耐える


 なまえはマダラの前に座らせられていた。マダラは胡坐をかき、脇にある机に頬杖をついたままなまえのほうを向いている。
 いったい何なのだろう。なまえは顎を引くようにしてマダラを見た。
 マダラは無言で手を出した。何かを差し出せとでも言うかのように。けれどもなまえは何も持っていない。迷った果てに左手をそこへ乗せた。すると、マダラの手に優しく握り込まれた。どうやら正解だったらしい。マダラは数度、感触を確かめるように握った後、親指の腹でなまえの手の甲や指を撫ではじめる。
 なまえは困惑するとともに鼓動が速まるのを感じていた。撫でられている左手とマダラを交互に見つめつつ、何故こんな状況になったのかを考える。しかし、考えてもわからなかった。
 なまえは任務を終えて帰ってきただけだ。マダラには遅くなることを伝えていたから先に休んでいるだろうと思っていたのに、起きて居間にいた。ひとまず声をかけて風呂に入る支度をしていると、ふいに呼ばれてここに座るよう言われたのだ。記憶を辿っても心当たりはなく、もしかするとただの気まぐれかもしれないと思いはじめた。
 そう考えている間にも、指の一本一本を確かめるようになぞられる。あまりにも優しい触れ方にくすぐったさを覚え、なまえの指先がわずかに強張る。すると、マダラが微かに笑った。なまえは顔が熱くなるのを感じながらマダラを見た。

「あの……」

 恐る恐る声をかける。マダラはなまえに視線を向けた。そして頬杖をやめると、握っていたなまえの手を引いて自身の肩にかけさせた。自然と前かがみになったなまえの顔を両手で包む。
 次は頬を撫ではじめた。すりすりと往復したり、ふにふにと優しく揉んだりする。なまえは、じっくりと堪能するかのようなその行為に羞恥心が込み上げるが、どうすることもできずにいた。
 垂れている髪をかけられ、あらわになった耳元へとマダラの指が滑る。触れられた場所から熱を帯びていくようで、それも伝わっているのかと思うと恥ずかしくて仕方がない。
 何度も何度も、愛おしむように撫でられる。赤く染まっているであろう顔を間近から見られるのに耐えられず、なまえは目を閉じた。任務の後で顔も汚れているかもしれない。ドキドキとうるさい心臓の音も聞こえてしまうかもしれなかった。

「閉じるな」

 ようやくマダラが喋った。なまえは瞼を震わせて、そろりと開く。少し見上げたところで視線が重なった。その瞬間、なまえは目をそらせなくなってしまう。

「…………」

 息をするのも忘れるほどに見入ってしまったのは、愛おしげに細められた目が真っ直ぐになまえだけを見つめていたからだ。
 言葉がなくてもなまえには十分に伝わる。どうしてこの人はこんなにも自分を愛してくれるのだろう。目元を撫でる指先は、まるでなまえの熱が移ったかのように温かかった。
 その指がぴたりと止まる。マダラが顔を近付けてきた時、なまえはわずかに目を見開き、勢いよく体を離した。
 マダラが無言で見てくる。

「お風呂が冷める前に入ってきます……!」

 なまえは立ち上がり、そんなことを言いながら居間を出た。
 廊下を駆けて脱衣所へと逃げ込む。戸を閉めると、なまえは胸を押さえてほっと息をついた。
 咄嗟に逃げたのは、迫られるのを拒絶するためではない。あの距離まで近付いた時に初めてマダラから酒のにおいがすることに気が付いたのだ。本能的に何かがまずい予感がして、勢いのまま逃げ出してきたのである。
 少しばかり落ち着いたところで再び安堵の溜め息をこぼす。冷めぬうちに入ってしまおう、と服を脱ぎはじめたなまえはまだ知らずにいた。
 たとえ酒に酔っていようとも、マダラから逃れられるはずがないことを。