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 あれから数日と経たないうちに扉間から連絡が寄越された。二人の家を訪ねたのは彼の部下ではなく鷹。垣に留まっているのをマダラが見つけ、呼ばれたなまえが顔を覗かせると鷹は羽を広げて迫ってきた。
 驚いて背中に隠れたなまえの代わりにマダラが腕を伸ばして鷹を留めてやった。括り付けられた小さな背嚢から封のしてある手紙を取り出しなまえに渡す。腕を掲げると鷹は飛び立ち本部のほうへ戻っていった。
 今後のことが決まったら連絡する。それはつまりなまえの行いに対する処分の話だった。やむを得なかったとはいえ里の上役を殺したのだ。厳しい罰を受けることは当然なまえは覚悟していた。
 それなのに手紙に書いてあったのは二週間の謹慎を告げる文章だけ。思わず眉をひそめたなまえを見て、マダラも中を覗き込む。
 思っていたものとは全く違うその内容になまえの心中もおおよそ想像がついた。彼女の性格からしてその処分の軽さに納得がいかないのだろう。
 それだけではない。マダラはその手で数人屠ったことをあの日なまえが言い淀んだため自ら公言したのだが、それについてもこの書面上では一切触れられていなかった。扉間達が彼をどうこうすると言うのも難しい話ではあるのだが。
 恐らくあの何の役にも立たない監視を強めるだけだろう。マダラは内心で嘲笑を零し、なまえから手紙を取り上げると小さく火遁を吹いて燃やした。

「あ……」
「何度読もうと中身は変わらん」

 マダラは未だ現実を受け入れられないらしい彼女に静かな声音でそう言った。なまえは灰となって散るそれを見つめ、しゅんと肩を落とす。
 何はともあれ今日からしばらくの間は家で大人しくしなければならないのだ。なまえが落ち込んでいる一方、朝から晩まで一緒に過ごせるのだという事実にマダラは心を弾ませていた。

 その後もなまえは相変わらず浮かない顔をしたまま庭を眺めていた。やはり納得がいかないのだ。それこそ里を追放されてもおかしくないほどのことをしたのに、たった数日の謹慎で片付けられていいのかと。
 厳しい罰を受けたいと望んでいるのではない。残された者どもの気がそれで済むのかという話である。彼らを慕っていた者はその死を聞かされた時、何故そうなったのか尋ねるだろう。
 命を奪ったのだ。たとえ極刑に処されたとしても許されることはない。恨み恨まれながら生きるのは忍の世では当然のこと。なまえとてそれはわかりきっているが、こうして思い悩んでいるのは、これらが原因でマダラや一族の人間がとばしりを食う羽目になるのではないかという不安があるからだった。
 皆を守ろうとしたはずの行為が何かの火種になってしまったら。膝を抱える腕に力を込めた時、カタリと軽い音がなまえの耳に届いた。顔を向けるとマダラが湯呑を載せた盆を床に置いたところだった。
 隣に来たのにも気付かぬほど考えに耽っていたらしい。湯呑を差し出され、なまえは礼を言って受け取った。
 茶は飲みやすいようにぬるくしてあった。ゆっくりと一口を味わうと体の芯から温もりが広がっていく。
 わざわざ入れてくれたのかと問えば、ついでだとマダラは答えるだろう。本当は心配しているのに、そうとは言わずただ静かにそばにいてくれる。
 なまえははっとした。これでは以前と何も変わっていないではないか。
 両手の中の湯呑からその横顔へと視線を移す。気付いたマダラは穏やかな表情でなまえを見つめる。打ち明けていいのだ。きっと彼はずっと前からそうして待っていた。
 居住まいを正し、マダラのほうを向いたなまえはようやく心境を吐露し始める。

「……どうしても不安なんです。これで始末が付くとは思えなくて」

 俯くなまえの髪がさらりと前に垂れた。微かな動きが茶の水面を小さく揺らす。

「先日のように誰かが直接恨みを果たしに来たら……。私ではなく、他のうちはの人が狙われることだってあるかもしれません。そうしたら、また……」

 誰かが傷付けられ、新たな憎しみが生まれる。そうして次へと繋がっていってしまうことをなまえは恐れているのだ。
 確かにそれは有り得ない話ではない。だが、今最も危険な立場にあるのは彼女自身のはずなのに、それを差し置いて周りの心配をするという相変わらずな様子にマダラは呆れそうになる。

「あいつらも馬鹿ではない。その辺りのこともどうするか考えて結論を出したはずだ」

 もしそんなことが起きればどうなるかは先日の件で思い知っただろう。なまえに限らず、一族の人間もマダラは当然守ろうとする。これ以上余計な死人を出さないためにも、特にマダラが動くことを嫌がる扉間はあらゆる手を打って未然に防ごうとするはずだ。
 肩を持つ訳ではないが、彼がそこそこに頭の回ることをマダラは知っているのだ。なまえの心配は杞憂に終わるだろう。

「もとより今回の件に関してお前に非はない。これ以上思い悩むな」

 茶を飲み干したマダラは空の湯呑を盆に戻した。そして、尚も顔を俯けているなまえを横目で見て、少し考えた後、もう一度口を開いた。

「……それとも、あの男の筋書き通りに事が運んだほうがよかったか?」

 どこまでも一族を思う優しいなまえ。極論ではあるが彼女にはこう言ってやったほうがいいだろう。マダラは柔らかな眼差しをなまえに向けた。
 なまえはとんでもないという顔をしてぶんぶんと首を横に振る。視線が上がったことで、自分を見つめるその存在とのどかな外の風景が映った。
 そうだ、となまえは思い出す。あの時自分は何よりもマダラの元へ帰ることを望んだ。その結果、こうして生きてここにいる。里が荒れることはなく、一族の皆もいつも通りに過ごしているだろう。
 これでよかったのだ。後悔する必要はない。マダラの言う通り、後のことは扉間達がうまくやってくれるはずだ。それでも駄目だったらその時にまた考えればいい。誰よりも頼りになるこの男と二人で。
 晴れ渡る空を見上げたなまえは、その眩しさに目を細めた。



 その翌日、二人は買い物に出かけた。なまえの表情は幾分かすっきりとしており、しっかりと前を向いて歩いている。
 悩みを打ち明けたことで気持ちが軽くなったのだ。これまでうじうじと一人で考え込んでいたのが無意味だったように思えてくる。マダラにしてみれば些細な悩み事だったかもしれないが、それでも話を聞いてくれた彼になまえは感謝した。
 今日の商店街はまだ昼前だと言うのに人通りが多く、何やら忙しない雰囲気が漂っていた。一つ隣の通りでは誰かが声を張り上げて何かの準備をするような指示を出している。
 一体何事だろうかとマダラを見上げるなまえだったが、当然彼も知りはしない。二人は顔を見合わせた後、必要なものだけを買って早々に帰宅した。
 そんな調子で夕食と風呂も早めに済ませてしまったなまえは寝室の障子を開け放ち、ひんやりとした風に当たりながら髪を乾かしていた。マダラに見つかったらすぐに閉められるだろうから、彼が風呂から上がるまでの間だけ。
 日の沈んだ空には淡い藍色の闇が広がっている。流れる風が香ばしい匂いを含んでいることに気付き髪を拭う手を止めた。耳を立てると人々のはしゃぐような声が聞こえる。
 どこかの一族が集まりでもしているのだろうか。買い物に行った時のことも思い出すと、それなりに大きな催し物が開かれているのかもしれない。自分には関係ないと思い、なまえはさほど気にせずタオルを肩に掛けた。
 今夜はきっと綺麗な星空が広がる。一緒に眺めないかと誘ったら寒さを理由に断られるだろうか。そんな想像をするだけでも少し楽しくなり、頬が勝手に緩んでしまう。そんな時だった。
 外の喧騒より一際近い所から砂を踏む音がした。つい最近襲われたばかりのなまえはすぐさま警戒の視線を巡らせる。
 それは門のほうから近付いているようだった。足音を隠すつもりがないということはただの訪問客かもしれない。なまえはいつでも動けるように構えながらその姿が見えるのを待った。

「やっぱりここにいた」

 予想したよりも遥かに幼い声が耳に届く。それは他でもない、数日前に関わりを断ったはずのカガミだった。
 なまえは困惑の色を浮かべて立ち上がる。人に見られる前に帰さなければ。軒下に置いてある草履を履いて庭へ出た。

「カガミ……」
「大丈夫。ちょっと迷って入ってきただけだから」

 そう言いながらカガミはズンズンと近付いてくる。約束を破ったことに対する怒りをぶつけに来たのだろうか。
 当然の報いだとは思いながらもなまえの足は後ろへ下がろうとする。そんな彼女にカガミは十分距離を詰め、勢いよく右手を突き出した。白い奇妙なものをその手に握りながら。

「これあげる」
「な……何、それ?」
「綿菓子。知らないの?」

 恐る恐るなまえが尋ねるとカガミは呆れたようにそう答えた。
 綿菓子。小声で繰り返す彼女に改めてそれを差し出した。なまえは名前の通り綿のようにふわふわとしたそれを慎重に受け取り、物珍しそうに見つめる。

「普通に屋台で売ってたでしょ。見なかったの?」
「屋台?」
「……祭りやってることも知らないなんて言わないでよ」

 聞き返すばかりのなまえにカガミの声は冷ややかなものへと変わっていく。
 外が賑やかなのは祭りをやっていたせいだったのだ。なるほどと得心がいったような顔をする彼女を見て本当に知らなかったらしいことを悟るカガミ。
 もしかして、あまり外へ出ていないのだろうか。そうだとすれば先日の出来事が影響しているのは明らかだ。幼い彼でもそれは容易に察することができた。
 カガミがこうして家を訪ねたのは、あの雨の日の夜、なまえを責めてしまったことに罪悪感を覚えたからだった。本当にショックを受けたからこそ零れた一言だったのだが、改めて考えると悪いのは彼女ではなく自分を攫った奴らだと気付いたのである。
 助けてくれてありがとう。なまえには本来そう言うべきだったのだ。しかし今になってそれを伝えるのも気恥ずかしいので代わりに女子が喜ぶであろう甘いものを持ってやって来たのであった。

「ねえ、修行の話だけどさ」

 そう切り出すとなまえはわかりやすいほど動揺した。自分の言葉に翻弄される姿がおかしくて、彼女のほうが子供なのではないかと思ってしまうほどだった。

「今度から父さんに見てもらうことにしたよ。本当は一人でやろうと思ったけど、それでもし何かあったらまたなまえさんが怒られるからね」

 カガミはそう言って悪戯っぽくはにかんだ。その笑顔を前にしてなまえは言葉を失う。
 許してくれたのだ。約束を破り、傷付けてしまったこの自分を。それだけでなく、迷惑がかからないようにと配慮までしてくれて。どうすればそれほど優しい心を持つことができるのだろう。

「ありがとう、カガミ……」

 なまえは少年の体をふわりと抱き締めた。こうするほかにその気持ちを伝える術を知らないのだ。
 カガミは頭の中が真っ白になったが、すぐにもがいてその腕の中から抜け出した。思春期の複雑な心境に陥りながら「やめてよ」とぼやきを零す。
 彼は少しでも早くなまえに近付こうと努力しているのだ。対等に扱ってほしくて敬語をやめ、一人称も変えて背伸びしようとしている。いつか彼女と任務に行くことを密かな目標とし、あまり頼ろうとしてこなかった家族に頭も下げた。最終的には「あの人」を超えなければならないのだ。こんなところで立ち止まる訳にはいかなかった。

「おーい、カガミー」

 垣の向こうから子供の呼ぶ声がした。一緒に祭りを楽しんでいた友人が探しに来たのだろう。

「じゃあ、オレ行くね。いつまでも引きこもってないで少しは外に出たほうがいいよ、なまえさん」

 最後に少々毒の効いた言葉をかけるカガミ。なまえは事情を明かすことはせず苦笑を浮かべて小さく頷いた。
 カガミは綿菓子をちゃんと食べるように言って踵を返した。その直後、なまえが声を上げて彼を呼び止める。一つ肝心なことを聞き忘れていたのだ。

「この祭りって何のために開かれてるの?」
「木ノ葉の里が正式に国に認められたんだって。それと、柱間って人が結婚したからその両方のお祝いらしいよ」

 確か扉間先生のお兄さんだったよね。振り返ったカガミが呟いた。
 次はなまえが頭を真っ白にする番だった。手から抜け落ちそうになった綿菓子を慌てて握り直す。
 「出店もまだやってるだろうから後で行ってみれば?」そんな呑気な提案をしてカガミは今度こそ去っていった。
 柱間が結婚した。それがただの噂であればここまで騒ぎになっていない。恐らく真実なのだろう。
 だが、なまえは知らなかった。知らされなかったのかもしれない。何せ里の長となった男だ。色々と難しい事情があっても不思議ではない。そう考えながら記憶を辿っていると、そういえば、と引っかかる場面が幾つか蘇ってきた。

「なまえ」

 マダラの声がしてなまえは振り返る。庭に出たままだったことも忘れていた。
 彼は知っているのだろうか。部屋に戻ったなまえは今し方聞いた話をマダラに伝えた。珍しく僅かに目を丸くしたのを見るとどうやら彼も同じらしい。「そうか」とだけ言ってそれきり黙ってしまった。
 少し前、柱間の隣を歩く後ろ姿を一度だけ見たことがあった。もしかするとあの女性がそうなのかもしれない。なまえは手元の真っ白な綿にその赤を思い浮かべ、火のような鮮やかさに溜め息を漏らすのであった。