73


 なまえは走り続けた。
 シスイの死から目を背けるように。
 辛い現実から逃げるように。
 そうして、なまえはおよそ人の踏み入らぬような森の奥深くへと辿り着いた。
 ぽつぽつと雨が降り出す。次第に強まってきたそれが大地を激しく打ち始めたことでようやくなまえの足は止まった。
 空を隠すほどに枝を広げた大樹の下へ行く。太い幹に寄りかかると途端に足の力が抜け、背中を擦りながら座り込んだ。
 夜の闇。冷たい雨。どこを探そうともあの温もりは戻ってこない。心に空いた穴を埋めるものもない。
 届かなかったこの手。どうしてこんなにも無力なのか。瞼を閉じるとあの一瞬の出来事が何度も繰り返される。
 こんな苦しみを味わうくらいならずっと目覚めないでいたほうがよかった。そう思ってしまうほどにシスイの死はなまえに深い傷を与えた。
 マダラは何故自分だけを先に起こしたのだろう。いずれ蘇ると言うならその時に一緒に目覚めたかった。
 この時代に居場所のない自分に一体何をさせたいのだろうか。計画を手伝わせるという訳でもないのに何故オビトと共に行かせたのだろう。

「…………」

 そこでなまえは気が付いた。
 いつも自分だけが蚊帳の外。
 知らぬ間に事が進み、目の前の光景に「何故」と問いかけるばかり。
 いつもそうだ。マダラの時も。シスイの時も。
 そして、今だって。
 オビトもきっと同じなのだ。
 木ノ葉を襲撃すると言った彼に覚悟を問うた時点で見抜かれていたのだろう。マダラの計画を実現させることが唯一の救いの道だと信じている彼にとって、何の信念もなく世界に絶望してもいないなまえはただの荷物でしかない。
 マダラに言われたから同行させていただけ。道案内がなくとも困ることはなかっただろう。
 捨てられて当然なのだ。
 助けたいなどと、何を思い上がっていたのだろう。
 なまえは腰に差していた短刀を抜く。
 これまでも考えなかった訳ではない。全てを捨てて終わらせることができればどれほど楽だろうかと。
 だが、その刀には。

「……シスイ……」

 生き延びろ。
 やるべきことをやれ。
 シスイとの約束があった。
 どうすればいいのだろう。自分はどうするべきなのだろう。
 頭の中も、心の内側も、滅茶苦茶になっていた。



 そうして幾日かが過ぎた。なまえは時折顔を上げて視線の先を眺めていたが、そこから立ち上がることは一度もなかった。
 雨が止んでも森の中は変わらず薄暗かった。陽の光が届かないのだ。霧がかかって青白い世界に包まれると、苦しみ悩んでいることもあり幻を見てしまいそうだった。
 だが、一人で考えに耽るにはちょうどよかったのかもしれない。現実から切り離されたような静けさの中でなまえは自分自身と向き合った。
 食事をしなくても飢えない体。人の道理から外れた存在というダンゾウの言葉は確かに言い得ていたようだ。
 そのおかげもあってなまえは長い時間をかけて悩み続けた果てにようやく答えを出すことができた。
 オビトの行く末を、共に歩み見定める。
 己に使命があるなどと考えたことはない。マダラが望むことではないかもしれない。だが、それでもこれは、これだけは何としてもやらねばならないと胸に強く感じるのだ。
 自分の心に従って突き進む。なまえは昔からずっとそうして生きてきた。
 そして、その先で再び会うことができたなら。どのような結末を迎えたとしてもきっと後悔はない。
 胸に抱えていたシスイの短刀を額に押し当て、これから始めることへの誓いと、少しの謝罪を込める。
 ゆっくりと開かれたなまえの瞳には決意が宿っていた。
 木を支えにして立ち上がる。体を伸ばして大きく息を吸い、数秒かけて吐き出した。
 細胞のおかげか筋力の衰えもない。問題なく動けそうだ。
 まずはオビトの元へ戻る。そのためにやるべきことがある。
 一度は不必要だとして捨てられたのだ。仲間として認められるには「使える」と思わせなければならない。
 そして、他者を憐れむ心を見せないこと。誰も傷付けたくないなどという甘い考えを捨てること。それで初めて彼の隣に立つことが許されるだろう。
 難しい話ではない。任務の時を思い出せばいいのだ。
 短刀を差して歩き出す。もう迷いはなかった。

「あら……どこへ行くのかしら」

 出立を阻むように声がかけられる。なまえは平静を保ったまま立ち止まった。

「ここで朽ち果てるならその体頂こうと思っていたんだけど……残念ね」

 口調は女。しかし声は男とも女ともとれない。
 随分と前からなまえのことを見ていたかのような口ぶりであった。

「ねえ、一つ教えてちょうだい。何日も飲まず食わずでいたのに何故平気で動けるの?」

 背後から声が近付いてくる。なまえは二度目とも言えるこの人生で、またもや己の感知能力の低さを実感させられたのであった。

「その体、一体何が混じっているのかしらね……」

 なまえは目を伏せ静かに息を吐く。すでに刀を抜くことに躊躇いはない。何かを知っているらしいこの誰かを始末しようとして振り返る。
 ダンゾウには及ばないが、似たような臭いがするのだ。

「写輪眼……! そう、じゃああなたがうちはなまえね……」

 自身の名が出たことによりなまえは動きを止めた。
 蛇を思わせる面相をした、髪の長い恐らく男であろう彼は妖しく口角を上げる。

「あなたがいるということは、やはり彼は本物ということね」
「…………」
「大丈夫よ。私も訳あって木ノ葉の里を抜けたの。今は彼と同じ組織にいる……。だけどあなたは何故彼と一緒にいないのかしら」
「……彼、彼と言われてもわからない」
「トビと名乗っている奇妙な面をつけた彼のことよ」

 にやりと笑いながら肝心な部分は口にしない。曖昧な物言いでこちらの反応を試しているようだった。
 トビという名前が出たこと。そして同じ組織にいるという言葉。組織については知らなかったが、思い当たるものはある。
 何もかもが疑わしく感じられる男だがオビトを知っているのは本当のように感じた。
 なまえは短刀を鞘に収め、男の問いに答えるため口を開いた。

「少し喧嘩してたの。でも、そろそろ戻ろうかと思って」
「フフ……それにしては随分と長く離れていたようだけどね……。まあいいわ。そういうことにしておきましょう」

 この男はどこまで知っているのだろう。たとえ仲間であったとしてもオビトは自分のことを話さないような気がするのだ。

「彼の所へ行くなら案内してあげるわよ」

 男が腕を組む。足まである黒い外套が僅かに揺れる。ところどころに描かれた赤い浮雲は血の色を連想させた。
 怪しい誘い。オビトの仲間だと言いながら、ここにいるなまえを観察していただけの男。
 信用できるはずがなかった。

「いらない。準備することもあるから」
「そう、それは残念……。でもここで会ったこと彼には黙っておくわ。そのほうが面白そうだもの」

 男が笑みを深くする。なまえはそれを目に映したまま背後に雷撃を弾かせた。
 印を結ばない軽い雷遁。それでも一匹の小さな蛇を仕留めるには十分な威力であった。

「私の体を調べるほうが……面白そう?」

 刃は収めたものの写輪眼を維持していたなまえは話している最中に男がチャクラで何かを操っているのを捉えていたのだ。

「フフ……どうでしょうね……」

 しかし男は態度を崩さない。まるでこの状況さえも想定内であるかのように。
 なまえは今までのように他人の事情を汲み取り情けをかけるのはやめると決めた。だが、オビトの仲間だと言うなら話は変わってくる。
 ここでこの男と対立し、彼の所属するらしい組織を敵に回すことになっては少々面倒だ。
 なまえはそれ以上何も言わず、男に背を向けて歩き出す。
 男が追ってくることはなかった。



 それからなまえは各地を転々としながら忍としての仕事を探し、見つけては引き受けて確実に果たしていった。
 体はまだ子供であるため鼻先であしらわれることもあったが、うちは一族だとわかると面白がって任せる者もいた。
 簡単な依頼でも数をこなしていくと少しずつ信頼を得られるようになり、口づてに評判が広められ表沙汰にできない仕事を紹介される機会も増えていった。なまえは裏の世界に存在を広めていくかのようにその方面の依頼を請け負った。
 どんな噂が立てられてもいい。それがオビトの耳に届きさえすれば。
 今どこにいるのかもわからない彼の元へ戻るためになまえは己の手を汚し続けた。

 そうしていると、いつの日からか木ノ葉の里の暗部に追われるようになった。動物を模した面を付けた姿は里にいる時に見たことがあった。
 なまえが何の用かと問うと面を付けた三人のうちの一人がダンゾウの命令だと答えた。だが、そうやって素直に答えを口にする理由は一つしかない。
 一人のなまえに対して三人がかりという状況が彼らに油断と驕りを生じさせる。女で子供だからと甘く見ているらしいことは態度から伝わった。
 なまえは逃げるという選択はしなかった。戦闘に自信が持てるほど優れた能力がある訳ではない。それでも、なまえが負けることはなかった。
 生きてきた時代の違い。戦が常であり死を間近に感じながら育った世代と、里という安全な場所で生まれ大人達に守られて育った世代。
 やるかやられるかという場面で向かい合った時の真剣さや死に対する覚悟の強さが違うのは仕方のないことなのだ。
 それは子供達が大切に育てられている証でもあるのに、今のなまえは素直に喜ぶことができない。
 血が大地に滴っていく。奪った命の分だけ刀が重みを増すようだった。
 一人生かして幻術に嵌め、ダンゾウに関する情報を吐かせようとしたが口封じの術が施されているらしく聞き出すことはできなかった。
 幻術世界に閉じ込めたまま首を刺して命を絶つ。生きて里に帰しダンゾウにメッセージを返すという手も考えたが、戦い方を調べられて対策を取られるリスクがあった。
 何より、オビトがどこで見ているかわからないのだ。情けをかけてまた呆れられたらますます戻りにくくなってしまう。
 死体はそのままにして、なまえは森の中へと姿を消した。



 とある町で噂を耳にした。
 うちは一族が皆殺しにされたという話。
 それをうちはイタチという少年がやったという話。
 そして里を抜けた彼が暁と呼ばれる組織にいるという話。
 いずれも信じがたいものであった。しかし仕事を探して訪れた町の先々で誰もが同じような噂を口にしているのだ。
 真偽を確かめるため里へ行くべきかと悩んだ。以前のなまえなら迷う暇もなく駆け出していたはずだ。
 だが、体が動かなかった。里に近寄りたくないという気持ちが足を縫い留めていた。
 その噂が本当だったとして。
 多くの人々が暮らしていたうちはの居住区。
 空っぽになってしまったその場所を実際にこの目で見るだけの勇気がなかった。
 時代が移ろうとも変わらず愛していた一族。
 イタチは両親や弟さえも手に掛けたというのだろうか。
 自分が里を去った後、そうまでしなければならないほどに彼が追い詰められたということ。
 考えたくない。全てが嘘であってほしかった。
 なまえは里から遠ざかるように活動の拠点を他国へと移していった。



 そして、ようやくその時が訪れる。
 とある忍里にて、賞金首となっている忍を殺す仕事を受けた。
 殺してさえくれたらいいと言うのでなまえは完了後に報告だけ行うと、闇の換金所と呼ばれる場所へ死体を運んでそれを預けた。
 そうすることで賞金首のリストから外される。一応の処理はしておくのだ。金はそのついでに受け取るだけである。大金などなまえには必要がなかった。
 手続きが済んだ後、金の入ったケースを渡される。念のため中を開けて確認した。すると、別の誰かが換金所へと入ってきた。
 なまえはさっとケースを閉じた。こういう場所で他人と関わると大抵ろくなことにはならない。重たいそれを腕に抱えて踵を返そうとしたが、どさりと大きな音がしてついそちらを見てしまった。

「ガキも首を狩る時代か」

 背の高い大きな男がカウンターに死体を乱雑に置いた音だった。
 男の纏う外套に見覚えがあった。なまえは恐れをなさず視線を上へと向ける。
 男もこちらを見ていた。

「…………」

 しばしの沈黙。
 直後、なまえは一歩横に身を躱して短刀を振り上げた。黒い奇妙な物体がバラバラと音を立てて足元に落ちる。
 男が袖の先から触手のようなものを伸ばしてなまえの心臓を狙ったのだ。

「……やはりお前がそうか」

 男から戦う意思は感じられない。今の攻撃はなまえを確かめただけなのだろう。
 なまえはこれ以上面倒事になる前に退却しようとした。

「おい」

 男に呼び止められる。なまえは振り向かずに立ち止まった。

「うちのリーダーがお前を探している。その気なら雨隠れの里へ行け」

 男からは見えぬところで、なまえはほんの僅かな間瞼を閉じた。ケースを抱える腕に力を込めて、そのまま換金所を後にする。
 外はまだ明るい。なまえは眩しさに目を細めながらすぐにその場所から離れた。
 赤い浮雲が描かれた黒の外套。以前森の中で会った蛇顔の男も身に着けていた。あれが暁の衣装であることは後になって知った。
 蛇顔の男の話を信じるならばオビトも暁にいる。
 いつかどこかで繋がるように、自身の存在を隠さず目立つように裏社会で活動してきたなまえ。
 暁のリーダーがオビトであっても、そうでなかったとしても、ようやく彼らの目に留まったということだ。
 なまえの狙い通りであった。
 ただ一つ気になるのはイタチが暁にいるという噂。
 それが本当なら、そこで再び会うことになるのだろうか。


 なまえは木ノ葉隠れの里へ向かっていた。
 暁へ行けば里に戻りにくくなる。その前に済ませておきたい用事が二つほどあったのだ。
 一族の滅びをこの目で確かめること。そして、志村ダンゾウに追手を差し向ける理由を問い質すこと。
 しかしダンゾウはそう易々と姿を見せる男ではないだろう。こちらのほうはあまり期待していない。
 追手に関しては放っておいてもいいのだが、それが始まった時期とイタチが里を抜けたとされる時期が重なっており、なまえは妙な引っかかりを覚えていた。
 一族の殺害のことは噂でしか聞いていない。知ったところで何かが変わる訳でもないが、憶測しかできない状態のままでイタチと再会したくないという気持ちがあった。
 外套を身に纏い、うちはの家紋を隠す。顔だけを見てなまえがうちは一族だとわかる者は木ノ葉の里にダンゾウくらいしかいないだろう。頭は隠さずに里の入り口を目指す。
 その時だった。

「――なまえ」

 雑木林の向こうから微かに聞こえた。なまえは立ち止まり声のしたほうを振り返る。
 草木に混じって白い男が地面から生えている。なまえは周囲の気配を確認してそちらへと近寄った。

「ゼツ……」
「それだと黒いのと一緒になるだろ。ボクは白ゼツ」

 数年振りだというのに相変わらずの様子で喋る白ゼツ。
 どうやら黒ゼツは一緒ではないらしい。なまえは怪訝そうな顔を向ける。

「何してるの?」
「ボクはこの辺りの情報収集を任されてるのさ。偶然通りかかる君を見つけたから声をかけただけだよ」
「……私を見張ってた?」
「見張ってはいないよ。ボクらの中の誰かが見かけることはあったけど……君、足が速いからついて行こうとしても追いつけないんだよね」

 白ゼツは困ったように言う。土に潜って移動する彼らの存在にはなかなか気が付きにくい。今も呼び止められなければなまえはそのまま通り過ぎていただろう。

「里には行かないほうがいいと思うよ。うちは一族の事件は君も知ってるだろ」

 白ゼツの口から出たことにより真実であることを知らしめられるが、まだそうだとは決めつけなかった。
 なまえは己の目で確かめるためにわざわざここまで来たのだから。

「木ノ葉を裏で仕切ってるダンゾウって奴が、どうにもうちは一族を嫌ってるみたいだからね。見つかったら何をされるかわからないよ」
「ダンゾウが……?」

 その瞬間、断片的でしかなかった情報がダンゾウを中心にして繋がり始めた。だが、それも白ゼツから聞いた話だけで判断するべきではない。正直なところ、この人造体もどこまで信用できるかわからないのだ。
 しかし、できることならばと考えていたがこうなるとダンゾウに会うのは優先事項としたほうがよさそうだ。
 思案するなまえを余所にして白ゼツはさらに続ける。

「まあ……くれぐれも無茶はしないようにね。それと、早いところあいつの所に戻ってやりなよ。なまえを見なかったかって毎日うるさいんだ」

 なまえは眉根を寄せる。
 オビトが自分を探している。それに対して、何故、という疑問が一番に浮かんだ。

「あの事件の日に君を回収するつもりだったけど里にいなかっただろ。イタチに聞いても知らないって素っ気なくてさ……トビの奴が少しイラついてたのは面白かったよ」

 知り得なかった話が白ゼツの口から次々と告げられる。
 その中でも一つ、なまえが気になったのは。

「その日トビは里にいたってこと?」
「ああ……うん、詳しいことは本人に聞けばいいよ」

 そう言いながら白ゼツはスッと視線を逸らした。何か後ろめたいことがあるようだ。なまえは薄らとそう感じ取った。
 だが、まずは木ノ葉での目的を果たす。ここで得る情報は今後のことを考えるうえで絶対に欠かせないものなのだ。

「ゼツ、教えてくれるのは助かるけど……あまり簡単に話さないほうがいいよ」
「白ゼツって言ってるだろ。口が軽いの、自分でもわかってるのになかなか直らなくてさ……困ったものだよね」

 まるで他人事かのように笑う白ゼツ。そしてそろそろ仕事に戻ると言い、ニヤニヤした顔のままゆっくりと土の中へ消えていった。
 なまえは小さく溜め息をつく。あの調子では自分とここで会ったこともすぐに言ってしまうだろう。
 けれどもこの予期せぬ再会はなまえにとって幸いであった。ゼツの存在を今まですっかり失念してしまっていたのである。
 白ではなく黒いほうのゼツ。彼についての情報も同時に集めていかなければならない。
 まずは一族の真相を知るために、なまえは里へと向けて歩き出した。