目黒と夏目漱石

「おはようございます。あ、誰もいないや」

楽屋に入るとそこはもぬけの殻。というかまだ誰も来ていない。しょうがないから本でも読んでよっと。


目黒「はよーございまーす、ってあれ。奏多くんだけ?」
「ん、目黒おはよ。早いね」

くぁ、と小さく欠伸をする目黒。こんな広い楽屋なのになんで私の隣に座るんだろ。別にいいけどさ。

目黒「何読んでんの?」
「夏目漱石」
目黒「……誰? 何した人?」

本を閉じ、目黒と向き合う。

「高校の教科書とかに載ってたと思うけど。小説家」
目黒「知らない」
「『こころ』とか『吾輩は猫である』とか書いた人」
目黒「わっかんねえ…」
「……じゃあ『月が綺麗ですね』って言葉も知らない?」
目黒「月は綺麗だと思うけど」
「そうじゃなくて。……夏目漱石が訳した文章。『I Love You』を日本語に訳したら『私は貴方を愛している』になるじゃん。だけど夏目漱石は、日本人はそんなこと言わない。月が綺麗ですねくらいにしとけ、って言ったんだって」
目黒「へえ……。I Love Youを月が綺麗ですね、かあ」
「まあ、俗説だから本当に言ったかどうかは分かんないらしいけどね」

そんなふうに訳せるのはさすが小説家って感じがして凄いなと思うし、わりと好きなんだよね、この訳。

目黒「俺ならそんな回りくどいことしないで愛してるって言うけど」

まっすぐに私を見ながらそんなことを呟く目黒から私も目が離せなくなってしまう。変にドキドキするからやめてほしい。

目黒「奏多くんは?」
「……なんで俺が目黒にそんなの教えなきゃいけないんだよ」
目黒「気になるから」
「……うーん。考えたことなかった」

自分だったらI Love Youをどう訳すか。直接的に愛してるというのは照れくさい。じゃあどうしようか。

「……貴方の最後の人になりたい、とか。なんかくさいな」
目黒「奏多くんらしいね」

ふっと柔らかく笑みを浮かべる目黒から私は思わず目を逸らしてしまった。照れくささと恥ずかしさが混ざりあって、どんな顔していいか分からなかったから。


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