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 里の名前と長が決定したことを住民達へ正式に発表された。とは言っても先に知らされていた忍の誰かが漏らしたお陰で、噂としてとっくにほとんどの者が耳にしていたのが実際のところである。
 それでも町の中はいつもよりざわめいており、誰もがそのことについて話していた。店は早速木ノ葉の名を借りた商品を売り出し、祝いを兼ねて更なる集客を図っている。
 修行を終え、それらを眺めながら歩いていたなまえとカガミは、別れの道に差し掛かると軽く言葉を交わして解散した。なまえは小さな背中が角を曲がっていくのを見届けて、たった今歩いてきた方角へと踵を返す。先程、魚屋で値引きされている魚を見つけたので夕飯のために買って帰ることを密かに決めていたのだ。
 そして、一方のカガミも道を曲がった先でピタリと足を止めていた。周囲をきょろきょろと見回し、垣から頭を半分ほど覗かせる。その目が捉えるのは言うまでもなく別れたばかりのなまえである。

「帰るんじゃないのか……?」

 商店街のほうへ歩いていく背中に呟くと、ゴクリと固唾を飲み、訝しむ通行人に構わず後をつけ始める。里の中ということもあって気を緩めているなまえは、少年の拙い尾行に気付きもせず夕飯の献立を思案していた。

 数十分後、買い物袋を抱えたなまえの後を三人の小さな子供が追っていた。尾行中だったカガミを学校の友人達が見つけ、何やら面白そうだと便乗することを決めたせいである。

「あれ、お前と同じうちはの人だろ? 何で話しかけないんだ?」
「うるさい! ついてくるな!」

 もっともな質問をされてつい声を荒げてしまったカガミ。ハッとして口元を押さえたが、幸いなことになまえには届かなかったらしく振り返るような素振りは見られなかった。

「もしかして……あのねーちゃんのことが好きなのか?」
「でも、こいつ隣の席の女子と仲良かっただろ」
「あ、じゃあウワキってやつだな。オレ知ってるぞ」

 気を取り直して尾行を続けるカガミの後ろで、二人の友人はニヤニヤとしながら呑気にお喋りを始めた。言っても無駄だと悟ったカガミはあまり話を聞かないようにしてなまえとその周辺を注意深く観察する。
 忍としては未熟な子供たちが、それも隠すつもりのない気配が二つもあれば流石のなまえも感付いたようだった。不意に立ち止まり、振り返ろうとするのを察してカガミは物陰にさっと身を隠した。友人達も慌ててそれにならったが、狭い場所に三人も隠れられず、体の半分以上がはみ出した状態でぱっちりと彼女の視界に映り込んでしまう。

「…………?」

 見覚えのない姿に首を傾げ、少しの間見つめていたが、やがて何事もなかったかのように歩みを再開させた。他にも人がいる中で、よもや自分に用があるとは思わなかったのだろう。一人だけ無事に隠れ切ったカガミは安堵の溜め息を零し、冷や汗を浮かべている二人を押しのけて立ち上がった。

「ま……待てよカガミ、オレらもちゃんとするから……」
「お前らは見つかったから駄目だ」

 カガミは白い目を向けてきっぱりと言った。だが友人達はまだ懲りておらず、スタスタと歩き出した彼の後についていく。どうしても帰るつもりはないらしい。カガミはもう「自分さえ見つからなければいいや」と二人のことを諦めた。

 そうして、小さな追跡者達はなまえの家の近くまでやってきた。この辺りに来たことがない友人達は物珍しそうに周囲の景色を眺めている。
 門を開けたなまえが、最後に一度だけ自分が歩いてきた方向を振り返った。すると道の角から身を乗り出していた二人を見つけ、ぎょっとしたように目を丸くする。慌てたように道の反対側を見回して、自分しかいないことに気付くとぎこちない動きで中へ入っていった。
 なまえの帰宅を見届けたカガミは最早何も告げることなく踵を返した。機嫌を損ねたと思ったのか、何やら話しかけながらまとわりついてくる友人達。今度学校で組み手があればボコボコにしようと胸の内に決め、自らが課した任務を終えたことに少年は確かな達成感を覚えていた。


 夕食中、なまえは見知らぬ子供に後をつけられていたことをマダラに話した。帰ってきた時からどこか様子が変だった理由をようやく聞くことができたマダラは、決して軽く聞き流すことはせずその話に耳を傾けた。
 ただのいたずらだと慰めるのは簡単だが、子供が関わる問題はなまえにとってそんな一言で片付けられるものではない。それを自分のことのように理解しているマダラはどうするべきかを慎重に考え、明日以降また同じようなことが起きた時、改めて自分へ知らせるように言った。子供のすることとはいえ今日の一度だけではどうにも判断がつけられなかった。
 なまえもそれを了承し、一緒に解決しようとしてくれるのだとわかって心強さを覚えたようである。顔色が明るくなったことにマダラも安心し、その後はいつものように穏やかな時間を過ごした。
 しかし、その日の晩。夜もすっかり更けた頃、眠りについていたマダラはふと目を覚ました。隣の布団で寝ているなまえがうんうんとうなされていたのだ。
 体を起こしてそばに移ると、眠ったまま眉間を歪めるなまえの顔が暗闇の中でうっすらと確認できた。布団を蹴飛ばしていることはあっても、うなされる姿を見るのは初めてだった。

「なまえ」

 今日の出来事が彼女に悪い夢を見せているのだ。その苦しみから解放するためマダラはその名を口にした。だがなまえは反応を示さず、頬に触れながら再び呼びかけると、やっと届いたようだった。
 そっと瞼を開けたなまえは数回瞬きを繰り返し、覗き込むマダラに気が付くと布団をどけて縋るように体を寄せた。
 どうやら思っている以上に深刻らしい。普段人に助けを求めないなまえがこんなに弱々しい様を晒しているのだ。あの時はああ言ったが、時機を待たずに動いたほうが良さそうである。マダラはそう思案しながら、なまえが落ち着くまでその背中を優しく撫で続けていた。



 カガミと二人の友人は、あの日と同じようになまえを尾行していた。カガミはその目的を友人達には明かさなかったが、彼らもあまり気にしていないようでしつこく追及することはなかった。
 前回から少しは反省したらしい二人は静かに行動することを覚え、多少警戒をしているなまえにもどうにか悟られず彼女の家まで辿り着くことができた。無事に門を潜っていったのを確かめると、カガミはまたさっとその場を立ち去っていく。残された二人は道の角にしゃがみ込んだまま、ひそひそと小声で話し始めた。

「何で話しかけないんだろうな」
「好きだから恥ずかしいんじゃないか?」
「つーか、あのねーちゃん誰なんだよ」
「おい」

 不意に二人の上に影がかかった。声のしたほうに振り返ると、とても明るいとは言えない容姿をした男が自分達を見下ろしていて、飛び上がった二人は垣を背にして気をつけの姿勢で対峙する。

「なまえの後をつけているのはお前達か」
「えっ!? あ……いや、それはカガミです」
「カガミだと?」
「はい。オレ達はあいつについてきただけです」

 マダラを前にして得体の知れない恐怖を感じた二人は何の躊躇もなく友人を売った。これでも彼は穏やかにしているほうなのだが、知らぬ者には、それも子供の目線ではとてもそうは見えないだろう。
 しかしそんなことにも慣れているマダラは至って平然と考えを巡らせていた。カガミと言えば今日もなまえと修行をしていたはずだが、何故尾行などする必要があるのだろうか。見渡せる範囲にその少年の姿はなく、すでに引き返していることが窺える。
 探しているのを察した友人の一人がこの状況から解放されたい一心で「あいつならもう帰りました」とカガミが去っていった道を指差した。わざわざ教えてくれたことにマダラは「そうか」とだけ返し、素直にその方角へと歩き出す。大きな背中が見えなくなると、二人は盛大な溜め息を零した。

「怖かった……」
「…………」
「どうしたんだよ、ダンゾウ?」
「……今のって……」

 ダンゾウと呼ばれた少年は、カガミを追って消えたマダラの姿を思い浮かべる。
 確か、うちは一族の偉い人だったような。そう口にすると、隣の友人はぎょっとして己が指し示した道を気まずそうに眺める。
 二人の間に沈黙が流れたのは、途端に不安が生じたからだろう。静かに顔を見合わせて立ち上がると言葉なく歩き始め、カガミの無事を胸の内で願うのであった。

 歩幅の差からかそう急がずともすぐに小さなうちはの紋を見つけることができた。何も知らないカガミはきょろきょろとくせ毛を揺らしながら歩いており、まるで何かを探しているような様子である。

「カガミ」

 後ろからその名を呼ぶと、少年は体をびくつかせて振り返った。声の主が誰であるかは瞬時にわかったらしい。
 見上げる瞳に僅かに恐れの色を浮かべたものの、すぐにきゅっと狭めて隠し込まれる。その度胸にはマダラも感心を覚えたが、この少年は初めて会った時からこんな調子だったのだ。特に触れることはせず早速本来の用件を済ませにかかる。
 マダラは、何故なまえをつけているのかと単刀直入に尋ねた。するとカガミは自身の行動が筒抜けになっていることに目を丸くさせ、気まずそうに口を開けたり閉じたりする。本当なら事情など明かしたくないのだが、何しろ相手が相手なので黙秘する訳にもいかず、やがてぽつぽつと語り始めた。

「……少し前、なまえさんが変な男につけられているのを見たんです。なまえさん全然気付いてなかったし、悪い奴だったら危ないと思って……」

 カガミは守ろうとしていたのだ。偶然見かけた怪しい輩から、呑気に歩いているなまえのことを。自分みたいな子供が、という自覚からか最後まではっきりと言葉にしなかったが、マダラには十分に伝わっていた。
 なまえをつけていた男というのは扉間の部下のことではないだろうか。果たして子供に目撃されるようなへまを仕出かすものかと疑問に感じる部分もあったが、もし他の何者かであっても少し調べてみればわかることだ。そう思い、マダラはあまり気に留めなかった。それよりも、次にカガミが話した内容のほうがずっと重要なことだったのである。

「この間の帰りもわざと肩をぶつけられて酷いことを言われたのに、なまえさんはただ謝るだけで……そんなだから、悪い奴らに目をつけられるんだ」

 カガミはその時の光景を浮かべて足元に目を落とした。そのため、話を聞いたマダラの表情が、一瞬、険しく歪められたことに気付かなかった。
 カガミが顔を上げると大きな手が自分へ迫っていた。何をされるのかと体を強張らせたが、その手は予想に反して優しく頭の上に乗せられる。反射的に閉じてしまった目を開けると、いつも自分を見ているのとは違う、穏やかな瞳がそこにあった。

「なまえのことは心配するな」

 それだけ言うとマダラは身を翻して去っていった。カガミは何をされたか理解ができず、しばらくの間ぼうっと立ち尽くしていた。
 そっと自身の両手を頭に乗せる。あの瞳はきっと、いつもなまえにだけ見せているものなのだろう。そして、いつか彼女が好きだと話していたあの手の平は、思っていたよりも大きくて、少しひんやりと冷たかった。


 その後真っ直ぐに帰宅したマダラはなまえを見つけるなりその場で呼び止め、子供達が後をつけていた事情を説明した。真相を知ったなまえは、まさかカガミだったとは露程にも思っていなかったらしく、また、別の日に知らぬ男から尾行されていたということにも驚いているようだった。
 しかしマダラの本題はこれからである。神妙な表情で頭の整理をしているなまえに、努めて冷静な態度でそれを尋ねる。

「オレに話していないことがあるだろう」

 すると、顔を上げたなまえは僅かに視線を彷徨わせてこう言った。「どのことですか」と。その言葉を聞き、マダラは静かに目を伏せた。ただ僅かに寄せられた眉間が不快に思っている心情を表しており、なまえもそれには敏く気が付いた。
 返事の仕方がまずかったのだと悟っても今更取り繕うことはできない。けれども、疚しく思って黙っていることなど一つもなく、何について聞かれているのかもわからないのでなまえはそう聞き返すほかになかったのである。
 それがマダラの反感を買った原因でもあった。今のなまえの答えは、何のことかわからぬほど心当たりがあると言っているようなものだったからだ。カガミから聞いた以外にも似たような出来事があったに違いない。
 マダラはこれまで何度もなまえに「些細なことも話せ」と言い、様子が違う時は自分からも聞き出すようにしていた。それはなまえのことを知るためだけでなく、他に家族のいない彼女が一人で溜め込まないようにという配慮でもあったのだ。
 マダラは、首を傾げているなまえにカガミから聞いた話を伝えた。合点のいったなまえは確かにあったと頷いたが、それよりもマダラのことのほうが気になっていた。

「オレには言えないか」

 その一言にマダラの思いが凝縮されていた。なまえは咄嗟に弁明を図ろうとしたが、どう説明すればいいかわからず曖昧に否定することしかできない。

「そういう訳じゃ……」
「何かあれば誰かに話せ。柱間でも……扉間でもいい。一人で抱え込むな」

 それだけ言うとマダラは部屋を出ていった。なまえはそれ以上何も言うことができず、去る背中をただ見つめていた。
 なまえにとって他人からの嫌がらせなど今に始まったことではなく、そんなことに頭を悩ませるよりも、もっと大切なもののことを考えているほうがずっと有意義だと思っているので、家に帰った頃にはすでに記憶の隅へ追いやってしまっていたのだ。
 だが、それでマダラを傷付けてしまっては元も子もない。静寂の広がる空間で、なまえは顔を俯けた。
 それでも尚、心配する言葉をかけてくれたのは本当に自分のことを大切に思ってくれているからだ。自分を差し置いてまで他の誰かに相談しろと言ったのも、己の感情よりなまえを優先したからにほかならない。
 彼の口からそんなことを言わせてしまうなんて。黙っていたことを知ったマダラがどんな気持ちになったかなど、考えなくても今はこんなにもわかる。なまえの胸は潰れそうなほどに痛み、激しい後悔の念が渦巻いた。