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 賑やかな雑踏と風に舞う桜の花びらが窓の向こうに覗く。のどかな春の昼下がりに、商店街にある食事処で、一番人気という天ぷら定食に腹を拵えた二人の男の姿があった。
 すでに箸を置き、食事が済んだのを示していたが、その余韻を味わうかのように背もたれに寄り掛かる柱間を、マダラは何も言わずに待つのである。

「そろそろ半年になるか」

 ぬるくなった茶を口に含み、十分に満たされた腹を撫でながら柱間が言った。

「何がだ?」
「なまえが嫁に入ってからだ」

 マダラは安易に聞き返した事を後悔した。毎度冷たくあしらっているのにも関わらず、この男は懲りずになまえの話題を寄越そうとする。
 だが、柱間も無意味にそれを繰り返している訳ではない。マダラの素っ気ない対応にはとっくに慣れているため、もし心情に何か変化があればそこに表れるだろうと踏んで、定期的にこの流れに持ち込んでいるのだ。

「なまえもお前の扱いに慣れてきた頃だろうな」
「…………」
「お前はどうだ? なまえの意外な素顔に驚かされたりしてないのか?」

 そう言って悪戯っぽい笑みを浮かべる柱間。子供の頃と変わらないその表情に、答えるつもりはないと言わんばかりにマダラは余所の方向へ視線を逸らす。
 確かに、ない事はない。しかしそれを話したとしてもこの男のからかいの種になるだけだろう。マダラは内心で肩を竦めたが、実のところはなまえの事を知られたくないという思いが潜んでいた。

「まあ、歳が離れてるし、何されたってかわいいんだろうが……」

 しみじみとした声音で柱間が零す。一回り近くも差があればその分だけ心に余裕もできるし、一種の親心のようなものさえ感じてしまう。手こそ掛からなくとも、精神的な部分での未熟さはなまえにはあった。それは彼の言う通り、ついからかってしまいたくなるほど愛らしいのをマダラは十分に知っている。その様を想起するとどうにもおかしくて、「そうかもな」と同調の言葉が口を衝いた。
 それを聞いた柱間は、一拍置いた後、信じられないものを見るかのような目でマダラの顔を凝視する。

「おい……変なもんでも食ったか? 素直なお前なんて、気色が悪い……」
「表に出るか?」

 柔らかい雰囲気を纏ったのも束の間、マダラはすぐに仏頂面を浮かべる。柱間は「すまん」と取り繕いながらも、震えるような思いが胸に湧き起こっていた。何もないように装っていても、二人が過ごす時間はゆっくりと積み重なって、互いの心にその存在を刻み込んでいたのだ。
 柱間は、それがわかって嬉しかった。やはりこいつも普通の男だったのだと。そして、ニヤつく顔をそのままに、一つ提案をしてみる。

「今度なまえに贈り物でもしてみろ」
「何だ、藪から棒に」
「日頃の感謝ってやつだ。家の事、やってもらってんだろう」
「……なまえは欲しがらねえよ」

 腕を組み、苦い表情をしてマダラは言った。その辺の女とは感覚の異なるなまえに贈り物などしても、こちらに何かあったのかと却って困惑させるだけだろう。それに、身なりのさっぱりしている彼女に何を贈ればいいかなど、マダラには見当もつかなかった。
 そんなマダラの様子に気付いた柱間は、一層楽しそうに笑みを深くして口を開く。

「そんな調子だと、なまえに呆れられても知らんぞ」
「お前のほうがさっきから鬱陶しい」

 間を置かず、睨むような目つきでそう返したマダラ。思わぬ反撃にショックを受けた柱間は、大袈裟なほどに肩を落としてみせた。しかしそれでも言いたい事は押し殺さないのが彼であり、此度も例のごとくボソッと零すのである。

「なまえがお前に貰って嬉しくない訳ないだろうが。そんな事もわからんのか……」

 小馬鹿にしたような目を向けてくる柱間に、マダラは爪先でも踏んでやりたい気分になった。だが、この男はなまえに関して時々鋭い言葉を残すので、不本意ながらも記憶の隅に留めておく事にする。

「……お前に言われてやると思うと少々癪だ」
「そこは素直じゃないのか。まあ、そのほうが寒気もしないからいいけどな」

 参ったとでも言うように柱間は腕を擦った。そして、そろそろ頃合いかと窓の外に目をやれば、偶然にも件の女の姿が見えて、あ、と声を漏らす。その視線の先を辿ったマダラも動きを止め、僅かに眉根を寄せた。
 通りの向こう側で、何やら男と話しているらしいなまえ。身振り手振りをする男に、なまえは短く何かを言ってその横を通り過ぎようとする。しかし男が手を掴み、なまえの歩みを阻んだが、即座に振り払われていた。
 誰が見たって穏やかな状況ではないのがわかるだろう。尚も喋りかける男の様子にマダラの目つきがすっと細められ、これはいかんと察した柱間が身を乗り出してなまえを呼んだ。往来の注目も集めてしまったが、目の前の女が柱間に呼ばれたのだと気付いた男は逃げるように去っていった。

「柱間さん」

 駆け寄ったなまえが窓越しに覗いてくる。マダラにも気付いて微笑みを向けると、纏う空気も幾分か和らいだようで柱間は胸を撫で下ろした。あれでは店を壊しかねなかったな、と僅かな呆れと安堵を含む溜め息を共に吐いて。

「いや……困っている様子だったからな」
「助かりました。全然知らない人で、どうしようかと」

 なまえは困ったように笑った後、ちらりと通りに目を向ける。

「すみません、任務中なのでそろそろ行きますね」

 小声でそう残し、返事も待たずに雑踏へと混じって行った。その背を見送るマダラに、自分達も戻ろうかと声をかけて柱間は茶を飲み干した。
 店を出ると、人込みも幾分か落ち着いてきており、どこからか舞い込んでくる桜の花びらがひらひらと地面に降り立っている。

「まあ、なんだ。なまえも年頃だし、ああいう事もあるだろう」

 それらを眺めながら、隣を歩く男を気遣うように柱間が零す。

「やっぱり、ちゃんと式を挙げて、皆に見せておいたほうが良かったんじゃないのか? お前の女だと知ってたら誰も手は出さんだろうに」
「……互いに納得した話だ」

 お前が掘り返すな。そんな視線と共にマダラは冷たく言い放つ。
 柱間の言った通り、娶ったとは言っても形式的な行いは何もしていない。なまえに選択を迫って、彼女が承諾して、一部の人間に知らせただけ。互いに家族はいないのだし、周りに知られていなくとも、二人がその関係を認識していれば問題ないと思っている。
 確かに、周知させておけばあんな腑抜けた男に絡まれる事もなかったのかもしれない。自身の妻だと知りながら手を出す者など、余程の命知らずしかいないだろう。
 だが、先程の手を掴まれた時、なまえが見せた冷えるような視線。ほんの一瞬だったが、日頃からなまえを見つめているマダラだからこそ見逃さなかった。それが単なる嫌悪によるものなのか、己の立場を自覚している故のものなのか判断はつかないが、いずれにしても容易く気を許す女ではないのだとわかって、マダラは些か安心したのである。
 正直、あれほどきっぱりと手を振り払ったのは滑稽だった。自身とそれ以外とでは、こうも態度が違うのかと。当然の事なのに、胸の内には確かな優越感が湧き起こる。彼女は決して自身を裏切らないだろうと確信させてくれた瞬間でもあった。

 そもそも、あの女を有象無象に理解できるはずがないのだと、マダラは無関係な往来にさえその矛先を向けた。胸に秘めた思いは、自分だからこそなまえは打ち明ける。どこか通ずるものがある事を、聡く感じ取っているのだろう。そして、その身が犠牲になるのも厭わないほどの、うちはに対する愛情を抱えている事もマダラだけは知っている。

「マダラ、なまえはかんざし挿したりしないのか?」
「……さあな」
「さあなって、お前なあ……」

 柱間は、路面に出された品を眺めながらやれやれと溜め息をつく。
 他の誰であろうと、例えこの柱間であろうと、そこに到達するのはきっと叶わない。なまえが一族への思いを秘めている事に気付いた時、マダラは彼女を求めてしまったのだ。