とびきり素敵な日の話
週末はとびきりいい服を着てオンボロ寮に来てね。先輩が週明けの昼休みにそんなことを言い出して、ヒトハは「とびきりいい服……?」と首を傾げた。
何があるのか聞いても全然答えてくれないし、他のゴーストたちも「なんのこと?」と明らかに何か知っているのに知らないふりをする。
よく分からないままクローゼットの前に立って“とびきりいい服”を選ぶことになったのは、今日ある出来事に備えてというよりは、他でもない先輩の頼みだったからだ。
「とびきりいい服、ねぇ」
いい服と一口に言っても色々ある。単純に値段の高い服、気に入った服、思い入れのある服――
ヒトハはクローゼットをひっくり返す勢いで服を広げて唸った。
最近クルーウェルのファッションチェックが入ることもあって、どれを選んでも“いい服”なのは間違いない。
クルーウェルはヒトハをマネキンか何かと思っていて、自分好みに仕立て上げなければ気が済まないようだった。この前なんて、履いている靴が気に食わないと言われて無理矢理ブティックに連れ込まれたくらいだ。あの日は魔法薬の素材を見に行くだけの予定だったのに。
そういうわけでヒトハがかれこれ三十分ほど頭を悩ませているのは、着るものが無いというわけではなく、有りすぎて分からないという実に贅沢な理由によるものだった。
「……やっぱりこれかなぁ?」
最終的にヒトハはハンガーにかかった服を手に取った。気に入りの服はたくさんあるが、とびきりと言うからには、これ以外の選択肢は思い浮かばなかったのだ。
***
普段上げている髪を下ろして緩く巻き、いつもより数段華やかな化粧をする。仕事をしているときは気を遣わない耳や首元の飾りも、今日は特別だ。
ヒトハは出来うる限りの努力をして、オンボロ寮の門に立った。そしてオンボロの名に相応しい古びた門を押し開けて敷地に踏み込む。
仕事用の靴なら難なく歩けるのに、いつの日か見繕ってもらったピンヒールでは足元がぐらついて仕方がない。オンボロ寮の舗装の甘い道を完全に侮っていたのだ。
ヒトハはやっと寮の扉の前に立つと、呼び鈴を鳴らして声を張った。
「先輩! ナガツキです!」
すると「どうぞ〜」と間延びした声が返ってきて、扉がひとりでに、ゆっくりと開いたのだった。その先は昼間だと言うのになぜか真っ暗で――
「お誕生日おめでと――!!」
パンッ!
「ギャ――――ッ!!」
突然響く破裂音に、ヒトハは装いに全く似つかわしくない叫びを上げた。ピンヒールで足を捻りながら扉にしがみつく。
パッと明るくなった室内で金と銀の紙吹雪がはらはらと舞う。盛大な飾りつけの中、完全に腰を抜かしてへたり込むヒトハに、吹き抜けの階段上からエースが「いや、びっくりしすぎでしょ……」と呟いた。
ぞろぞろと出てきたのは普段仲良くしてくれているゴーストたちや生徒たち。予想外に驚いて動けないでいるヒトハに、気遣わしげな目を向けている。これではお祝いどころではない。
「お誕生日!? ――あ、私!?」
ヒトハは混乱したまま叫んだ。
エントランスに可愛く飾りつけられた壁に日付と自分の名前があるのを見て、やっと思い出したのだった。
(今日……誕生日だった……)
完全に忘れていた。そもそも、今日が何日だったかもまともに記憶していない。
ヒトハは痛めた脚でそろそろ立ち上がりながら、自分ですら忘れていた誕生日を祝おうと集まってくれたゴーストと生徒たちを見渡した。
先輩をはじめ仕事仲間たち、それからセベクにエースやデュース、オンボロ寮の監督生にグリム。各寮の顔馴染みが思いつく限り集められている。さすがに関わった人たち全てとはいかないが、これだけ多くのゴーストや生徒たちと出会ってきたのだ。
(こんなにたくさんの人にお祝いしてもらうの、初めてだ……)
誕生日のお祝いは家族でささやかなケーキを囲むくらいのものだった。友人から祝ってもらうのも、ごく親しい人たちの間だけだった。大人になってからは、家族から届くメッセージくらいのもので、自分の中では歳を取るだけの何も特別な日ではなかった。人生の中で、こんな風に祝ってもらえることがあるなんて思っていなかったのだ。
「あ、ありがとうございます。とても……とても嬉しいです」
胸の奥底から込み上げてくる温かなものをゆっくりと噛み締めながら、ヒトハは声を震わせた。
「ヒトハちゃん、今日はとびきりおめかししてきたね」
いつも以上にニコニコ顔の先輩が嬉しそうに言う。彼に言われて選んだ服は、自分の持つ服の中でも一等似合っているであろう、クルーウェルに仕立ててもらった服だ。
深みのある鮮やかな緑の生地は普段着には仰々しいが、祝いの場には相応しい。張りのあるスカートのラインは美しく、尖った感性を持つ彼が作ったという割に、落ち着いた大人のデザインだ。今日はこの服に合わせてコーディネイトした。ファッションのことになると途端によく回る口から語られる、彼のファッション理論をフルに活用した成果である。
「これ、一番気に入ってるんです」
「うんうん、大人っぽくていいね」
ヒトハが照れながらスカートを両手で摘んでみると、生徒から「ヒトハさんって本当に大人だったんだ」とからかいの言葉が飛んできた。男子生徒の褒め言葉は、一捻りないと駄目らしい。
このオンボロ寮全体を使ったパーティーは、ヒトハの誕生日を知った先輩が計画したものだという。同僚も厨房担当のゴーストも、配達のゴーストも巻き込んだところで会場が欲しくなり、オンボロ寮の監督生に相談したところ、そこから芋づる式に関係者が集まって、最終的に広い寮内が狭く感じるほどになってしまった。
おかげでオクタヴィネル寮のバイト仲間たちがプレゼントを抱えて来てくれたし、トレイがケーキを焼いて来てくれたのだから、ヒトハにしてみればこのうえなく幸運なことだった。
会場の長いテーブルにはトレイのケーキの他にも厨房のシェフゴーストたちが作ったご馳走が彩り鮮やかに並んでいる。ラギーがなかなか正直に「ご馳走が食べられるって聞いて!」と言いながらやって来たときには笑ってしまったが、しっかり「レオナさんからお祝い言付かってきたッス」と言って帰って行ったのだから、やはりそれなりの気持ちがあって来てくれたのだろう。
生徒たちもゴーストたちも、誰も彼もが祝いの言葉を持って来てくれた。それだけでも十分幸せなことだったが、みんながパーティーを楽しんでいる姿を見ていると、これ以上の幸福はないように思えたのだった。
「ヒトハちゃん、来たよ!」
「へ?」
ヒトハが飲み物片手に生徒と話していると、先輩が一年生たちを引き連れてやって来た。
セベクに飲み物を取り上げられて「ちょっと来て」とエースとデュースに背を押される。わけも分からないまま人けの少ないオンボロ寮の入り口に連れて行かれると、同じくゴーストに連れてこられたらしいクルーウェルが戸惑いながら辺りを見渡していた。
「これは一体どういう催しだ?」
クルーウェルはヒトハを見つけると、その服装を見て「祝い事かなにかか?」と少しばかり首を傾げた。どこか嚙み合わない様子に不穏な空気が漂う。
「どうって、ヒトハさんの誕生日で――」
ヒトハの後ろからエースが顔を覗かせて慌てて言うと、クルーウェルは眉を顰めた。
「お前、誕生日だったのか」
「え、ええ。そうですが」
そしてぎこちなく答えるヒトハを見て、楽しそうに背を押していたエースもデュースも監督生も、そわそわしていたジャックもエペルもセベクですらも、表情を固まらせた。
気まずい沈黙の中、口火を切ったのはデュースだった。
「まさか先生……ヒトハさんの誕生日、知らなかったんですか……?」
「聞いていないんだから知るわけないだろう」
エースはそれを聞いて仰反る勢いで驚いた。
「はぁ!? 彼女の誕生日知らないのってある!?」
「彼女じゃない」
「彼氏じゃないです」
二人同時に言って、さっと視線を合わせる。
クルーウェルの険のある目がヒトハを見下ろしていた。
「大体お前、そんな大事なことは先に言え」
「だ、だって私も今日まで忘れてたから……! それを言うなら、まずは先生から誕生日を申告するべきでは?」
「俺が自分からわざわざ言うわけないだろう」
「それなら私も言うわけないですよ。 ――ふふん、どうせ歳取ったの知られたくないんでしょう?」
「そんなわけあるか。誕生日を忘れて現実逃避してるお前と一緒にするな」
「なっ、現実逃避とかしてませんし! 私、先生より若いですもん! 私、先生と違ってこれからですし!」
「おい、俺を終わった奴みたいに言うな」
早口に捲し立てる二人を眺めながら、ジャックが「なんか喧嘩し始めたな」と呟いて、一年生たちは無言で頷き合った。大人同士の口喧嘩のはずなのに、内容がことごとく子供である。
「みんな〜! ピザ焼けたよ! 食べるー?」
「たべまーす!」
しばらくその様子を観察していた彼らだったが、ケイトが両手に一枚ずつ焼き立てのピザを持って現れると、瞬く間にそちらに興味が移っていったのだった。
それに便乗しようとするヒトハの二の腕を素早く捕まえて、クルーウェルは「ステイ!」と強く言った。ステイもなにも、捕まっているのだから動けるはずがない。
ヒトハは言い合いの興奮を残したままムッとしてクルーウェルを睨み上げた。
「なんですか、もう! ――ピザより大事なことなんですか!?」
「……俺の話はピザ以下か?」
まぁ落ち着け、と宥められながら目の前に立たされる。まるで猛犬扱いである。
クルーウェルはヒトハが逃げ出さないのを確認すると、ため息をつきながらその手を離した。
「はぁ、言い方が悪かったな。まさかお前がそんな情報を隠していたとは思わなかったんだ」
「隠してはないですが。……誕生日って、そんなに重要な情報でした?」
ヒトハにはまず、彼がこれほどまでに苛立っている理由が分からなかった。ひとつ年齢が上がるだけの日を、そんなに知りたいものだろうか。
クルーウェルは一瞬言葉をなくして、ややあってヒトハに言い聞かせた。
「重要だ。お前が思っているよりも」
「そうだったんですね。私、あまり気にしたことがなかったから」
「たまにお前の世間とのずれが心配になるな……」
まぁいい、とクルーウェルは何かを諦めて腕を組むと、ヒトハの頭のてっぺんからピンヒールの先まで視線を落とした。不満げに下がっていた口角が緩く持ち上がる。今日の服装はお気に召したらしい。
「今日はその服を選んだのか。いい判断だな」
「ええ、“とびきりいい服”ってドレスコードだったんです」
ヒトハはふざけて気取ったようにスカートを摘まんだ。つい先ほど男子生徒にからかわれたものだから、同じような反応が返ってくると思っていたのだ。
それなのに、クルーウェルはヒトハのその様子を見て目を見開いたかと思うと、優しく細めたのだった。
「よく似合っている」
「『さすが俺』」
「おい、お前は素直に褒め言葉を受け取ることもできないのか?」
クルーウェルは口元を再びへの字に曲げると、人差し指を軽く曲げてヒトハを近くに呼び寄せた。
「ナガツキ、カム」
「な、なんです?」
すでに近いところにいるのに、と控えめに半歩近づくと、彼はそのまま持ち上げた人差し指と親指を合わせて、パチンと指を鳴らしたのだった。
指先から火花のような小さな光が弾ける。クルーウェルの使った魔法は、粒子のような銀色の輝きとなって頭上から優しく降り注いだ。
「わ、キレイ!」
「とりあえず今日のところはこれで許せ」
輝きは広げた手のひらに落ちては弾けて消えた。美しさに何よりこだわる彼に相応しいプレゼントだ。
それをじっと見つめて楽しむヒトハに、クルーウェルは不意を突くように言った。
「誕生日おめでとう。今日のお前は学園一綺麗だな?」
「は!? そっ、それは、ヴィル様に失礼ですよ?」
「はぁ、まだ言うか……」
お前は本当に欲張りだな、と呆れたようなことを言いながらも笑みを深くする。
クルーウェルはほんの少し腰を曲げ、舞い続ける輝きと同じ銀の瞳をヒトハのそれに合わせた。
「俺は、今日のお前は世界で一番綺麗だと思っている。これで文句はないな?」
「…………」
そしてすぐに姿勢を戻すと、固まるヒトハを置いて流れるような動きで玄関の扉に手をかけた。
「明日の夜は空けておけ。俺はもう帰る。仔犬どもがはしゃぎ回るのに水を差すのはごめんだ」
そんなことを言い残してさっさと出て行くのを、ヒトハは何一つ言葉を返せないまま、呆然と見送った。
それからどれくらい時間が経ったのか分からない。長いかもしれないし、一瞬だったかもしれない。ヒトハを現実に引き戻したのは、バタバタとした足音と、セベクの大きすぎる声だった。
「ヒトハ! ゲームに主役がいないのでは勝負が……どうした? 熱でもあるのか?」
「あーもー! セベク、お前空気読めよなー!」
慌ててセベクを追いかけてきたエースが呆れたように言って、ヒトハはようやく熱くなった顔を両手で覆った。誤魔化そうと「いえ、いいんです!」と言った声は不自然に裏返っていて、これでは隠そうにも隠せない。
遅れて後を追ってきたエペルがその様子を見て、小さな頭を傾げる。
「あれ? ヒトハサン、髪型が変わってる。その髪飾り、魔法かな?」
「キラキラしてて綺麗なんだゾ」
グリムの素直な感想を聞いて、ヒトハは首元を摩った。確かここへ来たときには髪を下ろしていたはずだったのに、知らぬ間に髪がすっきりと上に纏まっている。
「え? あっ、髪が上がってる! ええっ! ど、ど、どうなってるんですか!?」
ヒトハは自分では見えるはずもないのに慌てふためいて手を頭の後ろに回しながら、その場でぐるぐるとした。
「自分の尻尾追いかけてる犬みたいになってるな」
そんなジャックの呟きに、一年生たちは再び無言で頷いたのだった。
***
「先輩、今日はありがとうございました。こんなに素敵な誕生日、生まれて初めてです」
パーティーの終わりに、ヒトハは片づけに飛び回る先輩を引き留めた。
こうして慌ただしく飛び回って、他のゴーストや生徒たちと準備もしてくれたのだろう。この感謝の気持ちは言葉ひとつでは到底表せない。
先輩はいつだってヒトハに優しい。けれど今日の彼はそれこそとびきり優しかった。いつも以上に嬉しそうな笑みを浮かべて「よかったぁ」としみじみと言う。
「一年に一度しかないんだから、生きてるうちにたくさんお祝いしておかないとね」
ヒトハは先輩の言葉を聞いて、その考え方はなかったな、とふと思った。
彼らにしてみれば、“生きているうちにできること”は特別尊いものなのだろう。死んでゴーストになれば気の遠くなるような長い時間を過ごすことができるが、生まれて死ぬまでは有限の短い時間だ。
永遠ではないから過ぎ去る一つひとつを大切にしたいという考えは、生きている間はなかなか思いつかないし、言われてもなかなか実感が湧くものではない。
またひとつ先輩に教わってしまった、と先輩の言葉を胸に刻みながら、ヒトハは「それでも」と思った。
それでも、生きていても死んでいても、祝われるというのは嬉しいものではないだろうか。
「私、先輩の誕生日もお祝いしたいです」
「ほんとう? ありがとう。でも、もうずっと昔だから忘れちゃった。死んだ日なら覚えてるよ」
「う、うーん、死んだ日ですか……」
これはさすがに予想外である。
「ゴースト誕生日ってことですか……? でも、そうですね。生まれた日って大事ですから……」
お祝いしてもいいですか? と問うと、先輩はやはり嬉しそうに頷いたのだった。
その日の夜、ヒトハはスマホに送られてきた両親からのいつものお祝いメッセージを見て、頬を緩ませた。
今年の返信はとても長くなりそうだ。
2022/02/26