4  きみの影踏み

 絶対的な何かが欲しい。この先何があっても揺らがないでいられるような、そんな何かが欲しい。
 夕食を済ました午後8時半。私は早々にお風呂を済ませ、自室のベッドにすっぽりと入り込んだ。今日は何だか疲れたのだ。
 夜は私にとって欠かせない、活力を取り戻せる大切な時間だ。じっくりじっくり休息をとり、体にパワーを貯め込む。最近は消耗が激しいから、元の自分に戻るまでずいぶん時間がかかる。
 こんな夜の日には、今までずっと三輪君のことばかり考えていた。考えていたというか、自然と頭の中に浮かんできていた。でも、今の三輪君のことを考えると、じんわりと温まる気分ではなく、ひやりと冷えるような、そんな感覚が広がり始める。私はそれを実感したくなくて、早々にベッドで籠城する日が続いている。
 いつまでもこうやって夢の中に居たい。夢の中でだけ会うことができる、私のことだけずっと見つめてくれる三輪君と、ずっとずっとここに居たい。

◇ ◇ ◇

「期末試験の答案返すぞー。番号順に取りに来い」
 クラスの中では、テストやばいだの、ノー勉なのにできただの、あちこちでガヤガヤ音がしてうるさい。勉強もせずにテストに挑む奴、そしてそれを誇らしげに叫ぶ奴とは一生関わりたくない、と心の中で毒を吐く。あ、いけない。今までは聞き流すことができたのに、こんな低脳な猿の言葉ひとつで心乱してしまうなんて、蛇石桔梗らしくない。
「はい蛇石。今回も頑張ったな」
「ありがとうございます」
 そんなの当たり前でしょ、と内心呟きながら、静かに席へ戻った。どれだけテストを受けてきても、赤丸がたくさん羅列された答案を受け取る瞬間はたまらない気持ちになる。
 私はそっと三輪君のいる方向をむいた。三輪君は、今の私の斜め後ろの席だ。といっても、席替えで大分離れてしまったので、授業中に盗み見できるタイミングなんて、プリントを回すときくらいしかない。
 最近の三輪君は、真っ白でピシッとした半袖のカッターシャツから、少し大きめの黒い学ランへと装いを変えた。それほど大きくもない三輪君の手が、肩幅の合わない学生服で埋もれている。きっとおばさんが「すぐ背が伸びるだろうから大きめにしなさい!」なんて言いながら買ったんだろう。その光景が想像できて、思わずくすりと笑った。おばさんは元気だろうか。私、またおばさんの作ったご飯が食べたいな。
 教室の中では、白と黒の制服がモザイクタイルのようにせめぎ合っている。すっかり衣替えの季節だ。季節の変わり目になると、冬服を着ている人がキラキラみえるのはどうしてだろう。また、冬服が増え始めると、夏服は時代遅れのように感じてしまうのはどうしてだろう。
 キラキラ光ってる冬服の三輪君を、遠目から穴が開きそうなくらい見つめてみる。教室はテスト返しに夢中になっているから、私がそっぽ向いていても何も怒られることなんてない。そんな私に対して三輪君は、たえずテストの答案ばかり眺め、私の視線には気づいてくれない。そんな彼に話しかけることを躊躇うようになったなんて、いよいよ末期まで来てしまったかもしれない。でも、どこを向いても八方塞がりで、どうすれば関係を修復できるかどうか分からない。
 これ以上三輪君の逃げ道を潰してしまわないようにと、今は少し距離を置いているのだった。

「蛇石さん、またクラス一位だったの?」
 休み時間、気づけば女子二人に囲まれていた。この子たちは最近何かと話しかけてくる。
「うん。ちょっとギリギリだったんだけどね」
「すごーい! どうやったらそんなに頭良くなれるの? 教えてほしい〜!」
「いやいや、そんな大げさだよ」
 実際ギリギリでも何でもないが、あまり得意げにしていると角が立つ。別にクラス内での印象を下げてまでアピールするメリットなんてないので、息をするように嘘をついた。
「本当、蛇石さんって何でもできるよね。運動もすごいし」
「全然そんなことないよ。体動かすのは大好きだけどね」
「……ねえ、次の体育のチーム決まってる?」
「あ! チエちゃん、自分のチームに引き込もうとしてるでしょ! ずるい!」
「えー、だって蛇石さんいたら無双じゃん」
「期待に応えられるかわからないけど、私でよければ」
「やった! 神様!! もう居てくれるだけでいいから!!」
「じゃあ私もチエちゃんのグループに入れてー」
「もう! 現金だなあ」
 そう言って笑い合う二人を眺めていると、ちょうどいいタイミングでチャイムが鳴り響いた。じゃあ、四時間目の体育楽しみにしてるね! という声に、笑顔で手を振り返す。本当、中学生の女子なんて、箸が転がっただけですぐ笑い出す。そんなおめでたい頭で羨ましいとすら思う。
 三輪君と一緒に居る時間が減ってから、必然的にクラスメイトと話す時間が増えた。彼女たちとの関係などどうでもいいけれど、暇を潰す時間くらいにはなる。
 三輪君と出会う前だってこうやってうまくやってきたんだから、少しの間くらい一緒に居られなくたって大丈夫。きっと三輪君も、ボーダーのことが安定したら私のことを見てくれる筈だから。
 だって、三輪君は私のことがかわらず好きに違いないもん。

◇ ◇ ◇

 コツ、コツと足を鳴らしながら足早に歩き進める。
 お目当ての品物が入ったショッピングバッグを片手に、道路を塞ぎながらゆっくりと歩く人間の間をくぐり抜けていく。こんなに小さな三門の中にも、こんなに下品に笑う女共がいるんだ。パサついた茶色の髪の毛を一瞥した後、とても胸糞悪い気持ちになる。
 今日は暇だったのでクラスの女子の誘いに乗り、隣町にできたショッピングセンターまで足を伸ばしたのだ。三門には見かけないような可愛い服やアクセサリー、文房具の数々につい舞い上がってしまい、お小遣いがすっかりさみしい状態になってしまった。
 いつも学校ではあまり話さないグループと行ったけれど、会う場所が違うとこんなに楽しく感じるのかと感動さえした。そこから一緒に買い物をし、一緒にアイスを食べ、駅まで帰ってきた。駅まで来てしまうと、普段の日常と同じだ。いつもと同じ環境下だと、また友人達の存在が煩わしく感じてしまうと思った私は「駅前に用事があるから」と言い、一足先にお暇したのだ。
 駅前から少し離れた商店街まで歩き進めれば、そこはいかにも地元に住んでいそうなおじさんばかりになる。ここまで来ると、あふれ出る地元感にほっとひと息付けるような気分になる。
 自慢の靴を傷つけないように丁寧に歩いていると、真っ赤なポスターがたまたま目に止まった。寂れた暗い商店街の中に、そのポスターだけ場違いに鮮やかに見えた。そこには、でかでかと「隊員募集!」と言う文字が書かれている。文字の左脇には、自分より二、三歳は上だろうか、芸能人みたいな整った顔立ちと、正義感の強さが顔に滲み出ているような男が写っている。
 ポスターの左下に記載されている「界境防衛組織」という文字の羅列を見て、胸がぐいん、と高鳴った。三輪君の顔が瞬時に思い浮かぶ。文字だけでこんなに反応してしまうなんて、なんだか少し悔しい。別に、ボーダーのファンでもなんでもないくせに。
 ポスターに写る青年は、三輪君とは全くタイプが違って見えた。なんだ、ボーダーにはこんな人もいるのか。てっきり、三輪君みたいに復讐心に燃えた人ばかりがいるのだと思っていた。
 それが貼られた場所のすぐ近くにある電機屋では、無駄に大きい液晶画面のテレビが鮮やかにパチパチと光っている。テレビは通路側に向かって設置してあるため、何人かの人だかりができていた。テレビの中には、一人の青年がアップで映し出されている。
 あ、この人、さっきのポスターに載ってた人とそっくりな顔をしている。
 すべてを反射するような黒い髪に、燃えるような赤い服。テレビ左上のテロップには、「界境防衛機関『ボーダー』 期待の新人デビュー!」とデカデカ書かれている。どうやら、正隊員に上がった隊員が会見を開いているようだ。そういえば、三輪君の時はこんな会見が開かれなかったな。彼がまだ中学生だからだろうか。でも、この人たちだってそんなに年上には見えない。
『また侵攻があった時は、街の人と自分の家族、どちらを守りますか?』
『それはもちろん家族です』
 テレビの中から、すんと通った声が響き渡る。それは、マスコミのお兄さんの声なんてかき消すほど、迷いのない言葉だった。どこまでも通りそうなその声は、たとえ満員電車の中でも、届けたい人まで間違いなく届くような、そんなはっきりとしたものだ。
『家族が無事だと確認できたら、戦場に引き返して戦います』
 つらつらと、教科書のような言葉が並べられる。次第に、私の口もぽかりと開いていく。
『家族が無事なら何の心配もないので、最後まで思いっきり戦えると思います』
 「最後」まで。そう言い切った彼は、不気味なほどにほがらかに笑っている。ああ、そういう世界だった。頭をがつんと叩かれるような、そんな衝撃だった。
 テレビを見ていた周りの大人たちが、その言葉を聞いた途端にハッと息を飲むのが分かった。ボーダーに入ると言うことは、そういう覚悟が伴うものだ。この青年とは違う種類のものだけど、同じくらい重い覚悟を持って入隊した人物を知っている。
 テレビに映る青年は、報道陣からの質問すべてに対し、表情を崩さずにこやかに答えている。眉ひとつしかめずにそう言い放った姿に対して、どことない気味の悪さとともに、胸が熱くなるような強い感銘を受けた。この男には、不思議な引力がある。人を惹きつけて離さないような、そんな引力がある。
 それにつられて、私の本当の思いが一緒に引っ張り出されていくように感じた。奥底にとどめてあったはずのそれが溢れ出してやまない。泉から水が湧き出るように、ここ一帯を濡らしてしまうくらいの勢いで湧き上がってくる。
 私だって、三輪君を守る立場でいたい。ずっと同じ土俵に立っていたいの。
 私は静かに目を瞑る。そして、テレビに映る三輪君を想像する。三門市防衛の勲功をもらい、たくさんのメディアの前で表彰されている。多くの報道陣が辺りを囲み、賞状を手渡しされる場面では、たくさんのフラッシュと拍手の音が響き渡る。安全圏の中で常に守られている私は、冷暖房の整った自室でそれをぼんやりみている。
 そこまで想像し、胸が締め付けられる気分になる。どうせ、地元のローカル番組ではその様子を何度でも、何度でも繰り返し放送するんだろう。全国ネットでもたくさん取り上げられるかも知れない。私は、それを何度もテレビで眺め続ける。ただ眺めるだけだ。そんな未来は嫌だ。自分一人だけ、安全地帯で呑気に見ているだけなんて、ひどくつまらないし、ただ虚しさが広がるだけだ。
 店先の大きなテレビに背を向ける。テレビの周りでは、「ボーダーってすごいのね」だの、「でもまだ子供だろう。危険すぎないか」、「安全機能がついているから大丈夫らしいわよ」なんて、大人達が口々にささやき合っている。うるさい。部外者は黙ってればいい。大人がどれだけ論議を交わしたとしても、あの化け物たちと戦えるのは子供だけなのに。
 私はその場で携帯電話を取りだし、ポスターに書かれた数字を打ち込んだ。何度か数字を押し間違えてしまうくらい、自然と気持ちが高揚していた。数回のコールの後、ぷちりと音声が繋がったのがわかった。
「あの、もしもし。……隊員募集のポスターを見ました。よかったら、詳しいお話を聞かせていただけませんか」

 変わらないものなんてない。
 そんなこと、頭の中ではとうに分かっている。でも、変わってしまったことを受け入れるためには、多大な勇気が必要だ。私も、変わっていく彼を受け入れなければいけないんだと思う。
 そして、その差を埋めるため、私はこの決断をした。
 一歩踏み出したその勇気が、吉と出るのか、それとも凶と出るのか。そんな懸念とは裏腹に、ただ単純に、これから起こる出来事全てに対し、心の底からワクワクしている自分がいた。