中学生のU-17日本代表候補合宿初日は、設備環境の説明や荷解きで終わった。

 翌朝。早朝にも関わらず、今朝も掲示板の前にはシャッフルマッチのリストを見ようと人が集まっている。
 本格的な練習が今日から行われるという事で、中学生はかなり気合が入っているらしい。高校生の実力を知ることはもちろん、自分の実力がどこまで通用するのか試したいこともあるのだろう。
 しかし、シャッフルマッチに名前があったのは1名だけだった。

「桃城っお前も選ばれてるぜ!」
「えっマジ?」

 神尾に声をかけられた桃城が掲示板を確認すると、確かに自分の名前がそこにはあった。
 対戦相手は昨日対面した鬼という高校生。合宿所を去っていった高校生たちを一喝していた様子から、上位のコートにいるだけはあって実力も相当なものなのだろう。
 桃城はごくりと唾を飲み込んだ。

・

「随分とスカスカしたラケットっすね?」

 AM06:00
 毎朝恒例のシャッフルマッチが各コートで始まった。
 
 桃城は中学生の中で唯一シャッフルマッチに選ばれたということもあり、その試合を一目見ようとコートの周りには中学生は勿論コーチや高校生もちらほらと集まっている。

「青春学園中2年、桃城武。
 この入れ替え戦、勝ったら俺が5番コートっすね」
「無い」

 2人がネットを挟んで火花を散らしていた頃。リョーコはレストランで朝食を摂っていた。

「リョーコは見に行かへんの?」

 合宿所のレストランでは、好きなメニューと量を選べるビュッフェ形式で食事が提供されている。栄養バランスの取れた多彩な品が並ぶ中であっても、リョーコはバランスの良い適切な量の朝食を選ぶ。
 食事も終盤。カットオレンジの皮を剥いていたリョーコに話しかけたのは、同学年の種ヶ島修二だった。

「おはよう、修」
「おはようさん」

 空席だったリョーコの目の前に腰を下ろした彼は、いただきますと両手を合わせて和食中心の朝食に手をつけ始めた。
 リョーコは二つほど瞬きをして種ヶ島を見ると、その疑問を隠さずに言う。

「何で白ジャージなの?」
「そんなもん、サプライズに決まっとるやん☆」

 種ヶ島は本来1軍の選手であり、合宿内ではNo.2の実力者だ。
 通常であれば遠征へ行っているはずなのだが、本人が大の飛行機嫌いで同行を拒否したがためにリョーコや徳川と共に1番コートに残っている。

「それに、俺はリョーコと違うて目立つ気はないんや」
「私は目立ってるんじゃなくて、正装をしてるだけだよ」
「ちゅーか、考えたんやけど」
「ん?」

 唐突に真剣な声色になった種ヶ島に、リョーコは視線を向けた。

「俺が白ジャージやったら、リョーコはほんまの紅一点やん?」
「……超つまんないね。びっくりした」
「ええ、ひどない?」

 朝にふさわしくほのぼのとした会話を交わす二人だったが、種ヶ島は話題を元に戻した。

「せや、今朝のシャッフルマッチ。中学生がぎょうさん集まっとったで」
「ああ…鬼君ね。でも、十字ラケット持ってるの見たよ」
「さよか」

 ガットがラケットフレームの丁度中央に縦と横の2本しか張られていない十字ラケットは、本来特訓に使用するものだ。
 そんなラケットで難なくボールを打ててしまう選手は、鬼を含めこの合宿所に片手で足りるほどしかいない。つまり、鬼にとって中学生はその程度の相手、

「しっかし、初っ端から鬼相手とはコーチもえらいことするやん」
「9番コート以下の高校生を全員追っ払ったと考えれば、それなりに相応しいんじゃない?」
「せやなぁ……そういや奏多に聞いたけど、リョーコの弟もおるらしいな。
 どうなん?中学生」
「どうって…………」

 リョーコは種ヶ島に問われ、中学生の様子を思い浮かべた。
中学生が参入することは事前に通告されていたし、ビデオも見たことでプレイスタイルはそこそこ把握している。だけど、リョーコは鼻で笑って言った。

「どうもこうもないよ。
 今は、ね」

 リョーコの言葉に種ヶ島は「ははは」と短く笑った。

「相変わらずやなぁ、お前も」
「私はそこまで優しくないんでね」

 本人もそう言うし、この合宿所の在り方については平等院と同じ思想なのだろう。
 だが、2人のプレイスタイルは対照的だ。平等院のテニスが選手を破壊するものならば、リョーコのテニスは選手を育成するもの。

 ………ま、だからこそ誰よりも距離が近いんやろうけどな。
 種ヶ島はそう思いながら、朝食を食べ終わったもののテーブルを離れないリョーコに声をかけた。

「今日、「特訓でしょ?待ってるから、早く食べなよ」

 リョーコに先を読まれて当たり前のように言われたものだから、種ヶ島はにこやかに笑って手を進めた。

 2人が中心となって合宿を引っ張ることは決してない。しかし、 1軍が遠征に行っている今合宿所のトップは種ヶ島と鬼、そしてリョーコの3人であることは確かだった。

・

「ガット、切れてるじゃん」
「最後の最後にな」
「え、えぇ………」

 朝食を終えてコートに向かう最中、桃城とのシャッフルマッチを終えた鬼に2人は声をかけた。
 鬼の十字ガットが切れていることを目ざとく見つけたリョーコは「見ればよかった」と少し悔しそうに呟く。

「なかなか、曲者かもな……中学生共」

 フッと笑った鬼を見て、種ヶ島とリョーコは顔を見合わせた。

「なんだよ」
「いや…"鬼の兄貴"って10日後には呼ばれてると思う」
「1週間で足りるやろ」
「おい」

 鬼は不服そうにしながらも慣れているのか、自分でもどこか納得している様子で強くは否定しなかった。

 2人は徳川の特訓をしてくると言った鬼と別れて奥まった場所にあるコートへと到着した。
 寮やレストランから近い16面コートの他にも合宿所の至る所にテニスコートはあり、自由に使用することが出来る。

「────じゃ、初めよっか」

 勝負事において、対戦相手には自分の手の内を見せない事は鉄則。
 特に種ヶ島はその傾向が強い。
 秘密特訓と称して人目の無い所で練習をすることもあるが、1人では出来ることも限られる。
 だからこそ、選手ではないが練習相手になってくれるリョーコの存在は他の選手には勿論のこと種ヶ島にとっても大きかった。


 基本的に選手と同じ扱いをされるが、越前リョーコは選手ではない。
 なぜ彼女がU–17合宿にいるのかを知るのは監督やコーチ陣と、主将である平等院鳳凰のみ。リョーコが合宿所に来てから比較的早く仲良くなった種ヶ島でさえ、その真相を知ることはなかった。

 だが、疑問には思えど彼らは何故彼女がこの合宿所にいるのか、その理由を問う事は無かった。

 見た目や性別などは一切関係がなく、ただただ越前リョーコは『対戦相手にこの上なく適している』ので、彼らからすればそこにいて当たり前のように心地のいい存在だった。
 だからこそテニスプレイヤーとしてリスペクトをしたうえで、高校生という多感な年頃の彼らには時折魅力的に見えることもあったりするのだが。

・

 中学生選抜50名を迎えて新たにスタートを切ったU–17合宿所では、必然的に初対面同士で交流することも多くなる。
 そんな中、高校生の間では『越前リョーコの弟がいる』という話題で持ちきりだった。

「いいかげん、弟さんいるんでしょって話題に飽きた」

 日が落ちて練習を終えた合宿所内では、選手が思い思いにリラックスしている。そんな中、リョーコはカフェのテーブルに頭を伏せていた。

「せやかて、リョーコは友好関係広いんやからしゃーないやろ」
「わかってるけど、それでもだよ」

 テーブルに散らばったリョーコの髪を弄るのは、本日ずっと一緒に練習していた種ヶ島だった。正面に座る彼は手持ち無沙汰にリョーコの髪で三つ編みを作っていたかと思えば、時折わしゃわしゃと撫で回す。

 慕われている事は自覚しているものの、誰かと顔を合わせるたびにリョーマの話題になるので同じことを何度も話すのは面倒くさい。
 八つ当たりというほどでもないが種ヶ島にぼやいていたところ、頭上から声が振ってきた。

「あ、修さんがリョーコに手ぇ出してる」
「お頭がおらん隙にな〜」
「ちゃんと否定しなよ」

 「本当のことやもん」と星を飛ばしながら話す種ヶ島にリョーコは視線を向けた。
 鼻筋も通っており目もぱっちりしている。タレント選手である君島とモデルをした経験もあり、さぞかし女の子にモテるのだろう。

「お、何なん?俺に惚れたか」
「ははは」

 笑って流したリョーコに何やそれと不満気に種ヶ島は頬を膨らませた。

「リョーマのことは兎も角。
 これからシャッフルマッチもバンバン出してくるだろうし、良いところまで行くんじゃない?」
「ああ、中学生の話?」

 席についた入江は手にしていたはちみつ入りのホットミルクを一口飲んだ。

「今でも柘植コーチからもらったトレーニングに加えて選手と試合したり色々することあるのに、中学生の相手までするなんて。大変だね」
「あんまし心こもってない気がするんだけど。気のせい?」

 入江は本心だよ、と笑ってまたホットミルクを飲んだ。

 リョーコがこの合宿で行わなければいけないことは主に二つある。
 一つは選手と同じ量のトレーニングを毎日こなすこと。そして重要なのが二つ目。U–17に所属する選手全員と対戦することだ。
 勿論この場にいる種ヶ島と入江もリョーコが参入して日を開けずに戦っている。

「50人でしょ?1日何試合で回すんだろうね」
「………半分に減らすんじゃない?」
「お?」
「徳川達とか、毛利の時もそうだったでしょ?負けた方が脱落っての、そろそろだと思うよ」
「俺等の時もそうやったな」

 リョーコが言った通り、翌日の夕方には中学生25名が合宿所から姿を消すことになる。
 その脱落組にリョーマが入っていたことにより、高校生の『越前リョーコの弟』への関心は一気に薄れていった。
 勝者である25名の中学生も合宿所を去っていったライバル達を惜しむ時間など無く、その日から厳しい練習をこなすことを柘植コーチに言い渡された。

「………」

 トレーニングに励む中学生の様子をリョーコはモニタールームでじっと見つめていた。
 彼女の隣には監督不在の今合宿所を任されている黒部コーチがおり、一人一人のデータをリョーコに説明している。

「……ざっと、こんな感じですね。どうします?」
「どうもこうもないですよ。
 去年みたいに朝はシャッフルマッチに選ばれない面々を別コートに呼び出してもらえれば適当に相手をします。
 午後ならトレーニングも落ち着いてるだろうし私は大丈夫ですけど……まあ、そこは中学生の様子を見てって感じですかね」
「わかりました。
 ………弟くん、残念でしたね」

 黒部コーチのその言葉に、リョーコは性格が悪いと笑った。

「徳川とやって負けたんでしょう?聞きましたよ」
「知ってたんですか」
「はい。
 ……でもまあ、リョーマは強くなるためなら何でもしますから。どうせ、崖の上で扱かれてますよ」
「斉藤コーチが言うには、今回の中学生は誰も帰らなかったらしいですよ」
「へぇ!それじゃ、割とかなりやるんですね」

 中学生のデータは知っていても、彼らと実際に話したことはないのでそうとしか答えられなかった。
 けれど、残った人もあっちに行った人も、強くなるのならば何も問題はない。

「私の仕事は選手の手本になることですから。ちゃんと働きますよ」
「ええ…よろしくお願いしますよ。
 では、シャッフルマッチのリストは今夜にでも連絡しますので」
「はい。失礼しました」

 モニタールームを出ると、晩方の空を見上げてフッと息を吐いた。

「………雨でも降りそうだな」



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