名乗り

 朝目覚めるといつもの天井といつもの部屋がそこにはあった。
 起き上がって部屋を見渡す。制服のまま寝ていたらしい。リビングから部屋の明かりが漏れている。お母さんは帰ってきているらしい。と言っても夜勤明けなのでいつも通りに寝ているはずだ。
 ケータイを手に取る。充電がわずかなのに気付いて慌てて、端子を差し込む。
 待ち受け画面は土曜日の朝8時をを示した。
 昨日は金曜日。帰り道までの記憶はある。公園に入ってそこから──。
 首に触れた、いつもの皮膚の感触ではない。ざらついたその感覚に慌てて、鏡を覗き込む。首元には大きめの絆創膏が一つ貼られていた。
 きっと、あの2人だ。
 バタバタと部屋を出た。隣の部屋でお母さんが寝ているのを横目で確認して鍵と携帯と財布だけ握りしめて家を出る。
 公園に行く。
 脳内を占めていたのはそれだけだ。公園に行きたいというよりかはあの2人に会わなくてはいけない気がした。

 アパートの塀を抜けて、右手──学校の方に
「どこに行くんだい?」
「えっ」
 後ろから声がした。昨日聞いた声だった。慌てて立ち止まって振り返る。

「夏油さん!」
「や、穂島さん」
 手を挙げたのは昨日知り合った謎の人(その1)夏油さんだ。

「首は大丈夫?」
「はい。手当てありがとうございます」
「一応それ相応の病院とか行ったほうがよかったんだろうけど、そういうのに詳しい知り合いが言うには寝てるだけだったみたいだったし、部屋にそのまま寝かせておいたよ」
「そうでしたか…ええと、とくに体に異変はないので大丈夫だと思います」
 身体をぺたぺたと触る。違和感は特にない。慌てて玄関を出た時に段差にぶつけた脛は除いておく。

「親御さんもいなかったみたいでバックにあった合鍵で入ったよ。ごめんね」
「あぁ、親夜勤なので帰ってくるの朝方なんです」
 夏油さんは昨日と同じ服装だった。黒づくめの服はどこか学生服っぽさもある。

「え…あれ、夏油さんってもしかして、学生…?」
「学生に見えないかい?」
「み、みえます。ちょっと大人っぽくて…」
 なんとなく怒った気がした。笑ってたけど。焦って否定する。

「まぁ特殊なとこだからね」
「特殊な…」
 思い当たるのは昨日のあれだ。夏油さんが使ってた雲とか蟲みたいなやつ。それから五条さんの謎の爆発。

「そうそう、昨日見たやつ。穂島さんのこと話したらうちの担任が連れて来いって言うんでね」
 今日ヒマ?と聞かれて頷く。ヒマじゃなくても頷いていただろう。
「それじゃ行こうか、呪術高専」

 

 一応シャワーと着替えだけさせてもらって着いたのは東京の外れ。山の中には寺っぽい建物とか五重塔っぽい塔とか学校っぽい建物が乱立している。どれも「っぽい」雰囲気だが統一感はなくてちぐはぐな印象を受ける。
「ここが呪術高専だよ」
「はぁ…」
「こっち」
 呆気にとられて気の抜いた返事しか返せない。揺れる長髪の背中をただただ追う。
 なにか寒々しい感じがして触れない程度に彼の背中にぴったりとくっついて歩く。
 廊下を歩きながら夏油さんが息を漏らすように笑った。

「どうしたんですか?」
「いや、呪霊相手にあれだけ啖呵切ってたのに今日は違うみたいだから」
「昨日のはアドレナリン出てましたし、ちょっと怒ってたんです」
「怒る?」
 また廊下を曲がる。部屋はいくつもあるが学生とすれ違うことはない。そもそも今日は土曜なので当然といえば当然だが。

「私が作ったものなのに何を私に歯向かってるんだと思っちゃって…それになんとなく話が通じそうな感じがして」
「へぇ、そういうものか」
「世の中、ルールでも物語でも音楽でもなんでも作った人が偉いんですよ。って私は思います」
 夏油さんは「そうかもね」と返したきり前を向いて歩く。
「そういえば五条さんは一緒ではないんですか?」
「あいつは今日任務入ってるから」
「任務…昨日のもそうなんですか?」
「いや…昨日のは2人で遊んでたら急に呪霊の気配がしてね。無理やり飛び込んだ」
「はぁ…」
 分からないよね、と夏油さんは私の曖昧な返事に笑う。

「ここ」
 彼が止まった部屋の扉をガラガラと開けた。普通のよくある学校の教室のように見える。彼に続いて部屋に入るとグラサンにジャージ姿の男の人が教壇に立っていた。
 かなり強面の屈強な男性である。正直に言おう、怖い。

「こんにちは…」
「連れてきましたよ、穂島ユキさん」
「そうか、入れ。夏油は任務行ってこい」
「分かりました」
 夏油さんは会釈なのか仕草なのかわからない程度に頭を下げて、入ってきた扉に向かう。
「…」
「…」
(えっ、2人っきり!?)
 扉を閉める間際夏油さんは手をひらひらさせて口パクで何かを伝えてきた。
(が)

(ん)

(ばっ)

(て)
 ぱたん、と無情にも閉じる扉。
(まじか)
 
 
「はぁ」
 あれから一時間とすこし。夜蛾正道という名の教師は私に昨日起こったことと呪術、という聴き馴染みのないものについて教えてくれた。声も低いし、強面だが普通に細かく説明してくれるし聞いたら答えてくれる。いまのところ怖くはないが、たぶん怒ったら死ぬほど怖いんだろう。
 いまは休憩がてら行かせてもらったトイレからの帰り道。校舎の中は普通に年季の入った学校という感じで特におかしなところはない。
 聞けば一応登録は私立の宗教法人系列の学校ということらしいので、見た目は学校らしくしているのだろう。
 すこし開いた窓から外を見る。時折スーツ姿の人影が見えたり消えたりする。
「…あれが呪術師なのかな」
「いやあれは補助監」
「え」
 上から降ってきた答えに時が止まる。
 ばっと後ろを振り返ると謎の人(その2)の五条さんがニヤリと笑って私を見下ろしていた。

「五条さん…任務?は終わったんですか」
「終わった終わった。らくしょーだった」
「お疲れ様です?」
「どーも」
 五条さんが歩き出したのでついて行く。夜蛾先生のいる教室も同じ方向だ。もしかしたら報告に行くのかもしれない。
(それにしても大きいな)
 歩くのも早いし、足の長さもかなり違うせいで置いていかれる。私はもともと小柄な方で、彼は男性の中でも大柄だ。
「何してんの」
「いえ、なんでもないです…」
 数メートル先、教室の扉を開けて私を不思議そうに見た五条さんは「あっそ」と言ってそのまま教室に入っていった。
 中に入ると五条さんが夜蛾先生に何か話しかけている。
「って訳なんで」
「分かった。ご苦労」
 やはり任務の報告だったのだろう。だいぶ手短だが。
「あとで報告書書いておけよ」
「げぇ」
「『瞬殺でした』なんて報告で済む訳ないだろうが」
「事実だろ!」
「提出するように、以上」
「ちっ」
 五条さんは先生相手に不機嫌を隠そうともしない。
 なにもしなくてもプレッシャーを放っている夜蛾先生もその夜蛾先生にあの態度でいられる五条さんもどちらも怖い。
「五条、彼女を送ってやれ」
「はぁ?」
「もう一通りの説明はした。あとはお前が送りがてら教えてやるといい」
「職務怠慢じゃん」
「教師から教えてやれることはもうない。あとは生徒側から呪術高専について伝えてやれ」
「…」
 ちらりと私を見た五条さんは大きめのため息をひとつついた。
 
 
「あの、」
「お前飯食ったの?」
「いえ、まだです」
「じゃあその辺のファミレスでいっか」
「任務のあとなのにすみません」
「別に。昼メシ代もかっぱらってきたし」
 五条さんは指の間に挟み込んだ野口英世をパタパタと振った。夜蛾先生のポケットマネーだ。
 
「何名様ですか?」
「2名様で〜」
 自分で様はつけなくて良いのではと隣で思ったが、五条さんは素で言ってそうだった。五条様である。
「かしこまりました」
 案内された奥の方の席に着く。昼時を少し超えた店内はランチ客が少し落ち着いたのだろう。ちらほらと空席が目立つ。いる客も食事と言うよりはドリンクバーで時間を潰しつつ雑談に勤しむ女性客が多い。
 手短に注文を終えると切り出してきたのは五条さんだった。
「それで?なんて言われた?」
「術式も呪力もあるようだから呪術高専に入ったほうがいいだろう、と」
 まぁだろうな、と五条さんはつまらなさそうにお冷をあおる。
「やっぱり行った方がいいんですかね」
「そりゃそうだろ。てかそうしないとお前死ぬぞ」
「…」
 ピッと指差されて思わず固まる。
「昨日は呪霊相手に縛りを使って脅したけどいつもあんなんしてたらそのうち死ぬ」
 五条さんは忌々しそうにカーディガンで隠れた私の腕を見た。
「あれから痣消えたか?」
「…いえ」
 今朝シャワーを浴びた時に確認した。痣は特に減ることも薄くなることもなくそこにあって存在感を私に押し付けてきていた。
「お前の術式は呪言とかに近いんだよ。恐らく『小説を書く』ことが術式の発動条件と言っていい」
「お待たせしましたBランチ定食でーす」
「あ、彼です」
 私の方に差し出されたBランチは五条さんの目の前に置かれた。ハンバーグとエビフライの強欲詰め合わせセットだ。
「私、術式を使おうとかこれっぽっちも考えてなかったんですけど」
「別に意識せずに術式を使う呪術師の子どもなんてざらにいる」
(子ども…)
 おそらく五条さんたちからすれば呪術について知識の無い私は子どもも同然なのだろう。
「小説以外でお前が書いた文章は発動してないだろ?これから練習したら使えるかもしれないけどな」
「そばせいろと小盛丼でーす」
「あ、私です」
「お前チョイス渋くね」
「そば好きなんです…」
 その視線にすこし気恥ずかしくなりながら箸を割る。うまく割れた。
「昨日のアレはお前の作品を読んで生まれた読者の感情から『呪い』が形を持ったんだよ」
「はい」
 蕎麦を持ち上げた格好のまま生返事をする。夜蛾先生にも説明してもらったが緊張でいまいち頭に入っていない。
「それでおそらくその痣は、お前に対する読者の『恐怖』から生まれたヤツ」
「…小説の後書きもないくらい私個人については書いたことないんですけど…」
 ずず、と蕎麦を啜る。うん、美味しい。山葵をつゆに溶かす。
「逆にそれがあれこれ想像させてるんだろ。こんな非道い話を思いつくのはどんな人間だろうか、ってな」
 つまり昨日の少女の形をとったものが呪霊。その呪霊は、『こんな非道いことを思いつく作者』への恨みという感情から私を攻撃してきたということだろうか。まさしく登場人物(および感情移入した読者)に殺されかけた訳だ。
「例えば昔の流行病への恐怖から生まれた仮想怨霊ってのがある」
「へぇ」
 漬物を齧りながら返事をする。美味しい。
「今になってその病気は感染しないって分かってる。が、当時の人々は感染病だと思って忌避した。実際どうかじゃなくて多くの人間が恐怖して共通のイメージを持ってるってことが重要なんだよ」
「五条さん説明上手いですね、教師とか向いてますよ」
「…初めて言われたわ。ぜってーなんねぇけど」
 蕎麦をすすりながらふと疑問にぶつかって箸を止める。
「でも、それって小説に限らず芸能人とか政治家とかそういう人も影響受けそうじゃないですか?みんな隠してるだけ?」
「基本的に呪はその場に留まるし、仮想怨霊が出るほど感情を集める奴は稀なんだよ」
「なるほど」
「その上で、お前の能力だ。お前の書いたもの──書くっていうか打ち込んだもの。おそらくお前が作る文字列自体に術式が組み込まれてる」
「文字列自体に…」
「例えばお前、一話で何文字書く?」
「うーん、五千とか一万くらい」
「そこまで行ったらお前が手書きとかしなくても、それ自体で術式が完成してる」
「それは、ええと」
 ぱく、と五条さんはハンバーグを口に運ぶ。幾度か咀嚼してから口を開くと、フォークで私を指した。
「つまりお前の文章を読んで発生した呪いはお前のところに返ってくるんだよ」
「え」
「お前が五千字かけて自分の元に戻ってくるようにって住所と名前書いてんの」
「…そんなことしてないです」
 思わず首を振る。私が時間をかけて書いた文章は長ったらしい術式に過ぎないのか。
「そうなんだよ。現に今もお前の呪力増えてるし」
「えっ」
 思わず大きな声を出してしまって慌てて顔を伏せる。席を二つ開けた先にいるマダムたちがこちらを見てなにやら話している。
「…すこしずつだけどな。だから使い方ベンキョーしないと死ぬんだよ」
「なるほど。というかなんで五条さんそんなに私の術式に詳しいんですか」
「俺の目、六眼って言って術式見たら一目で分かんの」
 五条さんはサングラスをかけた自分の目をナイフで指した、
「えっ、そんなんアリなんですか」
「俺だけな」
 チートである、五条悟。夜蛾先生も五条さんは特別強いとかなんとか言っていた気もする。
「呪術師って、どうなんですか?」
「何が」
「お給料」
「…」
「冗談です」
「冗談って分かんねぇよ」
 五条さんは皿の上のものを全て食べ終えて水を一杯煽る。
「正直、普通に死ぬ。簡単に死ぬから命かけてるくせに割に合わない。感謝とかそういうのもほぼ無いからな。やりがいとか期待しても無駄」
「あー…」
「まぁでもお前の場合は呪術高専に入らないとその前に死ぬけどな」
「選択肢無いじゃないですか…」
「もしくは小説書くのやめたら?」
「それは無理ですね…」
「じゃあ、呪術高専入るか死ぬかだ」
どんな二択だ。

「あ、七味…いっ?!」
「んあ?」
手を伸ばした七味の影に何かがいる。目と手足の生えた、なにか。
「あぁ、蠅頭な」
「ようとう…」
「お前今まで見たことなかったのか」
「ないですないです」
「じゃあやっぱ昨日のがきっかけだな」
「ほ、ほうちしてて良いんですかそれ」
「まぁ、最下級だから放置してても良いんだけど…っと」
ぶち、と何か嫌な音がして五条さんが七味の瓶を取るついでにそれを握りつぶした。
「七味いらねぇの?」
「だ、大丈夫です…」