74


 あうんの門を通り、木ノ葉隠れの里へ入る。踏み締める土の感触に懐かしさを覚えた。
 優しい風が頬を撫で髪を揺らす。まるで「おかえり」と迎えてくれているかのようだった。
 これが最後になるかもしれない。なまえは辺り一面を見渡してこの時代の里の景色を目に焼き付けた。
 しばらくそうして立ち止まり、満足すると一族の集落へと向けて歩き出した。

「ちょっとそこの方!」

 左から大きな声がした。周囲には他に人がおらず、自分を呼んでいるのだとわかったなまえはそちらを振り向いた。
 テントの下に並べた長机から男が身を乗り出していた。その隣に控えているもう一人と同様、木ノ葉の額当てとベストを着用している。
 こちらへ来いと手招きをされ、なまえは首を傾げてテントに近寄った。

「困りますよ。里に入るなら手続きしていただかないと」

 入里の管理を行っているのだ。それは昔も同じだったと思い出す。

「すみません。家に帰るところなのですが……」
「おや、そうでしたか。ちなみにあなたのお名前は?」

 男は慣れたように尋ねた。何年も仕事に携わっていれば顔も覚え、里の住民かそうでないかの判別はつくようになる。なまえの顔は微かにでも記憶に残っていなかったため呼び止めたのだ。
 里にいてもほとんど他人と関わらなかったなまえを知らないのも仕方のないことだが、それ故にこの直後の驚きもより一層大きなものとなった。

「うちはなまえです」

 なまえは平然として答える。別人を装うことなど端から考えていなかった。

「うちはなまえ……。おい、名簿あるか?」

 なまえに声をかけた男が目配せをする。それを受け、もう一人の男は長机の下に置いてある箱を漁った。

「そういえば本部の奴に貸したままだったな……。悪い、急いで取ってくるよ」

 そう言って男は地面を軽く蹴って火影邸のほうへ走っていった。すみませんと謝罪され、脇のベンチで待つように言われたなまえは大人しくそこに座って空を見上げた。
 なまえはこの里で生まれた訳ではない。アカデミーにも通っていないため住民名簿などを探しても名前は載っていないはずだ。
 走っていった男は誰かに報告をしに行ったのだろうか。入場できないと言われたらどうしようかとなまえは少し不安になる。

「……なまえさん、旅にでも行かれていたんですか?」

 男が話しかけてくる。間を持たせようとしているのだろうか。なまえを怪しんで少しでも情報を得ようとしているのかもしれない。
 そうだったとしてもなまえが気にすることではなかった。

「いえ……いろいろあって里を離れたんです。身寄りもなくて、面倒を見てくれていた人も亡くなってしまって」

 そう話しながら、ふとシスイの死について考えた。
 彼はイタチに背を押され崖から落ちて死んだ。しかし、その直前に負っていた傷。
 イタチが刃を向けることはないだろう。クーデターの阻止へと動いた前後に何かがあったのだ。逃れられないと悟った彼はイタチに思いを託すためあのような最期を選んだ。
 一族の人間か、あるいは他の何者かがシスイを死に追いやった。その真相はすでに闇に葬られ、今となっては確かめることもできないかもしれない。

「そうでしたか。ですが現在うちは一族の居住区には……」

 言いかけたところにもう一人の男が戻ってきた。書物を広げながらひそひそとやり取りをして、再びなまえを呼ぶ。

 「なまえさん、確認ができました。申し訳ないのですが、うちは一族の居住区は区画整理が行われているため立ち入ることができません。後ほど詳しい者が参りますので彼から話を聞いていただけますか」

 男は顔色を変えずに言った。しかし、瞳が僅かに揺らいでいる。なまえはその小さな嘘に気付かぬふりをしてわかったと頷いた。
 監視をつけるということだろう。里への入場を許してくれるならそれでも構わなかった。ここで待たなくてもいいと言うのでなまえは居住区を目指して歩き出した。

 初めはちらほらとあった人の姿もだんだんとなくなってくる。敷地を囲む塀が見えてくると、やがて、集落を出入りする際に必ず通る門へと辿り着いた。
 厳重に封鎖されていてそこから中に入ることはできない。なまえは門の柱に手を触れながら写輪眼で見える範囲の様子を探った。
 誰もいない。生活の音も、微かな匂いさえもしない。本当に皆いなくなってしまったのだ。
 それがわかれば十分だ。それ以上のことは考えなかった。次の目的地へ行くために写輪眼を閉じて踵を返す。

「悪いね。中に入れてやれなくて」

 不意に声がして足を止めた。いつの間にやら、銀髪の男が塀に背中を預けてこちらを見ていた。
 左目を隠すように斜めに巻いた額当て。顔の下半分を覆うマスク。唯一見える右目でにこにこと笑みを浮かべているのがわかる。
 先程言っていた「詳しい者」なのだろう。一見穏やかそうに思えるが隙は一切感じられない。

「君がうちはなまえだね。オレははたけカカシ。君を案内するよう言われて来た」
「……カカシ……」

 なまえはその名前に覚えがあった。
 地下空間にいた頃、オビトが「カカシ」「バカカシ」と何度か口にしていたのはこの男のことではないだろうか。年も同じくらいだ。左目を隠しているのもそれが理由だとすれば納得がいく。

「事情は受付の奴らから聞いたよ。里は何年ぶり? 誰かに会いに来たの?」
「いえ……事件のことは知っています。今日はそれを確かめるために来ました」

 皆、事件のことを伏せて話をしている。なまえが知っているかどうかわからないからだ。
 なまえがそう言うとカカシの顔から笑みが消えた。なまえはそんな彼をじっと見上げる。

「カカシさんは写輪眼を持っているんですよね」
「……ああ。こっちの目がそうだよ。大事な仲間が遺してくれたんだ。うちはオビトっていうんだけど……君は知らないだろうね」

 カカシは、初対面の女に何故そんなことを話したのかわからなかった。なまえが本当にうちは一族なのかもわからないのに、不思議と口が勝手に動いていたのだ。
 こちらを見上げるなまえの目、話し方や雰囲気。何か普通ではないものを感じているのは確かであった。

「……知っています」

 なまえは囁くような声で言った。カカシの心臓がどくりと波打つ。

「あの、一族のための墓は立てられていないでしょうか?」

 静寂の後、なまえは何事もなかったかのように問う。カカシは戸惑いを覚えながらも決して表には出さず、なまえに頷きを返した。

「墓地に全員の名を彫った石碑が立てられてる。案内するよ」

 そう言ってカカシは歩き出す。なまえは少し後ろから彼に続いた。
 カカシの本当の目的は、案内役を装い、里を去るまでの間になまえ本人の情報を少しでも多く得ること。
 うちはを名乗る女が里に入ろうとしているとの報告を受けて三代目火影が指示したのである。
 かつての友の話に時間を割いて他の情報を手に入れる機会を失う訳にはいかなかった。

 道中はなまえが里にいた頃の話や里を出た後の話をした。カカシは何気ない様子で聞いていたが頭の中で一言一句しっかりと記憶していた。
 あまり踏み込んでくることはなく、当たり障りのない質問になまえは正直に答えた。自身について知られたところで何か問題が起こるとは思えなかったからだ。
 途中で花屋に寄って花を買った。一族の墓は一般の墓地とは別の所に立てられていた。
 草地の広がる道の先。木々に囲まれたしめやかな空間に、その石碑はただ一つひっそりと佇んでいた。
 それが見えた瞬間、なまえの雰囲気が変わったのをカカシは感じた。柔らかくぼんやりとしたものから、息遣いさえ感じられないような静かなものへと変わったのだ。
 それを肌に感じただけでカカシはなまえが本当にうちはの血を引いた人間なのだと悟った。
 そうでなければ、墓を目にしただけでこれほどの空気を纏うことはできない。

「カカシさん、ここまでで大丈夫です。案内してくれてありがとうございました」

 なまえはカカシの顔を見ず、前に視線を向けたまま言った。
 花を落とさぬよう、潰さぬよう両手で優しく抱き、ゆっくりと墓碑まで歩いていくなまえ。カカシは去らずにその様子を見守っていた。
 近付くにつれて彫られた文字が見えてくる。触れられる距離まで迫った時、なまえは突然足の力を失ったように地面にへたり込んだ。
 刻まれた一人一人の名前。指先でなぞっても視界が滲んできて読むことができない。
 自分の生まれた一族。何よりも大事に思い、守ろうとしていたもの。
 愛していたものたち。
 なるべくしてなったというシスイの言葉が正しいなら。
 このような終わりを迎えてしまうほどに、自分達は間違った道を歩んできたということなのだろうか。
 なまえは目元を拭い、花を供えた。手を合わせ、せめて向こうでは穏やかに過ごせるようにと切実に願う。
 そうして、なまえは一人立ち上がった。
 やるべきことを終えたその後。自分は皆と同じ場所で眠ることも、同じ場所へ行くことも許されないだろう。
 それでもこの家紋を外すつもりはない。たとえ皆に恨まれ続けようとも、うちはなまえとして自分が信じたことを最後までやり遂げる。
 なまえは胸に手を当て、一族の前で決意を新たにした。
 後ろを振り向くとカカシはまだ同じ場所に立っていた。帰るまでついてくるつもりのようだ。
 しかしなまえにはもう一つ用事があった。ダンゾウと話をしなければならないのだ。
 彼に会うためにはどうすればいいだろう。カカシに聞けばわかるだろうか。考えながら足を踏み出した時、タイミングを計ったかのように忍が二人、右と左に現れた。
 動物を模したお面。暗部の忍だ。ダンゾウの部下だとなまえはすぐに気が付いた。

「うちはなまえだな」

 右の男が面の下から言い放つ。里の外で彼らに遭遇した時も毎回そうやって確認されていた。もしやここで仕掛けてくるつもりかとなまえは少しばかり警戒する。

「暗部が一体何の用?」

 ポケットに手を入れたカカシが気怠げに寄ってくる。だが、暗部の二人は彼に振り向こうともしない。

「ダンゾウ様がお呼びだ。我らと共に来い」

 なまえが里を訪れたことなど当然のように知っているらしい。探す手間が省けたこと、そしてこの場所を荒らしてしまう恐れがなくなったことになまえは安堵した。
 間に入って庇おうとするカカシをやんわりと制止する。なまえがダンゾウと会う意思があることを伝えるとカカシは訝しげな視線を寄越した。やはりダンゾウは木ノ葉で特殊な立ち位置にあるようだ。
 なまえはここまで案内してくれたカカシに再度礼を言う。
 彼と会えたのは思わぬ幸運だった。
 オビトの友。片目を託した親友。どのような人物なのかはある程度わかった。
 彼ならば写輪眼を悪用することはないだろう。
 そう安心したのも束の間、この後なまえはその対となるような鬼畜の所業を目の当たりにするのである。


 暗部の二人に先導されて火影岩のある崖の袂へと辿り着いた。この辺りは日が届きにくく昼間でも薄暗かった。そんな場所にその大きな屋敷は存在していた。
 ここがダンゾウの根城らしい。
 中へ入っていく二人に続く。先程から後ろを全く振り向かないが意識だけはしっかりと向けられているのを感じる。
 ここまで大人しくついてきたが、罠である可能性も十分に考えられる。話があるように見せかけてこの屋敷の中で始末するつもりなのかもしれない。
 実力差があるとはいえ多人数で襲い掛かられたらひとたまりもないだろう。何が起きても対応できるよう警戒だけはしておくべきだ。
 なまえは屋敷の構造を記憶しながら歩いた。明かりの数が少なく先が見えにくい。窓もないため空気が淀んでいて、まるで地下空間にいるかのようだった。
 ほとんど真っ直ぐ進んだ先にダンゾウの居室はあった。なまえを連れてきた二人が跪き襖の向こうへ呼びかける。
 少しの間を置いて出てきた彼は数年前と変わらぬ姿でなまえの前に立った。ただ一つ違っているのは杖を持っていないということだけだ。

「お前達は外せ。誰も通すな」

 ダンゾウがそう言うと二人は返事をして瞬時に姿を消した。
 燭台のろうそくの火が微かに揺れる。今ここでやり合うつもりはないのかもしれない。

「生きておいでとは。うちはなまえ……」

 耳に纏わりつくようなこの声音。あまり聞き続けたくはないものだ。
 追手を差し向けた張本人が言うべきことかと思いつつも、なまえは口を閉ざしていた。

「何故木ノ葉へ戻ってきた?」
「一族の滅びをこの目で確かめるため。それから……あなたと話ができればいいと思って」

 なまえが間髪入れずに答えるとダンゾウは「なるほど」と呟いた。そしてもったいぶるようにゆっくりと息を吐き、感情のない目をなまえに向ける。

「その件についてワシも聞きたいことがある。……前提としてうちはイタチがやったというのは知っているな」
「…………」

 なまえは答えない。確証を持っている訳ではないからだ。

「イタチは宿命を背負い、里のため一族を皆殺しにした。だが、奴がどれほど優秀な忍であったとしても、あまりに短すぎるのだ」
「……何が短いの?」
「時間……。全員を殺すのにかかった時間だ」

 想像もしたくない光景がなまえの頭に描き出される。すぐさま打ち消して話の続きを待った。

「協力者がいたのだろう。精鋭揃いのうちはを容易にやれる、イタチと同等かそれ以上の実力を持った何者かが……」

 心当たりはないか。ダンゾウのその言葉で、なまえは白ゼツから聞いた話を思い出した。
 ――事件の日に君を回収するつもりだったけど……。

「まさか……」

 思わず口を衝く。オビトはその日里にいた。それは確かなのだろう。そしてどういう訳かイタチに手を貸し一族を抹殺した。
 自分だけは巻き込まないよう回収するつもりだった。
 理由は全くわからないが話として不自然なところはないように思える。

「他にいないだろう。しかし何故イタチに手を貸したのかがわからぬ。殺されたうちはの者達のためにも真相を明らかにしなければと、そう思っていたのだが……その様子では何も知らぬようだな」

 ダンゾウは呆れや期待外れといった感情を含ませるように深く息を吐き出した。
 殺されたうちはの人々のため。ダンゾウはうちはを嫌っていると白ゼツが話していた。
 どちらが本当なのだろうか。対峙した時から探り続けているが、彼の本心はどうにも読み取りにくい。

「この数年間何をしていた? イタチとも会っておらぬのか」
「ずっと一人でいた……あなたの部下に追われながら」
「出来損ない共を処理していただいて感謝する。尤も、貴女が木ノ葉の忍を殺せるというのは少々意外だったが……。大切なのは己の一族だけであったか?」

 相手を揺さぶり、心理的優位に立ちながら事を運ぶ。それがダンゾウという男のようである。
 なまえは嫌悪感を抱きながらも目的を果たすため口を開く。

「ダンゾウ、私もあなたに聞きたいことがあるの。私の居場所を追えるくらいだからイタチがいるという暁についても知ってるんでしょう」
「さて……」
「暁にいるゼツという男。彼に関する情報があれば教えてほしい」

 命を狙ってきた相手とはいえ、有用な情報が得られるならばそれを逃す手はない。なまえは真っ直ぐな目をダンゾウに向ける。

「先に理由を聞かせてもらおう」
「ゼツは白と黒で一つになっているけど元は別々の生命体。私が知りたいのは黒いほう……黒ゼツに関する情報」

 ダンゾウは黙したままなまえの話を聞いている。

「黒ゼツは私が生きていた時代から存在してる。衰弱した私の息の根を止めようとして一度だけ姿を見せた」

 瞼を閉ざすとあの時の光景が浮かんでくる。自分の首に手を掛ける黒い影。朦朧とする意識の中でなまえは確かにそれを見た。
 離れている今もなお、得体の知れぬ存在におぞましさを感じてならない。

「この時代で黒ゼツは仲間として私達の前に現れた。そして今は暁に……。何が目的なのかわからない。でも、すごく嫌な感じがするの」
「里に害をなす存在となり得ると?」
「根拠はないけど……私はそう見てる」

 なまえが思考を巡らせながら話しているのはダンゾウにもわかった。それは何かを偽ろうとしているからではない。詳細のわからぬものについて他人に説明しようとしているからだ。
 ダンゾウは閉じていた瞼を薄く開いてなまえを見下ろした。

「事情はわかった。だがワシから見れば貴女もその黒ゼツとやらと変わらぬ。それをどのようにして信用し手を貸せと言うのか」

 ダンゾウは一筋縄ではいかなかった。
 なまえの正体を知っているというだけで過去に何か関係があったり恩があったりする訳ではない。この用心深い根の主が、情報を寄越せと言われてただで応じるはずがなかった。
 なまえはダンゾウを見つめたまま数度瞬きを繰り返す。そして足元に視線を落とし、顎に手を添えて考える素振りをした。

「この時代の人からすれば、私も得体の知れない存在……」

 確かにそうだ。なまえは独り言のように呟き、再びダンゾウを見上げる。

「ごめんなさい。私、何か勘違いをしていたみたい……。今の話、なかったことにしてくれる?」

 この場所へ来てなまえは初めて表情を変えた。
 忌々しげな表情。話に応じないダンゾウに対してではなく、考えの至らなかった自分自身に対してである。
 自分のことを知っている彼ならば協力してくれる。当然のようにそう思い込んでしまっていたのだ。
 ダンゾウはそんななまえにじっと目を向けた。突然の様子の変化を訝しむように。
 情を揺さぶろうとしているのか。はたまた本気で己の愚かさを嘆いているのか。
 これまで幾度も駆け引きを行ってきたダンゾウの目にも、なまえが計算でそれを言っているようには見えなかった。
 偽ることはしない人間なのだと直感的に悟る。信じ難いことに、世の中にはそういった者が少なからず存在するのだ。
 ダンゾウは面白くなかった。あのうちはマダラの妻であるなまえとなら、そこらの有象無象とは異なる駆け引きを楽しめると思っていたからだ。
 期待外れだ。二代目火影がこの程度の人間を起用していたというのにも疑問を感じてしまう。
 当初の予定通りここで始末させようか。里でなまえを知っているのは対応に当たった数人程度。存在が消えようとも問題になることはない。
 今後の計画のためにも、それ以上の選択はないように思えた。

「……黒ゼツとやらについて、何かわかれば教えることもあろう」

 思案する合間に適当な言葉を挟む。そこでとある考えがダンゾウの頭に浮かんだ。
 忌まわしきうちは一族。里創設から人々を脅かし続けた危険分子。イタチを利用することでようやく排除することができたのだ。まだ残っている数名も徐々に消していくつもりだった。
 目の前には、その一族を大事に思っていたらしい女。
 もう少し楽しめるかもしれない。

「うちはの件で一つ言い忘れていた」

 ダンゾウは笑みを押し殺しながら口を開く。

「イタチと何者かが一族を抹殺した後、死体の処理は我々根が受け持った」

 右肩から着流しをそっと下ろす。そして、その下に着ている長襦袢の袖を捲ると、包帯を巻き頑丈な枷の付けられた右腕が露わになった。
 なまえは眉を寄せ、禍々しさを醸し出すその腕に視線を向ける。

「その際、写輪眼をいくつか頂きこの腕に移植した。そのまま遺棄するには惜しい代物だ……。里のため使われるのであれば皆も本望であろう」

 指先で枷を撫でるダンゾウ。その目からは一切の情が感じられない。

「……本当なの?」
「今ここで見せることはできないが……」
「本当に里のために使うから、皆の眼を抉り出して腕に埋め込んだの?」

 真意を測ろうとする容赦のない問いかけ。ダンゾウが想定していた反応とは些か異なっていた。
 なかなか思い通りにならないなまえに苛立ちを覚え始める。

「二代目火影も評価したその眼で……貴女はどう見る?」

 なまえは口を閉ざし、険しい表情でダンゾウを見定めようとする。
 死者への冒涜。許しがたい所業。たとえ里のためであったとしても非人道的な行いであることは誰の目にも明らかだ。
 あれほど厳重な封印を施しているのは感知されるのを防ぐためでもあるのだろう。隠すべきものだと本人が自覚しており、うちはであるなまえになど特に明かす必要はない。
 なまえは此度の会話を通して志村ダンゾウという男がどのような人間なのか理解しつつあった。
 ただの挑発のためにこの話をしているのだ。

「眼と言えばこれもそうだ」

 ダンゾウは顔の右半分を覆う包帯に手を掛ける。そして一部分だけを捲り上げ、そこに隠れていた右目をなまえに向けた。

「うちはシスイという男の眼だ」

 真紅の色に黒の三つ巴。紛うことなき写輪眼。
 持ち主が変わろうとも眼球そのものは変化しない。こちらを見る瞳に懐かしさを覚え、なまえはその途端に全身が総毛立った。

「何で……シスイの眼を……」

 なまえは今度こそ狼狽を隠せなかった。両手を強く握り締め、ドクドクと激しく打ち鳴らす心臓を落ち着かせようとする。
 今にも目の前の男に飛び掛かってしまいそうだった。

「ダンゾウ……私達に恨みでもあるの?」

 腹の底から沸き立つ感情を抑え込みながらなまえが問う。苦悶に満ちたその表情に、ダンゾウはどこか楽しげに口元を歪めた。

「全ては里のため。そう申したはず」

 嘘ではない。木ノ葉のため、忍の世のためうちは一族を滅ぼす。ダンゾウが何としても成し遂げたかったこと。それはなまえを含む生き残りを消し去るまで終わることはない。
 だが、そこまでなまえに話すつもりはなかった。
 ダンゾウは包帯を戻し、着流しを肩に掛けた。なまえの反応は少々物足りないものであったが、今後の行動には期待していいだろう。
 うちはの血の者を一人でも多く釣り出せたらこちらのものである。

「案ずるな。黒ゼツについても調べさせておく。貴女の直感をワシも信じよう」

 餌をちらつかせて念を押しておく。なまえが再びここを訪れるように仕向けるのだ。
 話が終わったことを察したなまえは何か言いたげな顔をしていたが、やがて目を伏せて短く息を吐き、立ち去る意思を見せた。
 去りゆく後ろ姿に、口元が弧を描く。
 なまえは必ずここに戻ってくる。ダンゾウはそう確信していた。


 屋敷を後にしたなまえは里の裏の門を通って外に出た。
 これから雨隠れの里へ向かう。暁のリーダーに会いにいくのだ。
 考える間もなく木の上へ跳ぶ。後をつけられないよう速度を上げ、あえて険しい道を進んでいく。
 雑念を振り払うように力強く枝を踏み込んだ。加速のために足に流している雷のチャクラが溢れ出し、バチリと弾けてその一か所にだけ足跡を残した。
 怒りや悲しみ、苦しさや悔しさ。ダンゾウの前で堪えた感情が体中を駆け巡っているようだった。
 向こうへ着く頃には忘れなくてはならない。心の弱さは見せないと決めたのだ。オビトにも、その仲間にも悟られぬよう隠さなければいけない。
 そう思っているのに。
 シスイの死の真相。ダンゾウという闇に捕らえられてしまった幾人かの魂。
 本当は今すぐにでも戻って思いを晴らしたかった。
 一族の無念も、大事なものを失った喪失感も。
 なまえにとっては決して簡単に忘れられるものではない。
 だが、考えるほどに思いは溢れてくる。思いが強くなればなるほど断ち切れなくなる。
 それがわかっているからこそなまえは立ち止まらなかった。
 一歩、足をつけると同時に感情を落としていく。忘れたくないものは、心の奥深くに閉じ込めて蓋をする。
 それを繰り返していると、やがて雨隠れの里が見えてきた。
 しとしとと降る雨の中を進んでいく。
 さようなら。と、心の内で大切なものに別れを告げた。