「……この適性チェックと、今までの感じから想像するに、蛇石さんは狙撃手よりも攻撃手や銃手のが適してるんじゃないかと思う」
「……はあ」
ボーダー本部というものは、無機質な白い壁が続く建物なんだなということを、ここにきてまずはじめに思った。最近建てられただけあって建物内は綺麗で整っているけれど、色味が少ないからなのか、どこか味気ない。まあ、色がガチャガチャしてうるさい家の中よりはこっちの方が落ち着くけれど。
先ほどから丁寧に説明してくれるこの先輩は、迅悠一という名前の人らしい。迅速の迅に悠然の悠、数字の一と書いて迅悠一だと丁寧に説明をしてくれた。年は高校生くらいだろうか。とっつきやすくて、お人好しそうに見える。でも、この人の笑顔はどこか信用できないように見える。
ボーダーに電話したあの日から、入隊に向けてとんとん拍子に話が進んでいった。面接や筆記試験、体力試験もろもろ合格だった私は、今日から仮入隊という形で数日間、このボーダーに通うことになった。
今日は記念すべきその初日にあたる。大勢の志願者に対して一人の指導者がつくのだと思っていたら、なんと初日はマンツーマンで行ってもらえるらしい。新入隊員への充実した制度に、ボーダーは大きな機関だということを改めて意識させられる。
「入隊試験も満点だし、学力も相当優秀そうだね。将棋やチェスもかなりいい線いってたし」
「さっきのですか。でも迅さんには勝てませんでしたけど」
「いやあ、おれに勝てないのは仕方ないよ。お兄さんはすごい人だからね」
「はあ。……っていうか、仮入隊なのにこんな遊んでていいんですか?」
「遊びじゃないよ。さっきのは、君がどういう思考のパターンを持ってるかテストしてたんだ」
「……へえ」
そう言う割には遊んでいたように見えたけれど。でもさすがに仮入隊の分際でそんなことは言わない。
「相手の次の手を読み合う、っていうのは、どのポジションでも一番大事なことなんだけど。蛇石さんはそれが得意みたいだから、きっとこの先重宝する場が現れると思うよ。それに、運動試験は瞬発力も二重丸だね。元々の能力も高そうだし、性格的にも攻撃手がおすすめじゃないかと思うんだけど、どうかな?」
「……いきなりどうって聞かれても分かりません」
「アハハ、めちゃくちゃ正直だね。いいね蛇石さん」
この男はそう笑い、じゃあもう少し説明するからこっちへおいで、と手招きをした。私は水色のジャージの後ろを黙ってついていく。この人の身長は三輪君より大きそうだ。三輪君も、高校生になったらこれくらい大きくなるだろうか。
迅さんは部屋の奥に付けられた扉のドアノブに手を掛けた。黒い扉を開けた先には、だだっ広い空間が広がった。面談をしたところは狭い部屋だという印象を受けたが、まさか奥にこんな場所があるとは。もうここは、部屋というよりは空間という言葉の方が合っているだろう。
「ここが訓練室ね。きっと蛇石さんも使うことになると思う。で、これがさっき説明したトリガー」
部屋の隅にある机の上に、トリガーと呼ばれる黒い物体が数個並べられている。どれも同じ外装で、ひとつひとつの見分けがつかない。
「こんなに小さいんだ……」
「さっき、戦闘員は戦う距離によって、三つのポジションに分けられることは説明したよね?」
「はい」
「まず、射手ってのは、キューブ状になったエネルギーを相手に飛ばす戦い方をするんだ。実際にやってみせるね」
そう言いながら迅さんは、たくさん並べられたトリガーの一つを手に取った。それを握った途端、彼の体が光に包まれる。こんな現象が起こるなんてあまりにも非現実的に見えるが、実際に今目の前で起こっている。ボーダー専属の科学者がいるのか知らないけど、相当優秀な人じゃないとこんなことは実現できないだろう。
光ったからといって姿形がまったく変わるというわけではなかったが、トリガーを握った後の彼の手元には、光る立方体がふわふわと浮いていた。まるでマジシャンみたいだと思ったけど、口に出すと頭が悪そうに思われると感じたのでやめておいた。こんな考えが浮かぶなんて、少しずつ馬鹿なクラスメイトの影響を受け始めたかもしれない。
「この両手にあるのがエネルギーの塊ね。これはトリオンっていう、生まれながらに持ってるエネルギーみたいのがあるんだけど……、それの大きさがそのまま攻撃力に直結する。まあ、今のうちは聞き流してくれていいんだけど。そのトリオン量が……蛇石さんの場合は平均値だから、量が高い相手には打ち負けてしまう可能性がある。これは戦い方次第で何とかなるんだけどね」
「そのトリオン量っていうのはずっと変わらないんですか?」
「いい質問だね。日頃鍛えておけば、ある程度は向上できるよ」
「ある程度……」
必死で鍛えたって、元々トリオン量が多い相手に打ち負ける可能性があるのなら選ぶ意味はない。頭の中で射手という候補を消す。
「その分、攻撃手というのはいいよ。おれのおすすめ。……もちろんトリオン量も関係するけど、本人の工夫や戦術次第で大きく盤面が変わる。君は瞬時に考えて行動するのが得意そうだから、おれは向いていると思うな」
所々挟まれる褒め言葉が少しわざとらしく感じるけど、そこまで悪い気はしない。
「まあ物は試しってことで、実際に使ってから決めようか」
そう言いながら、迅さんはこちらにトリガーを渡してくれた。彼の指示に合わせてそれを握ると、一瞬白い光に包まれたあとに、今まで来ていた服とは全く違う、白いジャージのような服装に替わっていた。
「何これダサい」
「ハハ、正隊員になったら替えられるからそれまでの辛抱ね」
「……」
「はいはい、変な顔しないの。腰元に剣が付いてるだろ? それを抜いてみて」
別にそんな顔した覚えはないのだけれど。でもこの人の話は聞いておかなきゃ後から自分が困るので、しぶしぶ柄に手をかける。傷つけないよう慎重に抜き取ると、思ったよりも軽い力を込めるだけで抜刀することができた。
「これ……」
「それは弧月っていって、攻撃手の中でも使用人口の高いオーソドックスな武器だよ。耐久力も高くて使いやすいと思う」
細くて長い日本刀のような形だが、ほのかに発光しているようにも見える。そういえば三輪君も、確か日本刀みたいな武器を使っていると言っていた気がする。もしかしてこの武器のことだろうか。鍔は付いていなくて、重さも全然感じない。片手で持っても余裕なくらいだ。
「全然重くないでしょ」
まるで、こちらの思考などお見通しかのような口ぶりが少し引っかかる。この人は三輪君が苦手そうなタイプの人だ。三輪君、ボーダー内でこの人と面識あるんだろうか。
「トリオン体ってのは便利だからねー。その姿なら重量挙げも楽勝だよ」
「へえ。剣じゃなくてこの体がすごいんですね」
「そうそう。じゃあ、早速弧月使ってみよっか」
そう言って迅さんも同じ武器に換装した。迅さんの構えはとても自然で、なんだかしっくりして見える。いつでも来ていいよ、と言ってくれたので、そっちに向かって大きく刀を振りかぶった。カキンと、金属がぶつかるような音が響く。それとともに、刀から感じる衝撃で手元が震えていた。迅さんはまだ笑っている。
刀を受ける。はじく。こちらから斬りかかる。ガードされる。これの繰り返しで、ちっとも距離が縮まる気がしない。
弧月は片手でも振るえる重さだけど、両手で振るうイメージしかない私にとっては扱いが難しかった。意識していても自然と両手で構えてしまう。今は手加減されているだろうけど、こんなんじゃ先が思いやられてしまう。
「剣捌きがいいね。剣道とかやってた?」
「…っ、学校の、授業で、少し」
「へえ。素人でこれは上出来だ」
考えながらやろうとすると迅さんの太刀に追い込まれてしまう。もっと反射で出せるようにならないと駄目だ。
ていうか、この人に対しては先読みが全くできない。切り込むチャンスが見えたとしても、わざと見せてくる隙ばかりで、喜んで食らいついていけば一発K.O.をくらいそうだ。かといって、私が隙を作り出せる気もしない。先程チェスをやった時に感じた感覚と同じようなものを感じる。私がどうやったって、きっとこの人に一太刀負わせることも難しそうだ。でも、勝ち目がないからといって、手を抜く気もさらさらないけれど。
「左側がガラ空きだね」
「!」
「……はい、チェックメイト」
一瞬の隙を詰められ、迅さんの弧月がこちらに降りかかってくる。その瞬間、思わずぎゅっと目を瞑った。
しかし、一秒、二秒が経っても、予想されるような痛みは何も感じない。そのことが不思議でそっと目を開けると、そこには、私の肩ぎりぎりのところで止まっている切っ先がすぐ視界に入った。
「蛇石さん筋いいから、このまま練習すれば入隊前までに結構加点もらえると思うよ」
迅さんはそう言って、何事もなかったように刀を鞘に戻した。私は先程、切られるということを覚悟していた。それなのに、何も足掻こうとせずに、黙って自分の体を庇うだけだった。それだけしかできなかった自分に腹が立った。
「どうする? 他の武器も試してみる?」
「……あの、質問なんですけど」
「ん?」
「トリオン体が傷ついた時って、痛みとか、どのくらい感じるんですか?」
もしも、今のが本番だったなら。一体私はどれくらいの痛みを感じていたのだろうか。純粋に気になった疑問を投げかける。それとともに、いつしか浮かない顔をしてやってきた三輪君の姿を思い浮かべる。
「んー、まあそうだね、痛覚は自分でいじれるから、設定すれば痛みは感じるよ。オフにしててもどこがやられたのかわかるくらいの感覚はあるかな」
「じゃあ正隊員は全員オフにしてるんですか?」
「それは人によるねー。みんなよっぽどオフにしてるけどね」
「ふーん……」
あの時の三輪君も、痛覚はオフにしてたんだろうか。泣くよりも痛そうな顔をしていた、あの三輪君も。
「試してみる?」
声を受け取ったのとほぼ同時に、シャキンと、刃物が宙を切る音がした。その直後、肩のあたりを撫でられたような違和感を感じた。目を向けると、だらりと床に落ちている自分の左腕と、肩から漏れ出すキラキラした気体が目に入り、思わずぎょっとする。いつの間に刀を抜いていたのかすらわからなかった。
確かに、痛みというものは感じないけれど、そこに自分の腕がない、というのが分かるような、変な感覚がある。これは体感しないとわからない感覚だと思う。とても他人に説明なんてできない。
人の腕を切ったというのに、迅さんは変わらず涼しい顔をしている。人を切るなんてことはきっと慣れているんだろう。テレビでインタビューを受けていた青年とはまた違った、いや、それよりも読めないような瞳をしている。
「……確かに全然痛くないです」
「はは、そうでしょ。蛇石さんってやっぱ度胸あるよね」
「え?」
「自分の腕見てぎょっとしないから」
「……ああ」
だって、床に転がった自分のそれは、現実味がなさすぎて作り物みたいだから。トリオン体も出血する設定とかだったら、こんなに冷静でいられなかったかもしれないけど。
「いつも仮入隊の子には手出さないんだけど、蛇石さんは特別〜」
「……その言い方だと語弊があるんですけど」
「でも事実でしょ? どうみても切られたがってたもん」
「別にたがってはないです」
飄々と話を続けるこの人のことはよくわからない。でも、相当すごい人だってことだけはわかる。
それから何回か手合わせしてもらっているうちに、いつの間にか何時間も過ぎ去っていたみたいで、もうそろそろ終わりの時間だね、と迅さんから告げられた。この部屋には、窓や時計などの外界の様子がわかる情報が何もない。ずっとこんなところに居たら、時間感覚が狂ってしまいそうだ。
借りていたトリガーを手渡した後、迅さんがこちらをじっと見つめてきたので、少しだけ目が泳いでしまった。この人の瞳の色がわかる距離まで近づいたのは、今この瞬間が初めてかもしれない。
今までずっとへらへらと笑っていたからか、少し真顔になるだけで、周りの空気がぴしりとしまるような感覚を感じる。
「……あの、どうかしましたか?」
「……蛇石さんは、秀次を追ってきたの?」
「! 何で三輪君のこと、」
「勝手に覗き見してごめん。君を初めてみたとき、秀次の姿が視えたから」
真面目な顔して迅さんはそう呟いた。三輪君がみえたって、一体どういうことだろうか。私はこの男の言ってる意味がさっぱり分からなかった。ただ一つだけわかったのは、私と三輪君との関係について、当てずっぽうで言っているわけではないということだ。私は静かに、彼が続けるであろう言葉たちをじっと待つ。
「おれ、未来が視えるっていうSEを持ってるんだ。だから、さっき蛇石さんのも視えた」
「……成る程」
「あ、やっぱりリアクションそれだけ? 今のも驚くところだと思うけどなあ」
まるで私が驚かないという未来がみえていたかのような口ぶりで、目の前の男は淡々と話す。そりゃ、サイドエフェクトなんて言葉は初めて聞いたけれど、この人が本当に未来が見えると言うことは説明がなくとも分かった。未来が視える人なんて信じ難いけれど、嘘だとは思えない。
「……迅さんの目にはどんな未来が視えたの」
「……それはこれからのお楽しみだよ」
焦らないでね、蛇ちゃん。迅悠一はそう言いながら私の肩を叩いた。
「じゃあ、お兄さんは仕事があるから」
明日からまた他の隊員が稽古つけてくれるからさ、なんて言い残し、部屋を後にしていった。
彼の茶色の髪の毛が、これみよがしに揺れている。水色のジャージを身に纏う相当な実力者。そして、自称「未来が視える」お兄さんこと、迅悠一。どこにいても目立ちそうな人だ。
「……勿体ぶらないでさっさと教えてくれればよかったのに」
我ながら子供みたいな言いぶりになってしまったことに、声に出してみて初めて気づいた。
◇ ◇ ◇
「なあ三輪。今期入ってきた新人にすごい奴がいるって噂、聞いたか?」
「知りません」
今日も訓練に勤しもうと、足早にボーダー本部の床を蹴り進む。角を曲がった先にちょうど居た太刀川さんにぶつかりそうになり、「うわ」と声が漏れた。太刀川さんは軽いステップで難なく避け、いつものようにのらりくらりと話し始める。
「つれねーなあ。まあちょうどいい。C級ランク戦観に行くぞ」
「は? ちょっと、待ってください」
面倒ごとに巻き込まれてしまったようだ。いくらトリオン体とはいえ、自分よりタッパのあるトリオン体からは逃れる術はなく、最終的にはただ太刀川さんに引っ張られるだけの人形に成り下がった。というか、何でこの人は人の話を聞かないんだ。通りすがる人達も、「また太刀川が何かやっている」とでも言いたげな表情をしているが、自分も巻き込まれないために目をそらす人ばかりであった。自分も傍観者の立場だったら、このまま見て見ぬ振りをして通りすぎるんだろう。そうと分かっていても、面倒くさいこの人から逃れるべく、助けてくれそうな知り合いが通りかかることを切に願った。結果、それは叶わなかった。
「おー、あれあれ。ちょうどやってんな」
「……早く離してください」
「あ、わるいわるい」
ぱ、と手を離した太刀川さんは口先だけで謝り、ちっとも悪いとは思ってなさそうな様子だ。苛立ちをアピールするように大袈裟に乱れた隊服を直したが、人の気も知れずに目の前の男は、すっかりブース内の映像に夢中になっている。
ブースにはC級隊員たちが溢れかえっていた。何でも、あの嵐山さんの会見以来、ボーダーを志望する人数が桁違いに増えたそうだ。ここまで影響力があったとは大人たちも思っていなかったみたいで、上層部の人たちはこの頃ずっと忙しそうにしている。
ボーダーは年功序列というわけではなく、実力で階級が決まる。もちろん、経験の差は実力に大きく浮き出てくるが、それ以上に大きな素質を持っている人間は、経験者を次々と抜かしてどんどん上に躍り出る。だから、こうやって入隊直後から周りを騒がせるC級隊員は、その後も上位層へ食い込むことが多い。
無理矢理連れてこられたせいで気分が乗らなかったが、噂のC級隊員に興味がないわけではない。太刀川さんが見たくなるほど注目されている隊員というのは、一体どこのどいつだろう。モニターをみていても、俺にはさっぱりわからなかった。
「……どれですか」
「右から三番目のとこで戦ってる黄色い髪のガキ。入ってまだ一か月のくせに、もう正隊員へ上がってきそうなんだとよ」
「へぇ……」
太刀川さんが指さした方向に目を向ける。確かに、まだ入隊したばかりだというのに、もうトリオンキューブを自由自在に操っている。加えて回避能力も高そうだ。荒削りでフォローが足りない部分があるが、それは実戦を重ねるうちに研ぎ澄まされていくだろう。戦闘の様子を目で追っていると、彼のアステロイドが突っ込んでいく方向には、見覚えのある、紫色の髪の女がいることに気づいた。
周りへ溢れ出る黒煙と、見覚えのある背格好。
それが蛇石だと気づいたのは、彼女が緊急脱出寸前の姿で相手の懐へ飛び込んだときだった。
「……蛇石?」
彼女の身体中から漏れ出すトリオンのもやが、絶望の形にも見えた。
意味が分からない。何故彼女がこんな似合わない場所にいるのか、どういう考えを持ってここまで来たのか、全く予想ができなかった。そういえば前、「ボーダーに入っちゃおうかな」と冗談半分に言っていたあの台詞。それは冗談ではなかったらしい。
口腔内の水分がみるみる失われていく。それとともに、視界から鮮やかな色が消えていく。どうして。どうして。叫びたくても叫べなかった。彼女の左腕は既に失われており、トリオンが大量に吹き出していた。アステロイドで射抜かれるのをものともせず、間合いを詰めて弧月でとどめを刺そうとする。
「へびいし? 誰だそれ。確かいずみって名前だったはずだぞ」
「……いや、何でもないです」
「どうした? 誰か知り合いか?」
「……いえ」
「三輪、何か顔が怖えぞ」
もしかして、あの才能に嫉妬したのか? 太刀川さんは面白半分に言ったようだが、ちっとも面白くなかったので、ただただ聞こえないふりをして無視した。
白い刃が相手の体を射抜く。穴だらけになった蛇石は相手にとどめを刺した直後、トリオン放出過多で緊急脱出していった。顔に走る亀裂、色のなくなった瞳。見るに堪えず、そっと目を伏せた。それに呼応するように、奥底から嘔気が湧き上がってくる。これを現実と認めてしまいたくない。
ランク戦が終わったのを見届け、先に帰ります、と一言太刀川さんに伝えた直後だった。今一番会いたくない彼女が部屋から出てきて、ちょうど目が合ってしまった。このまま見なかったことにして立ち去りたかったのに、どうしてこういう時に限ってタイミングが悪いんだ。
「あ、三輪君だ。もっと強くなってからちゃんと伝えようと思ったのに、もう見つかっちゃった」
一体彼女からどんな言葉が出てくるんだろうと思っていたら、あまりに気の抜けた声に、心の底からの苛立ちを感じた。まるで、ボーダーを遊びのように捉えているようにも思え、思わず怒りがこみ上げる。
彼女は似合わない白色のジャージを着て、似合わない弧月をぶら下げている。大体、さっきの有様も何なんだ。ボロボロの体で突っ込むなんて、ただの自殺行為でしかない。
「……ふざけるな」
「別に、ふざけてなんかないけど」
「知るか! 来るな!」
途端に、彼女が裏切り者のように見えてくる。
あんなに苦しんでいたのを知ってるくせに、どうしてお前がわざわざ戦地に飛び込む? そんなこと、俺は望んでいない。ボーダーに対する興味もそれほどなさそうな彼女が入る理由なんて、俺のこと以外に考えられなかった。それに尚更腹が立ってくる。
何の言い訳も聞きたくない。どうせ、「三輪君のため」なんて反吐の出る言葉を連ねるんだろう。蛇石がやることなんて、何の為にもならない。でも、そうやって伝えた時の、蛇石の傷つく表情も見たくなかった。吐き出したくなる衝動をそっと飲み込み、これ以上自身に負担をかけないように、その場から立ち去った。蛇石がどんな顔をしているかなんて、そんなの見たくもなかった。
「三輪君! ちょっと、待ってよ!」
うるさい。そんな服を着て、俺の名前を呼ぶな。お前までこんなところに来なくてよかったのに。
◇ ◇ ◇
「……喧嘩?」
「……そう。あんたのせいよ」
最悪。最悪。最悪。三輪君とボーダー内での初めてのエンカウントが、こんな形になるなんて。もちろん最初は怒られると覚悟していたけど、思ったよりも早いタイミングで見つかってしまって、心の準備ができていないままだった。情けない試合を見られてしまったことを落ち込み、肩を落とす。
「え、何で俺?」
「うるさい。黙ってなさいよ」
「それは完璧な八つ当たりじゃね?」
隣にいる蜂蜜色の髪の毛の男は、わざとらしく項垂れる素振りを見せた。今はお前に構ってやる暇なんてない、という意を込めてそっぽを向くと、あー、とかうーん、とか唸りながらこちらの様子を伺う。
「……何」
「いや、何か言ってやろーかなって思ったけど、特に何も思いつかなかった」
「は。信じられないくらい阿呆じゃん」
「うるせーよ」
そう言いながら肘でガシガシと突いてきたので、お返しに睨み返してやる。こんな奴に正隊員になる先を越されてしまうなんて、一生の不覚だ。
軽口を叩いているこの男、もとい出水公平は、私たちの同期の中ではナンバーワンの素材を持っている、と周りからは言われている。仮入隊の時から名前は知れ渡っていたらしいけど、ポジションが違っていたので噂が私の耳に入ることがなかった。入隊当時、自分よりも周りに評価されている奴が気に入らなくて、入隊式の直後にランク戦を挑んだのも少し懐かしい。今ではあの時よりもポイントの差が開いてしまって、少しだけ焦っているけれど。
「ああもう、最悪。本当についてない」
「ていうか今の奴、三輪だろ」
「……あんた三輪君のこと知ってるの?」
「知ってるも何も、同い年なのにもう正隊員でバリバリらしーじゃん。そりゃあ有名になるでしょ」
「……ふうん」
別に、有名人になんてなってほしくないのに。そんなことをこいつに言ったとしても、きっと何の解決にもならない。ただの時間の無駄だ。そう思い、ため息とともにモヤモヤを喉奥へ押し込んだ。
「あー三輪君と話したい……。もう無理、我慢できない……」
「……あの、蛇石さん、一つ聞いてもいいですか?」
「何。敬語なんて気持ち悪い」
「三輪とは……その……、どういう関係?」
「恋人同士だけど」
「えっ、マジ!? 本当にそーなんだ!!」
「うるっさ……」
「いや〜、一中って進んでんな〜!! オレらのとこなんて付き合ってる奴まだ一人もいねーよ」
「あっそう。だから何なのよ」
「うわ、相変わらずツンツンしてんな」
こんな奴に先を越されるなんて、やっぱりめちゃくちゃ悔しい。私もさっさと正隊員になってやろう。そう思いながら歩く速度を早める。
この道に進むと決めたのなら、まずは三輪君と同じ土俵に立たないといけない。今は勝手に行動した私に対して怒っているかもしれないけど、ちゃんと顔を合わせればわかってくれるはずだ。だから、焦らずに、今の自分にできることをやるしかない。
いつかまた、私のことを認めてもらえるようにと思い、また隣にいる阿呆面にランク戦を申し込んだ。