12


 年の瀬が迫り、世間も慌ただしくなる寒空の下。例に漏れず少々忙しない足取りで歩みを進めていたなまえは、とある一室に辿り着くとその開き戸を叩いた。中から入室を促す声がして取っ手を引けば、温もった空気が廊下へと吐き出される。なまえは断りを入れて部屋に踏み込んだが、残念な事に目的の人物の姿は見当たらなかった。

「なまえ。何かあったか?」
「あの、マダラさんは?」

 尋ねると、柱間は「ああ」と資料を捲る手を止めた。壁に掛けた時計に目をやって、ゆるりと腰を上げる。

「マダラなら少し前に帰ったぞ」
「そうですか……」
「急ぎの用事か?」
「いえ、大した事ではないです」

 手を振り何でもないように言ったなまえに、丁度休憩を挟もうと考えていた柱間は少し暖まっていくよう提案する。ストーブの前に椅子を出され、なまえは遠慮したが、その声に含みがあるのを感じ取って従った。
 柱間もストーブを挟んだ向かいに座り、揺らめく火をぼんやりと見下ろす。

「外は寒かっただろう」
「ずっと動いてますから、そうでもないですよ」

 首を横に振るなまえに、柱間は「お前は変わらないな」と微笑みを浮かべた。
 なまえが仕事を受けるようになり柱間と知り合って二年も経たないが、彼女の平然とした態度は当初から変わらない。ここへは遊びに来ている訳ではないのだから当然と言えば当然である。
 睫毛を伏せるなまえを見つめて、仕事のない時、例えばマダラと二人でいる時でさえもその調子なのだろうかと柱間は思った。

「……あいつは時折優しい目を見せるようになった」

 マダラの事かと察しを付けたなまえは、先日同じような話をされたのを思い出す。彼をよく知る柱間までそう語るということは恐らく真実なのだろう。

「あの顔は、オレには見せた事がなかった。ガキの頃でさえも……」

 否、引き出せなかったと言うべきか。きっとあれは、家族や兄弟にしか向けられないものなのだ。あの頃二人で掲げた悲願が実現した今、気安い関係にも戻れたように感じていたが、やはりどこか隔たりを置かれているのだと改めて認識する。
 つまり目論見通り、と言うと聞こえは良くないが、なまえはマダラに受け入れられ、懐に入るのを許されたのだとわかる。そしてこの先更に彼の本来持つ穏やかさを引き出し、深く愛される事になれば、苦労してくっ付けた甲斐もあるというものだ。

「なまえ、あの日のあいつの言葉を覚えてるか?」
「どの言葉ですか?」
「お前を知らぬ訳ではないと言っていた」

 視線を向けてきた柱間になまえは頷いて肯定する。あの日の事は欠片も忘れるはずがない。中でもそれは、心を動かされた印象的な一言であった。

「自分の口からは話さんだろうがな、知っておいたほうがいいんじゃないかとオレは思う」

 聞いてみるか、と問う柱間の口元は綻んでいて、なまえはしばし逡巡したが、再び頷いて見せた。この男も馬鹿ではない。人伝いに聞かせていい事とそうでない事の判断くらいは付くだろう。
 柱間は一層笑みを深くした後ゆっくりと口を開いた。

「そうだな。まずは……以前お前を三人一組で任務に当たらせていただろう」
「はい」
「あれを止めさせるよう手を回したのはマダラだ」

 なまえは僅かに目を丸くした。背筋に緊張が走り、膝に置いた手を無意識に握り締める。

「あの頃は任務に出る度傷を作って帰ってきていたな。オレは正直……お前が未熟だからだと思っていた」

 うちはとはいえ若い女の忍である。そう思われるのも無理はないと、自分の事ながらなまえは納得する。
 当時なまえと組ませたのは千手派の一族の男達だった。里作りの以前から何かと援助を申し出てくれて、付き合いの良い一族だったので信頼を寄せていた。千手である柱間にはそうだった。故に偶然うちはと組んだ二人の男が、戦時の怨恨を引きずって嫌がらせをしているなどとは露程も思わない。
 三人一組のメンバーは事前に確認した情報からバランスを考慮して選んでいたのだが、それがどうにも望ましくない事態を招いたらしい。任務は完遂するが一人満身創痍のなまえ。事の次第を尋ねても「問題ない」と口を揃え、仕舞いには本人が「自身が至らないからだ」と答える始末。男二人とは顔見知りということもあり、彼女がそう言うのならそうなのだろうと疑わなかった。

「扉間ですら事態を見抜けなかった。他が忙しくてそれどころではなかったのかもしれんが……」

 なまえが明かそうとしなかった時点で、当時はまだ関わりの少なかった柱間達に察するのは難しかっただろう。
 しかしある日、その様相が一人の男の目に留まる。面識はなくともなまえの背中の紋が、彼を動かすには十分だった。程なくして、一枚の依頼書を持ったマダラが、柱間と扉間の前に現れる。


 **


「うちはの女がいるだろう」
「うちは……なまえの事か」
「これに当たらせろ」

 扉間に渡すと、すぐさま訝しげな表情が返される。覗き込んだ柱間も同様に眉根を寄せた。
 その内容は、とある一族からの救援依頼だった。里に加わりたいが、近隣との争いが長く続いており、これに片を付けなくては因縁を持ち込む事になる。決着がつけば必ず貢献を果たすから手を貸してくれないだろうかというものだった。

「行かせるにしても人員等手筈を整えねばならん」
「必要ない。邪魔になるだけだ」

 きっぱりと言うマダラに、扉間は「正気の沙汰ではない」と零した。マダラは腕を組み、気にした様子もなく続ける。

「ならお前が後に付け、扉間。お前ら一派の者共が、どれほど愚かであるか理解する事になろう」
「なまえの処遇の如何ではないのか」
「……あまり失望させてくれるなよ。この程度見抜けん男にオレの弟は……」

 目付きが少々細められたところで「マダラ!」と柱間が割って入った。今はなまえの話をしているのであって、過去の事を掘り返すべきではない。そんな柱間を一瞥した後、微かな嘲笑を残してマダラは立ち去った。
 それを横目に見送り、扉間は些か頭を抱えたい気分に陥る。しかしあの男が直々に自身の元へ訪れるなど、余程の事態であるのは確かだ。そうさせるだけの根拠と、確信する何かが、なまえを追えばわかると言う。戯言だと流してしまうのは簡単だが、マダラがふざけた真似をするような人間ではないのも十分知っているため、看過する訳にもいかない。

「どうする、扉間……」

 柱間が戸惑ったように尋ねる。ことマダラに関しては捨て置けない様子から、己が同行するなどと言いかねないのを察して、扉間は一際大きな溜め息をついた。

「従うほかない。すぐに承諾の伝令を飛ばす」

 やれやれといった調子でマダラが置いていった依頼書を掴むと、諸々の支度をするため重い腰を上げた。

 決着をつけると言っても、何も敵を全滅させる必要はない。その最短の道筋を辿るなまえの戦いぶりは、綺麗である、と扉間にしては似つかわしくない感想を抱かされるほどだった。小規模な戦とはいえ、戦況を見極める冷静さと、実行できるだけの腕を持ち合わせていた事に驚かされる。同時に日頃のなまえとのギャップに首を傾げたが、マダラの言葉を思い出したのもあってすぐに答えは導き出せた。彼女と組む二人の男が足を引っ張っているのだ。あの口振りから察するに、マダラはどこかのタイミングで任務の様子を覗いたのだろう。
 千手寄りの一族に、うちはであるなまえ。全てに合点がいって、扉間は里へ帰還するなり即座に対処に当たった。


 **


「それ以降、マダラはお前の名を口にする事はなかったが……気には掛けていたようだった」

 自分がやったのだと、本人に知らせる事もせず、ただ見守っていた。表情の明るくなったなまえを見つめる目が、次第に違う色を含み始めたのに気付くのも時間はかからなかった。

「わかるか、なまえ。あいつはずっと前からお前を見てたんだ」

 なまえは言葉もなく頷いた。ストーブの熱のせいか、手袋の中がじとりと汗ばんでくるのを感じる。
 自分の与り知らぬところに何かがあるのはわかっていた。しかしそれがこの件に端を発したものだったと誰が想像できただろうか。
 当時なまえは自ら行動を起こそうとはしなかった。けれど、マダラが人知れず救い上げてくれた。今のなまえがあるのは、間違いなくマダラのお陰だった。

「あの……話してくださってありがとうございます」
「礼などいい。だが、本人には黙っておいてくれ……嫌がるだろうから」

 内緒話をする時のように前屈みになって柱間が言う。なまえが了承すると笑顔で頷いたので、頃合いかと判断して立ち上がる。椅子を戻そうとしたが止められて、「気を付けて帰るんだぞ」と見送られた。
 妙に熱を持った体も、汗ばんだ手の平も、きっと部屋が暖かかったせいだ。ドクドクと波打つ心臓がうるさくて、なまえは今にも駆け出したくなった。


 そんな状態で買い物をしたので、不要な物まで買ってしまったような気がしてならないなまえは、幾分か冷えた体で一度深呼吸をする。そして玄関に荷物を置き、草履を脱いでいると、奥からマダラが顔を覗かせた。

「茶葉がなかった」
「買ってきましたよ。そんな気がして」

 冒頭、マダラを探していたのはそれを確認したかったからだ。寒いせいか、なまえが留守の間も自身で入れるほど頻繁に飲んでいる様子なので、そろそろ切れる頃ではないかと思っていたのだ。
 そうか、と袋を持ち上げたマダラを見上げてなまえは一度口を噤んだが、僅かに細められた瞳を前にして溢れる感情を抑える事などできなかった。

「ただいま……」

 それは、これまでなまえが見せた中で、一番の笑顔だったに違いない。マダラは少々面食らったようだが、返事をする代わりに、口元を綻ばせながらなまえの頬を優しく撫でた。