春に咲いた桜の花びらが雨に打たれ散り、所々緑に変わって来た五月の下旬。私は高校時代から交際していた及川徹とようやく結婚した。

「律、綺麗だよ」
「ありがとう、潔子」
「ついに律も結婚かぁ……なんか、長かったね」

 純白のウェディングドレスに身を包み、慣れない化粧と綺麗にセットされたヘアスタイルをした鏡の中の私は、表情はそこまで変わらなくとも心なしか嬉しそうにしていた。
 式が始まるまで控え室で待機する中部屋に来たのは、潔子とかおりを始め高校の時のマネージャーのみんなだった。私より一足先に結婚していた彼女らには、式の前に散々注意事項やらアドバイスを貰っていた。それもあり、花嫁姿を心待ちにしていたのだと。
 
 ドレス姿とても楽しみにしてた。
 お色直しは何回するの?
 さっきフロントで木兎と赤葦見たよ〜

 ………なんて、式を心待ちにしている様子に胸が暖かくなる。

「そういえば、まだ及川君は来てないの?」
「うん。岩泉達に色々いじられてるんじゃない?」
「及川君のタキシード姿とか、最早エグいんだろうね」
「それ。女性ファン泣くよ」

 衣装決めの際に試着するところを見ているからアレだけど、確かに顔がいいからカッコいいんだろうなぁとは私も思う。
 女性ファンが多い彼だから、試合の際彼のファンに色々される事にはもう慣れてしまった。なんせ、中学時代からそうなのだから。でもまぁ、嫌な事に変わりはないけれど仕方ないと割り切れているあたり、私も随分甘いのかも知れない。
 そうこうしていると廊下が騒がしくなり、ドアが開いた。

「何照れてんだ。お前新郎だろ」
「うわっ押さないでよマッキー!」

 相変わらず仲良いなぁと思いながら騒ぎながら入ってきた徹に目をやる。
 正装だからと髪をちゃんとセットしてあって、薄い水色の光沢のあるタキシードが決まっている。

「り、律ちゃん……!綺麗だよ」
「ありがとう」

 中身は全然変わらないけど。

「もうちょっと気の利く言葉言えんのか」
「顔だけだな〜及川」
「うるさいなぁ!」

 式が始まるまでもう少し。そろそろ先に行ってるね、と友人らが部屋を出て行く。私はドレッサー前の椅子に座ったまま、徹と彼らを見送った。

「なんか、今になって実感が湧いて来た」
「やっと俺のものだって喜んでたのは誰だったっけ?」
「俺だね。でもほんと、夢みたいで……」

 両手を取って、微笑む徹と目を合わせる。私も、初めて会った時はこうなるなんて微塵も考えていなかった。

「幸せにするから」
「離さないでいて。私は貴方の隣にいれるだけで幸せだから」
「離さないよ。絶対に」

 まるで絵本の中からどこかの国の王子様が飛び出して来たみたいだ。さっと手の甲に口付けを落としウインクを決めた彼と笑い合った。

「そろそろお時間です」
「はい」
 さて、と目を合わせて笑った。
「それじゃあ律ちゃん、また後でね」
「うん」

 また一人になった私は座っていた腰を浮かせ、ようやく姿見の前に移動した。
 Aラインのシルエットが綺麗なウエディングドレスは皺一つなく、繊細なレースとリボンも白で統一されている。腰と鎖骨付近に白いバラのコサージュがついていて、シンプルながらも華やかだった。
 チャペルでの披露宴の後はメインホールにて立食の式になっているので、お色直しの後は動きやすい様にスレンダーなシルエットのネイビーのカラードレスだ。
 着飾る機会なんて滅多にないし、良い経験だ。だって、もうこんな経験二度としない。この先一生徹と生きると決めたから。
 そんな私の晴れ舞台に、両親や友人をはじめ、多くの人が駆けつけてくれている。

 それでも、この姿を見てほしいと望んだ人は、この世界にいないけれど。



 それから式は滞りなく進み、幸せな時間は過ぎていった。
 両親、友人、徹への手紙を読んだり、余興に笑ったり。日本代表選手で実はこっそり練習してたなんて徹も知らなかったみたいで、笑っていた。友人からの手紙では潔子と岩泉の言葉に高校時代を思い出して懐かしくなったり。
 一生に一度だから。あまり笑うことがなくても、楽しいと分かってもらえるくらいには雰囲気から伝わってくるなんてコソッと言われてしまった。

『それでは次に、新婦へのメッセージを……』

 あれ、こんなのあったっけ。そう思いながらチラッと徹を見れば、真剣な表情で手を握られた。
 何、サプライズとか?少しドキドキしているとマイクの前に立ったのは、繋心さんだった。

「律、それから徹君。結婚おめでとう。
 まさか自分がここでスピーチをする羽目になるなんて思ってもいませんでした」

 そう話す繋心さんは真っ直ぐに私の方を見ていて、その視線に震えた。小さい頃からの付き合いだからと、呼ぶことは決めていた。見て欲しかったから。
 私との思い出を語っていた彼は、薄く笑いながら言う。

「……何でも一人で抱え込もうとする律のことだ。人に傷つけられるだけじゃ飽き足らず、自分自身にすら厳しい。そんな律に徹君は手を焼くことも多いと思う。
 それでも、律が一緒に居たいと選んだから。色んな事を二人で乗り越えて、苦い経験も辛い思いも二人で分け合って、それ以上に楽しい、幸せな思いをしてほしい。
 律、いつかお前が胸を張って『間違ってなかった』と言える人生であってほしいと俺は願ってる」

『私は、間違ってないよね?』

 そう、繋心さんの背中に縋った日を思い出した。辛くて、自分一人じゃどうしようもなかった時頼ったのは繋心さんだった。
 間違いがないか、確かめたい。最後まで、やり遂げたいよ。
 私が彼の隣で生きる事を選んだ事に、後悔なんてしたくない。

「花に嵐の喩えもある。……最後に、昨年秋に亡くなった祖父。烏養一繋より手紙を預かっているので読ませていただきます」
「………え、」

    *    *    *

 律ちゃんの呼吸が乱れた。そんな。今ここで?なんて。
 テーブルの下でギュッと手を握って、大丈夫だよ。とこの気持ちが伝わってると信じて念じる。

 その手紙の存在について、俺は烏養さんから聞かされていた。
 烏養さんとは連絡先を交換しており、律ちゃんの師匠…一繋さんが亡くなった一月後くらいに連絡が来たのだ。
 『手紙を送るから、二人で読め』と。
 そして俺はそれを断った。律ちゃんにとって一繋さんは何者にも代え難い存在で、それは絶対烏養さんの口から伝えたほうがいいと思ったから。

 酷い話だ。世界で一番大切な子がずっと一番に頼って来たのが烏養さん達なのだから。
 バレーで繋がった。それは俺と同じ筈だったのに。中学の一件、俺が何もできなかった時律ちゃんの心の支えになっていたのは烏養さんだったから。
 だからこそ、これからは俺が二人の様に律ちゃんの支えになりたいと思った。

「………一繋さんが亡くなって、一月ですね」
「?ああ……そうだな」
「律ちゃん、泣いてないんですよ。
 連絡を受けて帰ってきて。お葬式に出てこっちに帰ってきて。
 ショックで、不安で、悲しくて仕方がない筈なのに」

 ふとした瞬間遠い目をする様になった。
 バレーをしている時、振り返る様になった。
 一緒にいる時さりげなく擦り寄ってくる機会が増えた。

 カメラに「見てて」と言わなくなった。

「一繋さんからの手紙は、烏養さんに読んでほしい。
 烏養さんの声で聞きたい。俺は、そう思います」

 二人の様な包容力なんて俺には無い。代わりになんてなれやしない。それでも、隣で生きると決めたのだから、律ちゃんと一緒に乗り越えていきたい。

 烏養さんは少し息を吸って、静かに手紙を読み始めた。


────

 櫻井 律様。


 結婚おめでとう。病室でお前が帰った今、一人でこれを書いています。
 『元気な姿でまた会おう』なんて、出来もしない約束を取り付けてしまい、すまない。花嫁姿を見たかったなと残念に思うけれど、きっととても綺麗だと思う。

 初めてお前と会ったあの日を今でも覚えてる。
 引っ込み思案で父親の足に隠れていて。決して突出した才能があるわけでもなく、物覚えも悪い。少し厳しくすれば泣いて、蹴れば軽く飛んでいきそうなくらい弱い女の子でした。
 けれど、それでも誰よりも負けず嫌いで、努力家で。そんなお前の事だから、何でも一人で抱え込んで破滅するんじゃないかと考えたこともあります。
 バレーが好きかと聞いたら「そんなことはない」と答える。好きでなくとも一生懸命打ち込める事は凄いことだと思う反面、お前が心からバレーが好きだと言える日が来る事を願っていました。……まさか、病室で今までにないくらい泣きながら零すのを聞く羽目になるとは思っていなかったけれど。

 烏野に進学を進めた時は辛そうにバレーを好きだと言うお前をどうにかしてやりたい思いでいっぱいでした。
 他にも良い学校は沢山あるし、幸せを願うならバレーを辞めさせる選択もあったと思う。それでも俺は、お前が心から信頼できるメンバーとコートに立つ姿を見てみたかった。
 だからテレビ画面で試合を見るたび「見てて」なんて言ってくれて。ちゃんとしたチームの一員としてコートに立つお前を見た時は本当に嬉しかった。

 「烏養さん」と呼ばれるのが好きだった。「律」と呼ぶのも。
 一つ一つ出来ない事を出来るに変えて、どこまでもストイックに真っ直ぐ突き進んでいく姿をとてもかっこいいと思います。でも、それがどうしようもなく心配でしょうがない。
 お前を残して先に逝くことが、怖い。
 お前は俺が今まで面倒を見てきた教え子の中で、特別だった。

 お前が選んだ男とも結局会わず終いだったけれど、お前がバレーを辞めた時隣にいたいと望めるのなら心配は無い。
 だが、一つ言うとすれば大切にしてもらえ。俺は教える事に熱を入れて厳しくすることだけで、全然律の力になれなかった。
 これから先も、今までにない辛いことや苦しいことがあると思う。
 それでも、お前が胸を張って前に突き進んでいける事を誰よりも願っています。


 見てるからな。
                    烏養一繋
 ────代読、烏養繋心」

 烏養さんが手紙を読み終えて席に戻るのを見届けながら拍手をする。
 彼らの言葉は律ちゃんにどう届いたんだろうか。
 全く、彼女は最高にカッコいい師を持ったなと、思わずにはいられなかった。

    *    *    *

 式も二次会も終わり、ホテルに帰った頃には二人ともくったくたになっていた。

「お疲れ様」
「おつかれ」

 ソファに沈み込んで、一息つく。手紙やプレゼントやご祝儀などテーブルに乗り切らないものを散らばせてぼうっとする。

「ねぇ、律ちゃん。どうだった?」
「……どうだった、のかな。
 なんか、嬉しかったり楽しかったり、うまく言葉にできない。けど……」
「うん、」
「やっぱり、悲しかったのかな」

 珍しく泣き言を聞いたと思えば、それと同じタイミングで涙が零れ落ちた。

「烏養さんにも、見てほしかったなぁ……
 なんで、なんで……」

 零れ落ちる涙を拭うこともせず静かに泣く律ちゃんには悪いけれど、俺はホッとした。
 
 人前で滅多に弱音を吐かず、泣かない。でもその感情が消えて無くなるわけではないと俺は知っている。
 バレーを辞めた時だって、俺の前では薄く微笑んでいたのに烏養さんの前では泣いていたと知っている。思いつめて、押し留めて、自分一人で抱え込んで。
 俺はね、そんな律ちゃんを支えたいって。何もできないかもしれないけれど、一緒に分かち合って一緒に生きたいから隣に立つ事を決めたんだよ。

「烏養さん、かっこいいね」
「……っ」
「律ちゃん、好きだよ」
「、」
「好き。愛してる。
 絶対……離さないから」

『見ててね』
『幸せにしてね』
『大切にしてもらえ』

 そんなこと、言われなくたって。
 俺はずっと彼女のことを追いかけてきたんだから。
 もう二度と、この手を離したりなんかしないから。どうか幸せになってくれ。
 世界で一番、大切な人よ。



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