結局、私の運命はあの公園に寄った日から決まっていたらしい。
夏休み前に行われた進路希望届には呪術高専の(表向きの)名前を書いて提出した。先生は「卒業生にもここの学校行った奴はいないなぁ」と資料を漁っていた。そりゃあそうだ。五条さんの学年3人しかいないらしいし。
お母さんには私立だが奨学金でお金はかからないという説明をした。母は詳しく聞いてこなかったが、お金ないからって無理しなくていいのよとだけ言って仕事に向かった。
たしかにお金のこともあるが生死に関わるのっぴきならない事情もある。
それに──ネタになりそうだし。
これを五条さんの前で思わず口を滑らせたら「やっぱイカれてんな」ってニヤニヤしながら言われてしまった。
夏休み。
同じクラスの面々は塾の夏季特訓講座なる受験勉強でお盆もない日々を過ごしている。そしてかく言う私も、夏の特訓講座を受けて忙しない日々を送っていた。
「穂島はまず呪力のコントロールからだな」
「はい」
夜蛾先生は空いた時間を使って呪術を教えてくれている。私にとっては入学までに死なないためのサバイバル術でもある。
「まず穂島の術式の特性上、お前の書いた作品が人目にあり続ける限りは呪力が尽きることはまず無いと考えている」
「あの、それって私が書くのやめると呪力は」
「少なくはなるだろうが、一度世に出ている以上ゼロになることはない」
つまり、死なないためには呪術を学ばないといけないし、学ぶためには書き続けないといけないということだ。
公園に寄った日どころかわたしが小説を書くなんて酔狂を始めた頃から人生のレールのスイッチは切り替わっていたらしい。
「お前の術式の最大の特徴はその呪力の収集にある」
「呪力の収集…」
一人の強烈な想いと多数の僅かな心の揺れ。どちらにしろ私の作品を読んで生まれた気持ちの流れは呪いとなって私に返ってくる。
「術師の呪力が呪霊になることはないが、お前の今の状態は呪力のコントロールもクソもない垂れ流し状態だ」
「た、垂れ流し…」
夜蛾先生は入学が決まってから厳しくなった。というか言葉が荒い。こちらが素に近いのだろう。距離は近く感じるが、言葉はかなり鋭利に突き刺さる。
「それでは余計な呪霊を招く上に力も無駄にする。うまくコントロールして体に巡らせろ。お前のものにしろ。話はそこからだ」
任務にも教務にも忙しい夜蛾先生は主に午前中に指導をしてくれて、午後は自主練になる。
自主練は呪力のコントロールを目的とした訓練である。
そして私はいまはなぜかぬいぐるみを抱いて校内を散歩していた。
袋に耳と手足がくっついたようなキモカワイイを地で行くぬいぐるみは呪力を絶えず巡らせ続けないと私の顔面を狙ってくる。これがなかなかハードパンチャーで普通に痛い。しかも鼻の下とか狙ってくる。
先生曰く、どんな状況下でも呪力を一定に保って無意識にコントロールできるまで教えることはないらしい。
廊下の端を慎重に歩く。禅の気持ち。諸行無常。
「……」
「よぉ」
「わ、あ」
いきなり目の前に顔が現れた。しかもAAA級の顔面。
「ごじょっ…っぶふ!」
下からのアッパーを喰らう。何度か食らったおかげで頭の揺れる喰らい方はしなくなってきた。あれ、避け方が上手くなっていてはダメなのでは?
「あははは!!」
「おい悟やめてやれよ…」
夏油さんが尻餅をついた私に手を差し出してくれる。うう。
起き上がると五条さんはぬいぐるみを頭から鷲掴みにしてぷらぷらと振っている。振り回されるぬいぐるみは暴れることなく眠っていた。五条さんは私を完全に煽っているらしい。
「呪力のコントロールの練習かな?」
「はい」
夏油さんがこんなに紳士だと言うのにこの男。
「ほらよ」
目の前に突き出されるぬいぐるみ。こうやって見ると本当にそこらへんの子どもが持っているような、いわゆる動かないぬいぐるみに見える。このキモカワイさが子供に受けるかは別の話だが。
「…ありがとうございます」
一つ深呼吸してぬいぐるみに手を伸ばす。ぬいぐるみに触れた途端私の思考はなぜ今お礼言ってしまったのだろうという疑問で埋め尽くされてしまった。そもそも悪いのはこの人では──そんな一秒にも満たない逡巡がよくなかった。
ぬいぐるみの右手が迫る。しかしこの三日間殴られ続けた私の経験が反射神経に作用した。脳を経由することなく、脊髄からの信号でそのパンチを避ける。正直避けてしまっては意味がないのだけど、その時の私は回避できた喜びに胸を一杯にしていたわけで。
──左フック。
「ごふ、」
「あははは!!」
「こら悟」
「でもだいぶ落ち着いてきたんじゃないかな?」
「本当ですか?」
夏油さん、五条さんと廊下を並んで歩く。外からはセミの声がやかましいほど聞こえてくる。
夏休みだろうと任務はあるし、寮もあるので2人は夏休みの校舎にもちょくちょく現れる。
「うん。前見たときは呪力の流れもないくらいこんがらがってたけど安定してるよ」
「…そんなにこんがらがってたんですか?」
「まー、相当特殊な呪術だろ。読者の心を揺さぶった上に呪力集めるとかタチ悪」
「…」
「悟」
「まぁ…たしかにその通りですよね…あ、そういえばお二人の呪術ってどういうものなんですか?」
タチが悪い、その通りだと思った。夏油さんが諌めてくれたが五条さんは特に間違ったことも言っていない。話を逸らすように2人に問う。
術式は生まれ持っているものでそれぞれ特徴が違うらしい。夜蛾先生の呪骸はそれこそいま手にしているがそれ以外の呪術についての知識はない。
「俺のは呪霊操術。調伏した呪霊を使役できる」
「公園の時の雲とか蟲とかですか?」
「そうそう。まぁあれは俺の持ってる中で蟲っぽい呪霊を探しただけで蟲ではないんだけどね」
「なんかポケモンみたいですね」
「はは、そうだね。いまは手持ちを増やしてるところって感じかな」
かなり使い道の幅広い呪術だ。猛獣使いっぽい。
「五条さんの爆発させてたやつは?」
「俺のは無下限呪術。収束する無限級数を使う。無限を現実の世界に持ってくるんだよ」
「…それ、はつまりめちゃくちゃ強いっていうことでしょうか」
「よく分かったな。だから俺最強なんだよ」
「五条さんはその能力をどうやって活かしてるんですか?」
「基本的には『収束』と『発散』を使う」
夏油さんの向こうの五条さんがこちらに向けて長い手を伸ばしてきた。手のひらが目の前で止まる。
意図は分からないが、無意識にぬいぐるみを片手に持ち替えて手を伸ばす。手の大きさを比べるような感じだ。
「……触れて、ない?」
ちらりと夏油さんを見上げる。
「あぁ、横から見ても重なってないよ」
「こんな感じで自分と対象物の間に架空の無限を持ってくるんだよ」
たしかにどれだけ押しても触れることができない。少しずつ進んでいるような気もするが全く進んでいないような気も同時にする。こう言うのなんて言うんだっけ、たしか──。
「「アキレスと亀」」
五条さんと声が重なって思わず顔を見合わせる。五条さんは少し目を丸くしていた、ような気がする。いかんせんサングラスなので目元の表情は読み取れないのだ。
「細かく観測地点を置くことでそれぞれの地点で見るといつまでも亀に追いつかない…その概念を現実に持ってきたと」
「すごいじゃないか。悟が説明するより早く理解したの初めてじゃないか?」
夏油さんが感心したように言うが、私はそんな場合じゃなかった。
「いや、それやっぱりチートじゃないですか?」
おおよそ人間に許される力の範囲を明らかに超えている。いや呪術など全てそれに当てはまるが、五条さんのはありなのか。やりようによっては世界征服も夢じゃない、本気でできる。
「ま、五条家相伝の術式だからね。それはもう強いし扱ってるのは六眼持ちの悟だから使いこなせてるってのもあるよ」
──御三家。
夜蛾先生のスパルタ授業を思い返す。呪術界には御三家と呼ばれる権力と相伝の呪術を持つ超絶エリート家系がある。それが禅院家、加茂家、そして五条家だ。
「五条さんは、おぼっちゃまくんなんですね」
ぶはっと夏油さんが吹き出した。
「その言い方やめろクソガキ」
「事実じゃないですか」
「最強エリートとかにしろ」
「え、おぼっちゃまくんの方がいいですよ」
「お前のよりマシだっての」
「私を挟んで喧嘩するのやめてくれないか」
「そういえばお二人はどこに行かれるんですか」
五条さんは今更かよと胡乱げな目で私を見つめる。私の目的はぬいぐるみを抱いて歩くことなので行き先はどこでもいいのだ。
「クラスメイトのところだよ。このあと同じ任務なんだ」
「校内にはいるんですか?」
「たぶんな。あいつどうせタバコ吸ってるんだよ」
「…16歳ですよね?」
「ニコ中の16歳」
字面の治安が大変悪い。夏油さんと五条さんの同級生。3人しかいない一年生の残り一人は女子であるという情報だけは把握している。
少し先をいく五条さんが階段を3つ飛ばしで進んでいく。脚なが。
「大体外階段の踊り場でタバコ吸ってるんだよ、しょうこは」
「しょうこさんですか、どんなひとなんですか?」
「反転術式っていう、回復に使う術を扱える数少ない人間だよ」
夏油さんは私に合わせてゆっくり歩いてくれている。
上からガチャンとドアの開く音がした。五条さんが外階段に出たらしい。気持ちすこし足のスピードを早めて上に上がると開けっぱなしのドアが目に入る。
向こうからは五条さんの声とそれより少し高い女性の声が聞こえてきた。そのまま進むと夏特有のぬるい空気が体を包む。階段を降った先には2人が立っていた。
「ん、誰?」
「前言ったろ。傑と歩いてたときに襲われてた中学生。来年からうち入るんだよ」
五条さんは隣の女性の質問に答える。切りそろえられたボブの黒髪が揺れる。綺麗な女の子で、泪ぼくろがすこしセクシーだ。
「あ、えっと、穂島ユキです。よろしくお願いします」
慌てて降りて自己紹介する。目の前に立つと白い肌の艶具合と鼻梁の高さがよく分かる。去年は入学条件に顔面の均整という項目でもあったのだろうか。
今年はないと信じたい。
「よろしくね〜家入硝子っていうの。ガラスって書いて硝子ね」
「お願いします」
頭を下げると、すこし近くなった家入さんからふと嗅ぎ慣れた香りがした。なんだっけ、家でよく嗅いでる気がする。…そうだあれだ。
「──」
「え?すごいよく分かったね」
「あ、やっぱり」
口をついたのはタバコの銘柄だ。スリムタイプもあって女性人気も高い銘柄。ちなみに母はこれともう一つを気分で分けて吸っている。
「私そんな一瞬でわかるほどヤニ臭いかなぁ」
「ヤニ臭いけどタバコの銘柄一発で当てられるのはおかしいだろ」
家入さんは腕を上げて自分の体臭を確認している。
「あ、いや、母が同じの吸ってるので嗅ぎ慣れてるんです。そんな臭わないですよ」
「ユキちゃんは吸わないの?」
「流石に吸ってないです…」
おそらく家庭内で受動喫煙は頻繁にしているが、自ら吸うことはない。
ざーんねん、と家入さんは呟いて胸元から取り出したタバコに火をつけた。
「硝子、このあと任務だって言ってんだろ」
「えーこれだけ吸わせてよ」
家入さんは塀に腕を置いて見晴らしの良い呪術高専からの眺めを堪能している。たしかにここでタバコを吸うのは気持ちいいだろう。もう少し涼しいといいけど。
五条さんはため息をつくと家入さんを真似るように塀に肘をついて「あー」と息を漏らす。
「硝子、一本だけにしてくれよ」
夏油さんは諦めたように笑うと硝子さんと五条さんの方を向いて塀に寄りかかった。そしてそれを後ろから眺める私。
「…」
(──画になる三人だなぁ)
3人の背中を見ながらそんなことを思う。容姿が整っている点でもそうだが纏う雰囲気がそうさせるのだろうか。
煙の燻る学校の踊り場でぼんやりと何をするでもなく同じ空気を共にする3人は踏み込めない空気がある。神聖と言い変えてもいい。
たった3人しかいない同級生にはどんな絆があるのだろう。聞いた分にも実際に感じた分にも呪術の世界は死と隣り合わせだ。呪霊の前には義理も情もルールもない。そんな世界でこの3人は何を思っているんだろうか。
「ユキちゃん人気の携帯小説家なんでしょ?」
「…」
「ユキちゃーん」
「…あっ、はいそうです。あ、そこまで人気でもないですけど」
ボーッとしていて反応が遅れた。
「でもランキング上位なんでしょ?本とか出さないの?」
「一応…打診はされますね」
今まで興味なさそうにしていた五条さんが振り返った。嘘だろ、という顔をしている。嘘ではない。
「凄いじゃん。出さないの?」
「いやー実は去年人気が出た携帯小説原作のドラマがあったじゃないですか」
「あー高校生で妊娠しちゃうやつ」
「それですそれです。あれに続けと携帯小説の出版のハードルかなり下がってるんですよ、今」
いま携帯小説界隈は空前のブームだ。とりあえず出してみようの精神で出版が決まることが多い。数週間程度ランクインすれば出版の話を出すこともあるらしい。
「なんで出さないの?」
「うーん…術式について分かってないことも多いので呪力のコントロールがついてから夜蛾先生にご相談しようかと」
「真面目だねぇ」
家入さんが呟きながら煙を吐き出した。でもたしかに、と家入さんがゆっくり視線を私に投げた。
「ユキちゃんの呪力って不思議な流れ方してるよね」
するりと私の手首を取った家入さんの手はひんやりとしている。
「わりとじゃなくてかなりだろ」
五条さんが口を挟む。
「そんなに変わってます?」
「うん。わたし反転術式ってやつ使えるから他の人より呪力の流れとか見ること多いんだよ。ユキちゃんみたいなのは初めて見た」
「…」
五条さんにも夜蛾先生にも言われたが、初対面の家入さんにまで言われるとは相当変なのだろうなと自分の体を見下ろす。いまいち自分では分からない。
「読者から呪力を収集するんだっけ」
「はい」
「じゃあそのせいかもね」
家入さんは思っていたよりわたしのことを知っているらしい。五条さんと夏油さんあたりから聞いたのだろうか。
「今でも呪力少なくない方なのにもっと読者増えたら凄いことになるかも」
「はあ、そうなんですかね」
「うん」
家入さんは満足そうに頷く。彼女は細い指の間で8割ほどの長さになったタバコを携帯灰皿に押し付けた。
「よしいくかー」
「おせーよ」
「きっと補助監督に文句言われるよ」
2人は家入さんの一言に動き出すと階段を降りていく。
「じゃあまたねユキちゃん。こんどお茶しよ」
「はい是非。行ってらっしゃい」
「行ってきまーす」