の気持ちもわかる。
でも、私は………
「バレー部のマネージャー、することにしたの」
そう律に話すと、目を見開いて私を見た後遠い目をして「そう」と呟いた。
「だから、バレーの事教えてね」
「………はいはい」
私は、律のことが知りたい。
だから、彼女がどれだけバレーに打ち込んで来たのか、どんな思いでいるのか知りたい。
なんとなくだけど、「なんとなく」ってだけじゃない。
元々男子バレー部にマネージャーは居なくて、私が居なくなっても元通りになると思っていた。
何か一つのことに打ち込む心地よさを味わいながらも、自分は最前線で戦っていない安堵。澤村が菅原が東峰が、先輩方が選手として戦っているのを見ながらも、私はどこか他人事で。
そして、負けた。
確かに悔しさはあったけれど、それも一日経てば忘れるだろうと思っていた。泣いていた三人を見るまでは。
きっと、その時からだった。彼らが他人では無くなっていったのは。
* * *
「烏養さん、倒れたって!」
「んな大袈裟な。ピンピンしとるわ」
二年に進級した夏休み。リハビリもそろそろ終わるという頃だった。家に行くとおばさんに倒れたと聞き病院にやってきた。そこは、私がいつもリハビリに通っている所で、真白なベットに横になる烏養さんがいた。
幸いなことに大事には至らないようだけれど、もうそれなりに歳をとっていることを考えると練習をする事ももうないのかもしれない。
そうしてリハビリついでにお見舞いをする様になったある日、バッタリ繋心さんと再会した。
「最近、どうだ」
「別に。普通」
普通なぁ……と呟いた繋心さんと病室からの廊下を歩く。
前会った時はピアスを開けた時だから、もう一年以上会っていなかった。烏養さんと繋心さんの二人と私の間にバレーしかないのだから、私が離れれば繋がりも薄くなるのは当然だった。
「しばらく見ないうちに大人っぽくなったな」
「高校生なんてまだ子どもでしょ。繋心さんが見れば余計に」
「そうだな。でもまぁ、元気そうでよかったよ」
繋心さんも、私がバレーを辞めたことに関してはもう何も話さない。いや、何を話したらいいかわからないのだと思う。
「………で、爺さんの見舞いか?ありがとな」
「ううん。リハビリのついでだから」
「そうか……まだ………」
「もう今月で終わるけどね」
「………なぁ、律」
繋心さんは歩みを止めて、真剣な顔つきで言った。
「お前、大丈夫か?辞めたこと、後悔してるんじゃ………」
開けてもらったピアスに手を添え、その小さな異物にあの日を思い出す。体に空いた小さな穴が心の傷の大きさと同じだと思いたかった。そんなに異常を来すことはないのだと。
「………後悔なら、してる。あの日のことを思い出さない日は無いってくらい。でも、仕方ない」
過去を思い出しては後悔に苛まれて。
あの頃の怪我はほぼ完治したというのに私の時計は止まったまま。『あの時ああしていれば』なんて考えるだけ無駄だけど、私はそれでもここから踏み出せない。考えずにはいられない。
「………バレーしていてもしていなくてもお前はお前だけどな。
俺は今のお前を普通とは思いたくねぇよ。痛々しいっつーか、なんつーか……悪い。こんなこと言って」
「ううん、気にしないで」
そんなこと言われたって、私だってどうしたらいいかわからない。でも、こうして気にかけてくれる人がいるから変わらなければという焦りが出てくる。
それから烏養さんの入院生活も終わり、退院の日についでにと送ってもらうことになった。
「帰る前にちょっと寄り道な」
「?」
行き先は告げなかったけど、車窓から眺める景色を見て気づいた。行き先は烏野高校、体育館だった。
烏養さんはそのまま体育館へ入り、臨時の監督として選手の練習を見始めた。
「律、どうしたの?」
「急にごめん。烏養さん、今日退院したばっかりなのに……」
マネージャーをしている潔子は一年続けていればもう慣れてきたのか様になっている。休み時間にルールを教えたことも、もうずいぶん昔の様に感じた。
そうして体育館の隅で練習風景を見ていると、あの頃を思い出してどうしようもない気持ちになる。及川と岩泉と練習していた時は、バレーを楽しいと思えていたのに。
「……律って、時々ふと黙り込んで遠い目をするよね。
何考えてるのかとか無理に聞く気は無いけど、やっぱり友達のことは気になるじゃない」
そう笑う潔子から視線を外して、レシーブ練習をしている選手に目をやる。
必死になって練習しても、いつか絶対に超えられない壁は現れるわけだし、それを超えるためにも出来ないことを潰すためにまた練習しなければいけない。練習がキツくて苦手でも、その先の景色を知っているからって。
でも、もう以前の様にプレーをしたいとは思わない。
潔子と少し話していると、烏養さんが私を呼んだ。
「次からサーブ練習するから、手伝え」
「……はい」
ボールをまともに触るのはあの試合以来だし、リハビリが終わったとはいえ全然出来るわけでもない。それでも烏養さんは、私をバレーから離す事だけはしないとでも言うかのように時々連絡をくれる。家で行っているバレー教室には小さい子が多いから、面倒を見にきてやってくれと。練習を見るのも教えるのも平気だけど、自分から混ざることだけは絶対にしなかった。
休憩が終わると号令をかけた烏養さんは、サーブについて軽く説明を始めた。ドライブサーブやジャンプフローターといった強いサーブを決められる選手がいるチームは強いのだと。
「それじゃ、今から俺の教え子に手本見せてもらうからよく見とけよ。正直言うが、コイツはお前らの誰よりも上手い」
「え、」
烏養さんの言葉に反応して選手からの視線が一層強くなった。
現役でやってる人になんてことを言うんだと思いながら烏養さんを見れば、鼻で笑われた。
「なぁ、律」
ボールを手渡されると、エンドラインに立つ。
『お前、バレーが好きなんだろ?』
………好きですよ。
でも、それと同じくらい怖い。怖くてしょうがない。
私は、信頼がなくなったチームスポーツの恐ろしさを嫌と言うほど知ってしまったから。
目を閉じて呼吸を整えながら、あの頃の景色を思い浮かべた。
『櫻井さん今のは!?』
『櫻井、スパイクの打ち分けってどうしてる?』
『ちょっと岩ちゃん!?今は俺がサーブ教えてもらってるんだけど!!』
『うるせぇ』
リハビリを続けながら選手として復帰するという道もあったのかもしれない。それでも私がそうしなかったのは、最前線で戦うのが怖くなったからだ。信頼されなくなったあの場所しかないと再確認したくない。もう二度とあんな気持ちを味わいたくないから、逃げる。
トスを上げるのはこんな風だったっけ。助走は。本当に私は、
「っおお……」
勢い良く飛んだボールは綺麗な弧を描いて反対側に刺さった。それと同時に、息を飲む声が聞こえた。
私は、バレーを辞めても良かったのかな。
「律、はい」
潔子からスポーツドリンクを差し出されたけれど、とくに疲れてもないから断っておいた。
「凄かったよ」
「誰だって出来るよ」
「それでもだよ。やり慣れてるっていうか、熟練感がね。
ジャンプサーブとか、公式試合くらいでしか見たことなかったけど、凄く……綺麗だと思ったの」
それは確かに周りと比べると一目瞭然かもしれないな。
汗を拭きながら、的確なアドバイスをして選手のフォームを直す烏養さんに視線を向けた。
「サーブは、チームスポーツのバレーの中で唯一個人で点を取れるものなの」
「?」
「繋ぐ事が重要なバレーにおいて、最初の攻撃。
サーブが強い人がチームに一人いるだけで攻撃のリズムも変わる。サーブの時もスパイクを打つ時も一対六だけど、個人技のサーブと違ってスパイカーの最高を引き出すのはセッター」
今、何しているんだろう。
誰にでも優しくて明るい彼のことだから。
円の中心で笑っているのかな。
「エースはチームにとって特別な存在だけど、エースにとってセッターは凄く特別。私はエースで、私が点を取らなくちゃいけないから………だから無理して、壊れた」
「律………」
「頑張って培ってきた技術が一瞬で壊れて、信頼も消えて。
私、なんでバレーしてたんだっけって。なんで頑張ってきたんだろうって思えて」
若利に挑む及川を側で見ていたから尚更、私には何も無いのだと感じた。楽しむ心も無く、ただ華とバレーがしたいという気持ちで走り続けてきたから。
「私は、緊張感と高揚感で吐きたくなるくらい楽しい試合がしたいって思ってた。
でも、リハビリが終わっても選手には戻らない。戻れない。
もう………チームスポーツが、怖い」
こんなこと突然聞いても、潔子だって困るだろうに。それでも彼女は優しく背中を撫でてくれた。
「私も、入部した時自分は選手じゃないことに安堵してたの。
ユニフォームを着るわけじゃないし、コートにも立たない。だけど、彼らと一緒に頑張りたいって思ってる」
「………」
「律も、やってみない?
私も、律と一緒に頑張りたい」
潔子が私をバレーに誘うとは思っていなかった私は、視線を逸らした。
今までずっと選手として第一線にいたから、マネージャーになるなんて考えたこともなかったから。しかも、男子バレー部。
『絶対、次は牛若ちゃんに勝つよ』
ふと、及川の最後の試合のことを思い出した。
何してるかなって考えても、会いに行こうなんて考えたことも無い。バレーしか繋がりがなかった私達だから、拒絶されたら怖いって。………なんか、怖がってばっかりだな私。
それから練習を最後まで見届けて、ついでだと潔子のマネージャー業務も手伝った。
「マネージャーやってみない?」
「えっと、」
「二年だよな?俺は同学年の澤村大地。えっと、律、さん?」
話しかけてきたは目をキラキラさせてバレーの話をしていた。
「試合で必死にボールを追いかけて、セッターから上がったボールを叩き落として……そうして私は走り続けて来た。
でも最後には何も残らなかった。意識はハッキリしてるのに全然動けなくて、熱い体に感じる体育館の冷たい床の感触が気持ち悪くて、嫌いになった。
………きっと、続けているうちに高い壁は現れると思う」
「?うん」
「正直……今の烏野は強豪とも言えないし、県内だけでもここよりずっと強いチームがあるわけじゃない。
それなのに、どうして頑張れるの?」
澤村は私の話を肯定するかの様に烏野の現状を話しはじめた。
「俺らが中学の頃、烏野は春高にも進んだし強豪だったじゃん。でも、今は監督もコーチもいなくて、部員の層も厚いわけじゃない。
でも、強敵がいる事が諦める理由にはならないし、もう憧れたもんはしょうがないだろ。
俺は昔の烏野に憧れて来た。今と昔が違うってのも自分達の実力も十分承知してるけど、それでも上を目指したい」
「、」
澤村の考え方は昔の私そのままで、それがまた少し苦しく思えた。
彼らが真っ直ぐに前を向いて走り続けた先に私と同じ結末があるというのなら、私は。
「道宮に聞いた事があるんだ。北一でバレーやってたエースなんだろ?」
「……まぁ、一応」
「でも、もうそれも昔のことだろ?俺はその辺何も知らないし言える立場でもないけどさ。
今は、【烏野高校の律】だろ?」
「!」
「さっきのサーブ、凄いって思った。
だからさ、俺は律に一緒にいてほしい!」
「最近思ってたんだけど、律って昔より笑う様になったよね」
「え、」
初めて会った頃より、随分変わったよ。
そう話しながらタオルとスクイズボトルを潔子と運んでいた。
「……【女帝】じゃない、【烏野高校の櫻井律】になったからかな」
「何それ?」
「さあね。澤村にでも聞いてみて」
私をこの部に誘った二人は、私がどれだけの感謝しているのかをきっと知らない。力では無く私自身を必要としてくれて、そっと背中を支えてくれる。
「潔子」
「うん?」
「ありがとうね」
「え?」
突然何なんだと言いたそうにこちらを向いた潔子も少しだけ浮かれているみたいで、一月にある春高まで少しずつまた強くなる皆のサポートをしなきゃいけないと思った。
「言うの遅れたけど、私及川と付き合うことになった」
「は?えっ………え!?」
「青城戦の後に追いかけて、勢いで告白して……」
「勢いで???」
ずっと心配していてくれた潔子だから真っ先に伝えたかったのだけど、次の日には白鳥沢戦だったし伝えるタイミングがわからなかったのだ。
「とりあえずおめでとう。うまくいったみたいで良かった」
「ありがとう。潔子もうまくいくといいね」
「私はアレだし……とりあえず春高かな」
リハビリをしながら選手として続ける道もあったのかもしれない。もう一度裏切られることを恐れて、逃げた。
でもそうした今だからこのチームの一員として頑張れる。
「春高、か………」
「黒尾君達?」
「うん。ちょっと心配」
ゴミ捨て場の試合を春高でしたいとずっと思っていた。烏養さんの事もあるし、私達が烏野にいるのは今年で最後だから。でも東京も強豪校ばかりだし、優勝候補の井闥山も梟谷もいる。
「でも、信じてないわけじゃない。
大丈夫って期待して待つよ」
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