18 昇っては降り注ぐもの

 
 空気が澱み切った部屋の中、カタカタとパソコンのキーボードが叩き込まれる音が響く。長いネイルのせいなのか、隣の先輩の打ち込み音は人一倍大きく響き渡る。今日も平和だなぁと思いながらひたすらデータ入力していると、いつの間にか時間がどんどん過ぎていく。お昼休み開始のチャイムが放送で流れた瞬間に照明が消え、仕事も強制的に終わらさせられる。
「加藤ちゃん、久々に外食べ行かない?」
「いいですね。行きましょう」
 隣の先輩からの魅力的な勧誘を受け、私の頭は仕事モードから一気に食事モードに切り替わる。膝掛けをデスクに戻して、凝った体をぐいーっと上へ伸ばして息を吐く。いつでも綺麗な先輩のネイルについ目を奪われつつも、財布と携帯片手にそのまま会社を後にした。
 
 ◇

 いつもはコンビニでお昼を済ませてばっかだけど、こうやって仲の良い先輩から声をかけてもらえることがたまにある。もちろん自分でお金を払うつもりは十分あるけど、優しい先輩ばっかだから基本後輩の分は面倒を見てくれる。会社内にはいわゆるお局さんもいるっちゃいるんだけど、私はまだ目をつけられていないのでなんとか平和に生きています。このまま一生目をつけないでください。そして優しい先輩は一生退社しないでください。違う部署にも行かないでください。一生のお願いです。
「糸ちゃんって一人暮らしなんでしょ? ご飯とかどうしてるの?」
 目の前のパスタをくるくる巻きながら、茶髪の先輩がそう尋ねてくる。
「たいていコンビニかファミレスですね。最近はパスタサラダばっか食べてます」
「あ〜、その気持ちめっちゃ分かるわ。けど加藤ちゃん細っこいんだからちゃんと食べなきゃ。一口あげるよ」
「え、いいんですか。いただきまーす」
 差し出されたフォークを受け取り、先輩の皿からカニクリームパスタを一巻きいただいた。市販のパスタソースでは再現できないこの味。当たり前だけどやっぱりお店で食べるパスタは美味しすぎて幸せ。私の和風きのこも食べてくださいって差し出すと、先輩はいいの〜? なんて言いながら遠慮なく取っていった。そういうとこ、気を使わなくて助かる。
「そういえば加藤ちゃんって三門市出身なんでしょ? やっぱ町中に嵐山隊とかいたりするの?」
 でた、こっちにきてから何十回も聞いてきたお決まりの話題。みんな気になるんだなぁと思いながら、皿の上に転がるきのこをつんつんとつついてみる。
「はあ、まあ見かけたことはありますけど。相変わらずすごい人気ですよね」
「え〜、羨ましい〜! アイドル顔負けだよね。特に嵐山さんとか」
「そうですね」
 騒がしい店内の中、真剣にきのこで遊んでる私はおかしいかもしれない。それでも先輩のテンションは右肩上がりになっていくばかりだ。
「にしても、あんなSFみたいな世界が日常なんて、私たちには考えられないなぁ」
 先輩はなんの抵抗もないまま、ただただ普通に言葉を並べた。SFみたいな世界。三門に住んでいない人からすれば、あの日から始まった日常もその程度の認識なんだな。そう思いながら、もう一度パスタをフォークに巻きつける。
「……あれは日常なんかじゃなかったですよ。少なくとも私にとっては」
 別に嫌味のつもりでいった訳じゃないけど、意図せず冷たい声になってしまった。途端、先輩の顔の雲行きが怪しくなる。あ、気を使わせてしまったかもしれない。そう感じ取った時には既に遅く、先輩は「無神経でごめん!」と言いながら私の前で両手を合わせる。そんな先輩に対して、なんのことですか? ととぼけて話を流そうとする。眉毛の下がった顔を見ながら、きっとこの人は考えたことが全部口に出ちゃうんだろうなぁ、なんて思いながら顔を下げた。

 ◇

 私が三門にいなくても、三門の日常は変わらないまま続くし、幼馴染だって変わらない生活がこの先ずっと続くのだろう。
 私の淡い恋心は、繰り返される日常の中で誰にも気づかれずに死んでいく。真昼に瞬く星のように、目を凝らさないとわからない。ぱっと見上げただけじゃ、誰も私の存在には気づいてくれない。
 だからといって、星そのものがなくなったわけではない。たとえ見えなくたって、確かにそこに存在していた。私は真昼を選んで瞬いたけど、彼女はそれを檸檬のような笑顔で包んでくれた。
 ふわりと鼻腔に香ったあの匂いだけは、この先ずっと忘れたくないと思った。

Lost stars