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 その隠された信念に気付いた時、目が覚めるような感覚がしたのを覚えている。
 まだ集落にいた頃、絶えず戦場に駆り出されていた日々。終わりの見えない千手との争いに疲れ果て、休戦を進言してくる者や集落を捨て降伏する者が少なくなかった。いずれも意には介さなかったが、釈然としない思いがただ渦巻いた。
 先人達の無念はどうする、一族への誇りはないのか。所詮、皆にとっての一族とはその程度のものなのかと、燃えるようだった熱情もそれらを目の当たりにする度冷えていった。
 皆の望んだ通り和平を結び、一度は捨てたはずの夢が叶っても、胸に空いた穴は塞がらなかった。置き去りにした心を拾いに戻るには、全てを投げ打てるほどの熱も残っていない。幾度里の大地を踏み締めても、自分だけがここにいないような気がしてならず、ただ己の立場と責任だけが惰性的にこの身を動かしていた。

 そんな中、里が忍に仕事を与え始めた頃、うちはの紋を背負った女の姿を見るようになった。顔に覚えはなかったが、その紋は確かに一族の人間である事を示していて、あまりうろつかない自分が目に留めるほど熱心に訪れているようだった。
 若さ故か怪我が多いらしく、見かける度どこかしらに処置の跡を残していた。しかし、それも三人一組の内の彼女だけで、そう危険が及ぶ任務ばかりではないだろうに、どこか不自然である。
 つい気になってしまい、マダラは無意味にうろついてその姿を遠目に探すようになった。

「お疲れ様です」
「…………」

 何の変哲もない挨拶だが、仲間の二人の男は目もくれず去っていく。日を追うごとに傷が増え、しかし汚れ一つ持ち帰らない男達の姿には違和感しか覚えない。合間を縫って任務の様子を窺ってみると、たったその一度だけでマダラは全貌を把握したのである。
 里を作り、一族と一族を繋げた結果がこれなのかと、その光景に、自分達がやってきた事は所詮夢でしかなかったのだと否定された気がしてならなかった。あの二人は、彼女だけでなくこの里さえも踏みにじっていたのだ。

 彼女は男達に仕返しするでもなく、上に報告するでもなく、淡々と任務に当たっていた。頭も腕もあるのに手を尽くさないのは一体どういった心情なのだろうか。それは、あの小さな背中の紋を見れば自ずと察しがつけられた。
 彼女は守ろうとしていたのだ。一族の人間が、あの連中によって虐げられないように、その身に受けた仕打ちを他の者が味わう事のないようにと。
 仕返しすれば逆上させる。報告しても自分が助かるだけ。黙って抜けるとその穴埋めに別のうちはの人間が充てられてしまうかもしれない。そんな、ほんの小さな可能性を自らが留まる事で潰そうとしていたのだろう。
 その答えに辿り着いた時、マダラは心臓を掴まれたような気分になった。途端に視界が開けて、たった今この地に降り立ったのかと錯覚するほど、足の裏の感触が急速に蘇る。
 身を挺するのも厭わないほどに一族を思う人間が残っていた。木陰に佇むような静けさで、うちはを守る火を灯していた。自分は、たった一人でこの道を歩いていた訳ではなかったのだ。
 うちはを思う彼女を守るのは、ほかならぬ自身の役目だ。あの男に掛け合うのは気が進まないが、彼女のためと思うと些事でしかない。泥沼のような世界で見つけた微かな光に、唯一の友と呼べる男が感づいてしまうほど、いつしか心を奪われていた。


 賑やかな通りを一人歩いていたマダラは、とある店の前で足を止めた。彼に似つかわしくない華やかな雑貨が並べられたそこに、ふと目を引かれた小物があったからだ。気になったのは、小物に描かれていた絵のほうだったが。
 変わり者の柱間と違って花などに詳しくないマダラは、奥にいた女の店員を呼んで率直に尋ねる。

「この花は何だ?」
「こちらは桃です。花弁の先が尖っているでしょう? 桜は割れてて梅は丸いから、意外と見分けやすいんですよ」
「中はどうなってる」
「手鏡ですから、裏が鏡になっています」

 そう言って、店員は見本を手に取って裏返してみせた。丁度手の平ほどの大きさで、内側にはめ込まれた鏡はしっかりと景色を反射している。

「桐素材で手触りが良いですし、持ち歩くのにも邪魔になりません。女性に贈るにはぴったりかと……。桜や梅を好まれる方が多いですが、桃も負けないくらいかわいらしい花ですよね」

 贈るという言葉に、つい柱間の小憎らしい顔が浮かんでマダラは眉を顰めた。
 確かに、なまえに感謝はしているし、労ってやりたい気持ちもある。しかしマダラも難しい男で、「いつもありがとう」などと口にできるような明るい性格はしていない。その分、愛してやる事で伝えられればいいのだが、なまえ相手ではそうもいかないので、贈り物をするのは良い手であるように思えた。
 ただ、素直にその通りにしてしまうのがマダラには癪だった。事が知れたら、きっとまたニヤついた顔であれこれ聞き出そうしてくるに違いない。だが、目に留まったのも何かの縁だろうし、なまえが鏡など使うかさえわからないが、やるだけやってみるかと腹を括って、店員に包んでもらうように頼んだ。

「桃には「私はあなたの虜」っていう花言葉があるんです。添えられたらきっと喜ばれますよ」

 にこやかに手渡してきた店員に、余計な事まで教えなくていいとマダラは思った。



 なまえが入れたての茶と共に居間に入ると、机に見慣れぬ包みがあるのに気付いた。一瞥はしたものの特に触れる事はせず、何やらぼんやりしているマダラに茶を出して早々に台所に引っ込んだ。
 次に、食事を運ぶ前に机を拭きに入った時、数十分前と変わらぬ状態でマダラも包みも佇んでいた。流石にそのまま拭けなかったので、それが何なのか知らないなまえは遠回しにこう尋ねる。

「机拭いていいですか?」
「……ああ」

 返事はしたものの、マダラの物であろうそれをどうにかする気配はない。なまえは、普段の彼なら察して除けてくれるだろうにと首を傾げたが、いっそ聞いたほうが早いかと判断し、改めて尋ねる。

「あの、マダラさんこれは?」

 すると、マダラはようやくなまえを見た。用意したはいいものの、面と向かって渡すのは妙にためらわれて、悩んだ挙句になまえが手に取るよう置いておくという手段をとったのである。そんな苦悩に苛まれていた事など露知らず、なまえは真っ直ぐな瞳を向けてマダラの答えを待った。
 やがて、その無垢な視線に耐え切れず、観念したかのようにマダラは口を開く。

「……お前に……」

 彼にしては珍しく、宙に消えてしまいそうなほどの声量だったが、なまえの耳にはしっかり届いていた。そして、それきり噤まれた言葉の続きを思案して、最も可能性のありそうなものを確認の意味も込めて口に出してみる。

「私に、くれるって事ですか?」

 マダラはこれ以上語る言葉はないと言わんばかりに目を伏せる。それが肯定の意である事を知っているなまえは、布巾を机に置いてその包みを手に取った。

「開けていいですか?」

 もはやどうにでもしてくれという思いでマダラは微動だにしなかった。咎めないという事はつまりそういう事なのだろうと解釈し、なまえはそんなマダラの態度と、覚えのないこの小ぶりの包みに首を傾げながら封を開ける。
 中には紐で十文字掛けにされた和紙の貼り箱が入っていた。結び目を解き、箱を開けると巾着袋が出てきて、こういう類の物を初めて目にするなまえは「随分厳重に包まれているんだな」とかわいげのない感想を抱いた。しかしそれもこの巾着が最後で、中身を取り出すと、丸い桐の素材に描かれた桃色の花がなまえの視界を彩った。
 見紛うはずがない。これが桜や梅ではなく、桃の花である事がなまえにはわかった。そして、裏を見ると些か目を丸くしている自分の顔が映し出されて、そこでやっとこれが手鏡だったのだと気付く。

「……これ……」

 言いながら、なまえはもう一度表を見た。桃の花が好きだという事は、恐らく三人しか知らない。彼の性格を鑑みると、柱間や、ほとんど有り得ないが扉間からこれを受け取ったなら素直にそう言って渡してくるだろう。これは、間違いなくマダラが自分に選んでくれた物だ。そうとも知らず、何度も尋ねて気まずい思いをさせてしまったのをなまえは申し訳なく思った。
 どういう理由があって今に至るのかまでは察しがつかないが、それよりも、好きだと言った物を覚えてくれていた事と、自分のために品を選んでくれたという事実が、なまえはこの上なく嬉しかった。

「大切にします。ありがとう……」

 なまえがはにかんだような笑みを浮かべると、マダラは静かに顔を上げた。そこには純粋に喜んでいるらしい女の姿があって、諸々の懸念など無意味であった事を気付かされる。
 なまえが真情の乗った表情を見せるのは、いつだって兄の話をする時だったが、今回は自らの手でそれを作ってやれたらしい。そう思うと妙に胸が満たされて、柱間の思い通りになってしまった事など最早どうでもいいように感じられた。

「かわいい……」

 なまえは、ご飯の事などとっくに忘れて、心底嬉しそうにその花を見つめていた。