1. 悪戯と逃走

※2020年版「スケアリー・モンスターズ!」の内容が含まれます



「ええ〜メイドさん? かわいい! 一緒に写真撮ってくださーい」
「はぁ、いや、あの、これはメイドではないです」

 ヒトハは箒を握りしめ、自分を取り囲む若者――と言ってもさして年齢の変わらない観光客たちを見渡した。
 誰も彼もが浮かれるナイトレイブンカレッジのハロウィーンウィーク。学園中がハロウィーン仕様に飾り立てられ、生徒たちはいつもの制服を脱ぎ捨てて仮装をしている。ヒトハも例に漏れず、いつもの制服を着替えての仕事だったのだが、これは決してメイド服というものではない。いつもの灰色がかった水色の制服が黒に変更されただけのことである。景観に合わせるという意味での一時的な装いだった。

「えっと、写真はあまり好きではなくて……」
「えー! 今日くらいいいじゃないですか!」

 控えめに断ってみたが、まったく聞く様子がない。ヒトハは苦笑いを浮かべた。
 彼らはヒトハにとって苦手な部類の人たちだ。できれば関わり合いになりたくないと思っていたのだが、学園全体が開かれた状態ではそれも難しい。
 これも学園のためだ。そう思って消極的な対応をしていたのが悪かったのか、ヒトハは突然一人の男性に肩を引き寄せられた。胃の奥から込み上げる不快感に眉を寄せ、文句を吐き出したい口をグッと閉じる。
 まったくもって不愉快で、ヒトハは腰の杖にそっと指を引っかけた。許されるなら、今すぐにでもこの杖先を突きつけてやりたい。正当防衛なら許されるだろうか。うずうずと指を動かしていたヒトハは、その瞬間、はたと動きを止めた。
 遠くにクルーウェルが歩いている。
 この騒がしい学園内で神経質になっているのか、いつに増して歩くのが速い。その様子を目で追っていると、ぱちりと目が合った。
 シルバーグレーの瞳が大きく見開かれる。方向転換すると、彼はその長い足で革靴を鋭く鳴らしながらこちらへ向かって来たのだった。

(マズい)

 ヒトハは撮影ボタンを押されそうになったそのとき、肩に置かれた手を跳ね除けた。

「あ」

 自分でもびっくりするくらいの力で払ったせいで嫌な雰囲気が漂ったが、それよりも恐ろしいことがこの世にはあるのだと、この若者たちは知らない。
 ヒトハは大股でクルーウェルの方に向かって行き、その腕を強く掴んで引き留めた。

「あの野良犬どもには躾が必要だろう? そうだな、ナガツキ」
「いや! いやいやいや、ステイですよ先生!」

 他人のことを仔犬やら駄犬やらと呼びながら、今の彼は額に青筋を浮かべた狂犬だ。
 ヒトハはクルーウェルの腕を逆側に引っ張ろうとした。しかし当然力で勝てるわけもなく、その場で引き止めることしかできない。そうこうしている間に例のポジティブな若者たちは面白そうにこちらにカメラを向けようとしているのだから、まったく始末に負えない。

「ちょ、ちょっとそこに立っててください!」

 このままではここが焼け野原になってしまう。
 ヒトハはクルーウェルの後ろに回り込んで素早く杖を手に取った。かくなるうえは誤魔化し、お茶を濁し、逃げるしかない。
 杖を軽く払うように振い、魔法をかける。同時に走った突風が、彼らが仮装用に被っている猫耳のカチューシャを空高く攫っていく。そして全員の視線がそちらへ向かっているうちに、クルーウェルの手を取って反対側に駆け出した。

「おい!」
「ほら、早く逃げましょう!」

 呆気に取られていたクルーウェルは、引っ張られるままにヒトハの走りに従うしかない。
 年甲斐もなく風を切って走っていると、胃の奥でぐるぐるとしていた不快感は次第に爽快なものに変わっていく。
 久々に悪戯のような魔法を使ったのだ。あの吃驚とした顔、飛んでいったものを慌てて追いかける姿は今思い出しても面白い。
 靄が晴れたような気分に、ヒトハは走りながら笑うのをやめられなかった。


   ***


「ああ、おもしろかった! 私、ああいうの得意なんですよね!」

 もう姿が見えなくなったかと思われるところで足を止めて、ヒトハは息を整えながら振り返った。誰も追ってきている様子はなく、逃走は成功したようだ。
 クルーウェルはというと、肩で息をしながら凶悪な顔で舌打ちをしていた。これは相当腹に据えかねたようである。しかし対照的に気持ち良く笑っているヒトハを見ると、結局は「よかったな」とため息をついた。
 ヒトハとしてはあのまま雷を落としてもらってもよかったが、これも大人の事情を加味した結果だ。学園内で問題となっては後が怖い。
 苦笑しながら逃走の間に乱れてしまった制服を整えていると、突然スマホが鳴った。

「……ケイト君?」

 通知はハーツラビュル寮のケイトから。メッセージを開いてみると、そこには一枚の写真が添付されていた。
 それはつい先ほどの逃走劇、クルーウェルを引っ張ってふたりで走っている様子の写真だ。やけに楽しそうな顔をしている自分とは反対に、混乱した顔で引っ張られているクルーウェルがあまりにも珍しく、そして面白い。この浮かれたハロウィーンの雰囲気に合った、まさしくハッピーな一枚である。

「ふふ、これ、先生にも後で送りますね」

 これはしっかり共有しておかなければ、と声を弾ませながら気がついた。こんな浮かれ方をしていては、あの若者たちとそう変わりない。

「何を送るって?」
「それは見てからのお楽しみということで」

 訝し気にしているクルーウェルから隠すようにスマホを仕舞って、ヒトハは興奮を隠し切れないまま答えた。
 きっとあの悪戯も、この浮かれた気分も、今だけは許されるに違いない。なんといってもこの一週間は特別な一週間、ナイトレイブンカレッジのハロウィーンウィークなのだから。
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2022.02.27