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 いつものように任務を受けに来たなまえは、行き交う人々の動きに舞い上がる埃を目で追いながら、先客と話し込んでいる男を待っていた。
 仕事を求めてここへ足を運ぶ忍はなまえ以外にも多くいる。里の運営に関してほぼ全てを仕切っているであろう扉間が、自身に付きっ切りになれるはずもないと当然理解しているなまえは、少々間が悪かったかと判断して出直すことにした。すると、それに気付いた扉間がなまえを呼び止め、近くで棚の整理をしていた係の男へ声をかける。

「悪いが、これを彼女へ」
「あっ、はい」

 扉間は、一旦外してなまえに構うつもりだったが、報告を受けている案件が生憎そう簡単な話ではなかったのだ。彼女に言い渡すつもりで控えていた巻物を渡し、代わりに伝えてもらうよう頼んで再び話に戻った。
 受け取った男はそれを広げて内容を確認しながら、足を止めて振り返ったなまえのそばに寄る。

「近くにある宿場町からの依頼だね。えっと、地図地図……」

 あちこち行き来する男を眺めながら、何だかぼんやりした人だなと心の内で感想を零したなまえは、自らも書面に目を通して任務の内容をしっかりと把握する。
 宿場町の中にある居酒屋が近頃柄の悪い連中に出入りされており、その恐ろしさ故客足が遠のき地元住民も怖がって困っているらしい。追い払おうにも手段がなく、どうにもできないため助けてくれないだろうかという一見よくあるような依頼だった。

「大丈夫そう?」
「はい。読んだ限りでは」
「まあ、厳しそうなら一度戻ってくるといいよ。近いし」

 軽い調子でそう言われたが、なまえは素直に頷いて、未だ難しい顔で話している扉間を一瞥した後任務へと向かった。



 数時間後、事は予想外の形で決着がつき、穏便に済んだのをなまえは淡々と報告した。
 店のど真ん中のテーブルを占領して騒ぐ男達に声をかけると、意外にも素直に耳を傾けてくれた。事情を説明して、皆が困っていると伝えたら、「気付かなかった。何故早く言わないんだ」と店主が責められていた。忍ではなく建設業を生業とした一般人のようで、最近町の近くで仕事をしていてその帰りに立ち寄っているのだと一人の男が語った。そして、「この店は飯がとんでもなくうまいから気分も上がってつい騒ぎ立ててしまった」とあまり悪いとは思ってなさそうな態度で詫びて、今の仕事が片付けばここも離れるので、それまでは通わせてくれないかと頼み込む男達。店主しばし悩んだようだったが、周りに迷惑をかけなければ構わないと折り合いをつけて、事態は丸く収まった。
 帰り際、もし明日以降も変わりがないようであればすぐに知らせるよう店主に念を押して、なまえはあっさりと任務を終えたのである。

「ご苦労だった」
「ほとんど何もしてませんが……」
「いや、取るに足らん依頼でも聞いてやれば信頼は得られるからな」

 さらっと腹黒いように扉間は言った。各地との信頼関係は築いておいて損はない。有事の際は支援を得られるだろうし、何より、この里の重要性を国に認めさせる材料になり得るからだ。

「でも……料理が人を引き付ける事もあるんですね」

 居酒屋での男達の笑顔を思い浮かべながら、なまえはぽつりと零した。あんな様子で料理の腕を称賛されては、店主も悪い気はせずに許してしまったのではないだろうか。そう憶測を立てて口元を綻ばせたなまえに、扉間は意外そうな顔をした。自身の知る限りでは、なまえは任務にそんな感想を零す事も、穏やかに笑みを浮かべる事もしなかったはずだ。

「……あの男もそうなのか?」

 そんな彼女に釣られてか、自身もつい要らぬ事を口走ってしまう。なまえをそんなふうにさせるのは、ひとえにマダラという男の存在が胸にあるからだろう。首を傾げて聞き返してくるなまえにかぶりを振って、まるで彼へ関心があるかのように尋ねた自分を心の内で自嘲した。

「ところで……以前お前が報告してきた集落の件だが」
「はい」
「見張りの者から幾つか情報が入ってきた。そう遠くないうちに動きがあるかもしれん」

 国境付近にある、妙な城を建てた集落の事だ。今朝取り込んでいたのはそれに関する報告を受けていたのだろうかとなまえは推測した。

「すでに算段は立ててある。時が来たらお前にも当たってもらうつもりだ。頭の隅に入れておけ」
「わかりました」

 用済みになった巻物を仕舞う扉間に頷いて、なまえは部屋を後にした。
 扉間には、贔屓と言うには気が引けるが、大いに目を掛けてもらっているのをなまえは誰よりも理解していた。お陰で随分と視野が広くなったし、多くの経験を積む事ができている。自分を育てようとしてくれているのが十分に伝わるので、それに応えられるよう努力してきたつもりだ。
 だが、近頃の扉間は、仕事だけでなく生活の面まで気に掛けるような素振りを見せている。それが嫌という訳ではないのだが、その辺りの線引きははっきりしている男だと思っていたので、なまえは些か違和感を覚えていたのだ。
 まだ憶測の域を出ないが、彼の懸念は自身よりもマダラのほうにあるのではないかと考えている。普通であれば、マダラが料理をどう思っているかなど扉間は尋ねないだろう。なまえとて彼らの間に何があったか知らぬほど愚かではなく、だからこそ先程の質問の意図がわからず聞き返したのだ。
 扉間は単純になまえの様子の変化に驚いていたのだが、自身がどう思われるかなど関心を持たないなまえは、そうとも気付かず見当外れな思案を巡らせていた。


 外に出て辺りを見渡すと、満開の桜が夕日の朱に染められていた。この二つの彩りが交わるのも今だけだろうなと、なまえは花見でもするような気分になりながら一歩踏み出したが、直後に声をかけられて振り返った。

「あ……マダラさん」
「終わったのか?」
「はい。今日はすんなり……」

 そう言って隣に並ぶと、どちらからとも言わず歩き始める。隣を見上げると僅かに疲れを含んだような顔があって、また柱間に振り回されでもしたのだろうかとなまえは心の内で同情を寄せた。

「買い物してもいいですか?」
「ああ」

 駄目だと咎められるはずもないのに、尋ねるようになまえは言う。商店街は帰路の途中にあり、普段は気ままに目に付いた物で献立を決めていたが、今日の任務の影響もあってかなまえは自然とマダラへ問いかけた。

「あの、何か食べたい物ありますか?」
「……酢の物が欲しい」

 少し間を置いてマダラは答えた。なまえはてっきり何でもいいと返されると思っていたので、些か目を丸くしつつも要望に沿ったメニューを考える。主菜を挙げない辺りはやはり彼らしいなと微笑みを零し、魚屋で生食用のたこを探して買った。

 食事についてはお互いあまり関心を持たない質だったようで、最初の一回きりは感想を零す事も求める事もしなかった。だが、なまえの胸には先刻扉間の放ったほとんど独り言のような問いかけが引っかかっており、食卓を囲んでいる最中、つい自らも口を衝いてしまう。

「ご飯に不満ってないですか?」
「不満?」
「例えば……、味付けが濃いとか……?」

 自分自身不満を持った事がないため、例えすら碌に浮かばなかったなまえ。そんな彼女を見て、箸を持つ手を止めたマダラは思案する。料理ではなく、今更になってそんな事を問うなまえについてだ。大抵こういう場合は考えを改めるような出来事があった時だと、マダラにはなまえの行動傾向がわかりつつあった。故に、今回も任務先で何やら影響を受けてきたに違いない。

「別段思った事はない」
「そうですか……」

 その答えに、なまえは些か残念そうな顔をした。もしかしたら、自分では気付けない何かが聞けるかもと少しばかり期待していたのである。だが、その気落ちした様子に、言葉を誤ったかと勘違いしたマダラがボソリと言い直した。

「……お前の味は嫌いじゃない」

 特別うまい訳ではないが、ふとした時に食べたくなる味。なまえの作る料理にはそんな感想を抱いていた。
 なまえはゆっくりと頭の中で反芻すると、胸の辺りがぽかぽかしてくるのを感じて、それきり目線を上げなくなったマダラに顔を綻ばせる。そして、きゅうりとたこの酢の物を摘みながら、人に食べてもらう事の喜びを初めて実感していた。