それを見た時、マダラは心臓が止まる思いがした。帰宅して襖の開いていた寝室を見ると、なまえが思い詰めたような顔をして剝き出しの刃を見つめていたのである。
考えるよりも先に体が動いていた。素早く近寄りその手を掴む。なまえはびくりと体を跳ねさせた。丸く見開かれた目は驚きの色に染まっている。
「お……おかえりなさい、マダラさん……」
とりあえず紡がれたであろうその言葉にマダラは溜め息をつく。ひとまずなまえの手から短刀を取り上げて座った。なまえはばつの悪そうな、というよりは、どうしたのだろう、という顔で見ている。マダラは少しだけ嫌な予感がした。
「……なまえ、何をしていた?」
念のため問う。自分の早とちりだった可能性に薄らと気付きながら。
「えっと……刃こぼれしてきたなと思って……」
刃先を確かめていただけ。なまえは顎を引き、これ以上どう説明すれば、という様子で口を閉ざす。マダラは目を伏せ、静かに息を吸って己を落ち着かせた。
別に、その答えを聞いて苛立ったのではない。なまえが思い悩んでいたのではないとわかって安堵したのである。
短刀を持ち上げ、刃に明かりを当てた。確かに小さなこぼれがいくつか見られる。マダラはしばし眺めた後、体を縮めているなまえを見て口を開いた。
「この程度なら研いで直せる。……やってみるか?」
意味もなく怯えさせてしまったのを詫びるつもりで言えば、なまえはぱっと表情を明るくして頷いた。
勘違いした自分がいけないのであって、なまえが悪いのではない。マダラは決してなまえを責めることはしなかった。
マダラは蔵から出してきた道具を畳の上に広げた。里作りを始めてからはほとんど使わなくなっていたものだから、少しばかり懐かしい気分になる。
装具を外した刀身を砥石で研ぎ始める。その様子を食い入るようになまえが見つめるので、マダラは途中で交代してやり方を教えた。教えずにいたほうがなまえに頼られる機会が増えたかもしれないが、そもそもなまえは他人の世話になるのを申し訳ないと思う女だ。自分のことは自分でやろうとするため、黙っていてもなまえのほうから教えてくれと言い出しただろう。その意思は尊重すべきものであり、己の欲を満たすために蔑ろにしていいものではない。
それに、と隣へ目を向ける。慣れないことでもやってみようとする姿はかわいげがあっていい。横で見守りながらマダラはそんなことを思っていた。
なまえはいつでも一生懸命なのだ。
「外では交戦することが多いのか?」
「いえ、戦いは極力避けるように言われてるので滅多にありません」
なまえは一度手を止めて答えた。
里の外での任務は基本的に二人以上で組んで行かせるようにしている。なまえのように単独での行動を許されるのはそれだけの技量があると認められた場合のみだ。だが、もしもなまえが外で命を落とせばうちは一族だけが有する写輪眼が他国の手に渡ることになる。それを防ぐためにも戦いを避けるよう指示するのは当然だろう。
マダラも扉間がそこまで頭の回らぬ男だとは思っていない。案じているのはそんなことではなくなまえの身である。無茶をしていないだろうか。危険な目に遭っていないだろうか。胸にあるのは、ひとえに心配する思いだけである。
「……なら何故刃が欠ける?」
「その……鉤のように使ったりして……」
「クナイを使え」
すかさず言うと、なまえもわかっているのか苦い顔をした。恐らく、咄嗟の時には腰のそれに手を伸ばすのが癖になっているのだろう。悪いことだとは思わないが、改めるかどうかは本人が決めることである。
マダラは研ぎかけの刀身を手に取り仕上げの作業をする。これは次の時にでも教えてやろう。刃物の扱いに関して素人ではないとわかっていても、万が一なまえが手を滑らせて怪我でもしたらと思うと気が気でないのであった。
装具を付け直してなまえに渡す。なまえは輝きを取り戻した刃を見つめて感嘆の声を漏らした。
「また刃こぼれした時は借りてもいいですか?」
「ああ。だが、欠けが酷いようなら新しいものに替えたほうがいい」
これは応急処置のようなものであり、研ぎ続ければ永久に使えるという訳ではないのだ。そう説明するとなまえは「わかりました」と頷いた。そして嬉しそうに鞘に収め、タンスへと仕舞いに行った。
少しの手入れをしただけではあるが、その刀がなまえの身を守ってくれるのだと思うといくらか安心できた。
自分が用意したものでなまえの身を固めさせればこの過剰なほどの心配も多少は落ち着くのだろうか。一瞬、マダラの頭にそんな考えがよぎったが、かえって失敗を招く予感しかしなかったため、ひっそりと諦めた。