はじまりの日の話



ろくでもない親の元に生まれ、命の危機を感じて家を飛び出したのが五歳のころ。
物心ついたころから前世の記憶とやらが搭載されていた私は自分の様な子供が普通に街をふらふらしていたら親元に連れ戻されてしまうだろう、ということがわかっていた。
今世の私はそれなりにハイスペックであり特に身体能力には中々目を見張るものがあるのだが、それでも五歳は五歳。
こんな子供が密やかに一人で生きていくには無理がある。
道徳や人道というものが前世からの記憶でほんのりと私の中にも残っていたが、もう何度目になるかわからない小さく鳴るお腹の音にそれらは全て掻き消えた。
そうして幼いながらに悪事に手を染め始めた私が、正しい大人たちに捕まることもなければ返り討ちにあうこともなくちまちまと自分の食い扶持をどうにかする程度に頑張っていたある日のこと。
『よければうちに来ないかい?』
と胡散臭い笑顔で私に手を差し出した、明らかに堅気の人間ではないであろう男に自分の手を重ねることとなる。
どうせ駄目でも死ぬだけだ。
今世での私、お疲れ様でした。
来世は今世の分まで幸せであるといいね。
そうして次の自分にエールを送って痛みに耐えながら目を閉じるのだ。
何も失うものなどありはしない。
もしかしたら死ぬよりも辛いことが待っている可能性もあるかもしれなかったが、私の感覚は随分と昔に、いやもしかしたらあの両親から生まれ落ちたその時から麻痺している。
ああ、なるほどなぁ。
と自分の扱いに納得しながらも静かに終わりを待つ日々を過ごすだけだ。
どちらにしても大きな堅気ではない大人の前で、多少身体能力が優れているとはいえ子供の私では抵抗することなどできない。
大きな声で騒ぎ出せばワンチャンあるかもしれないけれど、同時に私が家から飛び出しているという事実まで露呈してしまうだろう。
ろくでもないが、外面だけは良い両親のことだ。
すぐに私を引き取りに来て涙ながらに私を保護した誰かにお礼を言いながら、私を抱きしめて。
そうして家に帰ったら地獄がはじまるのだろう。
容易く想像できるそれらよりも、目の前の男について行った方がいくらかマシだ。

素直についてくる私を見てその男は『中々に賢い子供だ』と心持ほくほくとした表情を浮かべながら私をとある建物に連れてきた。
そこでは私の様な子供が沢山いて、大人たちから様々なことを学ぶ。
それだけ聞けばただの保護施設のようにも聞こえるが、教え込まれることはどれも合法であるとは言い難いものばかり。
成功すれば褒められて安っぽい飴玉を一つ放り投げられ、失敗すれば折檻が待っている。
それでも眠る場所と一日に三度用意される食事があるだけ私にとっては天国のようだった。
例えそれが栄養重視で普通に考えればとてもじゃないけれど食べようとは思わないものであったとしても。

そこで数年を過ごし、施設の中では増えたり減ったりする子供たちの中で私はめきめきと力をつけた。
増えた子供たちは私と同じような存在で、私をここに連れてきた男の様な存在が何人かいるらしく見覚えがあったりなかったりする大人たちに手を引かれてやってくる。
減った子供たちはきっと大人たちに言いつけられた『おつかい』に失敗したのだろう。
前世で一度成人した大人を経験している私の頭で考えるに、この施設ではある程度の技術を仕込み時に誰かの手足として、時に誰かの捨て駒として使われているようだった。
私も何度か『おつかい』を任されたことがあったものの、それなりに冷静に状況を判断することが出来た頭と元より優れていた身体能力が幸いしたのか未だ失敗したことはない。
初めのうちは囮にでも利用できれば上々、といった大人たちの雰囲気が『おつかい』を成功させていくうちに中々使える子供であるというものに変わっていくのがわかる。
そのうちに大人たちから言いつけられる『おつかい』は『任務』という言葉に変わり、それすらもどうにか熟していった私は十代の半ば程の年齢になったころに施設から出ることになる。

そうしてたどり着いた先は、とある犯罪組織だった。
今まで私がいた場所はその組織の下請けのような存在で、上から注文を受ければその指示に最も適しているであろう子供を派遣している場所のようだ。
私ほどの年齢になると知っている顔の子供はほどんといなくなりこの年齢まで生き残っている自分という存在がかなり稀有なものであると自覚していた。

まあ、場所が変わったところでやることは同じ。
言われたことをただひたすらに遂行し、上手くいけばお金がもらえる。
お金がもらえるということはもう飢える必要がないということと同義だ。
組織に移動したその日に言いつけられた任務で初めて人を殺したが、一緒に来ていた組織の誰かが眉一つ動かさずに人の命を奪ってみせた私を眺めながら楽し気に『合格だ』なんて言っていたのできっとあれが最終試験のようなものだったのだろう。
おそらくあの時躊躇して失敗していれば、その人物は間違いなく私の脳幹を撃ち抜いた。
その事実に気づきながら、そして気づいていることを察しているであろう男に向かって


「はあ、それはどうも」


なんて返り血を拭いながら答えた私の姿の何を気に入ったのか、喉の奥でくつくつと笑ってみせたその男の手足となる機会が増えた。
誰が私の上にいようと、寝床と食事が確保されていたら私には関係のないことだ。
ただ一つ気になることと言えば、その男の姿にどこか既視感を覚えていた。
どこにでもあるありふれた容姿でもない。
その男は組織の色である黒を全身に纏いながらも、長い銀髪が存在を主張している如何にも裏の世界の住人らしい存在だ。
何故この男に既視感を抱くのは私にはさっぱりわからなかったが、この時気づいていれば何かが変わっていたのかもしれない。
……いや、何も変わらないか。
きっと私があの家で、あの両親から生まれた瞬間から全ては決まっていたのだろう。
こうなることを防ぐにはあの時大人しく死ぬことしか選べない。
やけに目につく銀髪を目で追いながら、今日のご飯は何にしようか、なんて自らが作り上げた死体の横を通り過ぎながらそんなことを考えていた私は後日まさか頭を抱える羽目になるだなんて考えてもみなかった。


その後もちょっとした事件はあったものの、それなりに結果を残しながら幹部たちの覚えもよく私は手足として働く毎日を送っている。
組織にある建物内で自分の部屋を貰い、セーフハウスもいくつか持っている。
増えていく通帳の残高を眺めながらそれらを味気ない食事に変えて、私は心身ともに満たされた毎日を過ごす。
組織内では次にコードネームを与えられ幹部になる最有力候補だ、なんて陰で言われることもあるらしいが正直興味はない。
今でもよく一緒に仕事をする銀髪の上司からは揶揄うようにその話をされたこともあったが、お腹が膨れるならどうでもいいと返せば


「それでいい。
俺も便利な手足がいなくなるのは惜しい」


との言葉を頂いた。
普段からあまり人を褒めることのないこの上司がそんなことを言うなんて、とやや驚いたがここ最近ではよく浮かべるようになった笑顔で軽い調子で礼を言う。
組織に入ってからというもの無表情であるよりも笑顔である方がよほどポーカーフェイスになるし、誰かを油断させるのも容易いということを学んだ結果だ。


さて、ここで私が頭を抱える羽目になった話と上司に既視感を覚えていた話に戻そうと思う。


「初めまして、安室透と言います」


そう言いながらにこやかな笑顔と共に手を差し出され、反射的に握り返した私はどうにか崩れなかった自身の笑顔の下で盛大に冷や汗をかいていた。
全身に黒を纏う銀髪の上司。
目の前にいるにこやかな笑顔の男。
安室透。
そしてその隣で同じように自己紹介をする、スナイパーなのだろうライフルを背負った猫を思わせる釣り目の男。
後に、スコッチと呼ばれるようになるはずだ。
誰も知りえないであろう未来の事実に辿りついた私は、おかしいな、と首を傾げて。
そうして思い出した。
思い出してしまったのだ。

私が転生したのは前世で自分が生まれ育った世界ではなく。
その世界で有名なとある漫画の世界で生まれ落ちてしまったということを。

どうにか脳内SAN値チェックに成功した私は、一瞬固まりはしたものの挨拶に来た二人と言葉を交わした。
妙に思われていなければいいけど。
と、願ってみたもののやや目を細めて私を見下ろす安室透に怪しく思われたであろうことを察した。


「僕の顔に、何か?」


探るようなその視線に対して、私は気の抜けたようなへらりとした笑顔を浮かべてみせる。
同時に繋がれたままであったその手を子供のようにぶんぶんと上下に振る。
まるで子供っぽい仕草に安室透が目を丸くした時を狙って、


「貴方みたいに綺麗な顔した人初めて見たからつい!
ハニートラップ要員としても期待できそうだよねぇ、うんうん。
私の名前はなまえだよ、好きに呼んでね?」
「そうですか、よろしくお願いします。
……ところで苗字は教えてもらえないんですか?」


弾んだ声でぽんぽんと告げれば相手も聞けば答えそうな人間であると判断したのかこちらを探りにかかってきた。
さすが未来の『探り屋』だと感心しながらも、特別嘘をつく必要性は感じられなかったので素直に彼の問いかけに答えることにした。


「さあ、私苗字とかよくわかんないしこの名前も自分でつけたやつだからなー」
「苗字がよくわからない?」
「うん、私の親かなりのクズで殺されそうになったから逃げてきたの。
結構小さい頃の話だし、だから覚えてないんだろうけどもしかしたらそもそも名前自体ない可能性があるよねえ」


さらりと言ってのければ、隣に立つ猫目の男が少し痛ましそうな表情を浮かべる。
潜入捜査官なんて危ない真似をするのであればもう少し非情でなければ難しいんじゃないだろうか?
いや、もしかしたら逆にそれすら自分で自覚して利用しているのかもしれない。
そんなことを考えながらも、数秒程間をあけて安室透が『それは、不躾なことを聞いてしまってすみません』と私に声をかけてきたので何を謝られているのかわからないといった雰囲気で「別にー?」とだけ返しておく。
特別気分を害した様子が見られない私に安堵したのか話を変えようと更に声をかけられた。


「貴方は組織でも有名なので、存在はよく知っていましたよ」
「そうそう、幹部達からも重宝されてるってな!」
「ああ!それね!『組織の飼い犬』ってやつでしょ?」


よく言われる通り名を自ら口にすれば、再び二人の動きが止まった。
はて、とその様子に首を傾げながらも私は気にせず続ける。


「中々にお利口な飼い犬だからね、君たちがいつかコードネームをもらったら好きに使ってくれてもいいんだよ?」
「……貴方の方が現状、幹部に近いでしょうに」
「ええー?でも私幹部とかそういう面倒なの嫌だしなぁ。パスで」
「パスって……」
「私はねえ、それなりに仕事をして寝床があってご飯が食べられたらそれでいいの」


にっこりと笑う私を見て扱いに悩んでいる雰囲気を感じ取る。
それでもあえて何もフォローするつもりはない。
空気を読まない、扱いやすそうな、組織の手駒。
そういう認識でいてもらいたいからだ。
私は別に黒の組織に愛着があるわけではない。
そこまで長生きできるとも思っていないし、惜しむ程の命でもない。
ただ何となくこのまま生きてそう遠くないうちに死ぬだろう。
それを待っているだけの私の人生だったが、少しだけ楽しみが出来た。
どうせこの世界に転生してしまったのだ。
ほんの少しちょっかいをかけるくらいのことは許されるだろう。

細かい時系列はわからないが、この分だと近々赤井秀一も組織にやってくる。
まだ髪が長く自らを『諸星大』と名乗るであろう青年の存在を脳裏に浮かべれば、なんだか少しだけおかしくなる。


「一緒にお仕事することがあったらよろしくねー」


そうしてまだ何か言いたげにしている二人に、ひらりと手を振り上機嫌に鼻歌を歌いながら自室へと足を運んだ。
遠い遠い昔に、まだ私が私として生まれる前に耳にしたそのメロディーはきっと誰からも理解されるものではない。
それどころか今世ではきちんと音楽というものに触れたことがないせいか、調子っぱずれな音程になっているかもしれない。
そうだとしても私は、前世の記憶から引っ張り出してきて口ずさむ程度には浮かれていたし生まれて初めて『楽しい』という感情を覚えたような気がした。


きっとこれが本当の意味での私のはじまりの話だ。