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 先日から、里を囲うように高い外壁を築き始めた。土地の開拓も大方済んでこれ以上拡大することはないと判断してのことだった。これが完成すれば里の守りも強固なものとなり、人々はより安心して過ごせるようになるだろう。まさに工事中の現場を遠目に見下ろしながら柱間は一人満足げに微笑む。
 学校の運営もまだ手探りで行っている状況だが、今のところ大きな問題はなく子供達も楽しそうに通っているようだった。今年中には国と協定を結べる見込みなので、そこまで行けば木ノ葉隠れの里はひとまずの完成を遂げる。当然それは皆の協力があってのものだが、柱間自身も慣れない事務仕事を投げ出さずに頑張ってきたのだ。里のためと思えばどんなことも苦には感じられなかった。
 ただ少し引っかかるのは、大切な友人であるマダラの事だった。火影の件を話して以来、彼に少しずつ変化が表れ始めたのを柱間は僅かに感じ取っていた。どこか余所余所しくなったというか、自分から、里の中枢から距離を置こうとしているような。
 後から扉間にも非難されたが、考えなしに、思い付きであんなことを言ったのがいけなかったのかもしれない。柱間は軽率だった自分を省みて奥歯を食いしばる。
 なまえはその変化に気付いているだろうか。マダラの思いを鋭く見抜く彼女だから、とっくに気付いているかもしれない。それでも、マダラが自ら打ち明けない限りは触れようとしないのだろう。なまえが優しい女であることは柱間も十分に知っている。
 そんなふうに寄り添ってくれる人がマダラには必要なのだ。夢を同じくした友よりも、言葉なく心に寄り添えるなまえのほうが、きっと。少し寂しくはあるが、自分から離れてしまってもなまえがそばにいてくれるなら大丈夫だろう。そう思った矢先のことだった。

「柱間さん?」

 名前を呼ばれたことにハッとして、柱間は髪を揺らして振り返った。いつの間にか部屋に入ってきていたなまえが心配そうに覗き込んでいる。なまえは必ず戸を叩いてから開けるので、柱間はその音に気付かないほど物思いに耽っていたらしかった。

「なまえか。すまん、考え事をしていた」
「いえ……大丈夫ですか?」

 なまえはそんな彼を案じるように少しばかり眉を下げた。柱間は平気だと返してすぐに微笑みを浮かべ、その用件を尋ねる。なまえがここを訪ねるのはマダラに関することがほとんどなので、此度もそうなのだろうと予想はできたが。

「マダラさん、どこにいるかわかりますか?」
「いや……そういえば、戻ってこないな。外には出てないはずだが」
「じゃあ、資料室とか探してみますね」

 柱間が頷くとなまえは早々に出ていった。急ぎの用事だろうか。まあ、そう広くはないしすぐに見つかるだろう。そんなふうに軽く考えながら、柱間は自分の仕事に取りかかった。
 しかし、十分も経たないうちになまえは戻ってきた。柱間は何だか嫌な予感がしながら手を止めてなまえを迎える。見つけられなかったであろうことは、彼女の顔を見れば一目瞭然だった。

「すみません、柱間さん。私もう出ないといけなくて……マダラさんが戻ったら伝えてもらってもいいですか?」

 申し訳なさそうに両手を合わせるなまえに、構わないと柱間は答えた。話を聞くと、どうやら任務で二週間ほど家を空けるらしい。大名が暮らす城下町のほうへ行くそうなので、慎重に臨まねばならない依頼なのだろう。任務に関することは扉間に任せてあるため、柱間にはそれがどんな内容なのかわかりはしなかったが。
 それよりも、二週間も留守にすることを直接伝えなくて大丈夫だろうかと柱間は不安になった。だからこそなまえも出立が差し迫る中で彼を探し回ったのだが、姿が見当たらないので柱間に言伝を頼むしか手段がないのである。

「わかった。必ず伝えておく」
「すみません……お願いします」

 ぺこりと頭を下げてなまえは出ていった。彼女がいてやれば大丈夫だと思っていたところなのに、何とも間が悪いなと柱間は溜め息をつく。何より心配なのは、見送りもできず二週間も一人になるマダラの事だった。

 なまえが去ってからそう経たない頃にマダラは戻ってきた。柱間は何故だか自分が辛い気持ちになりながら、その姿に声をかける。

「どこにいたんだ、お前……なまえが探していたぞ」
「……なまえが?」

 足を止めたマダラに、柱間は預かった伝言をしっかりと伝えた。探したが見当たらなかったことと、すでに里を発ったであろうことも。マダラは僅かだけ眉間に皺を寄せて、何かを考える素振りをみせた後、またすぐに部屋を出ていった。
 その背中がどこか寂しげに見えて柱間は胸が痛んだ。もし自分が愛する妻に二週間も家を空けられたら、耐えがたい孤独感に襲われるのは容易に想像がつく。愛情深いマダラならそれ以上に苛まれてしまうのではないだろうか。
 どうか早く帰ってきてくれ、なまえ。柱間はそう願わずにはいられなかった。



 なまえのいない家は静かだった。帰宅したマダラは、日が沈んだ頃、自分で入れた茶を飲みながらしんみりと思った。なまえは大人しいほうなので日頃から静かではあるのだが、今はシンとした空間が物寂しいものに感じられる。
 泊りがけの任務はこれまでにも何度かあったが、それは一日や二日程度のものだった。しかし今回は二週間も留守にするのだと言う。せめて事前に知らされていたらこちらとしても快く送り出せたのに、突然出ていかれると置いてけぼりにされたような気分になってしまった。

 なまえが家に来る前まではそうしていたように、掃除や洗濯等の家事をマダラは自分で行った。今まで気にしたことはなかったが、なまえの物は服や仕事道具、後は書斎にある数冊の本くらいでそれ以外はほとんど何もない。全て綺麗に仕舞われているので、洗濯物が出ず玄関の草履もなくなってしまえばこの家になまえの影は残らなかった。
 そうではないとわかっているはずなのに、まるで初めからいなかったかのように錯覚してしまう。マダラの胸には間違いなく寂しさが湧き起こっていた。
 台所から風に揺れた風鈴が音を響かせる。だが、マダラが聞きたいのはそんな無機質な音ではなく、形のいい唇で自身の名を紡ぐ、愛しいなまえの声なのだ。
 夜、いつもの癖でなまえの布団も畳に敷いた。眠っている間に帰ってくるのではないかと期待を抱きながら朝を迎えても、布団には皺の一つも増えていなかった。もう帰ってはこないんじゃないかと不安を掻き立てられ、任務先へ迎えに行こうかとまでマダラが思ったのは、なまえが発ってから五日目のことだった。



 一週間が経った日。数分前から一切手の動いていないマダラを見て柱間は「重症だな」と心の内で呟いた。平然としているように見えても、ところどころでその心境が所作に表れてしまうほどには堪えているらしい。自分のせいではないのに、あの時伝言を貰う以外に何もしてやれなかったことを悪かったと柱間は思ってしまった。
 昼過ぎになって、なまえが予定より早く終えて戻ってきたことを扉間から聞かされた。先程報告を済ませて家に帰ったらしい。まだ戻らないのかと柱間が毎日のように尋ねていたので、気を利かせてわざわざ知らせてくれたのだ。

「マダラ、なまえが戻ったそうだぞ」

 それを柱間もすぐに伝えた。マダラはわかりやすいくらい反応を示した。柱間は苦笑を浮かべつつ、今日はもう切り上げたらどうだと提案する。そうしたほうが、素直じゃないマダラも帰りやすいだろうと思ってのことだった。
 マダラはしばし悩んでいたが、やがてその提案に乗ることを決める。今は柱間がどうのというよりも、なまえの顔を見たかった。
 さっさと部屋を出ていったマダラを、柱間は「よかったな」と涙ぐましい思いになりながら見送った。


 マダラが家に帰ると、枕を抱えたなまえが寝室から出てきた。寝支度を調えていたところだったなまえは、早い帰宅に驚きつつも、ふわりと笑顔を浮かべる。

「お帰りなさい、マダラさん」

 数日振りの出迎えを受けながら、マダラは返事をせず、ただなまえのことを抱き締めた。
 爪先立ちになってしまうほど強く抱きすくめられたなまえは、戸惑いながらもその抱擁を拒むことはしなかった。カバーを掛けていた枕は床に落としてしまい、自らもそろりと腕を回すと、一層力を込められて呼吸すら苦しくなる。

「……ごめんなさい、まともに伝えず出てしまって……」

 なまえとしても気掛かりだったのだ。任務を振られたのが急だったとはいえ、顔も見せないまま発ってしまったことが。
 マダラは腕を緩め、見上げてきたなまえと視線が交わると、求めるままに唇を重ねた。次第に激しく貪られると、なまえは腰の感覚が抜けて崩れ落ちそうになる。マダラはそれを抱き止めながら寝室へ移り、布団の上になまえを寝かせた。覆い被さるようにして口付けを再開されると、なまえは為す術もなく受け止めることしかできない。

「待って、んっ……ん、マダラさんっ……」

 僅かな合間に必死に懇願するなまえ。事に及んでしまいそうな勢いに少し焦っていたのだ。外での任務中にぐっすり眠れる訳がないので疲労が溜まっており、何をするにしても一度休まなければ体が持ちそうになかった。
 疲れているであろうことはマダラもわかっていたが、待ち望んでいたなまえを前にして気持ちが急いてしまう。けれど無理はさせたくないという思いもあって、その欲を何とか押し止めた。
 顔を離したマダラは、なまえの頬を撫で、髪に指を通し、愛おしげに目を細める。なまえの肌はこれほど滑らかで、髪はこれほど柔らかかったのだ。忘れていた訳ではないが、今、こうして触れていると妙に心が落ち着いた。
 そんなふうに撫でていると、眠気を誘ってしまったらしくなまえは瞼をとろめかせ始めた。マダラは体をずらし、廊下に捨て置かれた枕の代わりに腕を敷いてやると、なまえは素直に頭を乗せた。

「……マダラさん、びっくりしましたか?」

 静かになって、微睡んでいるのかと思っていると、不意になまえがそんなことを言った。マダラは髪を撫でる手を止めずに話の続きを待つ。

「早く帰りたくて、私……頑張ったんです」

 そもそも二週間というのは設けられた期限であって、きっかり滞在しなければならない訳ではなかった。目的が達成できれば早く帰還してもいいと言われていたのだが、城下町となれば少々動きづらく、長い猶予を与えられたのも納得がいくほどだった。
 慎重にやらねばならないのはなまえとて十分理解していたが、マダラに「いってきます」と言えなかったもどかしさがずっと胸に渦巻いており、手早く済ませて帰ることを決意したのである。それでも一週間かかってしまったが、完遂した割には十分早いほうだった。
 寂しいのはなまえも同じだったのだ。マダラの腕に頬を寄せながら、なまえはくすくすと笑い声を漏らした。なまえがそんなふうに笑うのは、マダラが知る限りでは初めてのことだった。

「なまえ……」

 マダラの心の隙間はあっという間に満たされた。なまえがかわいくて、愛おしくて仕方がない。もう、何泊もかかる任務は受けないでほしいと思ったが、仕事を制限させるようなことは言えず、空いた腕でその体を抱き寄せた。しばらくそうしていると、なまえはすやすやと寝息を立て始めた。
 マダラは眠れそうになかったが、なまえが目を覚ますまでそばにいようと思った。そして、「待って」と言われて中断したのだから、疲れが癒えた時には存分に続きをさせてもらおうと一人考えを巡らせていた。