「いらっしゃい」
「おう、邪魔すんぞ。
………つっても?これからここで生活するんだけどな」
「確かに」
ラフな服装にキャリーケースとリュックサックを持った岩泉を迎え入れると、早速と言った風に引越し作業が始まった。
「送ってくれた荷物は岩泉の部屋に運んであるから」
「助かる」
玄関から入ってすぐの左手の部屋が岩泉の自室で、その隣が私の部屋になっている。お互いの自室と廊下を挟んだ反対側にお手洗いやバスルーム、洗面台などの水回りが並んでおり奥に進むとダイニングキッチン付きのリビング。そして、ベランダ横にあるL字型の小部屋はトレーニングルームとなっており、ベンチプレスや懸垂機などが置かれている。
一通り部屋の内装を岩泉に教えると、とりあえず自室の掃除を始めることになった。
「食器は一応洗ってキッチンの棚に並べてる。ソファー後ろとテレビ横の棚にある本とかDVDは全部私の私物だから、いつでも読んでいいよ。岩泉も持ってきて並べていいし」
「おう。………にしても、広いな?」
「はは、家賃がエグくて」
殆ど使用していないけれどテーブルを置けるほど余裕のある広さのバルコニーもあるので、そこそこなのだ。
「生活のルールとか、後で決めよ。
お昼ご飯作ってるから、片付けておいで」
「サンキュ」
「あ、後。空輸で彩音さんから荷物届いてたよ?」
「彩音が……?まぁ、わかった」
何かあったら呼んでとだけ言って、私はリビングの方へ足を向けた。
コンロは三口IHコンロで、作業スペースも広い。何を作ろうかと思いながら雪絵に聞いたレシピがまとめられてあるルーズリーフバインダーに手を伸ばした。
雪絵は食品会社で栄養士として働いている為、こちらに来てバーガーとポテトが主体の食生活に危機感を覚えた私は早々に連絡をとった。チームのコーチと食生活の話をして、それを元に必要な栄養素や量などを雪絵に報告。「これとかは〜?」とメールで教えてもらい休日に作ってみて、ルーズリーフ一枚にまとめている。
本当に助かっているな、と思いながら手軽に作れて量も丁度良さそうなものにしようと材料を手にとった。
それからご飯を作っていると、ドアを開ける音がした。
「お、早いね?」
「本とか、並べんぞ」
「うん。あ、一番下の段には何も詰めないでね」
こちらは日本式の玄関が無く土足で生活するものだから、棚の一番下の段には観葉植物などを置いている。荷物の整理をしている岩泉に足を向けると、彼がスリッパを履いていることに気がついた。
「良いもん履いてるね?」
「あ?ああ………彩音から送られてきたんだよ」
土足で歩き回ることにどうしても慣れなかったので、自室にスリッパをおいてあるのだ。トレーニングの時にはシューズを履くけれど、基本家にいる時はスリッパの時が多い。部屋での過ごし方を雑誌で話したことを彩音さんは、覚えていたらしい。
岩泉が履いていたスリッパはグレーの毛並みが良いモコモコのモノ。でもよく見れば何かの動物の足………てか、え?
「待って………ふふっそれ、ゴリラ?え、うそ」
気づいてしまったらもうダメで、笑いが止まらなくなってきた。岩泉は笑いを取るためにそれを履いたのか、手にはスマホを持っていて「珍しい櫻井の爆笑シーンだ」と動画を撮っている。
「後でSNSに上げとこ」
「顔は上げないでね、オフだから」
「音声だけ音声だけ」
手早く操作をする岩泉を見て、私も何か報告ついでに上げようと岩泉のスリッパを撮影した。
「私もコーチのスリッパって上げとく」
「え、まぁ良いけどよ………」
専属のコーチがついたことは関係者に報告していたけれど、SNSには上げてなかったなと思って一応としておいた。お互いにスマホをいじると、その手を止める。
「じゃ、ご飯食べて話し合いでもしよう」
「だな。トレーニングルームとかも見たいし」
そのまま私たちは夜までスマホを手に取ることはなく、勿論友人やファンからのリプを見たのは晩ご飯を食べた後だった。普段の番宣なんかよりよっぽど面白かったのかそこそこバズっており、岩泉の方も「櫻井選手の笑い声」と乗せた音声がここまで広まるとは思っていなかったと言った。
「あ、櫻井写真撮って良いか」
「え、なんで」
「及川が櫻井の笑顔が見たいってよ」
「ええ………むり」
岩泉の投稿を見た徹から鬼の様にメッセージが届いていると気づいたのは夜で、岩泉は真顔の私の写真を撮って送りつけることで落ち着いたらしい。
「お願いします」
「………」
『……………』
リビングのソファーに岩泉と並んで座り、タブレットの画面越しに徹を見つめる。何度目かわからない『お願いします』は誠意も感じられなくなってきている。……というか、何で私が悪いみたいな空気になってるんだ。
「新型肺炎の影響で不要不急の外出が禁止になったのも、東京オリンピックが延期されたのも、仕方ないでしょ」
『それはそうだけど……』
「こんなご時世に一年だけ住む部屋を取って、引越してって言うの?私と岩泉に」
『そういうわけでもないけれど……』
「じゃあどうしろってんだお前は」
ソファーに体を預けた岩泉は、テーブルにおいてあったマグカップを手に取った。テレビ電話を始める前に淹れたコーヒーは冷め切っており美味しくないだろうに。私も少し残ったソレをグッと飲み干して、おかわり淹れる?と岩泉に聞いた。
『………君らの生活感溢れるとこ見てたら、余計腹立たしいんだけど』
全く……どうしてこんな大切な時期に………とぶつぶつ愚痴を垂れ流す徹の声を聞きながら新たにコーヒーを淹れた。話の内容が内容なだけに、それなりに年を重ねる様になって飲み始めたブラックコーヒーは普段より苦く感じられる。
『彩音ちゃんはなんて?』
「戻りようが無いし、余計危険だからある程度治るまで戻ってくるなってよ………アイツ、食品会社だから余計にな」
彩音さんの職場は止まることない生産ライン。非常事態宣言が出ようとフル稼働のため、特に今までと変わることなく出勤しているとのことだった。在宅勤務ができないからこそ、仕方ないと割り切ってしまっているらしい。
『正直、新婚一年目なのに友人と同居したりってどうなの?』
「うるっせぇな………」
結婚もしてねぇお前に言われたくねぇっつうの。と小声で言った岩泉の言葉は徹には聞こえなかったらしく、画面の向こうでなんて言った?と聞き返している。
潔子と龍之介が結婚する際に「幸せになってね」と言われたけれど、相変わらず徹はそぶりを見せることはない。私の気持ちを知っているのは岩泉だけだからこそ、遠距離恋愛中に異性の友人と同棲という状況に反感を持っていることはわかるけれど「そこまで言うのなら……」感が否めないのだ。
でも、今すぐに動くことはできないけれど。
「オリンピックが中止にならない限りはチームでも契約延長の方針で固まったから、私は今年も残留確定。それなら、岩泉を追い払ってこ違いないまま家トレを続けるより今の状態を維持した方が良いに決まってる」
『そうだけど……』
言い淀む徹の気持ちがわっているからこそ、提案とお願いをするしかない。元々一年間の期限付きだったわけだし、延長とは思いもしなかったのだろう。でも、それは私たちも同じだ。
「………櫻井、少し席外せ」
「え、」
「良いから。………頼む」
「わかった」
岩泉にそう促されて、トレーニングルームに私は引っ込んだ。……どうしよう。ヨガでもしとくか。
* * *
『どうしたの?急に』
画面の向こうで不思議そうにしている幼なじみを見て、俺は櫻井が先ほど淹れ直したコーヒーを一口飲んだ。
「お前、アイツとのことどう考えてるんだ?」
『…………それって、』
「お前には言うなって条件で、櫻井のこの先のことを聞いた」
『はぁ!?何それ!!』
櫻井には絶対に話すなと言われたから詳細を話す気はないけれど、このことを言わなければこの男は意地でも動かないだろうと俺は知っている。
「櫻井だって、今の生活のことはいろいろ考えてるんだよ。
バレーは好きなことだし続けたいけれど、お前とも一緒にいたいと思ってるからな」
『俺だって一緒にいたいよ』
及川は、倒したい奴らが日本にいる。学びたいと思った人がアルゼンチンにいる。その理由から高校卒業後にアルゼンチンのチームに入り帰化した。世界選手権なんかは所属するチームの国代表として出場できるけれど、オリンピックはそうもいかないからと、アルゼンチンに国籍を移したのだ。
そして、櫻井はこの先及川と一緒にいたいからと日本国籍のままでいる。その時が来たら及川について行く覚悟も、とっくの昔にしているのだろう。
だからこそ、いつまでも明確な言葉もなしに遠距離恋愛を続けている及川が俺は気にくわねぇ。
『………どう考えてるかだっけ?結婚したいって思ってるよ。
でも、俺はまだ律ちゃんの隣に立てる存在じゃないんだ』
「……は?」
『律ちゃんが一番憧れてる選手って、牛島でしょ』
「まぁ………」
性別が違うから戦うことはないけれど、櫻井が負けられないと意気込んでいるのは確かにアイツしかいないかもしれねぇ。
『俺が牛島に勝つ日は絶対に来るって信じてる。そう、彼女に言われたからこそ俺だって負けられないんだ。
………だから、今年のオリンピックで日本代表をぶっ倒してプロポーズ〜とか、いろいろ考えてたのになしになっちゃうし。ほんと最悪』
「……今のうちに婚約とかしとけば良いだろうが」
『婚約したら、律ちゃんはバレー辞めちゃうでしょ』
そんな、及川の確信した様な言葉にどきっとしてしまった。本当は全部知っているんじゃないかと、そう焦ってしまう。
『まぁ、予想だけどね。
律ちゃんだって牛島に勝ちたいと思ってるからまだ辞めないだろうけどサ』
「予想……?って、何だよ」
『律ちゃんの今後を聞いてて俺に隠す岩ちゃんには教えてあげなーい!………でも、これだけは覚えておいてね。』
及川は少し寒気がするくらい真剣な表情で、真っ直ぐに俺を見て自信満々に目を細めて笑っていた。
『今のままで終わることなんて、絶対あり得ないから。
確実に俺が奪い取るよ………全部、ね』
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