うちは一族による木ノ葉へのクーデター計画。シスイはその全てをなまえに話した。
そしてイタチと二人でそれを止めようとしていることも明かした。だから火影に話をするのも、里を出るのももう少しだけ待ってほしいとなまえを説得した。
もしかすると、うちはの未来を変えられるかもしれないのだ。
力強く語るシスイの横でなまえは膝を抱える腕にぎゅっと力を込めた。クーデターなどと、たとえシスイの口から聞かされてもすぐに信じられるものではない。
だが、真実なのだろう。五年間も集落にいたのに全く気が付かなかった。自分のことばかり考えていて周りを全く見ていなかったのだ。そして、それを隠していたシスイやイタチの様子にさえ気が付こうとしなかった。
濁流の音を遠くに聞きながら、押し寄せる自責の念に瞼を閉じて耐える。一族の迫害を助長させたのは自分なのだ。クーデターを止めるのも自分がやらなくてはならないのに一体何をしているのだろう。
そこにいるはずなのに、いつも自分だけが何も知らずにいる。
「なまえ……また自分のせいだとか考えてないか?」
シスイは隣に座るなまえをじっと見つめた。なまえは俯いたまま顔を上げない。
シスイは黙り込むなまえから視線を外した。五年も共に過ごせば考えていることなど容易にわかるようになる。いい部分も悪い部分も知り尽くしているつもりだった。
そうでなくてもなまえはわかりやすいのだ。もともと嘘をついたり誤魔化したりするのが苦手なのだろう。きっと、正体を隠し続けるのもかなり苦しかったはずだ。
だが、本人であることが明らかになったからこそ言えることもある。シスイは遥か遠くに見える火影岩を眺めながらゆっくりと口を開いた。
「過去にお前が何をしたのか聞くつもりはないが、たった一人の行いが原因で一族がこんなことになるはずないだろ」
それはシスイが以前から思っていたことであった。なまえがなまえだという確証がなかったためそれも黙っていたが、いつも自分自身を責める彼女が不思議でならなかった。
「今の大人達を見ていればわかる。オレ達うちは一族はなるべくしてこうなっているんだよ」
そこに怒りや悲しみの色はない。まるで諦観しているかのように話す少年に、なまえはようやく顔を向ける。
「いつも人や何かのせいにして不満を言うばかりだ。自分達から里へ歩み寄ろうともしない。一人一人がオレやイタチのような考えを持つことができれば今の状況も変えられるはずなのに……」
耐えかねたイタチが一族の会合の場で発言したことがあった。けれども返ってくるのは罵りの声や裏切りを疑う視線のみ。最終的にイタチの父フガクがイタチに謝罪させて場を鎮めた。
和解に賛同する者は誰一人としていない。あくまで自分達は被害者なのだ。だから里の上層部や周りの人々に配慮してもらわねばならない。そんな意識で今までやってきているのだから、何かを変えられるはずもないのである。
「そうやってうちははずっと悪いほうに進み続けてきたんだ。なるべくしてなったってのはそういう意味だよ」
果てには積もりに積もった不満をクーデターという形で爆発させようとしている。その行為によってこそ一族の未来が切り開かれるのだと固く信じたまま。
その先に救いなどない。更なる闇の道へ堕ちていくだけだ。優れた眼を持ちながら何も見据えられていない大人達に何度絶望したかわからなかった。
「もうわかるだろ。お前は責任を擦り付けられているだけなんだよ。うちはがこうなったのはあいつのせいだって。他の問題から目を背けるために、お前の存在は都合がよかったんだ……」
声に悔しさを滲ませて俯くシスイ。爪が食い込むほどに強く拳を握り、少しの間口を閉ざす。
祖父が語ったうちはなまえ。大人達が口にするうちはなまえ。シスイはその両方を聞き、一族の現状を知るにつれてそう感じるようになった。そして、それ正しかったのだと実際になまえを目にして確信した。
なまえのせいではない。堂々としていればいい。シスイは理由もなくそう励ましていたのではなかったのだ。
「だから……そうだな。なまえだけのせいじゃない、って言い方にしておくか。どうしたってお前は自分を責めるんだろうからな」
その裏にあった本当の思いを知り、なまえは再び下を向いた。胸から込み上げる熱いものがじわりと視界を滲ませようとしたからだ。
「あまり一人で背負い込もうとするなよ。お前が誰よりうちはを大事に思っているのはオレも……イタチもわかってるからさ」
そう言ってシスイは立ち上がった。夜空を見上げて深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
そして、どこかすっきりしたような表情でなまえを振り返った。
「すっかり話し込んでしまったな。そろそろ帰ろう、なまえ」
シスイは手を差し伸べる。これまで幾度となくそうしてきたように。
彼は一度たりともなまえのことを諦めなかった。そうしてなまえの心を救った。
シスイはきっと一族のことも諦めていない。彼ならば本当にうちはの闇を払えるのではないか。不思議とそんな気さえしてくる。
「うん……」
なまえは素直にその手を取ることができた。シスイは驚くこともなくなまえを引っ張り上げ、目が合うと頼もしい笑みを浮かべて頷いてみせた。
皆を騙していた自分を許せた訳ではない。自分に責任はないのだと考えを改めた訳でもない。
この温かい手を、この少年を信じたいとそれ以上に強く思ったのだ。
なまえは様々なことを考えながらこれまでと同じようにシスイの家で暮らしていた。シスイ達に真実を知られ、また、その自分が木ノ葉の里にいることを改めて受け止めると同じ景色でも違って見えた。
気持ちの整理もできて落ち着き始めた頃、なまえは数日ぶりに彼の祖父の所へ行くことにした。
仕事を終えた後、墓地までの道の途中にある花屋で花を買った。店番をしていた店主の娘の明るい笑顔に少し元気を貰った。
墓地にはまばらに人の姿があった。皆仕事の帰りに寄っているのか手短に用を済ませて去っていく。
西の端のほうにカガミの墓はあった。なまえは膝を曲げてしゃがみ込み、花を供えた。
以前から、ここにいる時だけは本来の自分のままで物を考えることができた。
頭に浮かんでくるのはうちはのことばかり。クーデターの話もそうだが、今はシスイがかけてくれた言葉の意味をゆっくりと理解し直したかった。
「……本当に、そうなのかな……」
一族がこうなったのは自分だけのせいではないと言ってくれた。その優しい言葉に、つい甘えてしまいそうになる。
上層部の男を殺めたこと。
マダラと共に里を離れたこと。
過去の自分の行いで一族に影響を及ぼしたとすればその二つだろう。それらの記憶は、今でもまだ鮮明に残っている。
守ろうとしたはずなのに守れなかった。後の世まで恨まれることになった。それを実際に目の当たりにして、どうしようもなく苦しかった。
けれどもシスイの言葉に少しだけ救われた。それが真実ではなかったとしても、気持ちが軽くなったのは確かだった。
ありがとう。なまえは心の中で呟いた。そんな一言では足りないくらいにシスイには助けられている。
それはきっとカガミが遺したもののお陰でもあるのだろう。思いを伝えるように墓石へ手を伸ばそうとした時、背筋に触れる空気が妙に冷たくなったのを感じた。
辺りに人の姿はない。いつの間にか一人になっていたらしい。陽の傾きによって伸びた影が足元に迫ろうとしていた。
「童共に正体を見破られてしまったようだな」
背後から降ってくるしわがれた声。自分に向けて発せられたものだというのはわかっている。なまえは躊躇いを残しながらゆっくりと後ろを振り返った。
顔の右半分を包帯で覆った男。黒い衣に身を包んでいるがうちはの人間ではない。特徴的な顎の傷は一度見れば忘れないだろう。影の中から見下ろしてくる男の顔を静かに見つめ返した。
「幼いがやはり本人であろう。うちはなまえよ」
初めて会うはずの男が名を口にする。そして、秘密を知っているかのようなその言葉。
この男がそれくらいの年齢ならばそういうこともあるのかもしれない。
なまえは不思議と冷静でいた。腰を上げ、目の前の男と向かい合う。
「誰ですか?」
「志村ダンゾウ。その男とは同期であった」
ダンゾウはちらりとカガミの墓へ目を向ける。なるほど、となまえは胸の内で呟いた。
「安心召されよ。ワシは何もする気はない。貴女の正体を言い触らすこともせぬ」
「それなら何の……」
「ただし一つ問わせてもらおう」
ここに長くいるべきではないと頭の中の何かが告げる。しかし闇は纏わり付くようになまえを逃がさなかった。
「貴女の生きるべき時代はとうに終わったはず。何故再びこの里へ舞い戻られた?」
彼が何者なのかなまえは知らない。しかしそこにいるだけで感じさせる湿ったような仄暗さは、ただ年月を重ねただけの忍に醸し出せるものではないだろう。
自分のことを知っていてわざわざ接触を図ったのだ。それを問うだけが目的のはずがない。
しばしの沈黙の後、なまえは口を開いた。
「助けたい人がいる。それだけです」
真実を語る。隠す必要もない。
「それは貴女の最愛の男か?」
「いいえ。運命を変えられて闇の中を生きることになった……うちはの子供です」
するとダンゾウは口元に嘲笑を滲ませた。彼の本質がそこから垣間見えたような気がした。
「愚かな。闇から逃れられる者などおらぬ」
この男も陽の当たらない場所に生きているのだろうか。しかし木ノ葉の里にそのような場所は――。
ある一つの組織がなまえの頭に浮かぶ。もしやと思いながら目の前の男を見据えた時、墓地に人の近付いてくる気配がした。
「まあよい。何をするつもりであれ覚悟はなされよ。貴女とて今や人の道理から外れた存在……いずれ必ず報いを受けることとなろう」
ダンゾウはその気配に視線さえ向けず、なまえにそれだけを言って背を向けた。一歩一歩と影の中に去っていく姿は闇に溶けていくかのようだった。
「……わかってる。そんなこと……」
なまえは呟いた。その声が届いたのかはわからない。足元に目を落とし、やがてなまえも墓地を後にした。
その帰り道、少し遠回りをして集落の風景を見て歩いた。今なら落ち着いて観察できると思ったのだ。
二度目の自分が暮らした場所。たとえ隔離のためであったとしても、一族が穏やかに過ごすにはいい場所だと今でも感じる。
遠くで行き交う人々の姿が見えた。彼らがクーデターを企てているなど言われもしなければ気付かなかっただろう。
シスイの言った通りその道の先には何もない。だからと言って一族が迫害を受けているのをそのままにすることもできない。
状況を知りながらシスイ達に任せるしかないないのが心苦しかった。なまえにはそれを止められるだけの力はなく、また、過去の人間である自分が今の時代に関わるべきではないという考えが未だに心のどこかにあるのだ。
南賀ノ神社に差し掛かった。石段の上の鳥居を見上げる。
何の力にもなれないが、せめてシスイ達の思いが成就するよう祈っておこうと思った。
石段を上りきるとちょうど向かいから誰かが歩いてきていた。背中の丸まった、見覚えのある高齢の女。シスイに連れられて初めて集落に訪れた日、なまえの名前のことで酷く罵ってきた女だ。そういえばあの時もこの神社の前で出会ったのであった。
女はなまえに気付くと露骨に顔をしかめた。そして足早に過ぎ去ろうとするが小さな段差に躓いてしまう。前に倒れそうになったのをなまえは咄嗟に支えに入った。
お前がいなければ躓くこともなかった。女は礼も言わずなまえを振り払い、そんな言葉を残して去っていった。
なまえは己の手の平を見つめる。
どれほど恨まれようとも。幾度拒まれようとも。
うちはへの愛情は、これだけはどうしたって尽きることはなかった。
シスイに聞きたいことがあった。しかし任務で忙しいのかすれ違う日々が続いた。帰る頃まで起きて待っていれば話すこともできたのだろうが、疲れているところに押しかける度胸はなまえにはなかった。
そんなある日、珍しくシスイが先に帰ってきていた。草履を脱ぎ捨てて家に上がると、ちょうど居間から出てきた彼が些か驚いたように立ち止まった。
「なまえ、帰ったのか。おかえり」
「シスイも、おかえりなさい……」
シスイはぼんやりとしたなまえの様子に吹き出しそうになる。
「何だよ。何か言いたいことでもあるのか? オレもお前に話があるんだ。後で部屋に来てくれ」
そう言って笑いながら横を通り抜けていった。なまえは立ち尽くしたままその背中を視線で追う。やがてぼうっとしていたことに気付くと荷物を置いて草履を揃えに行った。
どうしてだろうか。いつもは安心するはずの彼の笑みに、ほんの僅かに心がざわついた。
しばしその場で考えてみたが理由はわからなかった。違和感はひとまず胸に仕舞い、シスイの部屋へと向かった。
机の上を片付けていたシスイはなまえに適当な場所に座るよう言った。広げたままの地図や巻物を整頓しながら、忙しくて掃除をする暇もなかったのだと零した。
「まさかとは思うが、ずっと待っていたんじゃないだろうな」
「う、うん……そんなに急ぐことでもなかったから」
「オレに遠慮するなっていつも言ってるだろ。で、どうしたんだ?」
シスイはやれやれといった様子で眉尻を下げる。片付けを終えるとなまえと向かい合うようにして腰を下ろした。
「南賀ノ神社のことなんだけど……」
「ああ。何だ?」
「神社に一族の秘密の石碑があるってシスイは知ってる? 私は見たことがなくて……」
「……ああ。知ってる」
シスイが頷くとなまえは思案するように視線を下げた。志村ダンゾウについてはその名を調べてみればわかるほどのものであり、わざわざ聞くまでもなかった。
シスイは、よりにもよって南賀ノ神社かと肩を竦める。クーデター計画については話したが一族の会合の場所までは教えていなかったのだ。
「石碑は本堂の地下にある。畳の下に地下へ続く階段が隠されていて、そこからじゃないと入れない」
「そうなんだ……」
「行く時はオレが案内するから言ってくれ。もし一人で行って誰かに見つかれば騒ぎになるだろうからな」
なまえは確かにその通りだと思った。自分が騒ぎを起こせばシスイ達に迷惑がかかる。それだけは絶対に避けなければならないことであった。
早速今夜にでも行くつもりだったが、彼の都合がよい日に改めることにした。
「…………」
考え込むなまえをじっと見つめるシスイ。どうやら聞きたいのはそれだけのようだと察する。
なまえから全てを聞き出しておきながら自分は黙っていることがある。だが、それもうちはと里のためなのだと己に言い聞かせ、胸の痛みをそっと隠した。
「なまえ、ここで少し待っていてくれ」
シスイはそれだけを言うとなまえを置いて部屋を出ていった。なまえは小首を傾げ、言われた通り大人しく待つことにした。
やがてシスイは盆を片手に戻ってきた。先程と同じようにして座り、自身となまえの間にそれを置く。
二つの湯呑み。薄く立ち上る湯気。
茶を入れてきたのだ。
「実はこの後用事があってまた出ないといけないんだ。あまりゆっくりもできないが……少し付き合ってくれるか?」
時が差し迫っているなどおくびにも出さずシスイは微笑んでみせた。どんな状況でも常に一定に保たれる彼の精神は忍として見習うべきものがある。
なまえが頷くと、シスイは茶を飲むよう勧めてきた。
「ちゃんとぬるくしてあるからな」
湯呑みに手を伸ばしたなまえがぎくりと体を揺らす。左手で持ち上げたそれを一旦膝の上に落ち着かせ、気まずそうな顔でシスイを見た。
「気付いてたの?」
「五年も一緒に暮らしていれば嫌でも気付くさ」
彼にしては珍しいニヤリとした笑み。熱いものを飲む時いつも眉間にしわが寄っていたと指摘され、なまえは僅かに赤面する。
それを誤魔化すように湯呑みを口元に運んだ。一口飲むと、ほっとするようなちょうどいい温かさが喉を通っていった。
「同じ茶葉で同じ入れ方をしているはずなのに、お前が出してくれるお茶とは何か違うんだよな」
なまえが飲んだのを見てシスイも口をつけた。以前から感じていた疑問を零しながら不思議そうに湯呑みの中を見つめる。
なまえもずっと昔に同じようなことを思った。そして今ではその答えもわかっているつもりだった。
「誰かが自分のために入れてくれたからおいしく感じるんだと思うよ」
「そういうものなのか?」
「うん。シスイが入れてくれたお茶、おいしいよ」
なまえは目を細めて穏やかな表情を浮かべた。シスイの良心がちくりと痛む。だがそれも胸の奥に隠して平静を装った。
「……なまえ、少し肩の力が抜けたんじゃないか?」
「そ……そうかな?」
「ああ。前より自然に話せてるだろ。今のほうがいいよ」
優しげに言ってシスイは茶を飲み干した。なまえは膝の先に視線を落とし、ぼんやりと考え込んでいる。
シスイはそんななまえをちらりと見ると湯呑みを置いて立ち上がった。押し入れに向かい、中から何かを取り出して再び元の場所に座る。
「お前に渡したいものがあるんだ」
シスイはそれを掴んだ右手をなまえへと伸ばす。なまえはきょとんとして湯呑みを脇に置き、シスイの差し出すそれを受け取った。
紐で縛られた布の中に棒状のものが入っている。開けてみろと言うシスイに頷いてなまえはその紐を解いた。
形と重みから薄らと予想はしていた。それは一尺ほどの長さの短刀であった。
黒い鞘にうちはの家紋が描かれている。
「これ……」
「身を守るためのもの、何も持ってなかっただろ。いつか用意してやろうと思ってたんだ」
なまえはその言葉に、帰宅した時の胸のざわつきを思い出す。どうしてか今この時になってそれが再び広がり始めたのだ。
「い、いいよ。自分で用意するからこれはシスイが使って」
受け取ってしまえばその悪い予感のほうへと進んでいくような気がして、なまえは短刀を返そうとする。
「なまえ」
いつになく真剣な顔をするシスイ。駄目なのだと悟ったなまえは、叱られた子供のように身を縮こめて俯いた。
なまえが不安を感じているらしいことはシスイも気付いていた。しかしここでやめる訳にはいかない。この話をするためにわざわざ一度帰宅し、なまえを部屋に呼び出したのだから。
「なまえ。もしもの話だがな」
「…………」
「もしオレの身に何かがあればお前は里を出ろ」
睫毛の下でなまえは瞳を揺らす。何故、今ここでこれを渡してそんな話をするのか。答えに行き着くのに時間は要さなかった。
「シスイ、この後の用事って……」
「……ああ。もちろん何としても成功させるつもりでいるさ。だが……何が起こるかわからないのが忍の世界だ。それはお前もよく知ってるだろ?」
シスイの身に何かが起こった時。それはクーデターの阻止に失敗した時だ。
阻止に動いたことが発覚すれば、たとえ同じうちはの人間であろうともただでは済まされないだろう。頭に血が上った彼らに、事が済むまで余計な真似をしないよう拘束などされてもおかしくない。
「父と母にお前を守る余裕はない。唯一頼めそうなイタチも守るべきものができた。こういう時にお前が頼れるところを作ってやれたらよかったんだが……」
もしもの話。そうなった場合の話なのだと己に言い聞かせるなまえ。シスイの真剣さに、まるで本当にそうなってしまうかのような不安を感じて仕方がなかった。
「他のことは心配しなくていい。オレが駄目でもイタチが何とかするさ。だからお前は自分が生きることを優先しろ」
「……でも……」
自分だけ逃げるなどなまえにできるはずがない。それほど危険が伴う作戦なのか、自分も協力できないかと聞くべきだと思うのに、それを許さない空気があった。
大事な話の最中だというのに頭が重くなってくる。なまえは眠気を払うように一度強く瞼を閉じて息を吸い込んだ。
「お前はお前でやるべきことがあるんだろ? だったら何としても生き延びてそれをやり遂げるんだ」
耐え難い眠気に襲われてなまえは目元に手を当てた。異変に気付いたシスイがなまえのそばに寄ってその肩に優しく触れる。
「……不安にさせて悪かったな。オレが戻らなければの話だ。お前のためにも必ず成功させて戻ってくる。……だから安心して待っていてくれ」
とうとう座っていることもままならなくなったなまえをシスイが支える。今にも閉じそうな瞼の隙間から床に置かれた湯呑みが見え、なまえは霞む意識の中でもしやと感付いた。
「シスイ、お茶に何か……」
「そろそろ行ってくる。心配するな、なまえ。次に目を覚ました時には全て終わっているはずだ」
シスイはなまえの体を抱えた。あらかじめ敷いていた布団へと運び、ゆっくりと横たえさせる。
行かないでと声に出すこともできないまま意識が沈んでいく。最後になまえの目に映ったのは優しげに微笑むシスイの顔だった。
*
シスイの母におつかいを頼まれた。なまえは早速出発しようとして草履を履き玄関の戸を開けた。するとちょうど任務から帰ったシスイと鉢合わせになり、買い物に行くことを察した彼が自分も行くと言い出した。
なまえは一人で大丈夫だと言ったがシスイは「いいから」と笑い、肩に掛けていた買い物袋を奪い取った。仕方がないので先を歩いていく彼の後を追いかけた。
集落を出て里中央部の商店街まで行き、頼まれていたものを買う。ついでの用事でもあるのかと思ったがシスイは上機嫌そうに荷物を持つだけだった。
再び集落に戻る。たったこれだけなのだから本当に一人でよかったのにとなまえは思った。シスイは人の多い道を平気で進んでいくのでそれが少し嫌だったのだ。
ふと顔を上げるとちょうど斜め先にあった店が目についた。うちはせんべいと書かれた看板が掲げてある。
うちはせんべい。昔からあったのだろうか。なまえはつい足を止めて考えた。しかしすぐにシスイがいることを思い出して隣を見る。黙って待っていたシスイは小さく笑いを零した。
「食べたいのか? うちはせんべい」
「み、見てただけ……」
「たまには悪くないな。ちょっと買ってくる」
シスイは店へ向かった。本当に違うのに、となまえは立ち尽くしてその背中を見つめた。
川沿いのベンチに二人並んで腰を掛ける。少しくらい遅くなっても怒られないだろうとシスイが連れてきたのだ。
紙に包まれたせんべいを取り出し、一口かじる。両手で持たなければ落としてしまいそうなほど今のなまえにとっては大きいせんべいであった。
「変わらないな。この味」
「……あのお店はいつからあるの?」
「さあ……オレが生まれる前からあるみたいだから結構古いんじゃないか?」
そうなんだ、となまえは視線を落とす。地面に届かず浮いている足が勝手に揺れていた。
しばらくの間、せんべいをかじる音だけが続いた。ぼんやりと川の向こうを眺めていたシスイがふいにぼそりと呟いた。
「馴染んだ味も、見慣れた風景も……こんな何でもない時間でさえ、誰かと一緒なら思い出になったりするんだよな」
なまえは揺れる足をぴたりと止めた。遠い昔に同じようなことを思った時があった。
顔を上げてシスイのほうを見ると、彼もまたこちらを向いていた。
誰かと一緒にいる温かさ。一人でいる時には決して気が付かぬもの。シスイは今それを感じているのだろう。
なまえは、いつも明るい場所にいるはずの彼がしみじみと零したことに違和感を覚えた。すぐに済むような買い物について来たり、何かと世話を焼こうとしたりするのは、もしかすると――。
「シスイ……」
「ん?」
「ありがとう。いつも助けてくれて……」
その時なまえは自分がどんな顔をしていたのかわからない。しかし、シスイは眩しいものを見るように目を細め、それまでに見せた中でも一番と言えるような笑みを浮かべた。
「いいんだよ。好きでやってることだから」
なまえは胸に切ない思いが広がった。それを悟られぬように、下を向いて小さく足を揺らす。
その面倒見のよさは、単なる優しさによるものではなく、寂しさを隠すためのものでもあったのかもしれない。
*
暗闇の中で目を覚ます。まるで瞬きの間に時間だけが過ぎたかのように意識ははっきりとしていた。
起き上がろうとして何かが手に触れる。シスイがくれた短刀だった。なまえはそれを掴み、帯に差して部屋を飛び出した。
玄関へと下りる。シスイの草履はない。嫌な考えが頭を過る。
なまえは外へ出た。どこへ行けばいいかと周囲を見回す。会合の場、南賀ノ神社だと思い付いてすぐさま向かった。
集落に広がる異様な静けさ。どこか不気味に感じるのは差し迫った状況のせいだろうか。
神社に着く。鳥居の向こうから人が大勢出てくるところだった。本当にこの場所で会合が行われていたのだ。
なまえは先頭にいた男へと近付いた。なまえに気付いた男が立ち止まる。
「君は……」
「うちはなまえと言います。あの……シスイはここに来てますか?」
うちはフガク。声をかけた相手は偶然にもイタチとサスケの父だった。
話をしたことはないが顔は知っている。それはフガクも同じなのだろう。些か怪訝そうにしながらもなまえの問いに答えた。
「シスイなら見ていないが……」
「イタチもいませんか?」
「……何故そんなことを……」
誤魔化している様子は感じられない。フガクが聞き返す前になまえは駆け出した。二人がいないのならここに用はない。
別の場所で作戦を進めているのだろうか。いや、シスイの姿を見ないまま会合を終えたというのはどう考えても不自然だ。
不測の事態。直前に何かが起こったのだとしたら。
向かうべき場所は直感的にわかった。里の外れにあるあの崖だ。
里を出た辺りから微かに血の臭いがし始めた。それは崖に近付けば近付くほど強くなっていった。
とにかく急いだ。考えている余裕はなかった。木々の間を全力で駆けて、崖が見えてきた。
すると、そこに。
「シスイっ!」
崖の上に立つシスイ。その後ろに迫るイタチ。
イタチが、シスイの背中を突き飛ばす。
なまえは走った。
イタチの横を抜けてシスイに手を伸ばす。指先が触れる寸前、力強く体を引き戻された。
その勢いで後ろに倒れ込む。なまえは即座に体を起こし、四つ這いになって崖の下を見下ろした。
シスイの姿はもうない。
助けられなかった。
「イタチっ、何で……!」
なまえは振り返る。その先の言葉は言えなかった。
写輪眼のまま涙を流すイタチ。その赤い眼の紋様が変化していく。
シスイの死によって万華鏡写輪眼を開眼したのだ。
自分の知らぬ彼らの覚悟があったことを悟る。なまえは俯き歯を食い縛った。
どうしてこんなことになるのだろう。どうして子供達がこんな目に遭わなければならないのだろう。
今も、昔も、自分達はただ平和に暮らすことさえ許されないのだろうか。
「……なまえ」
イタチが重い沈黙を破った。すでに涙の跡はない。地面についたなまえの手にそっと指先を重ねると、何かを堪えるように瞼を閉じ、ゆっくりと開いた。
「後のことはオレがやる。お前はお前の……シスイとの約束を果たせ」
シスイとの約束。イタチには話していたのだろう。
イタチが暗に何を言っているのか、なまえは容易に察することができた。
「……わかった」
立ち上がる前、なまえはイタチの手を握った。思いを込めるようにして、一度だけ強く。
言葉はいらない。どうしてか今はそれだけで互いの心が通じたように感じた。
そして、別れも告げずなまえは飛び立った。
ずっと彼らのことを騙していた。傷付けてしまったのに、こんなどうしようもない自分のことを二人は最後まで守ろうとしてくれた。
あのまま留まってもイタチの邪魔になるだけだ。里を出ろとシスイが言ったのはそういう意味もあったのだろう。
これ以上、二人の思いを裏切りたくない。彼らのためを思うとその通りにするのが最善の選択だった。
行く当てもなく森の中を駆けていく。帯に差した短刀が未だ彼の存在を感じさせる。
自分は自分のやるべきことを。そう言い聞かせても涙は止まらず頬を濡らした。
――闇から逃れられる者などいない。
こんな時だと言うのに、どうしてかあの男の言葉が頭から離れなかった。